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訪れた異変。神視の兆し

 荒魂(あらみたま)の脅威は取り除かれた。安全と引き換えに色んな物を犠牲にして。


「シロウ……シロウ…………すまない、すまなかった……シロウ……不甲斐ないわたしを恨んでくれ……」

 亡骸が消える前で寄り添っていた狗桜(クオウ)の嗚咽を尻目に、手の中に残った感触を拭いきれず握り締める。

 彼女達の同胞を俺は手に掛けた。堕落していたとはいえ、無抵抗で意識のあった相手を。



 でも、やるしかなかった。いずれは理性を失い、動く物全てに襲い掛かり、その身が朽ちるまで暴れ回るようになっていた。だからそうなる前に終わらせて欲しいと懇願してきたんだ。

 そう言い聞かせていながら、失意に沈んだ彼女に声を掛けることが出来ずにいる。



「あるじ、ごめん。ほんとはわたし、やるべきだった」

「謝るようなことじゃない。引き返そう。今はジルバさん達が気がかりだ」

「……」

真噛(マカミ)?」


 振り返ると彼女がイヌ耳を垂らし未だに目元で涙を溜めている様子に言葉を失った。

 割り切れているわけがない。切り替えられるのは関わりのなかった俺だけだ。


 犠牲者になるのがもし彼女なら、同じようなことを口にしただろうか。


 これが鈴孤(リンコ)だったら? 白鷺(ハクロ)だったら?

 無理だ。そんな想像をすることすら忌避感を抱く。

 きっと立ち上がれない。酷なことを求めた自分を恥じる。


 ああは言ってくれたが真噛(マカミ)は俺を許してくれるだろうか? 狗桜(クオウ)は見ず知らずの輩に仲間を討たれて憎しみを募らせるだろうか?


「……お願いして、良い? 今のクオウ、置いていけない」

 遠慮がちに俺に許可を求める。あれだけ邪険にしていた狼女の為に残りたがった。

 分かった、と口を開こうとした時だった。



「——ぐぅっ!?」

 針が刺さったような頭痛が襲う。言葉の代わりに呻きが出た。



 訪れた危険信号に外部からの衝撃は無かった。

 まさかこれは攻撃か? だがその気配はない。

 精霊力を使い過ぎた? 枯渇するほど大して使っていない。

 それともただの偏頭痛? こんな状況で疾病にでもかかったのか。


 何であれ、頭が割れそうなくらい激しい痛みは一向に収まる気配が無い。

 それどころか意識も乱れ、平衡感覚を失った俺はその場に膝をつく。

 呼吸の仕方も分からなくなり、吐き気も催した。グルグルと視界が回る。得体の知れない異変に混乱が極まる。


 その場で突っ伏したい衝動を手を地面について拒み、一刻も早くこの症状が緩和するのを願った。

 だが、耳鳴りまで大きくなってきた。しきりに身体が揺さぶられる。狼少女が俺を呼び掛けているのだが、考えがまとまらない。


 視界がチカチカと明滅する。視野から現実が遠ざかっていく。

 別の何かが見えてきた。アスファルトの地面を見つめていた筈なのに、空と建物が鮮明に映った。

 一羽の鳥にでもなったみたいに、視界は進みどんどん違う景色が流れ込んでくる。

 見えた街並みは都市エレメアのもの。心当たりのある建築物や看板は少し離れた場所であることを裏付けていた。


 何だ、これ……——うッ!?


 横から突然大きな影が飛び出した。人とは違った生き物の影。

 口腔を開き、牙から糸を引いて音の無い咆哮をあげる怪物の顔がビジョンの中に現れる。


 そして視界は降りて行き、壊れた周囲と真っ赤に染まった大地が見えた。

 赤の彩色は人を使ったものだった。


 何人もの倒れ伏した人から血は流れ、獣の足元に倒れ伏している。ある者は引き裂かれ、ある者は串刺しにされて身動ぎひとつしていなかった。

 砕けた黒いヘルメットが転がり、折れた仕込みサーベルが落ちていた。

 血の気を失って目を開けたままでいたのは、暗い赤髪の中年男性だった。その歪な鉤爪(・・・・)に磔刑されていたのは、白髪の老人だった。



 目じりに火花が散ったかと思うと、自分の肉眼で本来映る地面に戻された。狼少女の声が横から繰り返される。

「あるじ、あるじ! だいじょぶ……?」

 悲嘆も幾分か吹き飛ぶほど、俺の異変を案じる真噛(マカミ)と目を合わせる。


 少しの間、思考が麻痺したままだった。

 浅く息を繰り返し、ようやく口から出たのは質問だった。


「今の、見た?」

「……何が? あるじ、苦しんでただけ」

「そう、か。そうか……!」


 不可思議なイメージが頭に再生された後、あれだけ自分に振りかかった不快感は波が引くように消え去った。一体、何が起こったのかは分からない。

 だが、その代わりにこれまでになく不穏な胸騒ぎを覚えた。

 今のがもし、現実で起こっているのだとしたら……!


真噛(マカミ)狗桜(クオウ)を頼む。俺は」

 あちらに急いで戻らないと。

 立ち上がるなり、俺は元の場所へと走り出す。



火々尾甲(カガビコ)!」

 巨馬の荒魂(あらみたま)を仕留めた時の炎拳がジルバに迫る。守るべくして、白い雄鹿が氷壁を張った。


 零度と灼熱、対極に位置するものが衝突し、白煙が産み出された。

 視界が晴れると、サーベルの刀身を掴まれた状態で両者は拮抗していた。

 スーツに身を護られたことで斬り付けられても無傷のアインは苛立ちを露にする。



「てめぇ、さっきから調子に乗ってんじゃねぇぞ……!」

「貴殿を相手にそんな余裕は私にありますまい」

「だったら何で仕掛けてこねぇっ? 手ェ抜くなよ俺では力不足か!」

「本気であっても必要ないからですよ」

「寝言が遺言にしたいようだなジジイ……!」

「御老公、手を貸そうか」

「お気遣いなく。これは一般人の介入するような事態ではありませぬ故」


 ゼムナスの申し出を丁重に断り、老人は剣で応戦しながら言葉を続けた。

 流れるように振るわれた切っ先の軌跡は、さながら結界のようにアインを攻めあぐねさせた。

「ではこちらからもひとつお聞きしてもよろしいですかな。此度の騒動、居合わせた我等はさておき対応の早さからして『(レイヴン)』が噛んでおられるようですが、どういった思惑がおありで?」

「やかま、しい!」


 空振る腕。冷静に、言葉で揺さぶりをかけた。

「何も知らされていないということですか。なるほど、悪戯に首を突っ込んだだけでしかない貴殿はただの操り人形。自分のやりたいようにやっているおつもりでいて、思惑に振り回されているだけの哀れな子供に過ぎないようで」


 目を血走らせたアインは獣のような金切り声をあげて、飛び出した。

 防御無視の特攻を仕掛ける彼に反して、ジルバは跳ねるように退く。


「さて、一泡吹かせられたのでこれまでと致しましょうかね」

「てめぇェえええええええええ!」

「此処から先は——」


 乱入者の渾身の背面打ちにアインが吹き飛んだ。転がった彼は自分に何が起きたのかも分からず、そして身を起こすのに時間を要した。

「貴方にお任せしますよ」

 攻防に横槍を入れたのは、舞い戻った天朧(アマオボロ)


「無事でよかった……! 何も起きてないんだな!」

「どういうことだ」

 ゼムナスの問いに「話は後だ」と言って、アインの元へと歩み寄る。


「……どいつも……コイツも……! 何処まで、俺を、虚仮に……!」

何処(・・)だ」

「あぁ!?」

「知っているんだろ、残りの荒魂(あらみたま)何処(・・)にいると聞いているんだ」


 回答は必要なかった。

 建物が、ひとりでに倒壊してけたたましい音を鳴らした。


 そして繭を突き破るように、建物内部から獣が出てきた。

 その正体は真っ黒な熊。だが本来の熊よりも圧倒的に巨大で、特徴的な歪んだ鉤爪を広げ、瘴気と遠吠えをまき散らす。

 三体目の上位荒魂(あらみたま)が出現。


 戦闘を中断し、注意が怪物に向けられる最中、この場にいない男の音声が耳に入る。

1:1(ワンオンワン)だよアインくん』

「ジェクトール……うるせぇから話し掛けんなッ」


 それは彼のヘルメットから漏れた通信だった。

『君が本物であると証明したいのならその荒魂(あらみたま)……裂磨(サクマ)を誰よりも先に他ならぬ君自身の手で仕留めるんだ。早い者勝ちさ』

「何を言ってやがる。目の前に奴がいるんだぞ。回りくどいことする必要あるか」

『独り善がりだね。勝ち誇りたいのなら確かにそんな必要はない』

 邪険にしていた彼の目が変わる。プライドを刺激した。


「もう一度言ってみろ、誰が独り善がりだと?」

『完全な勝利の為だよ。機会はまた巡ってくる、だから舞台を用意したじゃないか』

「……ああめんどくせぇ、この邪魔者を消しときゃいいんだろ!?」


 渋々、といった様子でアインは矛先を見境なく暴れまわる大熊へと向ける。


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