紫狼と狗桜。苦々しい調伏
巨大な馬の荒魂が消失していくのにも目もくれず、アインは言った。
「ようやくお出ましか。留守だった巣をつついてやったが、現場には出向く辺り大して意に介していないようだなオイ」
「……同業者か。礼儀がなっていないな」
「質問に答えろよ。まさか俺を知らないとほざくつもりか? 直々に赴いてやったんだぞ?」
「構ってほしいなら他を当たれ」
言って切り捨てたが、向こうは歩みを早める。止まらない。
「逃げようってか? また雲隠れされたらたまったもんじゃない」
そうしてアインは突進してきた。問答無用で勝負を挑むつもりだ。
「候補なんだろ、てめぇも。どっちがふさわしいか、これで白黒ハッキリする」
「候補、だと?」
「せっかくこうして会えたんだ。試合なんて待つまでもない。潰すぞ、構えろ」
その勢いで投げ槍の如く繰り出された飛び蹴り。靴底が淡く光っていることから、精霊力が付加されていることを察知。
曲線上から身を反らして躱し——代わりに地面が割れた——続いて回し蹴りが顔を狙ってくる。顎を引いて間一髪免れる。
それから左右の腕から繰り出される乱れ突きを捌き、手首を掴んで抑え込んだ。
動作の一つ一つは鋭いものの、組み手の流れを読んだ動きではない。喧嘩慣れはしているようだが、武術に精通しているのとはまるで違う。
「いい加減にしろよ。私闘に付き合う気は無い」
「すかしてんなよクソ野郎!」
掴まえていた掌から妖しい閃光。爆炎が生じる。
まさかの零距離から放たれた精霊魔法。自爆攻撃に両者は吹き飛んだ。
「ぐっ」
防刃防弾の衣装が熱と殆どの衝撃を吸収していたのでダメージは無い。大きな爆音に顔をしかめただけだ。
向こうもそのスーツは見掛け倒しではないのか、膝をついていたが何事も無かったようにスッと立ち上がるのが見える。
恐らく火々尾甲は火吐珠や日輪照などとは異なり、近距離で力を発揮する炎の精霊魔法。射程は狭いが接した時の威力は絶大。
まともに受けたらヤバイ。いや、そもそもの話、
「お前、『鴉』の退魔士なんだろう?」
「ああ?」
「精霊力をむやみやたらに人間に振るうなバカ野郎。それは荒魂といった相手から身を守る為に必要な力だ」
「やかましい、指図をするな。関係無いんだよ。人もバケモンも誰であっても、俺に立ち塞がる奴は例外なく全員敵だ」
ありったけの敵意を含んだ声。ヘルメット越しからでも凄まじい形相が垣間見えた。
「……救いようがないな」
「潰す……捻り潰す、叩き潰す、踏み潰すぶっ潰す。こんな甘ちゃんが、俺と並ぶと思われているのが我慢ならねぇ」
両指を軋ませて躍りかかる。頭ごなしに言っても、逆効果らしい。
だが、その両者の境界を線引くように、地面に薄氷の壁が高々と現れた。アインの侵攻を阻む。
横合いでは、獣と一人の老人がいた。
一瞬で氷の壁を作り上げたのは、雪を被ったような雄鹿。立派な枝分かれした二本角はガラスのように透明だった。名前は雪鹿、見ての通り氷を統べる中位の精霊獣。そして、その契約主も俺は知っている。
眼帯をした初老の男は、コツコツと靴音を立てて介入する。手には余所行きの時に持ち歩く杖があった。
「お節介でしたかな天朧」
「ジルバ……」
さん、と付けそうになりながら答えると彼はあごで遠くをしゃくる。
馬の怪物はいなくなったのに、まだ街の何処かで鈍い振動が響く。
「まだ荒魂は残っておられます。今回は複数体の同時出現。頼りの貴方には迅速に動いて貰いたい。こんなところで油を売られては困ります」
「邪魔だジジイ。また地面を転がされたいかッ」
業を煮やしたアインが一旦矛先を変えて副社長に襲い掛かる。
雪鹿は動かない。その必要が無い。
細い老体を貫かんと徒手を繰り出す。すると、懐からジルバさんは杖を柄本から引き抜いて応じた。
銀に煌く旋風と共に、アインが弾かれる。
姿を現したのは一本の仕込みサーベル。それによって彼の襲撃を見事退いていた。
「そういえば先日の借り、まだお返ししておりませんでしたな」
ジルバさんは同じS級退魔士。単独であっても天斬の称号を持つ西洋剣術の達人だ。
さっきも一瞬の振りで切っ先が幾つにも見えた。前線から大分離れている筈なのに衰えを微塵も窺えさせない腕前。
「少しお付き合い願いたい。貴殿には少々、ツケを払っていただかなくては」
「……老害が、目障りだ!」
本格的に戦闘が始まろうとして、加勢か止めに入るのか躊躇する。
そんな中「何をやっている」という叱咤があらぬ方向から俺に目掛けて飛んでくる。
それはまさかのゼムナスによる言葉だった。まるで昔の俺に対して説教を並べたときのように、厳しい口調を続ける。
「荒魂が別の地点でも発生しているのだろう。呆けている場合か。それとも、あの時の言葉は飾りというわけではあるまいな? とっとと動け、お前の犬はとうに向かったぞ」
「……ッ」
耳が痛いくらいの正論だ。最優先事項は現場の脅威を取り除くこと。目の前のいさかいに目を奪われている場合ではない。
真噛もいつの間にかいなくなっていた。声を掛けられた記憶はない。何も告げずに離れて行動するなんて、何かあったのか。
動けアルフ。遅れを取り返せ。己にそう言い聞かせる。
「此処を離れる、今度は首を突っ込まずにそこで待っていろ」
「オイ待て天朧! 俺から逃げる気か!」
「私と雪鹿で十分なだけですよ」
剣と氷でアインを翻弄するジルバにその場を任せ、残りの荒魂を掃討する為に地を跳ねた。
煙が立ち昇っている方向を頼りに急行すると、複数人の影を発見。
一人は見覚えのある狼少女。その傍らには見知らぬ遊牧民族を彷彿させる衣装の女性がいた。真噛と同じくイヌ科の耳と尻尾を持ち、ローズピンクの長い髪が吹き付ける風でなびいている。
特徴から、先日真噛から聞いたこの都市に来訪している彼女と同じ人型精霊獣であることを悟った。確か狗桜だったと思う。
そして、二人から距離を置いて黄色のレインコートを着た人物が立っていた。そっちはフードにすっぽりと頭を隠していて素性を窺えず、自分の腕を抱いて俯く。
そうだ。狼少女と同郷の彼女は人間界で不自然に召喚されたという仲間を探しに都市エレメアにやってきたという話だった。
では、このコートの人物も真噛の知己で捜していた人物でいいのか。
「やっと、見つけた。お前何だろう? 探したんだぞ」
「……シロウ? ほんとに、シロウ? わたし、分かる? 真噛」
真噛達がそう呼び掛けると、レインコートの人物は身を強張らせた。
やがて男の声で、小さく言った。
「ダメ、だ」
「大丈夫だシロウ。何があったかは知らないが戻ってこい。帰ろう、『風牙』に。マカミも一緒だ」
「……ダメだ、ダメだ」
頭を振る彼は、やがて寒気が訪れるように身震いを始めた。
左右にブンブンと頭を振り続け、その挙動も激しくなっていく。
よく見ると、彼の後方では建物が損壊しており、そこから足元に至る道のりにおびただしい傷痕があった。
獣のひっかき傷に、似ていた。
「ダメだダメダ駄目だダメダ! おれから離れ、離れロ離れろ!」
「おい、どうしたんだシロウ。わたしに怯えなくて……」
「——ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
絶叫と同時にのけ反った。直後に全貌が膨れ上がる。
耐えきれずにレインコートがはちきれ、毒々しい色の体毛が現れた。
まさに体を表すようにその名は紫狼。狼の精霊獣が都市で吠える。
「シ……ロウ?」
その異変に真噛も言葉を失った。
全身から絶え間なく出ていたのは、黒い靄だった。瘴気で違いなかった。
それは、荒魂への堕落を意味する。
獰猛な唸りを漏らし、紫狼は同胞に牙を剥く。
だが、まだ正気を保っているのかその怪物は辛うじて言葉を紡いだ。
「オレヲ、コロセ……!」
「何を言っているんだ、シロウ? よせ、やめろよ」
「クオ、ウ、オレ、モウダメだ。オレガ、オレでナクナる前ニ……『風牙』ノ紫狼デイル内ニ……! 頼ムッ、コンなハズじゃなかっタ、ゴメン、ゴメんごめん!」
「嫌だ……何故お前が、そんなことに……」
獣は死を望んでいた。暴れようとする自分をどうにか抑えつけ、手に掛けて貰うことを願う。
「不用意に近づいたら不味い」
「あるじ……」
顔を強張らせたまま、ゆっくりと振り返る狼少女達。ショックを受けて思考が働いていない。
だから前もって、結論と方針を口に出した。
「アレを調伏する。街への被害を出す訳にはいかない」
「つまり、殺す、のか」
狗桜に問い掛けられ、俺はおもむろに頷く。
その通りだ。今からこの荒魂の命を奪う。それが、退魔士としての役割。
「……待て、待ってくれ。他に何か手段がある筈だ! アイツは害のある奴なんかじゃない! 群れの中でも力はあるのに争ったことのない心の優しい奴なんだ! どうにか元に……!」
「優しい奴、だったのかもしれない。今はもう違う。それに……」
荒魂となった個体は精霊獣には戻らない。
その事実は、当人達であっても良く知っている筈。言われて酸っぱいものが喉を通ったように、狼女は目を瞑って顔をしかめた。
「奴の為だ。これ以上被害を出したくないのはアイツ自身も同じだよ。だから、首を差し出した」
俺に出来るのは、少しでも苦痛を与えずに仕留めること。
言って二人を素通りする最中、狼少女が腕をひく。
「わたし……」
「無抵抗なんだ。俺だけで十分……無理をしなくていい」
手を貸すという意志表示だけでなく、制止したい気持ちもあったかもしれない。でも、振り切る。
なまじこの荒魂とは知り合いではない俺だからこそやるべきだ。
そうして一人、前に進み出た。
「一瞬で終わらせるから」
「……アリ、がとう」
身を伏せ頭を垂れ、狼の荒魂は自分を殺す相手に感謝を述べる。
瞼を閉じた怪物に目掛け、俺は片手に全霊の精霊力を籠めて走り出す。急所を狙えば確実だ。
やがて紫狼の亡骸は塵となり、同胞達の哀惜の声だけが取り残された。




