誓いと雨の夜。悪夢から目覚めて
鈴孤視点になります
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その日は、強い雨が叩きつけるように降っていた。
夜であったのにも拘らず、雨に負けじと屋敷の中まで届く人々の声。
その過半数には深い哀惜の念が籠められており、統一してひとつの単語を一心に叫び続けていた。
アルファロラン。アルファロラン。アルファロラン。
英雄の名を人々が呼んでいる。呼んでいるよ。
聞こえてる? アル、皆が貴女の死を悲しんでいる。英雄がこの世を去ったことを惜しんでいるよ?
葬儀は明日になるって。もう少しゆっくりさせてあげたかったけれど、報せを受けて世間の為にと早まっちゃったんだ。
ごめんね、騒がしいお別れになって。きっと貴女は望んでなんかいないけれど、少しばかりの辛抱だからね。
止まない雨が無いように、皆の声も落ち着いて行くと思うから。
先に旦那さんが亡くなってからも、よく頑張ったね。お疲れ様でした。
もうじき私もお役御免だけれど、大丈夫。心配しないで。
貴女の子孫達はきっとこれからも栄えて行く。皆、忙しくて付き添えないけれど。
この前故郷に戻ったら教えてくれたんだ。貴女の新しい未来を。私達の未来を。
『神命』の獣には、そういう力があるんだって。私にはそういう力はまだ無いけれど、あの人が言ったのならまず間違いないと思う。それを信じているの。
その時が来るまでちゃんと待ち続けます。
約束する。だからねアル、貴女はしばらく……
騒ぎが一向に止まない。
むしろ、統一されていた声も徐々にその本質が代わっていく。
——『神命』様。『神命』様!
——……静かに、お休みになられたアルファロランの御前です。
慌ただしく入室する家内の者に、私は呼び出される。
——しかし、皆様が貴女様のことを……!
——私を?
玄関を恐る恐る開くなり、外部で殺到する人々の声が一際大きくなった。
こちらの姿を目にした途端、警備を破って彼等は迫ってきた。
ほとんどがシェークリア家の息が掛かった者や、親戚に当たる者だった。
——『神命』様!
——夜分に訪れたことお詫びいたします!
——『神命』様!
——アルファロランの死、悼み入ります。
——シェークリア家は、今後どうなされるおつもりですか!
——『神命』様!
——この度は誠に——
何? どうしてこんなに熱気が渦巻いているのか、理解が出来なかった。
悲しい日の筈だ。遺族がいるのに喚いてはいけない場所だ。
中に入りたいのなら、永久に眠るアルファロランに会いたいのなら、私を呼ぶ必要なんて無い。
では、何故? 何故、彼等は玄関の中へは目もくれないのだろう。
誰も彼女の方へ行こうという意志が、見受けられなかった。
意図が分からず、私は取り囲まれた。ある者が跪くなり、周囲も続いて膝をついた。
——我等を、どうかお導きください。
——今、貴女様のご慈悲をどうか私に……!
——狡いぞ貴様! 何を独占しようとしている!
——いや、だったら俺が……!
こぞって男達は手を差し伸べた。
群がる手。求められた手。おびたたしい数の欲望の手、手、手。
ある者は力に。ある者は権威に。またある者は欲情に。
——ああ美しい。もっと近くでその御顔を……。
——『神命』様!
——自分と共に輝ける未来を。
——ボクと契約を!
――わたしと結んでいただければより裕福な生活を……!
甘い言葉の数々。賛美を並べ、利益を提示し、我先に選ばれようとしていた。
人の姿をした精霊獣に対し、皆の目が爪先から頭にまで舐めるように——
屋敷の方からも、新手の警護と家内の人達が出てきた。
煩わしそうに彼女の孫である男ががなり立てる。
――ええいこの忙しい時に何だ貴様らはッ!? 我等の精霊獣を掠め取ろうとは何と強欲な連中だ! 失せろ失せろ!
――何だとぉ英雄の甘い汁を吸った寄生虫の分際で! その御方とは未契約だろ!? それを決める権利は無い筈だ!?
身内と抗議する親族の押し問答がその場で繰り広げられ、私は茫然とその光景を目の当たりにしていた。
やめて、あの子が寝ているのだからやめて。こぼした言葉は誰にも届いていない。
埒が明かないと踏んだのか、孫は遂に切り出した。
――だったら! 今この場で英雄精霊獣の後継を選んでいただければ良いではないか!? さぁ『神命』様! 次なる契約を! 祖母の次はシェークリア家長男であるこのわたしと繋がるべきであろう!
当然であるような物言いに人波から非難轟々な返事が返ってきた。
身内も外も、契約の途切れて間もない内に覇道を我が物にせんと押し寄せた。
――さぁ!
――さぁ!
——っ。
どんどんこちらに迫る彼等に、思わず身を退く。
彼等は勘違いしている。私は約束の為に、他の誰とも繋がるつもりなんて無い。
そんな目で……期待と欲にまみれた視線で見ないで……
背筋に嫌な感覚が伝い、私は地を離れる。
——お待ちくださ……待てェ!
——俺が物にしてやるんだッ! シェークリア家になど独占させてなるものか!
——契約さえ出来ればこっちのもんだ捕まえろォおおおお!
怒号、絶叫。逃げたこちらを追い掛けようとする声も遠くなっていく。
雨に打たれ、眼下にあった彼女の屋敷を過ぎ去った。
人知れぬまま、行先を誰にも告げぬまま、精霊結界に戻った。こっちも雨だった。
一人ぼっちになった私は、ざあざあと降り続ける音の中でずぶ濡れになりながら、声を出す。
——わぁああああああああああ。ぅぁぁああああああああ……
戻ることも出来ず、誰も聞く者もおらず、その嗚咽をしばらく止めてくれる相手はいなかった。
天井に打ち付ける水の音で目を覚ました。窓の向こうから見える朝の空は灰雲に覆われている。
今日は雨模様。昼には確か止むと天気予報では言っていたけれど……
浅い呼吸を繰り返し、布団の中で落ち着かせる。
久しぶりに酷く昔の夢を見た。悪夢だ。
昨日の今日だからか、あの男の瞳にあの光景の面影を見たせいか。そしてこの天気のせいか。
小動物の姿でいた私は寝返りを打ち、落ち着かせていく。もう大丈夫。あれはとっくに過ぎ去ったこと。
誰も覚えていない。誰も知る必要の無い嫌な思い出。
私は失敗したんだ。アルファロラン……彼女の生涯を満たすことが出来ず、そして最後の最後まで役目を全う出来なかった。葬儀に出ることが出来なかった。
今振り返ると、本当に遠く懐かしく思える程に時間は流れた。長かったようで短かったような、待望の日。
ゆっくりと息遣いが戻るにつれ、毛布に隆起した物があることに気付く。
目と鼻の先には、胴体があった。少年がいる。一緒のベッドで眠っている。
マカミもハクロもいる。あの時とは、違う。
嗚呼、アルくん。今になって極まった感情が溢れる。思わず泣きそうになった。彼は今、生きている。
この子は彼女とは違い、また今日も目を覚ます。そして開口一番におはようと言ってくれる。愛情をねだれば、触れてくれる。
アルは男の子になったけれど、私のもとへ帰ってきた。そして真っ当に育っている。
彼にも辛いこと、苦しいこと、痛いことが力及ばずいくつか経験させてしまっているが、これまでは見事に乗り越えてきた。そして、もっと強くあろうと努力している。
私個人としては不必要に傷付いて欲しくはないけれど、転んで怪我をしてしまわぬように手を繋ぎ続けていては彼の為にもならない。ちょっぴり心を鬼——いや心をラカクにしないといけない。だから、無茶しないか心配だけど頑張って。
その代わりにしっかり傍で見守り続けよう。もう繰り返さないように、もう失敗をしないように。
アルくんの脇の下に潜り、もう少しだけ朝の起床を遅らせることにした。
この匂い、この感触、この温もりを身体全体で感じられる。
んふ、と微笑の吐息が思わず漏れた。愛おしくて、大好きで、こみ上げた感情を受け止めてくれるのが嬉しくてたまらない。毎日がそうあれるようにしたい。
だから、こんな尊い時間を崩させないように私は全てを捧げる。
二度と立ち直れなくなるような悲劇は避けて見せる。温かい家庭で過ごし、真っ当な人生を送らせて見せる。そう、前世のあの子に誓ったから。
ハクロ達と一緒であれば、それを実現出来る。そう信じてる。
さぁ、二度寝から目が覚めた後はどんな日になるのだろう?




