アインの挑発。鈴狐サッカー
無法者は突如として『北斗』の退魔士である天朧を呼び出そうとしていた。
狙いは俺である訳だが、この場で名乗り上げるわけにもいかない。
何人もの名うての退魔士達も、取り巻きの中で介抱されている。彼一人がやったのか。
「誰でもいいから今すぐ連れてこい。『鴉』のアインがわざわざ出向いてやったんだ」
皆がざわつく。「『鴉』て、此処とは別の退魔士組織だったよな?」「企業抗争?」「白昼堂々カチコミだなんて……!」と、動揺を隠せない。
その企業についてなら知っている。
確かウチとエレメア内の活動領域でしばしば揉めて、白鷺も悩ませていた。
俺も以前荒魂を調伏しようとした際、そこの退魔士と鉢合わせになった記憶がある。
ともかく彼の名はアインというらしい。こちらには心当たりのある相手ではないが、一体何の用件だ。
「聞こえなかったのか? 『北斗』で最強と謳われた男の実力がどれほどのものか確かめてやると言っているんだ。どうした、有象無象。とっとと動け、それとも見せしめにコイツを潰してやろうかッ」
道場破りを目的にしたアインの一喝。ある者は身を竦ませ、ある者はジルバさんを助けようと出方を窺っていた。
どうする。一度この場から離れて扮装した方がいいだろうか?
「……ほほ、無礼と野蛮を突きつめれば皆も従うとお思いかな若いお客人」
踏みつけられていた副社長は渇いた笑いを漏らす。
どうやら制止しようとして一方的にねじ伏せられたみたいだった。老体になんてことを。
「ジジイ。その状態でまだ俺に口ごたえする気か?」
「ええ当然ですとも。此処は『北斗』の入り口。きちんとした手続きもとらずにご用件を承るわけにはまいりますまい。彼とて現れませんよ」
地面に顔を抑えつけられながら、彼はこちらを見て言う。
挑発に応じてはならない。そんな意図を送ったのが伝わった。
でもそれでは彼が……
「このままだと不法侵入と傷害で罪になりますな。これ以上自重された方が身の為ですが」
「減らず口を。老い先短い寿命を更に縮めたいか」
皺のある顔を歪ませようとしてか、靴底に力を入れる。
「生憎、俺に法は通じない。やり過ぎると面倒にはなるが、殺さない程度なら……」
やめろ、と俺が動くより先に、肩の重みが増減した。
「ジルバを放して」
肩にいた小狐が降りて彼の前に進み出る。
アインと名乗る彼の鋭い視線がすぐに射貫く。
すると足を放して向き直った。
「何だコイツ」
「マスコットだよ。此処での乱闘は――」
鈴狐が言葉を紡いでいる間に、彼の足が跳ね上がる。
あろうことか、何の躊躇もなく無抵抗でいる小さな彼女を蹴り飛ばした。
「俺の邪魔をするな、役立たずの害獣」
暴力に晒されて「キャンッ」と短い悲鳴をあげ、床に転がる。
思考が白に塗り込められた。
身動ぎひとつせずに倒れ込む彼女を見て、身体が勝手に動く。周囲の声にも構わず一目散に飛び出す。
「鈴狐ッ……がっ!」
アインに脇目を振らずに横切る途中、視界がブレる。
頭部に鈍い衝撃が伝わり、壁に打ち付けられた。掌底を受けた。
もがく俺の頭部を加減の知らない力で抑え込み、アインは押し殺す声のトーンで指図する。
「オイ、コラお坊ちゃん。勝手な真似すんなよ。お前、コイツの飼い主か?」
「鈴狐! 鈴狐ォ!」
「躾がなっていねぇよ。害獣を放し飼いにするなら邪魔にならないように調教してお……っ!?」
「ど、けぇ……!」
頭蓋が軋む音を聞きながら、俺は力づくで突っ切った。側頭部が擦れて壁に赤い線を引く。
アインを視野に入れず小狐の元まで駆け付け、そっと拾い上げる。
ぐったりとした鈴狐を何度も呼び掛ける。
背後で鋭い殺気が増した。
次いで、舌打ちが鳴る。
「無視かよ良い度胸だ。お前、見せしめになるか?」
敵と認識した駆け足が迫る。同時に羽音がオフィス内に広がった。
ふわりと、視界を大きな翼が覆い被さる。
天使の豊かな羽根が舞った。
「そこまでです」
振り向くと、背後から急襲しようとした彼の前に白鷺が立ちはだかっていた。
急制動を掛け、光臨したトップに対しアインはその介入者を見やる、
「……『北斗』の社長がお出ましか。雑魚を庇うとはお優しい」
「これ以上の暴挙は許しません。あの『鴉』がこんな蛮行を許すとは到底考えられませんが、相応の責任を取ってもらいます。訴えも辞さないですよ」
言いながら指先を弾くと、淡い光が宙をただよい俺の顔を包む。痛みが消え失せ、血が止まる。
傍らでその隙に助け出されたジルバさんにも治癒の力が降り掛かった。
「好きにすりゃいい。あそこも所詮踏み台だ。俺自身痛くも痒くもないね」
片手間での奇跡を目の当たりにしたアインは、傲慢ちきな怒りを冷まして眉を潜める。
「俺の出身は精霊界。その意味、分かるよな?」
「精霊界の住人……! ということは、治外法権に該当……」
「それにしても、これが天上位の精霊獣の力か」
彼女の驚きが重なる。自称した出生といきなり詰め寄られてしげしげと見つめられたからだ。
そして、小さくあどけない顔立ちに手を伸ばす。強張る彼女の顎を指先で吊り上げようとした。
それを白鷺は手首を掴んで制止されながら続ける。
「俺の目的は二つ。一つは宣戦布告だ。この都市でデカイ顔をしている天朧と勝負がしたい」
「そんな要求、容認するとでも?」
「容認? 退魔士は雇っているだけに過ぎない筈だ。つまり、『北斗』の依頼とは別に場所を設ければ奴自身の勝手だろ」
そう言ってもう片方の手でカードを放る。
「ジョーカーとやらが舞台を用意した。此処で存分にやろう、と伝えておけ。賞金は出す」
それは地下闘技場からの挑戦状だった。舞台で執り行われるは『鴉』のアインと天朧の一騎打ち。
「もう一つは『北斗』の白鷺、そして天金をいずれ俺の物にしてやること。そこいらの精霊獣は軒並み役に立たないからな」
傲慢の極みに至った言動を、アインは言って退けた。
恐らく、賭けの条件は看板と白鷺達。
「勝手なことを言わないでください、誰が貴方のような方に……!」
彼女にその手を振り払われると踵を返して彼は言い捨てる。
「今日はあくまで下見に来てやった。が、大したことないな連中。ちょっと撫でてやっただけでこのざまとは」
その撫でては大いにオフィスを荒らし、怪我人を続出させた行動を指している。
「倒産した方が世の為になるぜ」
取り押さえるべく警備が追う素振りを見せるなり、鋭い視線が彼等を停滞させた。
「俺に反撃したいのならアイツに伝えとけ。巣を荒らされたまま指をくわえて負け犬になるか? とな」
静まり返る現場をよそに、アインはゆったりと開く自動ドアをくぐり抜けて都内に去っていく。
日夜荒魂という怪物と闘っている組織は、外部の人間一人の所業に振り回された挙句、おめおめと見送ることとなる。
「被害届を出しましょう。ジルバ、傷が癒えたばかりで酷ではありますがこの件をお願い出来ますか?」
「それは気休めにしかならないと思われますが」
「だとしても、皆が傷付けられ苦しんだのです。何もしないよりは手を打っておいて然るべきかと」
「善処致しましょう」
白鷺はそんな屈辱的な状況には気にも留めず迅速に指示を始めた。
「残った怪我人はわたくしの前へ、負傷の大きい方からすぐに診ます。通常業務に戻る側と復帰に回る側に別れてください」
指揮を受けて慌ただしく社員達は動く。口々に騒動の余韻を含ませた悪態を漏らす者もいた。
「アルフ……さんはその子を休めるところへ」
白鷺の一言に従い、ただちに小走りで動く。
その最中、誰かから制裁を求める呟きが耳に入った。
「クソッ、あんな奴ぶっ飛ばしてくれ、天朧……」
「んあー! 私はサッカーボールかちくしょー!」
人のいない休憩室に運び込んでから、むくりと身体を起こした小狐がぼやいた。
ひしっ、と健在だった彼女を俺はキツく抱きしめた。
「鈴狐、良かった……良かったっ」
「あの程度何てこと無いから大丈夫だよぉ。ただ相当力を籠めてのシュートでさ、やられたフリしておかないと怪しまれると思って」
「でも、心配した。もしものことを考えたら、居ても立っても居られなくて」
「今日は心配掛けてばかりだねぇ。だけどもう大丈夫。むしろ頭の中スッキリした」
抱擁されて喉を転がすように鈴狐は笑う。
「無茶しないでよもう」
「お互い様だぞぅ、んふふ」
スリスリしてくる様子を見て健在であるのを確認。
後から天使も扉を開けて入ってきた。
「幸い殆ど怪我人はいませんでした。……ちょっとした事件ですよ全く」
「ねぇハクロー、アレで捕まらないの?」
「一個人では難しいですね。何せ彼の言ったことが本当であれば、精霊獣と同様に保護法に守られていますから。雇い先に圧力を掛けるのが関の山です」
「精霊獣が起こした被害は大きなものでなくては罪に問えないってやつ?」
「ハヤテの時と同じです」
噂をするなり、ひょっこりとその君主も現れる。何処から湧いたのだろう。
「とんでもない人間だったね! ハクロにべたべた触ろうとするなんて」
「まだ帰ってなかったんですか?」
「酷っ! 力になってあげられるよ!? 『破軍』の圧力はマジ凄いよ!?」
それよりも、と構わず白鷺は神妙な面持ちで続ける。
「とんでもない人でしたね、彼。まだ未知数の実力云々はさておき、純粋過ぎる」
「あんなことしでかしたのに、純粋?」
安堵し、今になってあの蛮行が許しがたいものだと実感し始めた頃に、そんな言葉が彼女が出たことを疑う。
「わたくしが彼の腕を握った時、すぐに悪意の浄化を試みました。覚えてますかアルフ、海での出来事を」
「それってボク達が攫ったこと? 心外だなー、君を助けたくて……」
「違います」ぐいと横槍を入れてきた隼手を押しのけた。
その前に起きたことだ。俺も覚えている。
バーベキューをしていた時に混ざってきたガラの悪い連中を、天使はあくまで暴力に頼らず改心させて送り帰したのを。
彼女は触れた相手の邪悪な想いを霧散させうる力を持つ。その影響をアインも受けた筈だ。
だが、彼は全く何の変化ももたらさなかった。
「あの行い全てに悪いという自覚が無いとしか考えられません。まるで、蠅を叩くのに何の感慨も湧かないように。コミュニケーションの手段が暴力になっているとしか。一体、どんな環境で育てば、あのような無邪気で歪んだ子供になるのでしょうか……」
彼女にそこまで言わしめる彼の行動には説得力があった。
本当に鈴狐を害獣として扱った時も、悪意もない本心からの行動だったと。
「挑発に乗ってはいけません。あくまで正当な手順をとっていくことが大切なんです」
「……分かってる」
今回は、呑み込むことにした。皆は無事で、嫌な想いもしたが一過性のもの。
あんな挑戦状に応じるだなんてばかげている。罠としか考えられない。
だが、もし今後も危害を加える素振りを見せるのならその時は俺も黙るつもりは無い。
せっかくの休日の午後は、後味の悪い時間となってしまった。




