君主再び。白鷺の小悪魔モード
「やーん。鈴狐ちゃん可愛いィ♡」
「私も私もー、撫でさせてモフらせてェ♡」
「んふふー、皆お疲れ様ねぇ」
『北斗』の社内でマスコットらしいお仕事をする小狐は、主に女性社員をメロメロにさせていた。
先程までの様相とは打って変わって、営業的に甘い声で応じている。尾を引いていても表に出さないだろう。
その一部始終を遠目で見守りながら、俺は社長室に向かう。
失礼しますと一言声を掛け、中で書類を束ねる天使のもとへ。
「あ、ちょうどよかった。無事終わりました」
「そうですか。白鷺さんもこれで帰れますね」
「もう、いけません。仕事の距離感になってますよ」
不服そうに眉根を寄せる彼女の指摘を受けて頭を掻く。
「……誰が聞いているか分かったもんじゃないから、つい」
「今更ですよ。大丈夫、この部屋にいるのは貴方とわたくしだけです。室内は定期的に盗聴機の点検は徹底していますから。機密はしっかり守らないと」
「そんなことする人この会社にいないって」
「念には念を、ですよ。ちなみにわたくしの目には赤外線が見えますから監視カメラがあれば一目で分かるんです」
何それ凄い。
「なら、今の内に聞いても良い?」
「はい? 何でしょう」
小狐に聞かれはしないことを理解していながらも、俺は彼女に耳打ちする。
「鈴狐、どうしてヒューリーさんに対してあんなに警戒していたのか分かる?」
「それは……わたくしにも分かりません。初対面だとは思いますが」
当人があまりに過剰な反応を見せていたので深くは追求しなかったが、何か深刻な問題があるのなら把握しておきたいと思ってしまう。
だから、周囲からある程度は情報を募っておきたい。それで何か支えになれるかもしれない。
「ただ心当たりというかもはや推論ですが、リンコが数百年ほど精霊結界の中に籠って過ごしていたことはご存知でしょう。それまで、人との接点は無かった筈」
人間界に根深く関わり続けた白鷺と対極に、狐巫女はずっと俗世から離れていた。
俺と一緒に人間社会に入り込んだのはついこの間のこと。
「そして彼女が結界内でそんな風に過ごすようになったのは、アルファロランが亡くなった直後からだと聞いています。当時はわたくしも少々交流がありましたが、その時のことをあまり話したがりません。それが深い悲しみによるものだとするのなら、理解出来ますが」
「だけど、それじゃあさっきの態度とはまるで結びつくようには思えない」
「もしもそれが貴方の御先祖……シェークリア家全体としての因果であるというのは?」
「……あー、ヒューリーさんも自分も遠い親戚だって言ってたね。でも、そんな大昔のことと関係が? あの人は真人間にしか見えなかったよ」
「ですがアルフ、歴史としての英雄と彼女やわたくしの知る英雄、どんな相違があるかをよーく考えてみてください」
アルファロランは世間の人物像だと厳格そうな男性の絵で伝えられていた。
だが実際身近にいた鈴狐の話では、真逆の快活で自由奔放な少女であったそうだ。
そしてシェークリアという肩書きは元々アルファロランの家柄ではなく、英雄の彼女と血縁になったことで名声を高めたのだという結論に繋がる。
そんな歴史の齟齬に俺は特に疑問を抱いたことはなかった。
史実は時に伝言ゲームのように解釈が歪んで正しく伝えるのは難しい、といった程度の認識だった。
「わたくしもこちらの世界で社会の発展を一部見てきましたが、アルファロランの肖像の変化があったことを覚えています。彼女が没して、そう月日は経っていなかったかと」
「それって……」
「都合の良い改竄があったのでしょう。偉業の故人を、より立派に仕立てあげようとする。そういった意図が読めます」
しかし知人もいなくなり疎遠となったシェークリア家とその周辺に、白鷺は口出しなど出来ようもなかった。
「鈴狐が消えた理由が、そこに含まれると」
「となると、戦争が終わってアルファロランと嫁いだ先であるシェークリア家での生活に起因することが一番あり得るのではないでしょうか。貴方とジャック・ヒューリーの因果関係を考えるならば尚更」
あまりそう思いたくない。それは、尊敬しているアルファロランの人物像が大いに損なわれるものだったからだ。
俺の仮定、それは。
彼女があまりシェークリアの家と馴染めていなかったのではないか? 戦後は政略的に翻弄された人生だったのではないか? という線である。
そうだとしたら鈴狐が去ることと、人物画が変えられることとも辻褄が合う。
尚更聞けないよな、そんな話……
俺がそんな想像をしていることが伝わったのか、白鷺は頷いて続ける。
「ええ。そして極めつけにその前後にも何かがあったのではないのかと」
「何か、って?」
「それはもう、けしてよろしいことではないでしょうね」
まさか暗殺だったとか。いや、老衰で死に目を看取ったのならそういう話でもなさそうだし。
連中。あの目。そういった漏らした言葉には、不穏な物が連想される。
ジャック・ヒューリーなる人物に、そういった過去の因縁が結びつくものがあるのだとすれば。
要注意しよう。
「とにかくリンコがあそこまで強く言ったのですから、アルフも親戚とはいえ接触を避けた方が良いですね。リンコの勘、当たるんです。わたくしもあの男性について少し調べてみます。安心してください、何かを仕掛けてきてもきちんと守りますよ」
ちっちゃな両拳を握ってガッツポーズを見せる。か弱い外見であっても、頼もしい。
ありがとう、と俺が言った矢先、
「ハーッハッハッハッどぉおおおおおおお──ぶぅお!?」
非常に騒がしい高笑いと壁に投げた粘土が潰れたような嫌な音が聞こえた。外からだ。
突入することが出来ずに窓ガラスに貼り付いているシルエットには、見覚えがある。
白マントを羽織った長身痩躯に羽根を備えた優男の名は、隼手。こう見えて『破軍』という精霊界にある一族を束ねる君主だ。
先日、白鷺を誘拐及び軟禁しようとした張本人でもある。
こめかみを抑えて、天使は溜息を吐いた。
「防弾ガラスにしておいて正解でした。もう何度も割られるわけにはいきませんからね」
「うごごご。や、やぁハクロ」
「こういうことを、どの面下げてノコノコやってきたんですか? と言うんですね」
「……フッフッフッ、だからこそ歩かずに飛んで来たのさ! さぁ窓を開けてもっと近くで可愛い顔を見せておくれ」
「お断りします……。アルフ、ちょっとこちらへ」
目の前にいる鳥人を差し置いて、天使は背を向けてソファの方へ行くように促す。
横切る際に「ねぇ、ほんとに開けてくれない? 今日はこの前のお詫びと正式に用件があって――」と隼手が懇願するも、彼女は無視。
「そこに腰かけてくださいませんか?」
「座ったよ? それでどうす……うわっ」
すると躊躇いなく白鷺は膝元にちょこんと乗ってきた。後頭部を俺の胸に預け、特等席として陣取る。
軽い。柔らかい。触れ合うことは珍しくないとはいえ、小さな彼女を乗せるとやはり癒し効果抜群だ。だがいかんせん、素直に幸せな気分になれない。
だって、しきりに後ろで窓を叩く音が聞こえてくるんだもの。
外にいる鳥人の声もたちまち騒がしくなる。
「はわあああああ!? ハクロぉ! ハクロぉおお! 何をしているんだぁああ!?」
しかし当人は構う様子は無く、背中の小さな羽をゆったりゆらめかせ、流し目で人前では見せない表情を見せていた。
「さぁ、きっぱり諦めて貰う為にわたくし達の間に入り込む余地がないことをしっかりアピールしておきましょう。ほらほら、こんなに密着しちゃって」
「ちょ、やめようよ見られているから……!」
「見せているんです」
まさかの天使なのに小悪魔モード。
手を握り、口づけを迫るように吐息を感じるほどに顔を近づけて囁いた。
顔を真っ赤にしている辺り、やっぱり見栄を張っている。
「ふ、普段、わたくし達がどんな風にあんなことやこーんなことをしているのか、此処で繰り広げちゃいましょう」
「いやそんなやましいことしてないよ! プラトニックだよ!?」
「ハクロぉおおおおハグロォおおお……!」
バッタンバッタンと窓を一際激しくも虚しく打ち付ける音が背後から聞こえる。しかし強化ガラスが割れる気配は微塵もない。
ちょっと振り向いたら精霊獣達を束ねる偉い地位の彼が、ひどく顔をくしゃくしゃにして咽び泣いていた。内心引いた。
そんな様子に呆気にとられていると、懐に乗り上げていた天使が両手を俺の顔に当てて向き直らせる。
「む、むふー! こ、こここうなったら、ほっぺたどころでなくまたマウストゥマウスで……!」
「それ意味違うよ人工呼吸だよ」
そんなツッコミも近付けるごとに鼻息も荒らく、羞恥心と格闘しながらも本気でラブラブさを披露しようと躍起になっていた。
「ちょっ待った、いつ人来るか分からないのに、この状況はダメだから」
「だい、大丈夫です! ノックも無しに入ってはきません!」
「十分でしょ! もう無理しなくていいから!」
「む、無理してませんもん! 既に一度やりましたし! これくらい毎日したって……!」
「やめてェハクロォ! ボクのハクロォおおおおお!」
騒ぎの極致に達した頃合いで、扉のノブが動いた。
「んもう、マスコットも楽じゃないよねぇ。こっちも一段落したよ……って」
ぶら下がる形でノックも無しに開けて入る小狐は、着地した後にこちらを見て、
「んーと、何この状況?」
俺に迫ろうとする白鷺とガラス越しに喘ぐ隼手を前に小首を傾げた。




