アリスのお宅訪問。寝起きドッキリ
冒頭はアリス視点になります
「引っ越し先って、此処かー……」
兄が住んでいる社宅の門前で私は屋根を見上げる。
今日は買い物のお誘いにやってきたものの、呆然と立ち竦んでいた。
つい先日寮生活をやめたと言うので、どんな場所なのかを拝見するのも兼ねているのである。
詳しくはまだ聞いていないけど、兄さんの事情は何となく想像がつく。
あの人は私生活の殆どを一人で過ごしていない。人型になれる格位の高い精霊獣達と共に普段から暮らしていれば、学生寮では何かと不便が出てくる筈だ。きっと部屋を狭く感じていたのだろう。
それは良いのだけれども……
「いや、でも、流石に大き過ぎない? シ、シェアハウスを独占しちゃってる感じ? でないと隠せないし……」
赤い前髪越しの視界には、仮初の住居にしては些か立派する建築物がそびえ立っていた。
控えめながらにラグジュアリーさが際立つ白の外観。大きな窓がたくさん取り付けられた箱が幾つも詰まれているような造形は、デザイナーのセンスが荒ぶっていた。
というかこれはもうちょっとした豪邸だ。我が家の御屋敷とは違って、格式を重んじるタイプとは別方向で現代的な事業家とかが住んでいそうだもの。
しかもご丁寧にテラスやプールも備え付きである。どう見たって社宅の域ではない。
辿り着いた当初はこうして門前で数分間も入ることに躊躇いを持っていた。教わった住所が間違っていないよね? 近くにはそれらしいアパートメントの建物は見当たらないし。
それでも勇気をもって呼び鈴を鳴らそうとするより先に扉が開く。
「ふァい。アリス」
「あ! 真噛」
まるで来訪を察知していたかのように奥の扉から欠伸を噛み締めながら顔を出したのは狼少女だった。丁度彼女とお出掛けすることを考えていたところだ。
陽光を浴びたことで空みたいな色の明るい髪がキラキラしていて、ピコピコとイヌ科の耳が動いている。
寝起きなのか、普段からジト目気味の瞳が余計細まり、何度も目を指で擦り続ける。
彼女が出てきたということは間違いない。此処に兄さんは暮らしているんだ。
そのまま離れたこっちの門まで歩み寄り、顔を近づけて鼻をヒクヒクさせる。
それから撫でてと催促するように頭を差し出すので、応じた。出会ったばかりとは打って変わって人懐っこい様子が可愛い。
その状態で挨拶するのが彼女との通例になっていた。気を許してくれている相手にしか見せない。
「おはよ」
「おはよう真噛。思っていた以上に凄い家ね」
「うん。この前、此処に来た」
「兄さんはいるの? まだ寝てたりする? そんなに朝早くきたつもりはないんだけど」
「寝てる。昨日、夜遅くまで皆で映画観てた。わたし、アリスの足音で目が覚めた」
「足音、って……家の中にいたのによく分かるのね。区別も出来るなんて」
「耳が良いから。お茶の子、すいすい?」
「おしい……」
「とにかく上がって。アリスなら歓迎」
躊躇いなく敷地の中へ招き入れられる。あらためて見渡すが、やっぱり学生が宿舎感覚で利用するような場所だとは到底思えない。まぁ、会社の息が掛かっている以上納得は出来うることだけれど。
玄関に入りリビングを通過して二階まで案内されていく。寝室らしき部屋の前にまで着くと、真噛がドアを開け――
※アルフ視点
布団の中にはぬくもりが充満する。休日の油断も相まって、泥のようなまどろみの誘惑が覚醒した意識を引き戻そうとした。
だが、妙な感覚に思考が働くなり、眠気が徐々に紐解かれていく。
「う、うごけない……」
天井を向いていた顔を下に降ろすと、毛布の上で砂金の大河が氾濫していた。
それが誰かの髪であると遅れて気付き、こちらにのし掛かっている現状を把握する。
そこには健康的な寝息を繰り返す同居人がいた。小狐形態でなく人型の姿で俺に絡み付いている狐巫女―—何故にワイシャツ姿―—と、反対側で身を寄せるようにピッタリとくっついて頭を乗せていたフワフワの寝間着に包まれた小さな天使の髪が目の前にあったのだ。
鈴狐と白鷺、それぞれ左右に挟まれているせいで、起き上がるのが難しい。
ああ、と思い出す。そっか、昨晩から映画を見ていたせいだ。
内容は俗に言うホラーチックで、終始こっちに張り付いて恐々と視聴し終えた白鷺が一人で寝られないと言うのでやむなく一緒に布団に入ったからか。
心臓に悪い迫力の恐怖シーンにせせら笑っていた鈴狐まで入り込んでいるのかは不明だが、二人の至福に溢れた寝顔が目の前にあると大概のことにはついつい許せてしまう。
目が覚めるまで少しじっとしているしか無いかな、と思いつつ真噛がいないことに気付く。先に起きたのだろうか。
すると、奥の扉がひとりでに開かれた。
「こっち」
「ふわぁ、お洒落な内装ー。兄さん? 兄さんまだ寝てるの? 今日――」
狼少女の後ろから見知った私服姿の深紅髪をポニーテールにした少女が入ってきた。
が、こちらの有様にぎょっとした表情を見せ、信じられない場面を目撃したと言わんばかりに硬直した。
「は、は、は……」
「……おはよう?」
驚いているみたいだけど無理もないか。そういえば中々二人っきりで話す機会が無かったので、まだ白鷺と契約と同居のことを話していなかった。後々紹介しようとは思っていたけど。
「は、はぁ破廉恥ッ! 不潔ぅ! 嘘でしょ!? 嘘だと言って!」
「え」
「信じられない信じらんない! 清廉だった頃の兄さんを返して! そっ、それは越えちゃいけない線じゃないッ」
真っ赤な顔で指を差し、プルプルと震えながら捲し立てる妹の言動の意味が最初は分からなかった。
どうしてそんなヒステリックになるのか。鈴狐達と一緒に寝ることがあるのは知っているし、彼女の狐痴女さに『苦労しているのね』なんて笑っていたというのに。
「アレス兄さん達には何て言えば良いの!? 流石にその人はダメよ! もっと分別がついていると思ったのにィ!」
指先が示していたのは、傍らで寄り添う天使の寝姿だった。首をアリスと白鷺の方を向く動作を何度も繰り返し、事態を理解する。
「ほえ?」と、話題の当人も目を擦りながらむくりと身体を起こした。
「こんな小さな女の子に手を出すなんて! 学生寮を出たのってそんな目的の為!?」
「ち、違……! 待ってアリス、待って」
そうこうしているうちに妹は震える手で携帯を取り出し、何処かに連絡しようダイヤルを始めている。
「け、ケーサツ! ケーサツ呼ばなくちゃ……! 身内の不祥事は家族が止めないと……」
「それは洒落にならない! 話を聞いてホント!」
「あ、アリスさん待ってください。わたくし、合法です。れっきとした愛人ですから!」
「いやいやそこじゃないから! ややこしくなるから!」
「……んー? おっアリスちゃん来てたの、おはよー。なになに? 何の騒ぎ」
通報しようとする妹を必死になだめながら、どうにか事情を説明すると、
「……そういうことなんだ。三人目かぁ」
「納得して、いただけた?」
「出来るかどうかは良いけど、兄さんって他人目からするとズルいよねー。天上位と上位の精霊獣ばかり契約して」
「な、成り行きだから仕方ないじゃないか。人聞きの悪い」
「虎土」
アリスが呼び出したのは己の契約する精霊獣。黄土色に炎に似た柄模様を持った大きな虎が部屋の中に現れる。
「呼んだか、アリス」
「兄さんに相棒がまた増えたの。挨拶しておきましょう」
「白鷺です。この度はアルフと契約を結ばせて頂きました」
「虎土と申します、お見知りおきを。なんと見目麗しい」
「麗しいだなんて、そんなことぉ……」
やり取りの傍らで鈴狐はおもむろにリモコンを手に取った。壁際にある大型テレビの画面が点く。
今日の天気予報やニュースが淡々と流れていく。スポーツの活躍に芸能的な出来事、事故による交通の影響といったものが殆どである。
だが、その中で一際ある事件を報じる映像が目に付いた。部屋の中での会話が、そちらに気を取られて途切れる。
何せそれはこの都市で起こっている騒動を簡潔にニュースキャスターが解説していたからだ。
それは路地裏で何の前触れも無く退魔士が連続して病院送りにされるという奇抜な犯行の特集だった。
共通するのは、いずれも名うての人物達であったこと。相手はまだ身元が分からないながらも単独犯であること。
「退魔士のみが襲われる通り魔……またですか、今週で四件目ですよ」
「別に金銭や命を奪うようなこともないみたいだけど、何が狙いなんだろ」
「多分腕試し。強い人、狙っているみたい」
専門家達が漠然と犯人像を考察している傍らで鈴狐達が感想を残す。
『北斗』に属している退魔士も被害に遭っており、社長の白鷺も従業員達には警告をした矢先の出来事であった。
「兄さんも大丈夫? 人気のない場所にいると狙われるかもしれないから、気を付けてよ」
「心配いらないよ。俺の素性を知っている人は限られているから、狙いたくても狙いようが無いって。それに、鈴狐達もついている」
有名な実力者が次々と倒されていると聞き、天朧も危険ではないかとアリスは案じてくれている。
それに、此処まで大々的に報じられてしまえば、通り魔を繰り返すのは難しくなっていくはずだ。犯人も組織的でもない限り、足がついて捕まるのも時間の問題だろう。
「それよりあるじ、これからアリスとお出掛け、行って来て良い?」
「別に構わないけど、午後に『北斗』へ顔を出しに行くよ?」
「良いではありませんか。大した用事ではありませんし、マカミが遊びに行っても大丈夫です」
ということで快諾すると、狼少女はガッツポーズを見せる。妹と仲が良いのはこちらとしても喜ばしいことである。
アリスと真噛を見送り、俺はゆっくりと午後に出掛ける支度にとりかかる。
この数日間が、非常に長く感じるものになるとは露知らずに。




