到着。天使への告白
螺旋の石階段を一歩一歩ゆっくりと上っていく。壁に手を付き、年寄りのような頼りない足取りだった。
だらりと垂れ下がった右腕からはまだ血が止まらない。そのせいか視界もぼやける。休みたい。眠りたい。動くのを止めたい。
そうしていくつも振りかかる誘惑と気が遠くなるほどに延々と闘い続けた。きっと体感時間に比べてほんの十分にも満たないだろう。
もう少し、もう少しで白鷺さんのいる所だ。どうなろうとそこまでは辿りつかなくては。
そんな意志がボロボロになった身体を動かした。
階段を昇るにつれ、口論が聞こえてくる。
「どうするんだよどうすんだよ! アイツもうこっち来てるって! 勝手に通しちゃってるしさっ、動けるのお前しかいないじゃん! 止めてくれよ!」
「自分は伝令役ですよ!? 一般兵クラスの戦闘能力を期待しないでください! 君主こそ人型にまでなれるのに戦えないんですか!?」
「じ、自慢じゃないが温室育ちで戦闘なんてからっきしさ! 国のトップが力を持たないでいられるのは世の中が安穏な証拠だね! それに見ただろう、手負いでも勝てる気がしないね参ったよまったく」
「そんな呑気なこと言っている場合じゃないですから! すこぶる危険ですって!」
「そもそも何でこんな事態になるまで放っておいたの!? 馬鹿なの!? どんだけ想像力ないの!? もっと早く報告しろって!」
「アンタが邪魔するなって命じたんだろうがァこのポンコツ君主! たった三人つったのは何処のどいつだゴラァ!」
「あー! あー! ボクに暴言吐いたなー! お前後で覚えていろよホントに!」
そうして登り切った先。
部屋の前で言い争っていたと思わしき鳥人兵と『破軍』の親玉が、強張った表情でこちらを見る。
「や、やぁ。また会ったね。覚えているよ、人間の少年」
「……」
顔を引きつらせた隼手を一瞥して、最後の鳥人兵を窺う。コイツ等が残りの障害か。
「で、では自分は持ち場にー!」
すると小走りで部下は離脱する。
「ちょ、おいズル……はははは。まぁ確かによく此処まで辿り着けたもんだ。でもハクロは——」
「しばらく外してくれないか」
「ああうんそうだね! 少しだけ留守にしようじゃないかはははは! また戻るから此処にいるんだぞー!」
こちらのお願いを素直に従い退散しつつも、君主は背後で『衛兵ー! 衛兵集まれー!』と大声をあげながら遠ざかって行った。
だが、扉には錠が掛けられていた。戸締りを忘れずに去ったか。
「白鷺さん、聞こえる?」
『……あ、アルフ……さん……! そこに、いるんですか』
施錠された向こうから消え入りそうな少女の声が返ってきた。
「扉の前にいるなら下がっててください」
左手を押し当てる。密接した手で暗勁を起こす。
その衝撃で鍵を壊して押し倒した。
広い豪奢な一室で天使が立っている。
沈痛な面持ちで、一目散に駆け寄った。だが、音を立てた鎖が邪魔をした。
彼女の足には枷があった。これで、自由を奪っていたのか。
残りの力を振り絞り、こちらから頼りない足取りで赴く。
目線に合わせて膝をつくと彼女はすがりついた。抱擁を受け止める。
「アルフさん、アルフさんアルフさん……うえぇぇんアルフさぁん」
「お待たせしました、白鷺さん。遅くなってすいません。怖かった、ですよね……」
「映像で、あ、貴方が、し、死んでしまうかと……! わたくしのせいで、ご、ごめんなさいぃ」
とめどなく大粒の涙をこぼし、堰をきって嗚咽を漏らす。
どうやらさっきの戦闘を見られていたようだ。ショッキングな光景を見せちゃったな。
それから返り血のついた衣服にも拘らず、彼女は泣きながら穴が空いた俺の右手をとる。
「……ひ、酷い、うぅ、こんなになって……」
「これくらいしか、出来ることはありませんから」
「す、すぐに治し……あっ」
治療にとりかかった白鷺さんだが、手から放出していた淡い光が途中で消えていく。
癒しの力は普段以上に頼りなく、満足に手当ての出来るレベルではないのが見てとれた。
「お願いです、これを壊してください、貴方の怪我を治すには……この足枷を……!」
「それより、大事な話が……」
「貴方の大怪我より大事な話なんてありませんよぉ! どうしてこんな無茶を、したんですかぁ」
「ええと、どうして、でしょうかね」
何故かと聞かれてもいまいち具体的な回答が出来ない。
此処まで来たのは、白鷺さんが連れ去られたから。彼女の現状と待ち受ける命運を知り、いてもたってもいられなくなった。
この人の為ならどんな敵が相手だろうと我が身も省みずに動ける。いくらでも命を賭けられる。
それだけ、俺にとってはかけがえのない人だとしか言いようがなかった。
ああ、ある意味単純な話なんだ。
「白鷺さん、こればかりは今でないと駄目なんですよ。枷を外して此処から出る前にお願いしたいことがあるんです」
「……お願いって、何、ですか。ではわたくしが出来ることなら何でも申し付けてください」
関係を深めたいと思うのは別段不自然なことじゃない。
きっと俺の中で白鷺さんが鈴狐や真噛のように大切にしたい人として、明るい未来を歩んで欲しかったんだ。
「俺と、契約してはくれませんか?」
「え?」
「勿論、この場を切り抜ける為の一時的な話ではありません。これから俺が生きていられる間ずっと、一緒にいては貰えないかというお願いです」
泣くのも止めるほど意表を突かれた様子で、青い目が不思議そうに俺を見る。
「既に鈴狐達が居る以上、共有の契約になってしまいますが、どうですか」
見た目幼き天使は俯いた。葛藤が顔に現れ、やがて首を左右に振る。
「それは、無理です。無理なんです」
「やっぱりダメですか?」
「お気持ちは嬉しいですが、こればかりは……」
「そう、ですか。嫌じゃなくて、無理ってことなら良かった。嫌われていなかったんだ」
「そんな、アルフさんが嫌だなんて思ったことありません。でも、わたくしにはあの人との誓いがあるんです」
あの人とは恐らく英雄グランシャリオのこと。『北斗』の創立と白鷺さんが全うしようとする使命のきっかけとなった人物。
彼女への想いから、以降新たな人との契約を結ぼうとしなかったことは想像に難くない。
「浜辺でお話しした通りシャリオを失ってからのわたくしは、彼女が為せなかった平和への貢献をすることだけに生きてきました。長い間、ずっと」
それだけかつての契約主への思い入れが強かった。グランシャリオという英雄を英雄たらしめた理由は、此処にもあったのだろう。
「だから、わたくしにはこれまで新たに契約を結ぶなんて選択肢はなかったんです。非常に心が弱いんですよ、わたくしは」
「……」
「臆病で、無力で、他人の後追いでしか動くことが出来ない。どっちにしろこんな精霊獣、誰かと寄り添うなんて迷惑をかけるだけです」
自虐的な言葉だ。孤独で頑張り続けているというのに。
「だからごめんなさい。わたくしが抱える彼女の意志とそれに起因する問題を貴方に……いいえ、他の誰であっても背負わせられません。助けに来て頂いて申し訳ないですけれど、わたくしはこのまま元の場所に戻りたいんです。我儘をごめんなさい」
やはり答えはノー。頑として己の信念を捻じ曲げようとはしない。
だけど、さっき口にしたように俺は助けに来たんじゃない。
救いに来たんだ。
「白鷺さん、ひとつ訂正したかったことがあります」
「あ、はい……ただ、そろそろ脱出を……」
「俺はあの時、こう言いましたよね? きっとその人も喜んでいると。頑張っている白鷺さんを見ているのならって」
今ならそれは違うとハッキリしている。
「グランシャリオも今の貴女がそうして独りでいることを喜んでいる訳がないと思います」
「……ッ?」
「だって、貴女は今もまだ生きているんですよ? 大事な相手が幸せだなんて言いきれない現状で、嬉しく思う人がどこにいるんですか? きっとその人もあの世にいて何もしてあげられないことに歯がゆい想いをしているでしょう。なにより、貴女自身が人知れず苦しんでいるのだから」
俺がそう言ったことが信じられないのか、雷に打たれたように彼女の顔が固まる。
「わたくしが、苦しんでいる……?」
「聞いたんです、貴女が時折部屋で独り泣いていたということ。此処に来る前ジルバさんと話をしました」
白鷺さんを連れ戻せず、自分達も戻って来られない。
そんな最悪の想定も視野に入れて、状況を把握して貰うべく『北斗』の副社長に連絡を入れておいた。
「あの人は言っていましたよ、どうか貴女のことをよろしく頼むと。自分ではロクに支えることも出来なかった。貴女が命の危機にも瀕していた事情を知ってそう悔いてました」
口には出さないがその後にこうも言っていた。『けれど、もし救えるとするのならそれはアルフさん、貴方しかいない。どうぞ、社長の御力に……』なんて、こんな若造に対して懇願したのだ。
本当は一緒にこの場に駆け付けたかっただろうに。『北斗』を守ることに率先してくれた上での言葉だった。
そこまで言われて引っ込んでいたら絶対後悔する。今回俺が動いた大きな後押しだっただろう。
「ジルバ……」
「皆、心配しています。鈴狐も真噛も、羅角さんだって。『北斗』はもう、貴女とその人の為の場所ではありません」
その中の誰が彼女が早世して喜ぶ人がいるだろうか。
その中の誰が不幸な延命を望む人がいるだろうか。
「皆の為にも、もっと自分の幸福に目を向けるべきです」
だったら、彼女自身がどうしようもないのなら、誰かが幸せにするしかないじゃないか。
「でも、だって……もしそんなことをしてしまえば、あの子に申し訳……」
「そう思うことを俺には否定出来ません。最後に契約した相手がグランシャリオのままでありたいという気持ちを汲んであげたいです。けれど、それで苦しんでいたら元も子もない。放っておけませんよ、そんなの」
「……」
「たとえ契約主の相手が俺でなくても構いません。白鷺さんが本当は結びつきたいと思っている方が他にいるのなら、その人のもとにお送りいたしますから。貴女が『北斗』へ元気に戻って来られるのなら俺は本望です」
少なくとも、このまま誰とも契約せずに人の世に戻るという選択には俺も頷く気はない。『今』が大切だというのなら、尚更現状の悪循環を改善しなくてはならない。
「グランシャリオの言った平和への架け橋への重責を、及ばずながら俺も背負いましょう。この右手に誓います」
激痛の延々と貫く手をあげて俺は言った。
「だから、怯えないでください、また誰かと結びつくということを。貴女も本当は強い人だ。そうでなくてはこんなに長く独りで抱え込んではいられなかったと俺は思います」
迷いが渦巻く白鷺さんに、俺は踏み込み続ける。
「一緒に乗り越えましょう。過去は覚えていく物でなく、それを踏まえて今と未来を大切にする為にあるんです。そのお手伝いをさせてください」
同じ目線になって申し出る。
すると身体を震わせ絞り出すような声音で天使は言った。
「い、やです」
「白鷺さん」
「探すのなんて嫌です、自分が長く生きる為だけに誰かをあてがわれるなんて絶対嫌! けれど、アルフさん――」
彼女は俺の懐に、潜り込んだ。背中の小さな翼が左右に揺れる。
「……本当に、わたくしが乗り越える為のお手伝いを、してくれるんですか?」
その問いかけは、互いの息が届く距離から。
見上げた泣き面は、幾分か頬に赤みがさしかかっていた。




