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『破軍』騒乱。映像鏡の現状


 啜り泣きが、最上階で木霊する。

 天蓋のついたベッド。清潔なカーテン。日晒しの良さそうな大きな窓。何より、普通の一軒家と同等の広さのある部屋。

 家具も充分に生活出来る程取り揃えてあり、そこで暮らすには申し分のない快適さが用意されていた。


 ただひとつ、そんな豪奢の一室に不釣り合いな物があるとすれば、それは天蓋付きベットの柱に括りつけられた一本の伸びた鎖と誰かを縛り付ける為の枷だった。

 その足枷に囚われ、自由を奪われた天使は床にへたり込んでいた。

 此処に監禁されて以来彼女は与えられた部屋になど一切目もくれず、顔を両手に埋めて嗚咽を漏らし続けている。


「ハクロ」

 奥の扉を開き、此処に押し込めた張本人が顔を出す。

 翼をもつ美青年の隼手(ハヤテ)が来るなり、白鷺(ハクロ)は泣き腫らした目で見上げた。

 泣きじゃくったことは隠しようもないのに、気丈な振る舞いを見せた彼女がとがめるような視線を送る。


「……今すぐ解放してください。これ以上、貴方を軽蔑する前に」

「少しは落ち着くといいんだけどな」

「いきなり閉じ込められて悠長にしていられるほど、わたくしも大人しくありません」

「ごめんよ。君の事情を知った以上、こうするしか方法がなかったんだ。だって君は、絶対に自分の意思では此処に戻らなかっただろう」

「帰らなくては、『北斗』を――あの子の残した意思を守らないと」

 そう言って白鷺(ハクロ)は立ち上がり、頭を下げる。


「お願いですから、元の場所に戻して。こんなことをしたって……」

「ダメだ。療養が済むまで出すわけにはいかない」

 しかし『破軍』の長の意思もまた鉄のように揺るぎなかった。


「自分が一番分かっているだろう? 精霊力が希薄な人間界ではもう長くはいられないことを」

「構いません! それで早世するというのなら、喜んでわたくしは殉じます」

「何の意味があるんだ?」

 隼手(ハヤテ)は彼女の志を切り捨てるように言った。


「確かに『北斗』の存在は人間界における荒魂(あらみたま)の脅威を守ってきた功績があることは認めよう。だけどそれがいつまでも存続出来るとでも? 餅は餅屋という言葉があるだろう? もしもあちらの世界を平和維持が必要だというのなら、『破軍』が代わって防衛戦力を提供しても良い」

「それはつまり、わたくしの役目を」

「その未練がましい拠り所を失くす為であれば安い話だ」

 普通に考えれば、人よりも強靭で強大な精霊獣達が統率をとって闘えていた方が合理的である。

 そうして人が主体の退魔士組織がお役御免となれば、存在意義を失う。



「それと大事なことを忘れていないかい? 人と我々の生きる時間はとてもかけ離れているんだ」

「……」

「仮に君があちらに戻り、この世から消えて百年も経ってご覧? 君を覚えている者は一体どれ程いるんだ? 君が築き上げた『北斗』が残っているかも怪しいところだ。人間なんてそんなものだよ」


 真一文字に結んでいた唇が震える。強気に睨む目尻から、再び涙腺が緩み始めた。

「人は勝手に過去となって勝手に先立って行く。逐一重く受け止めていれば馬鹿を見る。そろそろ気付くんだ、君はあんなに大きな墓の上に縛り付けられただけだったんだと」

「……やめて」

「君の背に乗りかかったその子の夢と思い出というのはもはや呪いだね。別れてからの長い余生を蝕んでいるんだから」

「シャリオの死をそんな風に言うのはやめてっ!」

 絶叫が、監禁部屋に響く。


 静まり返ると、やがて力が抜けていくようにまた床に座り込んだ。精霊力が上手くコントロール出来ず、元々弱っていることも相まってまともな抵抗すら難しいだろう。


「問答はおしまい。不自由でも不便な想いはさせないよ、何か欲しいものがあるなら何でも言っておくれ」

「……う、あぁぁ」隼手(ハヤテ)が入ってくる前と同様、白鷺(ハクロ)は顔に両手を当てる。

「今は辛いだろう。君は優しいからね、人間との別れを惜しむことを否定したりはしない」

 白鷺(ハクロ)の涙は、自分が悲しいことや苦しい時に流すのではない。

 誰かを想い、悲しませたり傷付けてしまうことを悔やみ、申し訳なく思って泣いている。

『北斗』に前置きもなく離れてしまい、彼女を庇った人間に迷惑を掛けてしまった自責の念に駆られているのだろう。


 だから、これほど衰弱するまで人の世に滞在してしまった。隼手(ハヤテ)はそれを悔いていた。


 泣き崩れる白鷺(ハクロ)隼手(ハヤテ)は優しく声を掛ける。

「頭を冷やそう。時間はたっぷりとある」

 僕らにはね、と言い加えて締めくくりに彼は口を開く。


「もし心の整理がついたら、あらためて君にこくは……」

 その時だった。



「ハヤテ様ァああああ! もう限界でェす! 報告! 報告がぁああああああ!」

「何だよこの大事なタイミングでッ! 天変地異が起こっても邪魔するなって言っただろう!?」

 慌ただしく兵士が入ってきたことで、気分を害した君主が怒鳴り返す。


「襲撃者です! 宮殿まで堂々と侵入を許してしまいました!」

「何? 敵の数は」

「それが、三名で……」

「おいおいたったそれだけの数で? すぐに解決出来るだろう。何を大袈裟な、三将に任せればいいじゃないか」

「とにかく鏡を! 映像鏡をご覧ください! 今すぐ!」

「ああもう、これで大したことなかったら哨戒(しょうかい)と伝令役は全員罰則だからな! 僕とハクロの時間に水を差してまったく……」


 ブツブツと部屋に設置された大きな鏡台に向けて指を弾く。一見ただの鏡だが、広大な精霊界で数の限られたコミュニティと連絡する時にも重宝される映像媒体。

 この部屋で退屈しないようにと用意させた物だった。


 鏡面が波紋を打つと同時に、映像鏡は『破軍』各所に設置された場所の光景をくっきりと映した。

 慌ただしく通路を走る兵達の映像が何度か切り替わった後、隼手(ハヤテ)に驚きの状況がようやく目撃することとなる。

 同時に、遠吠えと思わしき音声が入ってきた。

『ウオオーン、勝ったー、アオオー……ケホッケホ。此処、埃っぽい』

『……ご、わ』


 打ち倒したと思われるたくさんの鳥人兵を積み上げ、ちょっぴり焦げた百舌(モズ)を踏み台にして、精霊獣と思しき少女が両腕を挙げてガッツポーズしていた。はやにえというか、なまやけである。

「不動と銘打つほど頑丈なモズをやったのかあの犬耳娘……確か『北斗』にいた……」

「入り口大広間だけでありません! 踊り場の残り二名に階段も踏破されておりますっ」


 何!? と観測する場面を切り替えると、そこは同じ建物とは思えないほどの紅蓮地獄になっていた。

 火炎の奔流が渦を巻いている。宮殿が石造りになっているとはいえ、被害が拡大するのは非常に不味い。

「火事!? 火事じゃんこれ! すぐに消火にあたらせるんだ!」

「既に動いておりますが、何分火がとめどなく溢れ出て来て近づけません……! まるで、上と下の道を阻むようで……」

「侵入者が自滅覚悟で火を放ったのか、なんてことを」

「あそこで迎撃に当たっていたサシバ様とも連絡が……」

「翔斬サシバまで……! いや、あの男ならまぁ逃げ延びていそうだが……。じゃあイカルガは、イカルガは無事なの!?」

「ちょうど、この下層にて交戦中です」


 すぐに最終関門ともいうべき神槍イカルガの状況を映像鏡で確認した。

『破軍』最強の鳥人は健在。傷ひとつ無い。


 そして、決着がついているように見えた。

 引きつるような悲鳴が天使の喉から出る。


「はは、まさか彼がそこまで食い下がるとはね、脱帽だよ……」

 隼手(ハヤテ)からもそんな独白も漏れた。その人物が数時間前に打ち倒されるのを目の前で見たからだ。


「でも、此処までは流石に辿り着けなさそうだ。イカルガに伝令して欲しい、侵入者は生け捕りにしろと。彼の技量なら可能な筈だ。それから一度外から出てあの犬娘の対応に向かわせるんだ」

 黒髪の少年が、宮殿の壁にめり込んでいた。手足を投げ出し、沈黙している。

 すぐに鎖が激しく音を立てた、白鷺(ハクロ)が突然動き出し、部屋を出ようと繋がれた枷を引っ張った。当然抵抗虚しく括りつけられた柱はびくともしない。


「行かせて! アルフさん! アルフさァん!」

「残念だけど会わせられないよ。何、安心していい。そのままお帰りいただくだけだ」

 

 諭しても天使は泣き叫びながら少年の名前を呼び続けた。隼手(ハヤテ)は苦虫を嚙み潰したように渋面を見せる。

 彼女を此処まで執着させた人間への憤りと僅かな嫉妬が彼を曇らせていた。

 だが、今回の件で人を殺めるわけにはいかない。そういう取引でことにあたったからだ。


「忘れていないだろうね……イカルガ」

 こちらからでは届かない言葉を、君主は呟く。


 そんな時、向こうに動きがあった。

 賊を拘束しようと斑鳩(イカルガ)が歩み寄ろうとした矢先、沈黙していた少年が身動ぎした。

 時間を掛けて立ち上がり、頭を振るう。


『ほう。まだ立つか』

『……当たり、前だ』


 復帰するもよろめきそうになる少年と、再度槍を突きつける鳥人。

『何が貴様を駆り立てる……そこまでハクロ様に固執したいか。さぞや美味いのだろうな、天上位の知己という仲が。その傲慢さを見受けるに全く知らぬのだろうな、あの御方が何者であるのかすらも』

『……』

『あの御方はな、前君主が内包した豪族の中でもとびきり高貴な生まれの方だ。貴様などが気安く関われる立場ではない。むざむざ会わせるわけがなかろう……。さぁ、精々吐き出すが良い。あの慈悲深さに図々しく胡坐を掻いたのはただの怠惰の強欲さであったと』

『地位なんかじゃない』

 口元に垂れた血を少年は手の甲で拭う。


『俺はあの人ともっと一緒に居たいだけだ。何者かなんてどうでもいい。どんな立場であっても変わらない。アンタの言う優しい白鷺(ハクロ)さんだからこそ、俺は……』

『そうしてまた縛り付ける気か! たかが数万日しか生きられぬ身で、何が出来る!? その場しのぎの情愛で忘れさせようなど、ただの自己満足であろう! あの御方にまた失うことへの悲しみを、性懲りもなく繰り返させようという貴様等を断じて認めん!』

『……その場しのぎ……自己満足。そうかもね、精霊獣の価値観からすればその通りかもしれない。契約者間での別れは必ず訪れる。アンタ、人と契約したことは?』

『無い。これまでも、これからも』

『そっか。それも可哀想な話だな』

 半眼になった斑鳩(イカルガ)が、少年の捨て台詞に反応した。


『挑発が狙いならば成功したぞ。言いたいことはそれだけか』

『なら最後に言わせて欲しい。別れが無かったら、皆誰とも出逢うこともないよね? 鳥籠に閉じ込められて、誰とも出逢えなくする。それって、本当に白鷺(ハクロ)さんの為?』

『世迷言を』

『アンタもこっちの言い分に応えるべきだ。こんな強引な手段を取って、押しつけがましい思想で抑えつけて、あの人の為だって言うんだろ? それこそ自己満足だとは思わないのか?』

 進み出た少年は、向けられた矛にも畏怖を示さない。


『今だって閉じ込められて泣いているんじゃないのか? そうして「今」を蔑ろにして待っている未来なんてどれだけの価値がある。白鷺(ハクロ)さんは言うはずだ。たとえ短い未来になるとしても「今」を大切にするって』

 映像を見ている間も悲嘆に喘いでいた筈の声が途切れた。


『……たとえ辛かろうと、時間が解決する問題だ』

『時間で有耶無耶にしているの間違いだろ。諦めを強いているだけじゃないか』

『ぬゥ』

『傷を残す点じゃ、別れることと閉じ込めることは何も変わらないんだよ。けれど、得る物の違いがある筈だ』

 それが思い出という物だと。

 映像鏡の中で言葉を紡いだ少年に、白鷺(ハクロ)は目を奪われている。


 言葉を受けた斑鳩(イカルガ)は、一旦槍を降ろす――

 が、再び思い直したように矛先を上げた。

『黙れ。貴様こそ己の「今」を壊されたいか』

『もう壊されそうになっているんだよ、あの人が近くにいた「今」を。だから命懸けで……』

『それ以上喋るなァ!』


 会話を打ち切った神槍の鳥人が迫り、戦闘が再開した。そして白鷺(ハクロ)の泣き声も。

「……う、うぅ」

 だが、傍らから聞こえていた嗚咽の色が変わったことを隼手(ハヤテ)は悟る。

 あの少年は彼にとって忌々しいことに、天使の心を揺り動かす脅威だと徐々に認識せざるを得なかった。

 何も出来ない自分を悔やみ、白鷺(ハクロ)は祈りながら言った。


「お願い……無理しないで……アルフさん」


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