白鷺の現実。提示された選択肢
さざ波が至極間近で満ち引きを繰り返す音が耳朶を打つ。
身体が、石のように重い。
「……ル…………! ア……く……!」
「ある……! ……じ……!」
しきりに揺すられる感覚を覚え、誰かの呼び掛けが聞こえてくる。
ようやく浮上した意識と共に瞼を開くと、無数に散らばった星が輝く夜空が広がる。
身を案じて不安そうに窺う二人と目が合う。人型の精霊獣達だった。
「鈴狐、真噛……」
「あるじ! 目を覚ました!?」
「大丈夫アルくん!? 手当てしたけど、ボロボロだったよ!」
どうやら俺は砂浜で倒れていたところを介抱されていたらしい。
何で、俺こんなところで……
「ッ! ——うぐっ」
気絶する前の記憶が駆け巡った。慌てて身を起こすと、すぐに刺さるような痛みが訴える。完全には回復していない。
たっぷり水を吸った衣服が重く感じる。打ちのめされた現実が、のしかかるようだった。
「おう小僧、ようやくお目覚めか」
遅れて、別の人物もこの場にいたことに気付く。
ハンチング帽とサスペンダー服姿に戻った小鬼が、しゃがんで壊れたベンチの残骸を漁っていた。
「ラカク、あるじが此処にいると教えてくれた」
「羅角さんが?」
「独りで夜にスキューバダイビングすんのは感心しねぇな。それとも、誰かにこっぴどくやられて海に落とされたか?」
「……」
「追って来られない程度に、最低限痛め付けた具合が見てとれたぜ。大分、舐められた扱いを受けたんじゃねーの?」
否応なしに言い当てられた。お見通しか。無様な自分が情けない。
改めて思えば、自分がどれだけ手加減されていたのか。
槍の穂先を落とされた槍にあしらわれ、トドメを刺すこともなく奴等は立ち去った。その気になれば、初撃の時点で助かっていなかったのだから。
俺と一緒なら安心だと、あの人は言っていたのに。
鈴狐も、遠慮がちに尋ねて来る。
「何があったの?」
「連れていかれた。『破軍』の連中に……」
「ハヤテ? まさか、そこまで強引な手段を?」
「止めようとして、このざまだよ」
彼女と連れ去った奴等の姿は残っていなかった。
どれくらい気絶していた? まだ夜のようだが近くにはもういないだろう。
「へぇ、『破軍』と言うと精霊界の中でもそこそこデカイ勢力じゃね? 随分大胆な行動をとったな」
「アイツ、許せない……! ハクロ姉を攫うなんて!」
一拍置いて、どうにか立ち上がる。胸部に鈍い痛みが残っているが、そうも言っていられない。
「精霊界に連れ戻す、って言っていた。ねぇ、このまま白鷺さんが戻って来られなくなったら『北斗』はどうなるんだ?」
「後継に副社長のジルバはいるけど、もう若く無い。長い目で見れば後続の社員達が引き継いでくれると思う。でも……」
現状のそれは、『北斗』の空中分解を示唆していた。在留の内に、彼女の意志を引き継げる人を見出されていない。
「助けに行こう。精霊界にある『破軍』の本拠地にいる筈だ」
鈴狐達は頷く。異議を唱えることは無かった。
一人を除いて。
「待ちな。他人頼りなことは置いておくとしても、この件に関しちゃ賛同する訳にはいかねぇ」
待ったを掛けたのは、羅角さん。
「なぁひょっとしてお前、ハクロを連れ戻せば万事解決するとでも思っているのか?」
「あの、仰る意味がいまいち分かりませんが、現状より良いに決まっていますよ」
「そうでもないんだなぁこれが」
何を言っているんだこの人は? それでは攫われた白鷺さんを助けに行くな、と……
そんな考えすらも見通したように、彼は断言する。
「ああ全くその通りだ。アイツの救出は、褒められたことじゃねぇよ」
周りに沈黙が降りた。皆、彼の言い分に戸惑っている。
「それってこのままの方が良いってこと? 良い訳ないでしょ」
「どういう意味、ラカク」
「あーうるせぇうるせぇ。オレは小僧と話してんだ。外野は黙っていろ、小僧がこんなボケたこと言い出すってことはアホ狐、お前も何も知らねぇんだろ?」
「私が何を知らないって言うの!?」
「なら教えろ、連中が動いた理由は何にも心当たりねぇのか? 事情も分からんままとにかくぶっ潰す気か? 取り返しがつかないこともあるかもしれないのに大した脳筋ぷりだなぁ! オレ以上だよ!」
「ぐ……」
「この件に踏み込むってんなら、対立する際の前提ぐらい知っておけ。アイツと仲の良いテメェがこんな騒ぎになっても把握出来てねぇのに、フォロー入んな。犬っころ、お前も小僧との話に横槍入れんなよ?」
鈴狐は彼の指摘で尻すぼみに押し黙る。言い返せなかった。隣で「犬じゃない、狼」と訂正するもスルーされる真噛。
「さて、無知なお前らに最初に教えてやるのは仮に手前が救った後のハクロの末路だ。連中をただの敵として見ているんだろうが、そいつは大間違い。むしろ、ハクロを救おうとしているんだよなぁ」
「どういう、意味ですか?」
「だから、いい加減察しろよ。ハクロはな」
億劫そうに、鈍さに苛立つように小鬼は短い黒髪を掻いた。
「そのまま連れ帰したらいつか衰弱して死ぬぞ。それでも連れ戻すか?」
「え?」
思いも寄らない事実を告げられ、思考がさび付いた歯車みたいに鈍る。
あのまま此処にいたらってつまり、人間界に居続けたらという事なのか?
どうしてそれで、白鷺さんが亡くなることに?
二人はまるで知らなかった様子で、唖然と話を続ける両者に視線を行ったり来たりさせる。
「ハクロが……なんで」
「テメェ、結界の中で引き込もっていたとはいえこの一年オレより近くにいたのに何で気付かなかったんだ?」
狐巫女はなじられた言葉に怯む。
これまでの間にそこまで深刻な事態が進行していたことなんて、そんな陰りをあの人は見せたことは無い。
「確かに明日明後日の話じゃねぇ。あの調子だったらあと十数年、いや数十年は持たせられるだろうな。だが、俺達の寿命を考えればあまりに短い。お前らが平和ボケしている間も、ほんの僅かだが確実に衰弱を続けてたんだよ」
「どうして? 白鷺さんがそんなことに?」
「そんなこともどんなこともねぇよ。お前も散々見て来ただろうが、奴の翼がどんなものかを」
空を飛ぶにはあまりにも頼りないあの小柄な白い羽。彼女のトレードマークと言ってもいい。
「ええ。それも昔はもっと大きな翼を持っていたと。でも」
「そうだ。アイツが契約主を失った時、一緒にその翼も大半が散っていった。以来、ちんちくりんのままだ。それ以降も徐々に、羽根を散らしている」
脳裏に心当たりのある光景がよぎった。あの綺麗な羽根がほんの一枚だが抜けた瞬間。彼女は、それは別段なんてことはないように言っていた。
「分かるか? 抜け落ちただけで、生え変わっていねぇんだ。少しずつだが失い続けているんだよ」
「……原因は」
「当然契約主の戦死による心的ショックと精霊力へのダメージと見て良いだろう。契約した相手が事故だの事件だので突発的に亡くなると、繋がっていた側にも影響を及ぼす時がある。その最悪のケースがハクロに起きたわけだ」
その状態のまま、彼女は劣化し続けていた。この数百年の間ずっと。
大事な人への意志を全うすべく、己の破滅という問題を抱え込んでいたんだ。
「治す方法はあるっちゃある。オレ達にとって命の源ともいえる精霊力を十二分に摂り続けりゃ良い。時間が経てばまた戻るだろうさ」
「でも、摂らなかったんですか」
「人間界にある精霊力は乏し過ぎて無理だな。こちらに居続けていたアイツを見て分かる通り、それじゃ精霊力を満足に回復出来る筈がねぇ。だから、厄介なんだ。アイツは到底戻る気がねぇんだから」
『破軍』の隼手はそれで彼女を療養させる為に、無理やりにでも精霊界に連れ戻したと。
つまり、彼等は私欲というより真逆の信念から発起したと。
「他にも供給してくれる契約主と繋がるって手もあるが、そうしてこなかった。前の契約主への背徳に思ってんだろう」
「シャリオのこと、あの子はそこまで……」
「棚にあげんなよ。テメェも同じようなもんだろうが」
そんな風に自分で自分を縛って苦しめるような人生を送っていたことを、俺は今の今まで知る由もなかったのだ。
きっと、羅角さんも色々助言や説得をし続けてきたのだろう。
でも白鷺さんは頑として頷かなかった。そんな背景を悟るのにようやく至る。
「さてどうするよ。もう知ってしまった以上、知らんぷりで精霊界からハクロを連れ帰すだなんて言えねぇよな? それでもまさか、あの墓標に命を削らせてまで居座らせるか? 本人の要望だからと言い訳してな」
「墓標……」
同じ言い回しだ。もしかして、それって。
「『北斗』のことだったのか。英雄グランシャリオの哀悼と意思を受け継ぐ証だから墓なんですね」
「ああご明察。あの建物はハクロにとって契約主の為に立てた墓と変わらねぇ。どいつもこいつも、過去に囚われ過ぎてんだよ」
愛は呪いの一種という考え方を聞いたことがある。主に自分自身に掛ける、やるせない呪縛。
「踏み込むなら、アイツのことをよく考えて行動するこった。まぁ、今なら精霊界で療養していればきちんと治るだろうよ。どれくらい時間を要するかは分からんがな。十年、百年。つまりお前が生きている間に戻れるかは保証出来ないってことだ」
「……」
「小僧にしてみれば残念なことになるが、これはこれで良いんじゃねぇか、ってのがオレの見解だ。アイツはもう長らくこっちに滞在し過ぎた。ギネス記録も塗り替えるのも億劫だろうぜ」
決断を、迫られていた。
彼女の意思を尊重する為に、身を滅ぼすことを理解した上で奪還するか。
彼女の未来を繋げる為に、精霊界に攫われたまま助けるのをあきらめるか。
「違う」
そんな二択、おかしいに決まっている。
本人にとってはどうあれ、俺から見たらどちらを選んでも辛いだけだ。
「あん? 何か言ったか小僧」
「違うと言ったんですよ羅角さん。俺は、どちらも白鷺さんの為になる選択だとは思えない」
「だーから、しょうがないんだっつうの。早死にか帰還か、どっちかしかねぇんだから」
「それは、貴方の諦観です。見える二択しか視野に入れていないのだから」
「オイオイオイ。そりゃあどういう意味だ? まさかオレの言っていることがおかしいとでも」
「はい。羅角さん、貴方は間違っていますよ。こんなの、見放すのと一緒だ」
ハンチング帽を取り、手の中でクシャリと握り締めた。
「何を言い出すかと思えば……ハッ。この羅角様に面と向かって食ってかかるとはな」
小鬼の目は、嘲りとは裏腹に炎のように激情が宿りつつあった。
「甘ちゃんでいるのもいい加減にしろや、ガキ。代案も出さねぇでただ現状否定することをな、子供の駄々って言うんだよ」
「分かっています」
「ああ? なら、どうするんだ。どうせ責任なんざ持てやしねぇのに、まだアイツに関わる気なのかテメェは」
短い間に、俺には色んな人物の言葉が突き刺さっていた。
『そうして何百年その方の厚意に胡座を掻いていた……!?』
『……悪いね少年。彼女は精霊界に連れ帰らせてもらおう』
『わたくしは世界を平和にしたいという彼女の意思を継ぎ、彼女にあやかった名前の組織を立ち上げました』
そして黒猫の精霊獣、月又さんからの忠告。孤独になった彼女が、いずれ分かるだろうと言い残した言葉。
『他人の問題を背負おうとするのは大した心掛けだが、自分のもっと身近な相手だけにしておきな』
俺に出来ることは、まだある。
「『北斗』に連れ戻して、白鷺さんの契約主を俺が担います。あの人の孤独をこの身に代えても埋め合わせますよ」
自然と思い至った結論を、口から紡ぎ出した。




