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白鷺の回想。寝覚めの涙

ハクロ視点


 灰が埋め尽くしたような厚い曇り空。焦土と化した荒地には黒い煙が至る所で立ち昇る。

 そんな大地の上で弱々しい嗚咽が広がっていた。


 ──やだ……いやですよぉ……

 その場にへたれ込んでいた彼女は、動かなくなった契約主を抱いて涙の雨を零していた。

 トレードマークの頭に巻いていたほっかむりは解け落ちている。たくさんの血が布に染み込んでいた。


 ──ハクロ、行くしかねぇ。此処はまだ敵地のど真ん中だ。

 ──……ハクロ。ごめん、シャリオはもう……

 ──ぁあああああ……いやぁあああ……

 

 小鬼の言葉も、狐巫女の言葉も、届いていながらも受け入れられずにいる。

 あらゆる傷を治してきたその癒しの力は、前提として生きている者でなくては意味を為さない。

 たとえば、一瞬で命を奪われてしまえばどうしたって助けることは不可能である。


 よりにもよって、その最初の事例は自分の大切な人だった。

 戦場の最初の犠牲者。天使はシャリオを守りきれなかった無力さに打ちひしがれる。


 ──ハクロ……! おぬしその背は一体……!?

 背後で兎童女の言葉は、訪れた変化を指摘した。

 吹き付ける風が綿を運ぶように白い何かを巻き散らす。


 無数の羽根は、どんどん抜け落ちていく。

 己を包み込めた程に大きかった翼は見る影もなく、みずほらしく、小さくなった。その日から、彼女は空を飛ぶ力を失った。


 それでも二度と目を覚まさない少女の穏やかな顔に幾度となく呼び掛ける。

 ──シャリオぉ、シャリオぉおお……。


 全てが終わった後に残されたのは、幾つかの遺品と彼女の英名。

 前者は、彼女の生まれ故郷に届けた。せめてものの手向けである。


 シャリオの親類に訃報を告げると、小さな男の子から糾弾を受けた。

 姉ちゃんを返せよ、と。両拳で懐を力なく叩かれながら受ける言葉は、何よりも奥に響いた。

 何度も詫びを繰り返す。だがその子は頑として、彼女を受け入れはしなかった。


 ──やっぱりお前が赴くことなかっただろ。

 立ち寄った人村の酒屋で付き添っていた小鬼はそう結論を出した。

 ──ハクロにとって惨い結果になるのは目に見えていた。代わりに届けてやるくらい訳無かったのに。

 ──これは、わたくし自身で全うすべきけじめでした。シャリオの契約精霊獣だった者として。

 ──……そうかよ。

 ──それより、ありがとうございますラカク、ジーク。戦が終わったというのにわたくしの私情に付き合って頂けて。

 ──我々は、此度の戦争で被害が無かった組だからな。


 寡黙で彫りの深い顔立ちをした巨漢は、見た目にそぐわぬ穏やかな声で言う。

 ──鈴狐リンコとアルファロランは愛すべき者をその手で殺める結果となり、夜兎ヨトはガベルを失い、君も……。少しでも役に立てるように私達もお供させて貰った。君が一番心配だったから。

 ──ケッ、一緒にするな。暇つぶしにジークのやりてぇように合わせただけだ。

 ぶっきらぼうな小鬼だが、案じてくれているのはこれまでの付き合いで理解出来ていた。

 感謝が身に染みる。


 ──てなわけでよぉ、ちゃんちゃらおかしいだろ?

 哄笑が店内に広がる。席で団欒していたこちらの会話が打ち切られてしまった。

 傍らでゲラゲラと笑っていたのは見るからに無精髭が目立つ酔っ払った中年の男。昼間から大分飲んでいるらしい。


 ──たまたまとんでもねぇ精霊獣と契約したガキどもが此処まで持て囃されているんだぜ。精霊獣さまさまだな。気分が良いだろうよ、手前ら自身は大それたことしてねぇのに英雄だー英雄だーって。


 言葉の節々で思い当たる単語が耳に障る。 

 ──たとえばよォ、あー、名前何だっけ? グラ……何とかって小娘なんざ犬死にしただけで勇敢な英名まで貰ってんだ。世間はどうかしてるぜ、戦場で子供が死ぬことを美徳とす――


 考えるより早く天使は動いていた。

 ──撤回、してください。

 ──んあ? 何だよ嬢ちゃん、こんな場所に入って良いトシじゃねぇだろ? お家に帰んな。

 ──彼女の死を嘲笑うのは許しません。グランシャリオは、無駄死になどではありません。

 ──は? 言ってる意味がわかんね……え?


 鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした男であったが、彼女の申し訳程度に残った背中の羽を見て顔色を変える。

 ──おめぇ、もしかして、精霊獣?

 ──わたくしの大切な人を侮辱したこと、取り消してください。彼女は、頑張ったんですよ!

 店内が、小さな身の丈から出た怒号に静まり返った。


 ──あの子の激励があったからこそ、わたくし達に味方をしてくれた精霊獣達だってたくさんいました! あの子がいなければこの戦争は勝つ事なんて出来なかった! 犬死になんかじゃありません! いなくて良かった筈がありません! グランシャリオは、歴史に語り継がれるに相応しい人物です!  

 ──お、落ち着けってそんなにムキになるなよぉ冗談だから……

 ──取り消してッ! シャリオを、あの、子を馬鹿にするのは、わた、わたくしが……!


 悲鳴に近い声音で詰め寄られ、管を巻いていた中年男性はしどろもどろになった。

 だが、緩くなっていた涙腺が決壊する天使を見て、男は引きつった表情を徐々に別の色に変えていく。

 ──わ、悪かった。嬢ちゃん、俺が間違っていた。

 ──……ほんと、ですか。


 しゃくりあげながら、目をこする少女の肩に手を置いた。

 ──ああ、よく分かるぜ。相棒が死んで大変だったんだろ。辛いだろう。な?

 男は彼女と向かい合ってへつらうような仕草を見せる。欲望の目が光っていた。

 ぐいっと、両肩を引いて詰め寄られ、困った様子を見せてもおかまいなし。


 ──あの、放してくれませんか。

 ──どうだ? このまま一人でやってくのも酷だ俺と契やギャァああああああああああ!?


 横から手が伸びたと思った次の瞬間、何かが外れる不気味な音が響く。

 小鬼が男の手首を掴み、天使の身体から引き剥がしたと同時に絶叫が漏れた。


 あまりの素早さと力によるスナップで、酔漢の肩が外れたのである。

 床にもんどりうつ男を値踏みするように、彼は言う。


 ──きたねぇ手でハクロに触るなよ豚野郎。

 ──ラ、ラカク。

 ──お前の力で治療しても意味ねぇぞ。ただの脱臼だ。誰かに入れてもらうしかねぇ。

 完全に酔いが冷めきった男が這ってその場から逃げようとするところに、小鬼は言葉で追撃した。


 ──オイ、のうのうと酒を飲んでいられたのは誰のおかげだよ? 肩外したぐらいでギャーギャー喚いてんじゃねーぞ。テメェ以上に苦しい想いをしてアイツらは持て囃されてんだよ。手前に甘い癖に人様の実績にケチつけた挙句、何甘い汁にあやかろうとしてんだ屑が。

 ──ヒイィ。


 肩を庇いながらみっともなく店から逃亡した中年の支払いは、彼の相棒のジークが申し出た。

 ──貴方があそこまでなさらなくても……!

 ──ムカついただけだ。ああいう手合いは無様な姿を曝け出して痛い目みねぇと口を塞がねぇからよ。

 ──いいや羅角ラカク。それこそ今回の出来事を誇張し、都合の悪い部分を取っ払い、美談として吹聴するだろう。かの有名人と自分は渡り合えた、といった感じで。

 救いようがねぇ、と相棒の指摘に舌打ちをする小鬼。


 ──気にすることはない白鷺ハクロ。グランシャリオも立派な英雄だ。私と彼女は生き残ったか否かでしか違いは無い。

 ──はい、お気遣いありがとうございます。

 ──そんなことより、今後どうすんだお前? 精霊界こっちに行く宛はあるのか?


 天使は首を横に振る。

 ──わたくしは、人間界に行ってみようかと。彼女が見たがっていた、世界を……。




 天井を見上げたまま荒い呼気を繰り返す。

 動悸が激しく脈打ち、寝間着がじっとりと汗ばむ。


 此処は寝室。『北斗』の社長室の奥にある場所であり、あそこではない。

 ああ、夢でしたか。いつもの今までで一番辛くて苦しかった時の記憶。


 大きなベッドから身を起こす。これを見るのはもう、何度目でしょうか。

 あの日から気が遠くなるくらい時が経つというのに。

 

「…………う」

 細い腕で震えだした身体を抱く。夏場で肌寒さは感じないというのに抑えられない。


「ううぅ」

 未だに脳裏でちらつく懐かしき少女の顔。もう二度と会えないことを想う度に、胸が締め付けられてしまう。

 あの悪夢を見る度にいつもこうです。なんて自分は弱いのでしょうか。

 めそめそとしている今のわたくしを、きっとリンコやラカクが見たのなら呆れるでしょう。まだ、引き摺っているのかと。


 けれど、しばらくしてからわたくしは復帰する。傷心に浸るのも、涙がぶり返すのも、もう慣れているのです。

 ツクマタさんの契約主の訃報が、どうやら心の片隅にあったあの過去を彷彿させてしまったのかもしれません。

 グランシャリオ……最初で最後の契約相手である友人が戦死した日のことを。


 あの日は鬼の頭領シュテンとの決着……そして人間と精霊獣の世界が平和を歩み出すきっかけになった日でした。その拠点を前で鬼の軍勢との戦争が起こった時、わたくしは彼女を守れなかった。

 それを後悔し苦悩する日々が、時折蘇るのです。きっと、忘れてはいけないということでしょう。



 ベッドから降りてスッと衣装を変化させ、朝の支度を始める。既にこの部屋を出れば出社も同然だから遅刻の心配は皆無。

 いつもの生活。いつもの日常。


 初老の男が始業きっかりの時間に社長室のドアをノックして入ってきた。『北斗』の副社長。

 黒い眼帯と頬には傷、白髪のオールバックという厳つい容姿。しかしそんな外見とは裏腹に穏やかな内面を、彼の若かりし頃からわたくしはよく知っている。

「おはようございます白鷺ハクロ様」

「おはようございますジルバ。いつもお早いですね」

「おや? 白鷺ハクロ様」


 隻眼の細目と柳眉がピクリと動く。長い付き合いで感情の機微に聡い。

「少し、寝覚めが悪かったようですねぇ。先に紅茶を淹れましょう、真噛マカミさんがまだ来社なさりませんからね」

「ありがとうございます」

 察知はしても深くは追求して来ないのは非常にありがたい。


「此処最近、貴女は仕事に根を詰め過ぎなのかもしれませんよ? どうです? 近日中に休暇をとっては如何かと。もう何年も使っていないでしょう、有休」

「そんなの悪いですよ。一生懸命働いている皆さんがいるのに」

「何の何の。数か月単位ですらお休みしても罰はあたりません。貴女様のこれまでの積み重ねを考えれば。それに、組織とはトップが不在でもきちんと回るもの。社長が常にいなくては成り立たないようではいけません。そこまで重責を感じなくてもよろしいかと、いっそヒエラルキーを失くす勢いでも」

「ウチはホラクラシー経営方面へ転向する予定はありませんよ?」

「いいえ。私の私見ですからそのような意図はとてもとても」


 惚けた様子で彼は紅茶を運ぶ。

「冗談はさておき、是非にお休みをとって頂けた方が我々としても心配をしなくて済みます故。白鷺ハクロ様のワンマンではない証明になりますから」

「休み、と言いましても」

 個人で特に用事がある訳でも無いし、何かやりたいことがある訳でも無い。

 弱りました、よしんばお休みを頂いたとしてこの『北斗』で過ごすとなると間違いなく居た堪れなくなって結局仕事に手を付けてしまうでしょう。


「でしたら、ご意見を求めては?」

「誰に?」

「ご友人方が身近におられる筈です。本日もいらっしゃいますから、その時にでも」


 私は齢でインドアですからねぇ、とわたくしより若輩者のジルバ。とりあえず、ほどほどに合いの手を打つ。

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