天朧と天金。雑用下っ端は世を忍ぶ
そして、一年後。
俺が入ったのは天井に副流煙の渦巻く『北斗』の喫煙所。手にはビニール袋。
「失礼、しまーす」
分煙に敏感なご時世、狭い部屋に男達が密集していた。非喫煙者の到来に、一挙として視線が集う。彼らはB級の退魔士。
ローブを羽織りフードで顔が隠れている者、何処から見ても商社のビジネスマン、スカジャンを着た青年。副業や色んな事情で入社する以上十人十色の恰好になる。一般の退魔士は、一応現場への出動時には定められた制服の着用を義務付けられているようだ。俺はまだ、そういう経験はない。
「おう掃除ご苦労さんボウズ。吸わねぇのに精が出るな」
「はいー仕事ですから」
特に反感も忌避もなく雑談は再開された。
「それにしても旦那は相変わらず手際が良いな。この前も上位の荒魂を何体も狩って無傷で帰って来たしよ」
「天朧の旦那か。ウチのエースだもんな」
「俺が知ってるのじゃ象型の荒魂をひっくり返してたっけ」
「確か怪鳥を弓で射落としたって話もあったぞ、3メートルもあるバケモンを地上からだぜ? 武器も色々長けてる天才肌。っかー、何処からあんなの連れて来たんだウチのボスは」
「結局何者か社長ぐらいしか知らないんだろ、あのルーキー超エリート。実名も年齢も個人情報丸隠し。俺達の面目丸つぶれだ」
「全くだ。メディアも大騒ぎでこの前なんかよ、専門家が人物分析で当てずっぽうしてたぜ」
彼等が口を揃えて挙げる天朧という人物。それは、突如として退魔士組織『北斗』に現れ破竹の勢いで昇り詰めたトップエージェントの事である。
「ほら、あれ見ろよ早速だぜ」
ドレッドヘアの男が取り付けられた小型のテレビを示唆する。その番組映像に映っているのは、黒いコートの人影であった。鳥みたいに外壁を軽々と疾駆している。
特徴は露出を避けた黒の衣装に、烏天狗を模した赤い頭襟が額に取り付けられた仮面。彼を知る者の記号はそれらが共通している。逆に言えば、それ以外の詳しい事を知る者はいない。
「引っ張りだこだなぁやっこさん。退魔士なんざコミックのヒーローみたいに取り上げられるモンじゃなかったんだけどな」
「まぁお前さんも見習えボウズ。あんな風になれるように、末端だろうと若手なんだからこんな場所で腐ってちゃダメだぜ」
「は、はーい」
「現場に出てる俺らが棚に上げてどうすんだよハハハハ」
喫煙箱を空にしていると、話を俺に振ってきた。にこやかに、俺は調子を合わせる。
自分をどうやって見習えば良いんだろうなぁ、なんて感想は胸にしまっておく。直で聞くとこそばゆい評判だ。下馬評みたいにもっと悪い言われようも危惧していたんだけど。
「それとアイツの相方、天金の姉ちゃんもすげぇよな」
「生ける伝説、英雄の精霊獣が帰って来たって言うんだから去年は大騒ぎだぜ。それが旦那の快進撃に拍車を掛けたんだろうさ」
「あれも一体何の精霊獣か不明だったな。完全に人の姿でいるから俺にゃ分からん」
「人として見ると天金ちゃん良いなァ。良い身体しててかわいいし」
「あのデケェチチに包まれてェよ。後でディナー誘ってみようかな」
「ばっか、どうせ玉砕オチだっつうの。それに手ェ出したら天朧に転がされるぞ。契約主らしいんだからさ」
「あ、でもこの前グラドルに勧誘されたってよ。事務が言ってたぜ?」
「マジですか?! 初耳なんですけど!」
天金こと鈴狐について下世話になってきた会話に、思わず俺も食いついた。また、皆の意識がこっちに向かう。
「ボウズ……おめぇ」
ヤバ、反応し過ぎた。バレるのではないかと焦る。
男の一人がだらしなくにやけて、その心配は取り越し苦労に終わった。
「そんなに天金ちゃんの読みてェのか何だよ水くせぇ。まぁお前さんも男だ、高根の花にゃあ思う事あるだろうし。出た時は俺が2冊買ってやろうか?」
「……あ、はは。大丈夫です」
社長室をノックし、7つ星の扉を開く。目の前で、小さな天使が書類の海に突っ伏していた。繁忙期という死闘に負けかけている。
「白鷺さん、生きてますか?」
「……なんとか。少し、休憩してます……」
「アルくん仕事終わったー?」
「ねぇ鈴狐、いつの間にあんな勧誘が来てたんだよー。隠し事なんて酷いじゃないか」
「勧誘? ああ、グラビアの事ね」
もはやマスコット枠にいる小狐は、応接机の上でおかきを食べている。
モフモフの小さな体格でそんな単語を発するというのも些か陳腐な気がした。
「すぐ断っていたからさー、わざわざ言う程でもなかったと思ってた」
「そりゃ分かってるけどさぁ」
「ごめんねー、心配したよねぇ」
机から降りた鈴狐がどろんと煙が広がる演出でスーツ姿の耳と尻尾を出した金髪美女に変わる。もはや光る演出を端折っていた。
そして吐息が掛かる距離まで接近した。息が詰まる。
俺の鎖骨辺りを人差し指で這わせて誘惑してきた。
「でも、アルくんにならいくらでも見せてもいいなぁ、なーんて」
「鈴狐」
「んー?」
「口の端に粉ついてる」
「……おっとこりゃ失敬」
指摘で自分の顔を省みる。危機は去った、かに思われた。
「では仕切り直して、アルくぅんもしかして見たいのー?」
「うわまだ続いてた!」
「ビキニ着るなら赤と青どっちがいーい? やっぱり赤かなぁ! ねぇねぇ!」
「……ノーコメントで!」
という感じで、こんな日々にも慣れてきた。S級トップエージェント天朧として荒魂と闘い、C級の退魔士見習い兼下っ端アルフ・オーランとして雑用をこなす二重生活。此処にいる者以外は誰も、俺が退魔士登録を二つに分けているとは思いも寄らないだろう。
そうして個人情報を伏せている理由としては同業社からのヘッドハンティングの防止や、プライベートをなるべく侵害されないようにする為の措置だった。そのおかげで俺達は有名な立場を持ちながら、世間に余計な干渉をされずに暮らすことが出来ている。
「……あ、そういえば」
少し復活した白鷺さんがウェーブのかかる薄い金髪を揺り起こした。
「あのご依頼の件、考えていただけました? そろそろお返事をしないとなりません」
「学園からの依頼ですよね。ここのところ天朧の指名は多いですが、まさか教育機関にまでお呼びがかかるとは」
退魔士を幾つも輩出している名門校エレメア学園。跡継ぎ問題が無ければ、いずれは俺も志望していたかもしれない学校。
どうやらその近辺で荒魂が異常発生しており、事態が鎮圧するまでの監視役や原因の調査に依頼をしてきたようだ。
「あそこはわたくしの知り合いが運営しているんです。そして鈴狐とも知己ですし、そのコンビである貴方だからこそ呼びつけようと思ったのでしょう」
「うえぇ、てことはアイツでしょー? 私は乗り気じゃなーい! 出来れば会いたくなーい」
珍しく嫌そうな顔をしている。
「でもアルフさんには好機でしょう。彼は今、反則を踏まえてのトップですから。高校以上の退魔学科の専攻を二年以上修了しないと、ほんとはウチには入れないんです。……まぁ一役買ったのはわたくしですし、鈴狐の口添えや特異戦力としての実力があったから、天朧として採用してしまいましたが」
「うう……そのことに関しては申し訳ない。白鷲さんにご迷惑をおかけしてなんとお詫びすればいいのか……」
そう頭を下げるとボス天使は慌てて否定する。
「いえ! むしろ感謝しているくらいです! 貴方の活躍は非常に頼りになるんです。ただ、それだとトップとしての活躍を知られた時やはり許さない方がいらっしゃるでしょう」
「しょうがないじゃーん。アルくんは経歴白紙にされて学校にも通えなかったんだからー。このままでいけないのー?」
「いずれボロが出た時は大変ですよ鈴狐、それを考えると余計彼の為にも学園に入らせたいと思います。そうすればいざという時にも何とかなりますから」
いわばF1レーサーが講習を受けずに免許を取得してレースに出ているようなものだった。白鷺さんのコネや組織の力、個人情報の隠蔽でまかり通ってきた。
「あの学校にも退魔士を志望する方の学科があります。いずれは受けて貰うのであれば、今回の潜入任務にアルフさんが赴かれた方が一番合理的でしょう。それにウチの退魔士は基本、成人ばかりですから」
「謹んで受けさせていただきます。ほら鈴狐も」
ブー垂れていた鈴狐も、俺の意思決定を受けて渋々ながら了承する。
はて、天真爛漫で基本的に大らかな狐巫女がそこまで毛嫌うとは、いったいどんな人がいるのだろうか。




