静かな狼少女の怒り。糾弾されるは妹
何気ない日常に戻った俺はその日を学業で専念し、そして学生寮に戻る。
仮面が破損した手前、すぐには天朧の活動は出来ない。
数時間後の夕暮れ時、滅多に他人の訪れない部屋の中で玄関から呼び出しのチャイムが鳴った。
誰だろう。鈴狐と真噛と一緒にくつろいでいた俺は、立ち上がって玄関口に向かう。どんな人物が来訪するか分からないので二人には一応奥の方に控えているように言っておいた。
だがその心配は杞憂だった。俺達の生活事情を知られても困る相手ではなかったからだ。
「アリス」
「……こんばんは」
外では妹が手持ちの鞄をロングスカートの上で握り締めて立っていた。
視線は下を彷徨い、これまでになく消沈した様子を見せる。
「学校休んだみたいじゃないか。レイチェル達が心配してたよ」
「ちょっと、色々……あの、今日は話があって」
「うん、とりあえず上がっ──」
「待った」
俺を後ろに追いやり、歓迎を遮って進み出たのは狼少女。妹の前に立ちはだかり、腰に手を当てる。
「あるじ、此処はわたしが先であるじが最後。ボクシングでは弱い順で相手する」
「ちょっと殴り合う訳じゃないんだから大袈裟な……」
というかよしんば真噛がそうでも次は俺で鈴狐が一番最後になるんだけど。力の優劣だとすれば。
背を向けたままアリスと対峙するようにこう言い放った。
「だってこの子、わたしにとって、あるじの父親と同じ敵だから」
宣戦布告だった。空気はすぐに変わった。
「またあるじ、傷付けるつもり? それも今回は直接」
アリスの狼狽える素振りは手に取るように伝わってくる。敵意を向けられておどおどし始めた。
「ち、違う。そんなつもりないわ。本当に話がしたいだけなの……!」
「そう。で、何を話しに来たの」
「兄さんにあれからの報告。それに……直接謝りたくて」
「どうして謝るの?」
「それは……私の方が、間違っていたから。何も知らないのに酷いこと、沢山言っちゃった。兄さんに許されなくたって、仕方ないくらい勝手なのは分かってる」
少女は和解出来ないことを諦観しながら俺の許にやってきた。
「それでも一言、ちゃんと言わないといけないと思ったの」
「誰の為に」
「え?」
「それ、ほんとうにあるじの為?」
真噛は殆ど無表情なのに険しい雰囲気を伴ってアリスに糾弾した。その気迫にアリスは身を竦ませた。
「謝ること、色んな意味がある。悪いことだと認めて赦して貰う為、そして自分が懺悔して楽になる為。貴女は後の方?」
「わ、私は別に……」
「ううん、楽になろうとしてる。仮に赦されないと本気で思い込んでても、謝りたいだけの自己満足にしか見えない」
辛辣に、狼少女は言い捨てる。アリスはただ、覚えた罪の意識を消したくて謝りに来ただけだと。
「わたし、あるじの中で貴女に傷付けられていくあるじを感じた。何を言われても、どんな態度をとられても、ねじきれそうな気持ちを我慢してたのを知ってる」
学園で再会してからの俺とアリスのすれ違いは、他人目から見ても酷く冷たいものに見えただろう。
俺自身も心の奥底まで響いた時もあった。それをこの精霊獣は察知して心配してくれていたことは記憶に新しい。
その元凶が今目の前にいる。真噛は静かに怒り心頭なのだ。
「マ、真噛。良いんだよ別に、俺は……」
「駄目。あるじ、まだ後ろにいて」
俺の制止を跳ね除ける。真噛は頑なに前を譲らない。
むしろ、俺の態度を引き合いにして非難を続けた。
「ほらね。あるじ、優しいから赦しちゃう。ほんとはそうしてくれるの、知ってるんでしょ? そこに期待して付け入ろうとしたんじゃないの?」
「違う、違う。私は……」
「そんな心優しいあるじに貴女、何を言って来たの?」
喉元へ刃物を突きつけられたように怯むアリス。
「此処で口にしてみてよ。今まであるじにぶつけた言葉の数々を」
要求に必死で首を振った。代わりに真噛が話を進めた。
「わたし、知ってるのは『あんな奴兄とも何とも思っちゃいない』だけ。でも他にもある筈」
「やめ、やめて……もう言わない、言わないからっ」
青ざめる少女に真噛は手を抜かない。
「ふざけるな。あるじ、それに耐えて来た。傷付けた貴女、根をあげる資格無い」
「……っう、ごめ……ごめんなさ──」
「謝るなッ!」
怒号と共に狼の唸りが漏れる。ビクッと、嵐に晒された小鳥のようになっていたアリスが反応する。
「貴女の為、打ち明けられない苦しみをあるじは受けてきた。その気持ち、知らないで和解なんて赦さない。貴女もあるじの為、謝れない苦しみを受けて初めて公平。自分だけ楽になろうとするな」
「う、うぅ」
くしゃりと、少女の顔が悲嘆で崩れそうになりかける。持ち堪えるのにも限界だった。
「ハッキリ言う」
それでも、狼少女は続ける。トドメの言葉を刺そうと、一拍間を置いて息を吸った。そして、
「貴女、あるじの前に立──」
「真噛すとーっぷッ!」
俺はもう居ても立っても居られず、その修羅場へ介入した。
とにかく真噛を抑えるべく、ほぼ無意識に後ろで垂れていた尻尾に手を伸ばす。
フサフサの尾を鷲掴みに、蛍光灯の紐を引くようにして軽く引っ張った。それで注意を逸らそうとした。
瞬間。
「──ひゃわインッ?!」
悲鳴とも嬌声ともとれる奇妙な声を狼少女はあげた。感電したように背筋をのけぞらせ、持っていた尻尾の毛がぶわっと膨れ上がる。
周囲から毒気が引くのを感じた。鈴狐は目を点にして、アリスも涙目ながら戸惑い、そして肝心の真噛はというと、
「あ、あ、ありゅ、じ」
プルプルと震わせながら、顔を真っ赤にして振り返った彼女は息も絶え絶えに訴える。
「そこ、きゅ、急に、引っ張っちゃ、やぁ……!」
「ごっごめん! そこまで驚くなんて思わなくて!」
「おおー、アルくんたらマカミの弱点突いちゃったねぇ」
「ワザとじゃないワザとじゃない! 咄嗟だったんだ!」
パッと手放した途端へなへなと狼少女はその場に座り込む。すると狐巫女がさっきから何かを袋に入れて、俺を通過する。
「さぁてマカミ、私達はそろそろハクロのとこに行くよー」
「んえ?」
「言ってたでしょー? 今夜は精霊獣達だけで鍋作るって」
「き、聞いてない」
俺も初耳な話である。あ、冷蔵庫から食材持ち出してたのか。ほんとにやる気だ。
「ついでに気は進まないけどラカクも呼ぶかー、ほら立って。ここからは二人でお話ししないと」
「やだ! わたし、あるじの精霊獣だもの。この問題から引かない!」
「あくまで兄妹同士の問題だよ? 本人達でしっかり話すべきだよ」
「でもぉっ」
なんて問答の内に鈴狐は軽々と真噛を担いだ。じたばたと抵抗してもなんのその。そのまま玄関を出ていく。
「それじゃあごゆっくりぃ。明日の朝には帰るからねー」
「やー! あるじと一緒ー! 放してー!」
精霊獣が去り、その場に取り残された俺は俯くアリスに言う。
「とりあえず、中に入ろ?」




