寝所で迫る狐巫女。やらしさと愛おしさ
学生寮に戻って日付が変わる頃には部屋を消灯した。
おやすみという声と共に真噛は隣のベッド、鈴狐はいつものように枕元で丸くなった。
カチコチと時計の音が続き、少し瞼を閉じていたが眠れない。自然に開いた目が天井を見上げる。
今夜は様々な出来事が起きたせいで色んな思考が混線してしまっている。どっと疲れが押し寄せているのに反して、頭が休まらない。
夜兎という新たな脅威の出現。妹に全てを知られ、父ゼムナスとの決別もした。
そして冷静になって気付いた。今俺に掛かっている一番の問題は、それらの出来事に逐一翻弄されてしまう脆弱さが露呈したことである。
実力も、精神性も、まるで足りない。『北斗』の肩書きに甘んじていたんだ。
6年前に公園のベンチで痛感していた無力さは、未だに残っている。
そういった感情が一緒くたになってしまったからか、整理しきれていないのだろう。
薄明りを残したシーリングライトにぼんやりと目を留めていると、マットレスの勝手に軋む音が聞こえた。
視界に影が覆う。長い金の髪が垂れ、くすぐるように顔に掛かる。
「……鈴狐?」
「んふ、やっぱり起きてた」
耳元で囁く狐巫女の声。凄く間近で背中がこそばゆい。
しかも彼女が一度身を起こした時の服装を確認して余計驚く。
あろうことか、下履き無しのワイシャツ姿で俺の懐に跨っているのだ。動揺しない訳が無い。何そのマニアックな恰好。
蠱惑的な微笑で俺を見る彼女の視線は、いつも以上に妖しい。
これじゃあまるで、夜這いじゃないか……!
「何やってんの」
「慰めてあげようと思って、うへへへ♡」
相変わらずの好き好きオーラを放ち、倒れ込んだ鈴狐は胸元で頬擦りまで始める。
「今日は大変だったでしょー? 寝れない休めない落ち着かないで悶々してそうだなって。これはもう癒すべき事案だよね、鈴狐さん張りきっちゃいますよー!」
「お、おーい」
「アルくんも良いお年頃ですもんねぇ、どうするぅ? どうしちゃう? 精霊獣とならチューでも何でもノーカンだぞぉ」
こしょこしょと小声で俺に甘言を続ける。柔らかい感触を押し付けながら。
ああ違う。これは、そうじゃない。最初は紅潮してそれどころでは無かったが、たちまち冷静さを取り戻していく。
「……」
俺は、彼女の腰に手を回した。サラサラした髪と細い身体の感触が伝わる。
「おっ、おおっ? もしかしたらもしかすると、ついにその気になっちゃったかな? えへへもうアルく──」
「どうしたの、鈴狐」
身体を起こして、抱っこするような形で俺は尋ねた。
「前から俺が心が弱った時には励まそうと一生懸命になるのは知ってたけど、いつも以上に必死に見えた」
「あ、え? 何のこと?」
「とぼけない。もう付き合い長いんだからさ」
分かってるよ、らしくないということは。俺の知っている鈴狐は、迫って来てもこんな風に引き際を作らせず自分を夢中にさせるような真似はしなかった。自身を介して立ち直らせるのであって、惰性に耽溺させるだけで終わらせたりはしない。
まるで、辛いことより私を見ててと言っているようだった。訴えてるみたいだった。
「話しなよ。心配事なら言ってごらん。そうした方が楽になるなら」
「……参ったなぁ、そういう言い方、ズルいって」
観念した様子で、鈴狐は密着するのを止めた。
暗いベッドの上で正座をするので、俺も合わせる。
「今日頑張ったアルくんに触発されたから、少しお話をしましょうかねぇ」
「この前の覚悟がいるって話?」
「うん、そう。私の方がね」
思ったよりも早い。彼女は俺に秘めた話を語る。
「急にこんなこと聞くのもあれだけど、アルくんは生まれ変わりって信じる?」
「ほんとに急だなぁ。えっと、あれだっけ? 死後の人が、また新しい生を受けてこの世に誕生するってやつ? ピンと来ないし、覚えているという人を実際に見たこと無いからなんとも」
「だよねぇ、私も半信半疑だった。……実際に会うまではね」
そんな神秘体験を経た者がいたら、それは凄い話だが。
確かテレビ番組でも、前世の記憶がある子供が訪れたことのない土地の事細かな情報を言い当てたとかそういう話も聞いたことがある。
正直、胡散臭い話だ。何故そんな話を鈴狐が?
「まぁ、それは置いておいて」
「置くのかよっ、その前振りなんなの!?」
「シーッ、マカミが起きちゃうから。まず私がアルくんに話したいのは、私の前の契約者のことだね」
「それってアルファロランのこと?」
「うん。あんまり詳しく言ってなかったよね」
そういえばそうだ。雲の上の人のように感じて、人らしい部分について触れたりしなかった。
考えてみれば鈴狐は何百年の間、その人以外とは誰とも契約をしていないことが窺える。
「アルくんの先祖にして四英雄の一人アルファロラン、彼女はー何というかねぇ、アルくんとは対照的な人だった」
「彼女……」
「あーそっか、ハッキリ言ったこと無かったっけ。女の子だよ、アルファロラン。誰が描いたか知らない肖像画を見たけどさー笑っちゃうよね、髭もじゃボサボサのおじさんで全然別人なんだもん。まぁ、黒髪と瞳の色は一緒かな? そんな感じで史実とは脚色や誇張されるもんだ。女性を男性のようにしたり、美談だけが語り継がれたりするから記号でしか知られていないんだよ」
歴史の生き証人たる彼女の明言によって、夜兎の放った言葉と辻褄が合う。
『阿婆擦れがっ。あの時に飽き足らず、また儂から奪うというのだな!?』
『晴らさねば。晴らさでおくべきか! ぬしもそこの小娘も! 復讐じゃ! 復讐すべきは儂に在り! その為に呪いをこの身に蓄えた!』
やはりあれは俺をアルファロランと思ってそう吐き捨てたのだろう。
では、俺の精霊力が英雄と酷似していたというのは? 波長が何とかって言っていたが。
「彼女がよぼよぼのお婆ちゃんになるまで私は一緒にいた。その生涯を全うするまでずっと」
少し思考の海に没していた意識を、鈴狐の語り口が引っ張り出した。
「でもあの人にはとてもとても悲しい出来事があってね、心に傷を負ったまま一生を過ごしたの。ずっと悔やんでた、悲しんでいた」
「何があったの」
「それはとても長いお話。だからまた今度ね」
「う、うん」
言葉を濁すことからして、それは話すだけでも本人に苦痛の伴う過去だと思う。なら、深く追求はしない。
「私もねぇ、それでもあの子が健やかに幸せでいられるように頑張ったんだ。でも、寄り添って支え続けていても……その傷は癒せなかった。最後までその痛みを忘れさせることが出来なかった。天上位の精霊獣が聞いて呆れるよ」
自嘲的に、鈴狐は言う。彼女であっても無力さに打ちひしがれることがあるのか。
「最後に……天寿を全うする少し前にあの子は言ったんだ。『もしも、自分がこの世界に生まれ変わるのなら、今度は後悔の無い人生を歩みたい』って。そう、私にだけ打ち明けたんだ。英雄の本音を」
讃えられ神格化されようと、アルファロランも普通の人と変わらなかった。
「私、誓ったよ。また、この世に生まれて新たな人生を送るのだったら、今度こそ私が後悔の無い幸せな人生を遂げさせたいと。たとえ記憶を失くして、まるで別人になっていようと、必ず見つけてみせる。そう、約束したんだ」
「でも、鈴狐は俺が呼び出した。これじゃあ俺といて会えな……」
「そう、それこそ揺るぎない証なんだよ。私を呼び出せるのは、同じ波長を持った人だけ。そうなるようにしていたから。つまり」
意を決して鈴狐は告白した。
「アルくん、君こそがアルファロランの生まれ変わりなんだよ」
「俺が、生まれ変わり……」
「きっとそう。私は信じてる、あの人が新しい人生をやり直すべくしてまたシェークリア家に生まれて来たんだって」
気の遠くなるような年月を経て鈴狐は再び相見えた。また現世に生まれ出たかつての契約主と。
自分を呼び出せるのは、生まれ変わったその人以外には出来ない。
いまいち現実味がなく、そして自覚のない話だった。
「そっか」
これまで大事そうに俺を保護してきたのも。俺が傷付くとすぐにフォローに駆け付けるのも。
全てはアルファロランが願った想いの為。狐巫女はそれを叶えようとした結果、今此処にいる。
俺を此処まで支えてきたのは、前世の所以のものだった。
「それが鈴狐の奥底にあったもの?」
「……うん。でもアルくん、私は」
もしもそれが本当だとすれば、俺は言わなくてはならない。
話を聞いている内に、俺の中に別の感情が生まれた。熱く焦がれるような想いに駆られ、俺は言葉に出す。
「俺といるのは、アルファロランの頼みだったから?」
「えっ、ち、違うの、別にアルくんのことを」
「良いよ、弁解なんてしなくて」
俺の反応に不安を覚えてか、慌てて付け足そうとする鈴狐の頭に、手を伸ばす。
何者にも畏れを見せたことが無い彼女が目を閉じた。
まるで飼い犬が振り上げられた手に身を竦ませるように。
「そんな口約束で此処まで……。ありがとう。ということは、生まれてくるまで鈴狐は待っててくれたんだね。何百年もの間、独りでずっと……俺なんかの為に」
その累積を考えるとちっぽけな対価でしかないが、彼女の狐耳の間に手を置いた。前後に撫でる。
「頑張り過ぎだよ鈴狐。人間じゃ想像できない程大変だったじゃないかそんなの。でも、すげぇ嬉しい。そこまで思ってくれてたなんて」
「……あ、そっち?」
「なんか変だった?」
「いや、というより、それまでシェークリア家の人と契約しなかったから衰退して恨まれたーとかアルファロランの代替としか見ていなかったのかーとか言われてもおかしくないと思ってたから」
「ネガティブな発想にならなくて大丈夫だよ。俺、今まで一度も鈴狐のことを疎ましく思った事なんて無い。これからもそう思わないつもりだ」
俺は鈴狐からの想いの意味を知り、今までにない程彼女への感謝の気持ちに溢れた。
父からは一切与えられず、母の早世から絶たれた愛情は鈴狐から貰い続けていたのだ。
これより俺に欲する物があっただろうか。これ以上に高望みする物があるだろうか。
尊くて、愛おしくて、何をして返せば良いのか分からない。
「最初に会った時から、『アルくん』と呼んでただろ? ということは、女性だったアルファロランと一緒くたにしてる訳じゃないんだ。ちゃんと棲み分けていることぐらい、分かるよ」
俺は俺。記憶も自我もある。前世が偉人であったのなら、それは誇らしくあろうという糧になる。
「……そう、だけど」
しばらくそのまま撫でられて俯いていた狐巫女の唇が微かに震え出す。感極まった感情を抑えている。
「それよりさ、情けないよな。こんなに恵まれてたのに、落ち込んでばっかり。自分が不幸な人間だと思い込んでウジウジし掛けてたんだ。鈴狐に申し訳ないよ」
「……」
「何か出来ることがあるなら言ってよ。俺だって鈴狐に何かしてやりたい。今まで沢山、本当に沢山甘えさせてく……ぅっ」
俺の頬に、口づけが触れた。離れた彼女の顔を見ると、琥珀の瞳は潤んでいる。
もう一度、今度は不意打ちではなく顔を近づけて来る。しかし接触したのは唇ではなく、鼻と鼻同士だった。
「好き」
密接に触れ合う中で、短くも濃密な感情の籠められた言葉が嫌な記憶を熔かす。
「嬉しいな、嬉しいなぁ。アルくんといられるだけでも充分だったのに」
狐巫女は俺の胸板に頭を預ける。さっきよりも、ゆっくりと頬擦りする。その表情は頭部に隠れて見えない。
「此処まで受け入れてもらえるなんて、嬉しいなぁ……ほんとうに、大好き」
俺は、応えるべくその背中を撫で下ろし続けた。それからすがりつくようにしていた彼女は見上げる。
「ねぇ、これからは私もアルくんにお願いしていいの?」
「うん。何でも」
「……じゃあ、どろんっ」
小狐の姿になって俺の懐に乗った。俺が受け止めると「ぎゅーっと抱き締めて」と催促した。
言われるがままに包む。モフモフの柔らかい生き物の感触が伝わる。
こんなことでも、彼女は満足してしまえるなんて。もどかしくなるほど健気だ。
「今の私、情けないよねぇ。ずっと支えて行こうと思っていたのに、支えられちゃうなんて」
「そんなこと無いよ、今までの分を返したいくらいだ」
きっと彼女は心の片隅で長らく不安に思っていたのだろう。
真実を知った時、もしかしたら俺が拒絶の想いを口にするかもしれないと。
それが解消された今、互いに幸福を噛み締めて重なる。改めて実感した。俺、凄く幸せだ。
隣では真噛が健やかに眠っていて、鈴狐が懐に身を預けている。身の周りには心休まる至福があった。
鈴狐の方から此処までこちらの愛情を求められるのは俺にとっても喜ばしい。一方的に甘えてくれるようになったのが嬉しい。今思えば、見返りなく彼女は俺を支えて来たのだから。
「このままアルくんの腕に抱かれて眠りたいの。良いかな?」
要求は、些細なことだった。
その気になれば俺はこの身体をどんな風にも捧げたって惜しくは無いのに、小狐はただ抱擁で満足してしまう。
「いくらでも。これからはもっと鈴狐を大切にしたい」
「私こそ。大事に大事にしていくよ、アルくんのこと。子供のように弟のように……そして」
「そして?」
「んふふなーんでもないっ。今度こそ寝ましょ、おやすみぃ」
「おやすみ鈴狐」
俺はそのまま横になる。腕の中で小さな温もりを抱きかかえ、安らかな微睡みはゆっくりやってきた。




