妹の葛藤。アリスサイド
アリス視点
どうしてこうなってしまったのか。
胸中で延々とこの言葉を繰り返しながら、私は校舎の外まで走った。人がいないところで壁にもたれかかり、ずるずるとその場で腰を降ろしていく。
そうしてしゃがみ込んだ私は、膝に顔を落とした。
息切れが収まっても動悸が止まらない。未だに浮かんでくる、兄さんのあの顔。
まるで鉛を呑み込んでいるのに、我慢しようとして必死になるようなそんな表情。そして、謝罪の言葉。
ごめんね、アリス。
「何なのよ……」
今回は、半ば当てつけで放ったような言葉だった。確かに兄を責めることは然るべきなのは間違いない。でも、これは違う。
アルフ兄さんは、10歳の誕生日を境に突然家からいなくなった。父ももう一人の兄も居場所を知らず、そして追求することを固く禁じた。
父は厳しい人だ。「アイツを二度と家族と思うな」という言葉が出るからには、きっと私の知らない内で問題があったのだろう。
たとえば、跡継ぎを目指していないから自分のやりたいことをやるとか。そういう事で出ていったのだと。
何より確信があった。アルフ兄さんには密かな夢を持っていた。
それは、退魔士になりたいというかつての私達の先祖が活躍した出来事への憧れ。何度聞いただろうか。
私は、大胆にもそれを実行すべく家を出て何処かの専門家に教えを乞いに行ったのだろうと考えた。
跡継ぎという反対を押し切る為、自由にやる為に。昔から頭の良かったあの人なら、多分傍目では無茶な行動もしっかりした人生設計として組み込んでいる。
もう一人の兄は跡を継いだ後一人暮らしとなり、母は物心がつくより早く逝去して私と父だけが残された。
女として生まれた私は教育もそこそこに、多分普通の常識と上流社会の付き合い方を学ぶ程度で自由に生活することが出来た。そういう意味では進路までガチガチにされている兄二人は窮屈だっただろう。
医者か政治家か、兄さんにとってはきっと夢を破り捨てられて選ばされる道のり。
だからアルフ兄さんが家を出たいという気持ちは仕方がない部分もあると思う。でも、やり方が聡明とは到底思えない。ましてや家族に黙っていなくなるなんて、薄情ではないか。
私は禁じられていながらも、アルフ兄さんのことを水面下で捜した。数年以上に渡って。アレス兄さんもさりげなく手伝ってくれた。
5年の月日が経ち、遂にようやくその所在を掴むことが出来た。心が躍った。そして、一言言ってやりたかった。
今まで何処で何をやっていたの!? 好き勝手やっていて健在であったのにも関わらず音沙汰なし。叱って当然だ。こちらがどれだけ心配したのか、そして……どれだけ心細かったのかをなじらなくては気が済まない。
ただ、ストリートチルドレンになっていたり故人となっていなくて何よりだ。そこはホッとした。
兎に角、一旦家に戻らせて父に謝罪をさせる。そして、私も一緒にお願いしてまた家族のよりを戻させる。それで、また元通りだ。
それから、兄さんの選んだ進路を祝おう。兄さんの手伝いが出来たらどれだけ良いか。最初は張り合う為に目指した退魔士という職業も、一緒に出来たのなら……
だが、兄の仔細を把握した時、彼自身が自ら家に顔向けしようにも出来ないのだと悟った。まだ、夢見る退魔士という活躍には縁遠い下っ端雑用を天下の退魔支社『北斗』であくせくと働いているのだから。
それが家族との時間をなげうって、切り捨てた成果?
当初は呆れた。5年も家を空け、これだけ大胆なことをしておいて、全く実を結ばない実態を見に行くということはあまりにみっともなく悲惨な再会となるだろうと。
さらに翌年。あろうことか、兄は自分から私が通う学校に現れた。
もはや素直に喜びたいという気持ちは失せ、ただただ苛立ちだけが募る。
その決め手として彼は、家には戻らないと頑なだった。父にも謝る気など更々無いとまで。
ふざけるな、だ。あれだけ心配を掛けて、何故のうのうとしているのか理解に苦しむ。
確かに少したくましくなってはいたが、あの少々気弱そうで穏やかな顔は覚えている。でも懐かしんでは駄目だ。心を鬼に、私は毅然として反省するまで許してはならないと決めた。
そんなことを露知らずか、私に普通に接して──腫れ物に触るぐらいには気を遣っているようである──くるのだからどうしようもない。アルフ兄さんが折れるまで、この均衡は続く。
そしてこの一月。何度か戻れと言っても返事は同じで、兄さん自身から私に対して何も言ってこない、
そんな積み重ねが、今こうして爆発してしまった。手元に握り締めたチケット。これがきっかけだった。
近日行われるパピリアのライブ。そのスポンサーに家が関わっている為、その優先チケットを貰っていた。
だからレイチェルとロベルタに予定を聞いて、一緒に観に行くつもりだった。何の気なしのお誘いの筈だった。
しかし二人はこんなことを言い出した。
「お兄さんを誘ってあげなよ。仲直りをするのに良い機会じゃん」
「私達は大丈夫だから。久しぶりに兄弟で行ったらどう?」
分かってない。本当に二人は分かっていない。そういうことは、兄の方から和解をしてからなのだ。
このままこっちが許してしまっては、結局兄さんは家に戻らないではないか。
議論はヒートアップしていき、吐き出した感情は不幸にも当人のもとへ。
本来であれば、傷付けた言葉を放った私が謝る必要があった。
しかしアルフ兄さんはその言い分を甘受し、そして申し開きも無く謝った。
ごめんね、アリス。私にはそうして謝るのに、どうして家には戻らないの?
怒鳴り返してくれたら楽だったのに。罵ってくれれば自分を諌められたのに。引っ込みがつかなくなってしまっている。
分からない。兄が分からない。あの優しいままで何かが変わってしまった兄は一体何を考えているのか分からない。
良心の呵責が苛める。私も謝るべきだが、けれども許してはならない状況で謝ることが出来るほど器用ではない。
だが、それ以上に鮮烈にあの悲しそうな表情が頭から離れない。
「どうして……こうなるの」
ポツリとした呟きと一緒に、生暖かい水滴が地面に滴った。意味もなく傷付けたい訳じゃないのに、本当は早く『兄弟』に戻りたいのに。兄さんは、元の場所に戻らない。
また、忽然と消えてしまったらどうしよう。ショックを受けて、また私の前からいなくなる。そんなことを考えたら足元に穴が空くような感覚に襲われる。
「アリス」
傍らで、低く野太い声で獣が声を掛けて来た。それは大きな虎だった。ただの猛獣だったのであれば、悲鳴をあげるところだっただろう。
だが、この虎が自分の精霊獣であると把握している為動じることはない。問題は呼び出していないという点である。
指の腹で目元の湿り気を拭い、私は言う。
「……勝手に出てこないでよ虎土」
「契約主の内部にいると激しい感情が伝わってくる。心配したんだ」
虎はそう言った。中位以上の精霊獣は言語を話す個体が多くなるだけでなく、こうして呼ばなかろうが向こうの意志で出てくることも多々ある。
「アリスの兄上のことで、また泣いていたのか」
「またって何。そもそも泣いていない」
「大丈夫なら、良いんだが」
「平気よ。貴方は中でゆっくりくつろいでて頂戴」
大人しく虎土は私の中に戻った。厳つい猛獣の姿でありながら心優しい精霊獣だ。
葛藤は一旦ここまで。めげてばかりじゃ意味が無い。
「よしっ」
落ち込みタイムはもう充分だろう。私は立ちあがる。
まだあきらめない。兄の真意を辿り、そして筋を通した和解をするまでは折れないように復帰する。
私は教室を飛び出したことを案じて探し回っているであろう二人と合流することを考える。




