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精霊結界での猛特訓。飴と鞭は使いよう

 ずっとこうして甘やかされていたらダメになる。そんな僕の心配は杞憂だった。


「……ヒィ……ヒィ……ハァ、ハァ」

「ほーらほら、頑張ってー。男の子ー」

 果てしない鳥居階段を一気に駆け上っては駆け降りる。上下移動を僕は繰り返す。


 まずは体力をつけるということで鍛錬が始まった。今はその基本的な階段昇りの真っ最中。

 鈴狐リンコの指導は温室育ちだった僕にとってかなりのスパルタだ。

 社会と隔絶された何のしがらみも無い精霊結界の中では時間がたっぷりとある。一日一日を修業に明け暮れた。


 その階段を登りながら岩を運んだり、数キロに渡る渓谷の川を泳いだり、時には崖でボルダリングもした。


 窮地や危険には神風のように彼女は駆け付け、全身が筋肉痛で動けなくなろうとも、応急的に体力と一緒に治療してくれるので毎日を休まずに鍛え続けることが出来た。


 ただ適切な休憩と水分、栄養補給も欠かさない。逐一休む時は膝枕で、もたれかかった彼女の胸でサンドイッチにされるという謎の休息法をとった。飴と鞭だそうだ。


 そして鍛えるのはもちろん肉体だけではない。人の内部にも宿るようになった精霊力を高める精神修業にも励んだ。容量を増やせば魔法といった精霊力の扱いの幅が増える。何より豊富な魔法の教師は目の前にいて学ぶことに困らない。


「目標として、いずれは上位の荒魂あらたみたまを調伏出来る実力を身に着けてもらいます」

「じょ、上位クラスの荒魂あらみたまって確か退魔士単体じゃ対応できないレベルだよ!?」

 荒魂あらみたま。邪気によって精霊獣が天災に一転した存在。それを浄化あるいは打ち滅ぼす──調伏するのが退魔士の役割だ。


「そう。精々並みの退魔士だと一人では下位の荒魂あらみたまぐらいしか倒せない。だから精霊獣と連携するのがセオリーだよ。良く知ってるねぇ」

「その手の勉強を魔法の習得と一緒に学んだから」

「でも英雄アルファロランはそれくらいお茶の子歳々で闘えたよ。だからその英雄になり得たんだから。私といればそのラインも目指せるさ、一緒に頑張ってこー」

 責任をもって、その高みに近付けることを保証した。鈴狐リンコの宣言に僕は必死で応えることに尽力した。


 年月を掛ける修業は、徐々に本格的なものに変わっていく。

 体術、刀術、杖術、弓術、棒術、槍術、精霊魔法のいろはも学んだ。

 どちらかというと僕は武闘派に尖っている。


 師である鈴狐(リンコ)は武芸と魔法の卓越した技量を誇っている。

 例えば技のひとつを見本として行った時は、


「──はい、これが鉄山靠てつざんこう

 ズンッ、という音とともに何十キロもあろう太い樫の丸太が狐巫女の流れるような肩打ちで吹き飛んでいく。


「コツはねぇ、この山を踏み潰すような勢いで震脚するの。その力を循環させて放つことかな。これくらいなら肉体強化無しでもいけるだろうし、とりあえず5メートル目標で行ってみよー!」

「いやいやいやいやいや! どうやってこんな凄い威力出すの!?」

「んー、アルくんねー。素人が例えばこの功夫カンフーを目の前で見て凄さは一目で分かっても、本質を知ろうとしない限り進歩は難しいように。まずは習うより慣れろ、って言葉があるの」


 優しいお叱りである。最初から不可能かどうかを考えていては駄目だと。……冷静に考えてみたら無茶苦茶な。

 ついでに「功夫カンフーを教える私はさながら看狐カンフー! あれ? あんまり面白くない? あ、そう」と言っていた。


「ある昔の人は舗装されたコンクリートの上で震脚を繰り返していたら、足跡のようにヘコましてたらしいけど、そんな達人なら多分これくらいは出来ただろうし。アルくんだってやれば出来る、出来る出来る出来る!」

「わ、分かったよとりあえずやってみる」

「ちなみにその人が突きをすると、打たれた人の顔の穴という穴からおびただしい量の流血が吹き出──」

「怖いから! そういう話怖いからやめて!」



 他にも組み手では掌打、突き、肘打ち、膝蹴りといったあらゆる手法で仕掛けた攻撃を全ていなされてしまう。こっちは避けたり防いだりで精一杯だ。

 徐々に動きのキレが鈍った所で、腕を掴まれてぐるんと投げられた。


「うわあああ?!」

「おっと」

 僕が頭を地面に打たぬよう、後ろに手を回して支える。「あ、ありがとう」と言って自分の足で起き上がる。


「まだ予測が足りないねぇ。格闘の流れから次、何が来るのかを支配あるいは先読みしないと」

「どうやって、そんな詰将棋みたいな、ことが出来るの?」

「経験かな?」あっけらかんと、鈴狐リンコは言う。そんなのすぐに身に着けられるものでは無いだろうに。


 だが、彼女の指摘する組み手の流れに翻弄された影響で、普段以上に体力の消耗が激しく僕は今も息があがっている。

 この狐巫女は本物だ。武術家の目指す頂きに至った者達の一人であると、確信が持てた。


「じゃあさっきの組み手での反省点を考えるがてら、稽古は休憩。私も汗かいたし」なんて、息ひとつ乱さぬまま鈴狐リンコが提案する。

「うん。少しそこらへんを散歩しているよ」

「分かった。あまり遠くに行かないよう気を付けてねー、と言っても此処は精霊結界の中だから危険な生き物はいないけど」


 僕は狐巫女と別行動。たまにはこの結界内を散策するのも悪くない。

 山や谷が広がる自然は厳しい修業に利用出来るだけでなく、こういった気分転換にも一役買っていた。


 静かな世界で動く物はいない。此処も一応、精霊界の一部らしいけど、あまり人の世界と変わらないな。

 普段なら泳ぐために利用していた渓流を沿って歩く。その時は必死だったが、穏やかな流れに心が洗われる。


 ちゃぽん、という水面から何かが跳ねる音が浅瀬の方で聞こえた。魚が飛び跳ねたのだろうか? いや、いる筈もない。

 一体何だろう。不思議に思って見に行くと人魚が泳いでいた。


 と思ったら、その正体は清流で沐浴していた鈴狐リンコ本人である。てっきり家に戻ってシャワー浴びているのだとばかり。

「わっ?!」

 遠目からでも分かるが勿論彼女は裸だ。しまったと思い、すぐにその場を離れようとする。これでは覗きだ。


 だが、時すでに遅し。金の髪をとかしていた狐巫女は、こちらに気付いても特に騒ぐ様子もなく口を動かす。意味は何となく分かった。

 ス・ケ・ベ、と伝えてニヤニヤする彼女から草木を掻き分けて逃走する。顔に熱が帯び、この後どう顔を合わせれば良いのか悶々と僕は苦しんだ。さっきの組み手のことなんてとっくに吹き飛んでいた。


 そうして、その日も空が夕焼けに色づき始める。

「そろそろ帰って夕飯の支度だねぇ」

「今日は結構家より遠くでやっていたから、歩きじゃ戻るのに日が暮れそうだよ」

「心配は御無用。アルくんちょっと失礼」

 いきなり僕の身体を軽々と持ち上げ、お姫様抱っこの状態で鈴狐リンコは跳躍する。真綿に包まれるような感覚と共に、視界が上昇した。


「ほっ、よっ、ほいっ」

 木々のてっぺんを乗り移り、山々を瞬く間に越えていく。その目まぐるしい帰宅にも、少し慣れつつある。

 僕は鈴狐リンコを信じている。だから、こんな絶叫マシンも真っ青な空中移動でも怖くはない。


 橙色の日輪が、ゆっくりと地平を降りていく。眺める彼女は耳元で言った。

「私はさぁ、此処のこの時間の景色が一番好きなんだよ」

 その陽光を浴びた金色の髪は、とても輝いて綺麗だった。

 見上げていると、ん? という反応でこっちを見る。


「……ぼ、僕も。眺めていると疲れを忘れられるよね」

 思わず目を逸らし、景色の良さに同調した。

「へぇ、奇遇ってやつかなぁ。んふふ」

 と言いながら、狐巫女は相好を崩していた。どうやら違うものに見とれていたことに気付かれたかも。


 シェークリア家の屋敷では考えもしない、穏やかでこの夕日のように温かい毎日が過ぎていく。

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