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天上の頂を越えた者。決着



「……ぐ」

 上空で流れる風を頬に受け、小鬼は目を覚ます。サスペンダー服は焼け焦げ、袖が裂けていた。

 群青の鱗にびっしりと覆われた長い体躯の背に彼は跨っていることに気付く。

 その先端にあった枝分かれした角のある横顔を傾け、龍の精霊獣は言った。


「おや? 気が付かれましたか。いやぁ蘇生が間に合いましてよかったですねぇ」

「……ミズチか」

「間一髪のところで何とかお救い出来た次第で。幻術を用いたので、鬼達にとっては随分味気ない肉だと思っていらっしゃるでしょう。ただし、残念ながら貴方様だけでも拾い上げるのが関の山でした」

「……シュテンは」

「もうあそこにはおられません。人間界へ向かったのかと。離れた場所から凄まじい影を見ました。我々も戻りましょう」

「他の奴等はどうした」

 答えは沈黙で返す。小鬼も閉口した。

 その気まずい空気を破るように、背後からやり取りに混ざる者がいた。


「連中も運がなかった。まぁ、生憎どんな人間でも全員助け出すほど俺と水蛇(ミズチ)は聖人じゃあないんで。奴等のやってきたことを考えたら、これもツケが回った結果だと思いますよ」



 空中遊泳する龍に同乗していた赤髪の青年は、気さくに羅角(ラカク)に向けて話し掛けている。

 アレス・シェークリア。シェークリア家の長男で、すなわちアルフとアリスの兄である。


「そうかよ」言葉少なげに羅角は呟いた。アレスが破れたハンチング帽を手渡すとそれを目深に被る。

「羅角の旦那も結構慈悲深い。それより生還を喜んだ方が良いですって。オルタナ、すげぇ心配してるんじゃないでしょうか?」

「ああ、どうやら死に掛けたせいで契約が途切れ……って、お前に関係ねぇだろボケ!」

「ははッ、俺は彼女の友人ですから」

 小鬼の噛みつくような文句にも、アレスは笑って流した。


「良いかアレス、確かにお前らの功績は認めてやるが、これぐらいでオルタナとは付き──」

「おっと、ご歓談中に失礼。お二人とも、正面をご覧ください」

 背中で騒いでいると、先頭から水蛇が口を挟んだ。


 雲の下を縫うように空にいた一行は、天から太陽とは異なる光が一面を差し込む光景に目を奪われる。



 同時刻。『神命』の里にある本殿では白い狐人が慌ただしく中へと駆け込んでいた。

「ウカ様! ご報告が! たった今! 上空から眩い光が……!」

「存じている。イナリよ、狼狽えるな」


 奥で鎮座する神なる獣は、瞼を閉ざして天井を仰ぐ。


「時にイナリ、何故精霊獣が格位を高めるにつれ、人の象りへと近付いて行くのか存じているか?」

「は、はぁ。皆目見当も」

「元々、我等は人と同一にして高次の存在。その名残が今も受け継がれている。すなわち、原初の姿へと回帰しようとする阿頼耶識の産物。……もしも違えたはずの天上の獣と人がまた交われば、頂きを越えるに至るだろう。今起きているこれは、その兆しだ」

「つまり、ウカ様と同じ──神霊獣が誕生したと……!?」

 無言で宇迦(ウカ)は頷いた。



「目覚めたのだ。失われし理を復活させた、新たな神なる獣が」


 落下しながら鬼の王咒天(シュテン)はガベルの顔を凍り付かせた。

 信じられないものを見るように、眼下で起こった奇跡の光景に目を奪われていた。



「……ありえん」端的に現状を否定する。

 それから首を振り、仙人の衣を輝かせる黒き狐の姿を睨みつける。


「ありえん。ありえん。ありえん! ワタシが苦心して人間を取り込んで尚、成し得なかった神霊獣になるだと? この状況で? ふざけるな。ふざけるなよ」

 神視を得ていたアルフを目の敵にしていたが、それ以上に憎悪をたぎらせる。


 そんな彼の悪態をよそに、黒狐は持っていた錫杖で荒れ果てた地面を強く打った。清涼な鈴の音が辺りに広がる。

 光の波紋と共に、元の綺麗な路面に塗り替えられていく。漂い続ける光は、大気中にも伝播した。


 損壊あるいは倒壊していた建物群も瞬く間に復元され、あたかも何もなかったかのように修復されていく。それは、被害があったという因果の改竄。回復や再生などという表現では生温い事象が発生している。


 地上目前にまで迫っていた八十禍津神(ヤソマガツガミ)もその影響を受けたのか、苦し気な悲鳴をあげて再び上空に追いやられる。山のような巨躯を一時的ながらも容易く退(しりぞ)いた。

 神なる獣さながらの所業に、鬼の王は感情的に吠えた。



「ふざけるなァあああっ!」

 頭上から数えきれない鋭利な銀器を雨あられと振り注ぐ。槍、太刀、鎚、斧。種類も豊富な武具が飛び交う様はこれまで以上に殺意の権化を表していた。


 来襲する咒天の攻撃に対し、黒狐は素手を前にかざした。

 掌で空を打つ。勁の力が空気を伝い、壁となる。

 アルフ・オーランが扱っていた真空(しんくう)波濤暗勁(はとうあんけい)を繰り出し、攻撃を阻む。

 しかも弾かれるよりも早く、数々の銀器は光の泡となって風に流されていく。



 数の暴力を無力化された咒天は次いで、傍らから高層ビルよりも巨大な銀器を産む。

 手数でダメなら質量で攻める。手に収まらぬ刃の柄を、押し込むように放った。

百器也業(ひゃっきやぎょう)終幕(しゅうまく)空亡剣(そらなきのつるぎ)!」



 轟々と唸りながら影が周囲に差し迫る。地面に突き立つだけで再び都市エレメアは壊滅的な被害をもたらすだろう。

 そんな超重量の落刃を前に、今度は錫杖を前に出した。回避の気配を見せない。

 数秒と間を置かず、接触する。


「目障りだ! 潰れろ!」

 だが、衝撃に備える必要はなかった。しん、と音が制止する。

 地面と刃の間で、杖で受け止めた彼がクッションとなっていた。微動だにしなかった。


 それからけたたましい金属が鳴り、垂直になっていた巨大な剣は砕け散った。

 粉々になった破片も地に落ちる前に霧散していく。



 最大威力の百器也業ですら通用しない。ビルに降りた鬼の王はそんな事実に打ちのめされる。

 格が違う。咒天はそれを理解し、わなないた。

 彼は神霊獣へと近づく為に様々な手を打った。人間に乗り移り、力を馴染ませても全盛期とさほど変わらず、それではと人間を取り込ませた荒魂を用いて対極の存在を産み出そうとした。

 しかしそれらは所詮紛い物。そう悟らざるを得ない。



「それだ……その輝きだ。傲慢な光め。お前達がそうして周囲を強く照らせば照らすほど、影は色濃く映るのだ。日陰者がより暗闇へと追いやられることを気にも留めない。分かるか? 押し付けられた不条理がどんなものかを」

「……」

「それを知らずして、我が物顔で立っているなよ……濁してくれる!」



 咒天の(かいな)からドス黒いものが噴き上がる。そのまま胸に手を当てる。

 彼もまた、貯め込んでいた瘴気を堕落の力として用いた。

 食いしばるようにして犬歯を剥き出しにし、鬼の獰猛性を露わにする。獣のように唸った。



 斜め直下に飛び出す咒天と黒狐は一騎打ちを始めた。

 銀器を携えた猛攻を、錫杖で受けて後退する。火花が散り、音が爆ぜる。

 建造物が余波で砕け、そして元通りになって行くのが繰り返された。



「グォオオオオオオオオオオオオオオオ!」

 咆哮と共に鬼の繰り出す剛撃はことごとくいなされ、防がれる。それでも止まらない。

 身の周りからも銀器を顕現させ、手数を増やしても狐には届かない。

 


 ようやく黒狐が動いた。ずっと片手でいなしていた彼は、空いた手で胴に掌底を打ち込む。

 勁と精霊力が織り交ざり、破裂するような衝撃が起こる。咒天は遠ざかる。



 路面を削り──たちまち修復した──呻きをあげて、彼が地を這う番だった。

 悶え、痙攣しながらも全身から黒い霞を漂わせた鬼の王は立ち上がる。


「お、の、れぇえ……!」

 罵りながら、周囲にまき散らした瘴気が再度集まり、銀刀に収束させている。

 すると黒い狐は錫杖を消した。代わりにその手に小金の光を宿す。



「……」

「貴様ら、如きに、ワタシが……この咒天がァ……!」

 同時に飛び出した両者は、最後の一撃に臨む。

 振り降ろされた怨嗟の一太刀と、煌めく拳が交差した。


「劣ってはならんのだぁああああああああああああああ!」


 王の怒号から間もなく。二人は正面衝突した。

 鬼の懐に狐の拳が入った。

 狐の面に鬼の刃が通った。



 目の前で立ち止まる二人。

 咒天の背中を、徒手が貫いている。

 黒狐の面は、太刀を受けて割れた。



 アルフの素顔が露わになった。瞳は琥珀の光を湛え続け、静かに目の前の相手を見据えている。顔で受けるように間合いを合わせ、やり過ごした。

 己の胸を穿った腕を見降ろして、鬼は喘ぐ。引き抜こうとでもしているのか、掴んで抵抗を見せた。

「こんな……バカな……!」

「終わりにしよう、シュテン。此処ですべての因縁を絶つ」

「ぐぅううう…………フフ、フハ、ふははは」



 すると彼は勝ち誇ったように笑い出す。全身がぼやけ始めた。

「なら、また悲劇を繰り返そう。これを狙っていた!」

 言って鬼の王はガベルの身体から自らの意思を霊体として抜け出す。咒天の妖術だ。

 そのままアルフ目掛けて憑依を試みようとする。かつてそうしてガベルに乗り移ったように。


『──神霊獣の器、いただこう!』

「同じことを、繰り返させるとでも?」

 が、黒き狐の身体に触れようとして怨念は弾かれた。よく見ると、彼の身体に薄い膜が張られていた。

 離れた場所で天使が両手を前に結界を貼っていた。彼の企てを予期していた白鷺(ハクロ)の力によって、妨げられる。


『なにィ?!』

「貴方にはもう、誰を不幸にする権利もありません」

 他に付近で取り憑くことの出来る者はなく、やむなくガベルの器に彼は舞い戻る。


 目をぐるりと動かし、焦燥を見せ始める。本当に後がなくなったのだろう。

「ふざ、けるな。まだ……ワタシは──ヨ、ヨト! 聞け! ヨト!」



 動けずともことの成り行きを見守っていた兎童女に咒天は必死に呼び掛ける。

「ガベルの肉体が滅ぶぞ! いいのか!? ヨトォ!」

「……我が、君……」

「ワタシを助けろ! さすれば約束を果たそう! 今度こそ……」

「……もう、この世にはおらぬ。我が君は、死んだのじゃ」

「んなッ」

 沈痛な面持ちで彼女は言った。今までになく鬼の王は顔を引き攣らせた。

 兎は涙を一筋流し、瞼を閉じる。そして懇願した。



「やっておくれ。さらばじゃ、亡霊よ」

「よ、よくもォこの阿婆擦れがァあああああああああ──」

波濤滅勁(はとうめっけい)



 ガベルの器共々、鬼の王は光に葬られた。


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