顔を合わせた最悪の二人。禁忌の突破口
目が覚めると酷く喉が渇いていた。朦朧とした意識が、徐々に機能し始める。
空気は埃っぽく、それでいて薄暗かった。窓から頭上に差す光に思わず顔をしかめる。
だが身体は横になっておらず、ベルは自分が既に起き上がった姿勢でいることに気付いた。
「う……」
自分は椅子に座らされていた。だが両手は肘掛けの上に縄で縛られ、両足も椅子の脚に固定されている。
拘束され、身動きの取れない状況にいることを理解し始めると彼女は慌ててガタガタともがき、そして周囲を見渡す。
此処は何処だ? いつの間にこんな場所に? 錯綜する疑問に記憶を探り出す。
見覚えのない広い廃屋。何処かの工場跡地だったのだろうか、しかしもう長らく利用している様子はない。つまり、一般人の来ないところにいるということ。
そうだ。自分は確か、精霊獣を捕まえて出荷しようとしている現場に遭遇したんだ。
それで、通報しようとした矢先に背後から電流が走って……
あれからどれだけの時間が経った? 携帯を取り出せず今が何時になっているのかも分からない。それどころか、降りていく筈の太陽が高くなっている辺り日付すらも変わっているかもしれない。
「よう、やっとお目覚めかよ」
「……君は」
コツコツと革靴の音を響かせて座らせたベルの前に訪れたのは、彼女自身見覚えのある人物であった。
短い金髪と強面に三白眼。以前着ていた制服は既に着るのをやめて代わりに黒のジャンバーとシルバーアクセを身に着けている。
筋骨隆々な身体で首を鳴らし、野卑な笑顔を浮かべてベルと向かい合う。
「中々起きねぇもんだから心配したぜ、男女」
「ライアン、レイヴェルト」
そう、彼はかつてアルフ・オーランが転入した際に一悶着を起こし事件沙汰に発展したことで退学処分にされた元エレメア校の生徒だ。それどころか刑務所送りにされている。
しかし、彼はまだ数か月にも満たない期間で檻の外にいた。日の目を見ている。
「こんな場所でまた会うとは。何だ、脱獄でもしたのかい?」
「保釈にゃ金をたんまり積めば大概の奴等も黙るんだよ。生憎、名うての弁護士が仕事してくれてな」
彼の所業は精霊獣の契約による悪用。精霊力がない今、再犯のしようがないという判決だったのだろう。実際彼は直接人命を脅かしているわけでもなく、人権を侵してもいない。
しかし、性懲りもなく精霊獣を苦しめる所業を繰り返す気だ。
「で、君は此処で何を? 一般人にスタンガンを使うような感心しない連中とつるむなんて、更に株が下がる」
「ビジネスに決まってんだろ。アイツらは高値で売れるんだ。ガッコーいた時はこんなことにも気付かなかった手前に呆れるったらありゃしねぇ」
「呆れたのはこっちだよ。小遣い稼ぎなんてするまでもなくレイヴェルト家は裕福だろうに」
言うなり、足元からの衝撃でベルの重心が軽く跳ね上がる。ライアンが椅子を思い切り蹴飛ばしたのだ。
「全部、ブチ壊されたから、だろうが」
歯を食いしばるようにして間近で睨みながら唸った。これでもかと見開かれた目は血走っている。
「あの日からだ、クソにも劣らねぇ泥の味を啜らされたのは……! 中退に追い込まれ、家からは絶縁。どいつもコイツも舐め腐ったことしたせいで台無しにされたんだ。クソ転入生、雑魚精霊獣ども、あの仮面野郎、そしてテメェも含まれているんだぞ、ええ、オイ?」
「……」
「そいつら全部、復讐してやんだよ。手始めにそのきっかけになった精霊獣をとことん利用してやる為に俺はちょっとばかし組んでるのさ」
単なる逆恨みだ。彼女がそう断定せざるを得ないほどの短絡さである。
なんせ、自分の所業や立ち位置までこうも粗雑でいて丁寧にここまで情報を教えてくれたのだから。
「オイ、他人事じゃねぇぞ。お前、このままおウチに帰れるとは思ってねぇだろうな?」
「さて、ボクは、どうなるのかな?」息を乱さぬように努めながら彼女は問う。
「売買は別に獣に限った話じゃねぇ。アジアに人身売買する伝手がいるからなぁ、世界を回ってみようやクソアマ」
そうしていると、ゾロゾロと彼のお友達が中に入ってきた。
「何だライアン、お楽しみでもやってんのかと思った。そいつ女だろ?」
「バカか? こんな男女に手ェ出すなんて気持ち悪いだけだろうが」
「知らんのか、彼女中々の子猫ちゃんなんだぞ?」
「……なッ!?」
ベルの顔が、驚きに塗り込まれた。ライアンとの対面だけでも驚愕すべきことなのに、そこに混ざる人物が信じられない。
「サ、ム、君まで……」
「悪いなベル。こんなことになるなんて心が痛むよ」
端正な顔には居心地の悪さや気まずさといったものは宿っていない。
「ボクに近付いたのは、いずれはこういうことをする為、なのか?」
「いや、違うよ。本当はそっちの両親に掛け合って金のない哀れな俺に工面して貰えるように説得するつもりだったんだ。これなら身代金という方法も悪くない。全く、偶然っていうのは恐ろしいよな」
「反省、したんじゃないのか」
「ああ、したよ。孤児院で君をあんな風な扱いをしなければ、そう回りくどくする必要はなかったからね。過去に戻れたら自分にもっと上手くやれと叱っていたところだ」
彼女は糾弾する。しかし彼は説教なんてもう十分と言わん気に、何処吹く風の様子を見せる。
それでいて本人の弁は、本質的に己の行為を責めてなかった。ただ、不利益を被ったことが勿体ないと思った程度。
更生なんて全くしていない。それを悟ることに時間はいらなかった。
その根拠に、語りながら縁どられた笑顔は、冷たく醜悪であった。自ら望んで行っているということである。
「そこまでして金が欲しいか」
「そりゃあね。恵まれた家族に引き取られた身にはご理解できないだろうさ」
「自分の生い立ちが恵まれなかったことを理由に他人を巻き込んでいいわけないだろう」
「それより昨日の彼、君にとっての白馬の王子様? それともピーターパンかい? きっといないことを知ったら心配するだろうねぇ」
「関係ないって言っているだろ! ああサム・ロレンス! こんな連中と手を組むだなんて! 君には心底見損な──」
「うるせぇ吠えるな黙ってろ! 俺は喧しいのがムカつくんだよ!」
視界がブレて言葉が途切れる。頬を打たれた。当たった箇所が若干赤く染まる。
「オイオイ売りもんを傷付けるな。特に顔はよせ。勿論味見も禁止だ、サムの言うことなら未経験なのに価値が下がっちまう」
「こんな奴、経験あるわけねぇだろ。誰が抱くってんだ」
「いやそれがね、お熱な後輩がいるっぽいんだよ」
「気持ち悪い話すんな……まさかアイツじゃねぇだろうな」
別の褐色肌の男に窘められ、肩を上下しながらライアンは引き下がる。
唇を結び、少女は毅然と囲まれた男達を睨む。自分は今、非常に不味い状況に陥っていることを理解し、打開しようと必死に頭を巡らせていた。
「……やっぱ、あの目は良くねぇよなぁ。生意気だ。少し痛い目遭わせた方が良いだろ、お互いに」
「大丈夫だライアン。アレはかなりビビってる。可哀想だろ?」
サムはそう、笑いながら言った。不本意ながらも馴染みである彼は、自分の性質をよく知っている。
「何で分かんだよ」
「コイツ、唇をぶるぶるさせて顔が強張っている時は、泣く寸前の時さ。昔からこっそりメソメソしてて……変わってないなぁ」
恐ろしくないわけがない。乱暴されることも十分あり得るし、何より自分がこれからどんな末路が待っているか想像出来たものではないからだ。
薬物を打たれるか? 麻酔なしで臓器を切り分けられるか? そんなこと考えれば考える程、身動きの取れない全身が委縮する。
「でもなぁお前も悪いんだぞベル? 見ちゃいけないところを見てしまった。助けられないさ。でも良いよね? どうせ俺の謝罪なんて受け入れてくれないからさハハ!」
「……」
「ああ、泣いちゃう? 良いよ別にせっかくだから大声でワンワン泣いてくれ。此処元々は研磨する工場だったみたいでさ、遮音設計がしてある。近くには人も来ない場所だから、どんなデカイ音でも異変は察知されないんだ。カラオケする? うん?」
嘲笑の声もちらほらと。彼女はかつての孤児院にいた自分を重ねる。
追い詰められたベル・カーデナルはただ悪意に晒されて震えに堪えることしか出来なかった。
だが、彼等は知らない。彼女の中で密かに思いついた打開策が浮かんだことを。
それは最悪と言っても過言ではない選択肢。手の内に核にも劣らぬ危険な爆弾のスイッチを握っているようなものであることを。
「そう……だね。せっかくだから、歌おうかな」
「は?」
「だから、歌を披露しよう。君達に、ボクの特技を見せて評価を底上げして貰おうかな。金を積む客ほど、待遇も変わるだろうし」
震えながら、彼女は毅然と応えた。小さかった無数の嘲りは徐々に大きくなっていく。
それでも不敵な微笑を浮かべ、精一杯の余裕を繕う。そのままハッタリだとでも思っていればいい。
「ばっかじゃねぇの? そんなもんが何になるってんだ」
「おいおいこれ以上笑わせるのはやめてくれティンカーベル。歌手を夢見る歳はそろそろ卒業したらどうなんだい」
「ボクは歌手だよ。パピリアだ」
暴露に歯を見せる者もいれば、首を横に振る者もいる。
「冗談だろ? あんな大物を語るのは少しホラを吹き過ぎた」
「証明しよう。じゃ、この歌声を聞いて判断してくれたまえ」
「待てコラ」
脅すようにまたライアンが進み出た。釘を刺すように続ける。
「あのクソイルカ──翡音は無しだ。此処で助けなんざ呼べねぇと思うが、念には念だ」
「分かっているさ。そんなつもりはない」
どうせ、遮音されて聞こえる範囲もたかが知れているだろう。
だが、歌を止めないのなら全然かまわない。十分だ。
そして彼女は縛られたまま、ゆっくり息を吸った。舞台は最悪、機材もない。頼れる物は実力のみ。
未発表の新曲をア・カペラで歌う。静まり返った工場内に透き通った声音が響き渡る。
怪訝な表情を見せていたオーディエンス達は固まり、野次を入れることを忘れ真顔になって聞き入っている。歌の前では外道も犯罪者も関係ない。
埃塗れで薄暗い世界が、新鮮に色づくようだった。それが光の魔法のように、周囲の印象を塗り替えていく。
そしてその歌声には文字通り命懸けで籠めたものがあった。目には見えないそれは衆目に魅了させる魔力が宿っている。
そしてベルの狙いはまさしくそれを広げることであった。一か八かの賭けではある。
だが確信があった。根拠はないけれど、必ず察知されるという一種の信頼。
やがて、間もなく彼女は口を閉じた。歓声も拍手の喝采もなく、男達はただ顔を見合わせる。
「本物?」
「俺、何曲か聞いてるけど……マジかよ」
「騒ぎになるんじゃねェのコレ」
誰を誘拐したのか知るなり、何人かが及び腰を見せた。ただの一般人ならまだしも、有名人を襲ったとなると悪目立ちするリスクが比類なく高まるからである。
しかし、問題はそこじゃない。何よりそれは直接やって来るだろう。
歌に乗せた精霊力を嗅ぎ付けて。それは遮音壁も透過する。
「もう騒ぎになると思うさ、此処がね」
「あ? どういう意味だテメェ」
「言葉通りだよ……あ、ほら」
屋上を仰ぐ少女は自棄に笑って言った。その視線の先で、物音がした。
窓に誰かが足を乗せている。かと思いきや、けたたましくガラスが砕け散る。
そしてそこから影が侵入した。
ライアン達は拳銃を取り出して「何だ!」「サツか!?」と喚いている。
「来たんだよ、警察よりも恐ろしいモノが」
降り立ったのは、兎耳を生やした着物姿の小さな女の子だった。
血のように赤い目を光らせ、立ちはだかる。猛獣よりも恐ろしき、怪物が。




