番外編。盲目兎の見る夢
真夜中に広がる緑の平野。少女の乙女らしからぬ呻きが何処からともなく聞こえていた。
「うおおぉ……呑み過ぎ、だぁ」
「だからあれ程言ったのに、何でこんな役回りを……鈴狐はどうした」
「んえぇ? なんかいないんだもぉん。だからだすけでよぉガベルたんおっとこまえぇ!うぇへへへへ!」
「あの狐、俺にアルフを押し付けたな……」
完全に出来上がった彼女に肩を貸す銀髪の美少年はそんな風に毒づいた。
お休みいただく為にガベルは村の酒場から寝床に借りた家まで運び出す。不満たらたらでも介抱はきちんとこなす男である。
それに、アルフが浮かれ調子なのにも理由はあった。今滞在している村は今お祭り宴会騒ぎとなっている。
それは常にこの地方を悩ませていた鬼の支配を昼間に彼等とその契約精霊獣達が見事に解き放ったからである。家畜は襲われなくなり、外出も出来るようになったことで活気付いているのだ。
ゆっくりとした足取りで数分。寝所が近づき出した頃、少女に動きがあった。
「……あー。ガベル、そろそろ、平気よ。自分で歩ける」
「何だ、夜風に当たって少し酔いが醒めたか」
「まぁ、ね。半分は、ワザとだから」
「何ィ?」
耳を疑うカミングアウトに彼は眉を吊り上げた。
実際アルフは今までの酔いどれっぷりが嘘のように平然と歩いている。むしろ塀に飛び乗って渡り出す始末だった。
「ほらー、この通り!」
「そのまま戻ってシャリオ達と寝てろ」ガベルは踵を返した。
「わー! 騙してごめん嘘ついてごめんなさい! ほらこの通りちゃんと謝ってるから! お願いちょっと待って!」
拝んで謝るアルフに、怪訝そうな眼差しで振り返るガベル。
「それで、俺に介抱させようとして何がしたかったんだ?」
「ちょっと気分転換に散歩、付き合いなさいよ。戦勝祝いの良い夜じゃない」
彼は肩を竦めて小さく息を吐き、顎をしゃくって歩くのを促した。そのまま塀から降りた彼女と並ぶ。
「どういう気の吹き回しだ。そういう柄じゃないだろ。何か企んでいるな?」
「何にもないって。あたしだって、そうなる時もあるんだから」
ひんやりとした夜の空気が、酒気といい塩梅に打ち消し合う。
「此処良いわねー。旅が終わったら暮らすのも悪くない。お酒がたっくさん呑めるし!」
「言っておくが俺はごめんだぞ、毎晩こんな風に介抱する羽目に遭いそうだ」
「あによ、酒の香りがする女は嫌い?」
「限度というものがある。迷惑かけるくらいなら控えろ」
「チェー」
そんな軽口を言い合う二人の間柄は、長い旅で培った信頼が垣間見えた。
「そもそも、お前にはシェークリアの婚約者がいただろう? アイツのことはいいのか」
「没落する前の話よ、それ。元鞘とかありえない」
「そう、か。お前が良いのなら、構わんが」
「んんー? ガベルってば、もしかして心配しちゃった? カワイイとこあるよねー」
「顔つつくな、オイ! 鬱陶しい!」
からかわれて彼は手を振り払う。頬が赤らんでいるのは、アルコールだけではない。
それをおかしく思ってか、少女はけらけらと笑った。
「安心して。あたしは、一度心に決めた人を──」
そんな男女の仲が深まって行く様子を、草木に身を潜めて覗く者がいた。
知らず知らずの内に唇を噛み、いてもたってもいられず、介入したい衝動に駆られていた。
大切な人が、別の誰かに掠め盗られようとしているのだ。これが黙っていられるか、と。
「邪魔しちゃダメだよ」
背後から諫める声に、その人物は弾かれたように振り返る。いつの間にか狐巫女の姿があった。
「儂が邪魔者か。逆であろ? それならおぬしがお邪魔虫じゃ」
「仲間にそんなこと言わないの、ヨト。嫉妬なんてみっともない」
「アルフなぞに妬いとらんわ!」
「はいはい、大声出すと聞こえるよ」と鈴狐は至って平静に言った。
兎耳を生やし着物を着た童女の姿を持つ夜兎は、ガベルとアルフの様子を食い入るように眺めていた。
「……それに、言われんでも分かっとるわい。我が君が乱入するのを望んではおらんと」
「理解していても納得はしていない、って顔に書いてあるけど?」
「のうリンコ、おぬしと儂が逆であったのなら」
「変わらないよ。もしもあの子が男の子になって誰かに恋して私以外の誰かと結ばれるなら喜んで応援する。しっかり者のガベルになら任せても良いかなー」
同じ光景を見ているにも拘らず、兎童女と打って変わって狐巫女の瞳は二人が添い遂げる将来に対し躊躇の欠片もない。
「人は、人同士で結ばれるのが一番だよ。契約しているからって彼等の人生まで、奪っちゃいけない」
「……あやつらの人生、か」
「とても短く、儚い時間だよ」
彼女の言葉に兎童女は嘆息する。事実それはとても短かった。
短すぎた。
※
夢から覚めた夜兎の視界は、暗闇に包まれていた。しかし、彼女は聴力と精霊力の波長を用いて己が今何処にいるのかをすぐに理解する。
そこは精霊界でも遥か深く広がる奈落の地。とある種族達が追いやられ、密かに生きる場所だった。
草木は生えず、風も吹かないせいでよどんだ空気や所々で瘴気の吹き溜まりとなっている為、立ち居る者もいない。
地獄とも呼べる場所で、岩場に座り彼女は寝床にしていた。
「儂としたことがこの期に及んで、未練がましい……」
目が見えなくなっても夢を視る。とても満ち満ちていた輝かしい頃の過去を。
忌まわしそうな呟きを漏らしていると、傍らから重々しい肉塊が這いずる音が迫った。
肉が腐敗したような紫の色合いを持つ丸々としていて太々しい不出来な鬼だった。体毛は一本たりともなく、剥き出しの頭皮には瘤のような角が生えている。
這い這いで動かす手足は丸太のように膨張し、まるで赤子がそのまま大きくなったような体型を持っている。
「キドウ、か」
「ヨ……ヨヨト。オ、オデ、腹ヘッタ」唾液を零す飢童と呼ばれた鬼は、まるで母親におねだりするように岩場に乗った夜兎に近付く。
「それは気のせいじゃ。過去の経験が錯覚させておるだけであろう」
「ヒ、ヒヒト、人ガ食イタイ。ヨト、外イコ。人ヲ食ベニ──」
「ならぬ。鬼が目に触れてしまえば、たちまち殺されてしまうよ。きやつらは、容赦がない。それが正しいと断じた時ほど、のう──コレ、そのようなもの口に入れるでない。全く」
ゴリゴリと音を立てて付近で拾った石を齧る飢童を窘める兎童女の声音は、荒魂として堕落しているとは到底思えない程に柔らかだった。
まるで、手の掛かる子供を世話するように、かつて殺し合いをした種族と彼女は今共に過ごしている。
「それで、ぬしもいつまで隠れているつもりかえ?」
「エ?」
しかし兎の態度がたちまち冷ややかなものになる。太った鬼は戸惑い、その場が静まり返っていた。
「何を企んでいるのか知らぬが、しらばっくれておるなら引き摺り出してやるぞ?」
「なァんだ。目が不自由だと別の感覚が過敏になるのかしら」
キャハハハと笑い出す嬌声が、響き渡る。
飢童の背後に差す影がゆらめき、そこから人型が現れた。影の中に潜んでいた。
墨で染めたような布服と足袋を履き、妖艶な印象を植え付ける少女の頭部にも、黒髪からかき分けるように伸びた禍々しい二本角が異彩を放っていた。
「キドウ、ちょいと外しておくれ。小面倒な話になるからついてこれんじゃろう」
「ア、ウ、ウン」
「で、何処をほっつき歩いておった、エイラ」
「『神命』の地」
青い口紅から出た端的な言葉に、夜兎の紅い眼が見開かれる。
「巫山戯ておるのか? 皆を危機に晒すような真似を」
「この影鬼影蘿は、お巫山戯に命懸けなもので。これまで一度たりとも尻尾を掴まれたことがないわ」
「そこで何をしておった」
「知らないの? 今日あそこはお祭り騒ぎだったの。良い気なもんよねー。アタシらがこうしてひっそりと生き長らえているっていうのに」
引き裂くような笑顔を見せ、恐ろしく整った歯並びの中で異様に伸びた犬歯が露わになる。
「土産に瘴気をちょっとばかしばら撒いて回ってきたわ。健常な奴には効き目が薄いけど、心が病んでる子は運が悪けりゃ貴女と同じく発症しているかもね。浮かれた畜生どもにはいい目覚ましになったでしょう。こうして何事もなく戻れたということは、瘴気はあのウカの神視も妨げるという証左も取れたことだし」
「泳がされたとは考えられぬのか」
「神域を穢されることが分かっていながら見て見ぬフリするのだとしたら、それこそ神なる獣も底が知れたというものだけどねぇ。あり得る? 少し臆病になり過ぎじゃないかしら」
嘲りの言葉に耳を傾け、兎童女は鼻を鳴らす。反論がないのをいいことに、影蘿と呼ばれた鬼の女は嘲笑を止めない。
「……ああー! そっかぁ、貴女ついこの前に人間界で玩具を失くしたばかりだったわねぇ! 大目玉食らうところを免れたばかりで下手気に──」
言葉は途切れ、肥大化した耳顎が前髪を掠めた。夜兎の一撃で地面は掘削される。
寸でのところで跳び避けた影蘿はそのまま囃し立てるように何度も柏手を打ちながらその場を後にする。
「ヨトさんこちら♪ 手の鳴る方へ♪ キャハァ」
「チィ、鬱陶しい奴め。……まぁよい」
兎童女のぼやきを最後に、その場に沈黙と孤独が舞い戻った。
浸っていた感傷が払拭され、やがて兎は光を映さぬ瞳で地上からはるか遠い場所から光の届かぬ空を見上げる。
「宿願の刻は近い。我が君よ……もう少しじゃ」
神命神楽編 了




