夜明けの告白。葛葉の後押し
気付くと、俺はたくさんの木々が折れ伏した山の中で倒れていた。あの山吹の光はもう息を潜めている。
目の前では小さな茶狐が横たわっており、瘴気の出る様子はなかった。
成功したのか? 荒魂になった彼から瘴気だけを祓って精霊獣に戻せた? 自分が行った実感が湧かず、立ち上がって己の手をみやる。
今の精霊力は俺のモノじゃない。鈴狐の力なのか……
「ご無事ですか! 凄い閃光でしたが……!」
「白鷺、俺は平気。それより野犴を診てほしい」
間もなく視界の開けた森に天使が降り、すぐさま彼のもとで治癒を開始する。
彼女と一緒に着陸した葛葉もその成り行きを見守っていた。
瘴気に蝕まれた影響なのか、体毛に赤い斑点が滲んでいる。至る所で肉体が裂けているのが分かった。
野犴は身動きひとつとらない。生きているのかも疑わしいくらいだ。
「助かるの?」
「安心してください。絶対に助けます……えっと」
「葛葉よ。ありがと」
空が群青になり始め、やがて白んできた頃合いで白鷺は息をつく。その労力もあってか、彼の傷は塞がっていた。
「……峠は、越えたかと思います。ただ、かなりの消耗が見られまして……これでは従来の力も……」
「助かっただけ、断然朗報よ」
本来ならば調伏される以外に救いはなかった筈の野犴が、精霊獣に戻り此処にいるということ自体奇跡的なことだろう。といっても、宇迦様に誘導された結果なのかもしれないが
「アルフ殿! アルフ殿! ご無事かっ!?」
稲荷さんが他の狐達を率いて現場に駆け付ける。
「彼はもう抵抗できません! それにまだ本調子ではないので乱暴は……!」
「お下がりを」
白鷺は周囲に遠ざけられ、野犴を刺又や槍で取り囲む。事情はもう皆に知れ渡っているのだろう。
すると、茶狐は意識を取り戻し、震えながら頭を起こす。
「イナリ、様……あっしは……」
「……ヤカン、お前の身は瘴気に侵されていた。いつからだ? 何処まで覚えている?」
「分かり、ません……ただ自ら、墜ちるところまでは、覚えております。考えただけでも……なんと恐ろしい、所業をしでかしたことも……」
弱々しく彼は語り出す。瘴気による狂気に突き動かされて、あんな行動に至ったのか。
「申しの開きも、ございません……アルフ様に、ご迷惑を……。そして『神命』の顔に、泥を塗ったあっしを……どうかこのまま……」
「無理に喋るな。消耗した身体を癒せ、それから話を聞く。ウカ様がそうお望みだ」
表情を変えず、稲荷さんは自らの手で抱えて連行する。
「ヤカン!」
そんな状況で鈴狐と真噛が遅れて到着した。野犴にとっては今この状況で一番顔を合わせたくない相手だろう。
狐巫女の横顔には悲痛が浮かんでいる。恐らくそれは、事の顛末を全て知っている為。
「嘘、だよね? どうしてヤカンがそんなことを」
「リンコ様……」
「瘴気のせいなんでしょ? 頑張り屋で優しかったヤカンがアルくんを殺めようとするなんて、そうでもないと──」
「……いえ、それは違います」
茶狐は、否定した。
「心の片隅で、アルフ様への嫉妬が、あったのは確か……契約者をこの目で見て。知ってしまえばもう、憎くて憎くて仕方なかった。これは身から出た錆、ですよ……」
瘴気の影響で悪感情を増長されてしまっていたのだとしても、根源は変わらないと。
「あっしには、貴女様が眩し過ぎました。声を掛けられ、励まされた時から、ずっとお慕いしておりました。片時も忘れたことはなく、お傍におりたいと……願ってやまなかった。不敬にも、そんな感情を抱いてしまったこと、御赦しください……リンコ様」
想いを伝えられ、鈴狐は息を詰まらせる。
間を置いて、彼女は項垂れて絞り出すように言った。
「……ごめんなさい」
ははは、と力なく狐は笑う。
「やはり振られてしまいました。分かっています。それでも、お伝えしたかった」
そして、稲荷さんは動いた。
「今後、お前にはリンコと関わらせるような役割を与えはしない。贖罪に相当な時間を費やすことを覚悟しろ」
そう言って鈴狐から引き離すように野犴を連れ出す。
「そのまま忘れられぬ苦しみに悶えるといい。それが今もっとも相応しい罰だ……アルフ殿も、こちらで預からせてもよろしいか」
元から生殺与奪の権利が欲しかったわけではない。穏便で厳粛に処分を降してくれれば文句もないので俺は頷く。
「アルフ様……リンコ様を」
「分かっているよ」
言い残し、野犴は連行されていく。
狐人達が撤収し、取り残された山の中で狐巫女は背を向ける。
「リンコ姉?」
「ちょっと独りにさせて……」
行先も告げずに何処かへと逃げるように飛び去る彼女。なんて声を掛ければいいのか分からず行く末を見送っていると、
「うぐっ!?」
背中に衝撃が入る。葛葉に張り手で強く押された。
「早く追い掛けなさいよ、契約主でしょ」
「でも、もう見えなくなっちゃったし、何処に行ったのか……」
「莫っ迦ねぇ。お姉様が行くとこなんて決まっているわよ。でも自分で考えなさい、ほら行け唐変木」
「トウヘンボク? ──痛っ、わ、分かった。行くからゲシゲシ蹴るのやめて!」
乱暴に促され、俺は白鷺と真噛を残して山を駆ける。心当たりは、確かにあった。
目指したのは里の方。野犴の記憶で視た景色を重ねる。
そこで土手の斜面に座り込む彼女を見つけた。黙って横に並び立つ。
「独りにさせて、って言ったのに」
「此処が野犴と出会った場所なんだね」
ちょうど、緑一色の山脈から朝日が昇る頃合いだった。眩しい光に目が眩む。
「昔、こうしてヤカンと眺めていたんだ。好きな景色の一つだった。本当は行く話になった時、朝早く起きたら此処をアルくんに見せたかったんだ」
そんな荘厳な風景の中で、鈴狐は口を開く。
「でも、今は嬉しくない。やっぱり、こっちに来るんじゃなかった。私のせいでアルくんを危ない目に遭わせちゃった……ヤカンが荒魂になった理由だって……」
「鈴狐は何も悪くないよ。今回の騒ぎは……」
「気を持たせたことから、始まった。そんな風に想っていたヤカンの気も知らないで、数百年だよ? それでも勇気を出して告白したあの子をあんな風に……性悪にも程があるよ」
彼女は力なく自虐し、自嘲する。気付こうとすらしなかったことを、悔やんでいた。
「それは違う。間違っているよ」
「……え?」
「野犴が自分で選んだ結果だ。それで責任を感じているなら、野犴の気持ちを侮辱していることになる。だから、罪悪感なんて抱いちゃダメだ。だったら、さっきの告白を受け入れてしまえばよかったじゃないか」
俺は言いきった。予想していなかったのか、狐巫女は放った言葉に戸惑った様子でこちらを見る。
「確かに、鈴狐が尽くしてくれたから俺は救われたよ。恵まれたよ。ずっと愛情を注いでくれた鈴狐が大好きだ。凄く大切で愛しているし、これからもずっと傍に居て欲しいと心の底から思っている」
「ア、アルくん直球過ぎるよ……」あまりにストレートに言ったせいか、流石の鈴狐も羞恥に顔を赤くした。
そんな反応まで向けてくれる好意は嬉しいに決まっている。
でも言わなくちゃならない。ハッキリさせないとならない。
「俺は覚えていないけれど、それだけ前世のアルファロランと交わした約束が鈴狐にとってはとても大切なものだったのは分かる。でも、その為になりふり構わず全部を犠牲にしてまで望んでいたのかな? 友達を幾ら作っても良いじゃないか。恋人を見つけても良かったじゃないか。白鷺の時と一緒だよそれじゃあ」
彼女の顔が陰りを帯びていくのに心が痛んだ。でも続ける。
献身と呼べば聞こえは良いが、その自己犠牲を尊い喜ぶべきかどうかは話が別だ。
他人の為に頑張って、それが回りまわって今回のような騒動で引け目を感じ、思い悩むだなんておかしい。
「だからこそ、それで今後も鈴狐が何かを犠牲にして後ろ暗い想いをするくらいなら別の道を選ぶべきだと思う。違う幸せを見つけて欲しい。俺なんかより、ずっと長生きするんだから」
暗に一つの可能性を提示する。
それは、俺にとっても心苦しく最悪の選択肢。契約の破棄だ。
「此処に──『神命』に戻っても、いいんだよ? 俺は、もうあの頃のように何も出来ずにいた子供じゃないから」
「……やだ」
立ち上がる狐巫女は肩を震わせた。絞り出すように返事を漏らす。頭を振るった。
「アルくんと、離ればなれになるなんて、嫌だよぉ……」
「それなら、選んだことが性悪だなんて思わないでよ。躊躇わないでよ。今までの鈴狐自身を否定するということは、俺との時間を否定することにもなるんだから」
後悔だけはして欲しくない。聞けば、前世の俺がそうして生涯を終えてしまったそうだから。
「鈴狐が俺を幸せにしようとするように、俺も寿命が続く限り鈴狐を幸せにする。約束する」
照らされた陽光の下、狐巫女はしゃくりあげながら頷き、縋りついた。
「ありがと……」
彼女は涙をよく見せるようになった。誰よりも明るいが、その反面非常に繊細であることを知っている。そして、それをひた隠しにしてしまう。
けど、それが俺を気遣わなくなり、心の支えになりつつあることへの表れであるなら、願ってもなかった。




