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都市エレメアの異変。精霊獣達の大騒動



 これは、初めて身近にいる者達から恐怖というものを覚えた時の事件である。

 きっと俺は、この日のことを忘れることはないだろう。

 その事件の前兆とも呼ぶべき異変は、朝から始まっていた。



 普段通りの起床時間。普段通りの寝室。誰よりも早く、目を覚ました俺は身体を起こす。

 テレビを点け、ニュースを流していると専門家とコメンテーターのやり取りが聞こえてくる。



『……それでは、昨晩に突如としてあちら側から氾濫したそれらが、私達や精霊獣には何ら悪影響はないということでよろしいですか?』

『基本的には、その見解でまず間違いないでしょう。ただ、必要以上の摂取は何らかの不具合は懸念されるでしょう。アルコールと同じです。元来精霊力というものは、精霊界の大気中には極めて肥沃に含まれているものです。それらが圧倒的に希薄なこちらに何らかの理由で流れ込む力が働いているとするのなら、自然に起こりうるとは判断しかねる現象なのではないかと。昨日今日では、流石に原因が究明出来てはいませんが……微量ずつながらゆるやかに減少傾向にあることから一過性の物であるだろうと結論が出ております』

『なるほど、では今日は下手気に彼等を出さずに留めておいた方が賢明というわけですね。 いやぁもう少し早く聞いていればよかった。我が家でも猫の精霊獣がいまして、理由も分からないまま散らかして大騒ぎでしたよ』


 ぼんやりとした頭に、その会話が半分も入らない。画面端には『観測史上最大の精霊力、エレメア都市に』という文字があった。

バックの写真には、幻想的な夜景が撮影されていた。空にオーロラに似た淡い金色の光のベールがなびいている。どうやら眠っている間に自分達がいる都市の真上で、こんな現象が起きていたらしい。

 あれは精霊力が及ぼしたものだというのなら、何だか凄い瞬間を見逃したのだろうか。



 そんなことを呑気に考えていると、毛布の中のふくらみがもぞもぞと動き出す。やはりいつもみたいに潜り込んでいた。

「……ん、あー?」

「おはよう鈴狐(リンコ)



 寝惚け眼で顔を出す小狐を呼ぶと、瞼を瞬かせ惹きつけられたようにこちらを見上げる。俺の顔を見つめた。

 するとふやけたように相好を崩し、満面の微笑を彼女は浮かべる。


「……んふふ、んふふへへへ」

「うん?」

「うへへぇ♡ ありゅくんしゅきー♡」

 猫撫で声でそう言ったかと思うと、身を起こしていた俺の懐に張り付き自分の顔で塗りたくるように擦り付け出した。


「鈴狐? どうしたの?」

「しゅきしゅきーだいしゅきー♡」

 会話もままならぬまま、ひたすらそんな行為を続けている。どうしたのだろう。

 戸惑っている内に、反対側で誰かの手が忍び寄る感覚があった。

 目をやると、これまた知らぬ間に白鷺(ハクロ)がベッドに入り込んでいたようで絡みつくように俺の腕を抱き込む。


「白鷺?」

「アルフ……変なんです」

「変だって?」

「何故か、頭がフワフワしていて……貴方がいっぱい浮かんで、止まらなくて……えへへ♡」


 急に金髪碧眼の幼い少女の顔がだらしなく弛緩した。人前で見せちゃいけない顔だった。

「あ~しばらくこうしていてもいいでしゅかー♡」


 鈴狐と同じく陶酔した様子で、天使がこちらの懐に埋もれる。親鳥に密着して暖をとろうとする雛鳥のようだった。

 要するに寝起きから左右の精霊獣に挟まれたうえ過剰に甘えられ、自然と束縛された状況に陥っている。

 いつものことではあるが、いつもと違う。何だか二人の意思がハッキリしていない。熱に浮かされたように、酒にでも酔ったように。


「お、おーい、今日は学校だぞー起きないと。白鷺も仕事あるでしょ?」

「ありゅくーん」

「そーでしゅねー」

 呼び掛けても天上位ともあろう精霊獣達は気のない返事ばかりで全く動かなかった。

 そういった問答を繰り返していく内に、時間だけが刻々と過ぎていく。


 ダメだ、埒が空かない。そう判断した俺は半ば強引に起床を決行する。

「起きちゃやーん」

「ああ! 後生ですあと五分!」

「起きるんだって!」



 それから朝の登校。

街並みは特に何も変わらず、事件沙汰も起こっている気配もない。

 ただし、身の周りはやはり変だった。


「ありゅくん! ありゅくん! 頬っぺたチューしていい!?」

「……いいよ」

「ありがとありゅくん♡ んー! んーまっ!」

「本当に、どうしたんだこれ」

「ありゅくん! ありゅくん! 耳たぶあむあむしていい!?」

「いやそれは、やめて」

「あっ!? ごめん無理我慢出来ないあみゅみぅむもぁ♡」

「どぉっは!? 耳はやめろー!」


 あれからずっと、この調子だ。鈴狐は乱心し、白鷺は不調を訴える。一応、支障を来すような問題ではなさそうなのですこぶる名残惜しそうにする彼女とは別れ、狼少女だけが特に変わらず──本人は「何か凄く元気になった」とコメントしていた──俺の中に。

 やはり、今朝のニュースで流れていた精霊力が氾濫とやらの影響が、これのことなのだろうか。



「よう、そっちも大変そうだな」

「あ、ダリ……オ」

 友人の顔を見るなり、俺の挨拶は途切れた。


 トレードマークにしているヘアバンドの頭上で、燕の精霊獣、黒羽(クロウ)の奇行が目に留まった為である。

 何というか激しく囀り、暴れまわっていた。しまいには契約主である彼の髪の毛をせわしなくついばみ始める始末だ。

「ヂヂヂヂッヂヂヂヂゥヂヂヂヂ! ヂヂヂピュイィィ!」

「だぁああああ! だから毛を毟るのやめろ! 禿げるだろうが!」

 抗議の様子からして、多分向こうも今朝からあの調子なのだろう。この異変は、身の周りで起きているだけじゃ済まなかった。


「お前のことだから、鈴狐ちゃんを、出したままだろう、とは思っていたけど、戻さないと、今日はヤベェみたいだぞ! 戻そうとしても、コイツずっと、言うこと聞かなくてな」

 頭に陣取った鳥と格闘を繰り広げながら、途切れ途切れに彼は言った。


「やっぱ、朝のニュースと、関係あんのかなぁ!?」

「同じことを思っていたところだよ。どうしたものだろう」

「んふぅー撫でて撫でてー♡」

 未だに肩でじゃれつく小狐の十数回目の要望に仕方なく応えながらも、何か事情に詳しい者がいないかどうか考える。



「二人とも、やはりそうなったか……」

「ベル先輩!」

「今日は迂闊に外に出しているとそうなるみたいだぞ」


 こちらの惨状を見て、そんな感想を残した彼女と俺達は合流した。昨晩ぶりなのだが、それは内緒である。

 それはさておき、精霊獣を出さずに登校している先輩だが、何だか浮かない顔をしていた。


「先輩の翠音(スイネ)は大丈夫だったんっスか?」

「少なくとも、例外ではなかったとだけ言っておくよ。ああほんと、戻すのに苦労した……」


 言って、何故か顔をそむける。何があったんだろう。

「きっとこうなっているのは多分ボクらだけじゃない」

「俺、今からエレメア校に行くの怖くなってきました」

 なんせあそこは、精霊獣を持つ生徒が数多く在籍する学校だ。ニュースの警告が気休めにもなっていないのは容易に想像出来る。


「だが、無断で欠席するのはよくない。最悪休校になるにせよ、一度顔は出さないと」

 先輩の言う通り登校しないわけにもいかず、俺達は今までになく覚悟をして臨んで校舎へ赴いた。


 予想は、的中した。

 というか予想より酷かった。


 校内で精霊獣達が暴走している。凶暴になっているわけではないが、本来の温厚な彼等は非常に興奮して辺り構わず走り回り、はたまたじゃれつき、奇声をあげてやまなかった。

契約主である学生達が諫めても全く効果はなく、教員達までそれに追われる始末であった。


授業どころではなく、皆が呼び出してしまっていた精霊獣達を抑えることに時間を費やしている。


 挙句には絹を裂く悲鳴が耳に入った。聞き覚えのある声が、

 弾かれるように、俺は校舎裏へ。

「アリスゥうううううううううう!」

「キャー!? 落ち着いて虎土(コド)ォおおおおおおおおおおおおおおお!」

 上位精霊獣に進化し、獣形態だと以前より一回りも大きくなった虎土が女子生徒にのしかかっている。自らの契約主を押し倒している。


 ただちに全速力で動いた。後頭部に目掛け、精霊力を籠めた手刀を叩き込み昏倒を狙う。

「何してるんだァ!」

「ごォっ!?」


 しかし流石にタフネスな虎の精霊獣。若干の怯みを見せるも堪えない。

 俺を見るなり、向き直り突進してきた。

「おにいさん! アリスを俺に──ふぉぐッ!」

「言わせないし誰がお義兄さんだッ!」


 遠慮のない肘撃が決まった。正気でなかったことが災いして簡単に渾身の一発が入り、ようやく虎土は沈黙する。どうにか気絶させた。

「アリス怪我はないっ!?」

「に、兄さんこれどういうことなのぉ? 皆の精霊獣もおかしくなっているし……虎土が、虎土がずっとこんな調子で……!」

 若干半泣きだった妹に駆け寄り、無事を確認。やはり襲うというより虎土も単にじゃれついていただけだったのだろう。だが、彼だけはダメだ。



「レイチェルとロベルタの精霊獣も、朝から様子が変で……」

「やっぱり皆もそうなのか。とりあえず、それしまっといて」

 鼻をすすりながら「うん……」と言われるがまま虎の精霊獣を引っ込める。どうやら別のところでも騒ぎは起きているようで、鎮圧に骨が折れそうだ。

 肩の鈴狐はくっつき虫みたいに離れないしフォローに入れそうにもない。

 俺だけで何とかするしかないか。



 別のところでは蛇の精霊獣である巳縄(ミナワ)らしきものがやはり暴れていた。

 らしき、というのも契約主の女生徒ティナの手によってポリ袋の中に入れられ「ハニー! ハニー! 開けてハァニーィィ!」と喚いてもがいている場面であった為である。これは今回大丈夫そうだ。


 一番手を焼いたのは、スポーツ系少女レイチェルの契約する鼬の精霊獣、鎌居(カマイ)であった。

 あまりにすばしっこくて人の手で捕まえるのは至難の業で、先輩達を交えた捕獲作戦は困窮を極める。


 しかも問題はただ逃げ回るだけでなく、とんでもない行動をし始めたことだ。

「鎌居ー! 落ち着けー! 戻って来ーい!」

「シャワァー! シュシュシュー!?」


 呼び掛けに反応したのか、切り返すように戻り、懐目掛けて鎌居は飛び上がる。

 しかし、そのまま横合いを通り過ぎた。全身から、鈍く光る刃を出して。

 遅れてレイチェルの制服がバラバラになり、下着姿になった。


「おぁああああ! 何すんだぁああああ!?」

 悲鳴は次々に連鎖する。

 衣服を斬り裂く通り魔と化した鼬が、ピンポイントに女生徒を狙って被害を拡大させているからである。


「キュキュキューッ」

「いぃ!? ま、まさかこの流れは──」

 それはベル先輩にも牙を剥いた。慌てて腕で身体を庇う動作を見せるも、時すでに遅し。

 男子生徒の制服が、ズボンが、四散した。さらしとパンツを剥き出しにされ、叫びながらたまらずその場に先輩はしゃがみ込む。


「何でいっつもこうなるんだァ!?」

「せ、先輩ごめーん! みんなもごめんよーっ! コラァああああ鎌居ィいいいい!」

 慌ててあられもない恰好のまま契約主が追い掛けていく最中、俺は制服の上着をベル先輩に被せる。一人分しかない。


「大惨事、ですね」

「……君最近、ボクのあられもない姿を見ても動揺しなくなっていないかい? 何かもう、毎度のことだなぁって感覚で」

「えっ」

「そんなに安売りしているつもりはないやい……!」

「し、仕方ないじゃないですかっ。そもそも俺がやったわけじゃなくて鎌居が──」



 弁解を話そうにも拗ねてその場でそっぽを向いた先輩と「大丈夫だよぉ、こう見えてありゅくん鼻の下伸ばしてるからー♡」と茶々を入れる鈴狐にほとほと困り果て、俺は重い溜め息以外のものを口から出すことが出来なかった。



 程なくして、本日の休校が決定されたのはそれから三十分ほど先のことである。



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