あたし、反省する。
あたしは歩いた。
暗い石畳の回廊を、あっちに行ったり、こっちに行ったり。で、結局ここに戻ってきてしまうわけで。
「あれくらいで気を失うとか、情けないわよ」
……ちがう。
「そんなことじゃ女の子の心なんかつかめないわよ」
ちがう。
「今できなくてもいいから。ちゃんと出来るように練習しましょ」
これもちがう。
「……」
いや、一応ね。もう心の中で答えは出てるんだけれどもね。でもそれが、口に出せるかどうかってのはまた別の問題と言いますか。出来れば言わずにやり過ごせるなら一番良いなあと思うわけでして……。
がちゃり。
「はいごめんなさい! あたしが悪かったごめんなさい!」
扉の開く音に反応して、口をついて出てしまった。
違う。違う。今じゃない。あわあわ歩き回っているのを見られたのも合わせ技で恥ずかしくって、あたしは頭をかかえて目を閉じた。
やってしまった。
自分が悪いって、このあたしが認めてしまった。
どんなときも頭を下げずに生きてきたのが自慢なのに、勢い余って謝ってしまった。
だめだだめだ恥ずかしいって、どうにも扉の方向に顔を向けられない。
けれども、重たい足音と、あたしの真上から影が落ちてきていることに気がついて、ああ、あいつがいるんだなって思った。
「あっあっ。ぼくの方こそ、ごめん」
「……」
やわらかい響きの言葉に、あたしは頭を抱えたまま何度か瞬いた。
ちょっと待って。なんで謝るの熊男ってば。アンタ悪くないわよね? 焦って危ないことさせたあたしの方がよっぽど悪いって言うかなんと言うか。
「ぼくがちゃんと出来ないと、帰れないんだよね? ごめんね、朱実」
「……」
「ぼくは、本当に恐がりだから」
ああ、と思った。
そうじゃないのと、心の中で否定した。
別に、謝って欲しいわけじゃない。あたしが本当にしたいことは――。
「あたしが。あたしの方が、ごめん」
そうか。心がごりごりしてるのは、あたしが謝りたいからか。
「ござらん!?」
隣のタローが大げさにびっくりしているが、奴の尻尾をふん縛って、ちょっと頭をひとなでしておく。それで十分プレッシャーになったらしく、タローはすっかりと大人しくなった。
「怪我はないの?」
「ん。丈夫だから、だいじょぶ」
「そっか」
まともに顔が見られないけど、ほっとする。
こんなあたしにも熊男は相変わらず優しくて、なんだかずるい。
「あああもう! こんなのガラじゃない! 熊男! くま……おっ」
静かな空気に耐えきれなくて、あたしは熊男の顔を見上げた。
倒れてからあわててお城に連れて帰ってもらって、ようやく目覚めたこいつの姿。もじゃもじゃの髪は相変わらずだけれど、困ったように頭を搔く彼の手が、前髪を引っかけていた。
そこから、僅かに見える彼の顔。
ぎょろりとした目はおっかないけど、やっぱり人の姿によく似た、男子らしい顔だった。少し愛嬌があると言っても良い。髪で隠しているよりも、ずっとずっと、人が良さそうで――。
「それよ――!」
「?」
「熊男! 髪を、切りましょう!!」
***
――とは言っても、あたしは人の髪を切ったことなど、あるはずもない。
ネズミ男にお願いして、専門の使用人を呼んでもらう。
案の定、今までも髪を切ることすら今までは難しかったらしく、そりゃあもう、使用人たちは大いに喜んだ。
結果、必要以上の人手が集まりすぎてしまっけど。
確かに臆病な熊男のこと。ハサミのような刃物だって怖いわよね。
今日は朝から自分の部屋に大勢の者たちが集まって、熊男もいささか落ち着きがないようである。
そこに座って頂けますか、と、簡単なお願いをされただけで、飛び上がってベッドの方へ逃げる始末。
あーあとあたしはため息をついて、熊男をベッドまで連れ戻しに行く。
「大丈夫だから。あたしもタローもいるから」
「ござろう!」
「最悪タローに切ってもらうから」
「ござれども!?」
無茶ぶりでタローが目を白黒させているが、まあなんとかなる。
とはいえ、専門の人に切ってもらう方がはるかに良いはず。きっと仕上がりも段違いだから、是非、熊男にはその気になって欲しい。
「ほら。手。いつもみたいに繋いでたら平気じゃない?」
「……」
そうやって声をかけると、はじめて熊男は顔を上げた。
あたしは熊男の小指を掴んで、彼を椅子の方へと連れて行く。
「ほら、行くわよ。怖かったら、目、つぶってたらいいから」
「うん」
あたしの言葉に熊男はこくりと頷いた。
素直な様子がなかなか可愛いじゃないか。態度と同じで、まるで小動物のように感じてきてしまい、ついつい頭を撫でたくなる。
けれどもそうじゃない、とあたしは思う。
どっちかっていうと、あたしはスパルタ方針なのよ。甘やかすつもりなんか毛頭無いのよと自分に言い聞かせるが、まんまるお目々で見つめられるとどうにも弱いらしい。
「朱実、ここ」
「ん?」
「ここ、座ってて」
「えっ」
そう言って彼が指さしたのは、彼の大きな膝の上だった。
そう言えば、その手に掴まれることはしょっちゅうだけど、膝の上に乗ったりすることなんて今まで無かった。
あー。なんだ。その。
こ、これ……なんか、恋人みたいじゃない?
ぼぼぼぼぼんっ、と顔に熱が集まってきて、あたしは手で顔を覆い隠す。やばい、これ、顔見られたらソッコーばれる。あたしの顔赤くなってるってすぐばれる。
ちょっと待って。少し冷静になろう。
すーはーすーはーと深呼吸をキメて、あたしは一旦自分の頭に問いかける。
あたしの目的を思い出せ。
熊男を一人前にする。んでもって、神を探してもらう。
イエス。ここまでが短期的な目的よね。
でもって、長期的な目的は。
もちろん異世界結婚相談所所長の権限を駆使して、自分にとって最高のパートナーを探し出すって事でしょう。
きたる婚活パーティも当然全力で利用してあげるつもりだし。
で、最後にあたしのパートナーに相応しい人。
これはもう確認するまでもない。魔王や妖精王、有り余る富と権力を持つひと一択でしょう。
でもって本人にも力がある。
欲張り言うなら、気が優しくて力持ち。笑顔がちょっと可愛くてさ。でもってあたしの言うことを聞いてくれる熊男のような……。
……。
……あれ?
いやいや、ちょっとまてあたし。
今、あたしの脳内に変な映像流れたね。
気は弱くて臆病者。笑顔もなにも、まったく表情の分からない男の映像が思い浮かんだよね。
「朱実?」
と、そこで声をかけられてあたしの心臓は跳ね上がる。
あれ。おかしい。いやいやここにいるのは熊男だよ?
臆病者で逃げてばっかりでさ――まあ、あたしのことは怖がらないけど。
自分の意見も、どもってなかなか言えないしさ――あたしの言うことはよく聞いてくれるけど。
笑顔なんか見えなくてさ――あ、今から髪の毛切るのよねそうよね。
「……」
もしかして。
もしかしなくてもさ?
熊男、まさかの優良物件じゃない?
ここでキッチリ教育して、一人前になったら、次代の魔王なわけでしょ?
下克上心配したけどさ、ちゃんと実力引き出せたら、対処できるようになるんじゃない?
ついでに、優しいし。あたしの言うことだいたい聞いてくれるし。気遣ってくれるし。
強い心だけ身につけてくれたら、理想の男じゃない?
多分、フルーツ持つ係の人とか、作ってよって言ったら作ってくれるよ?
……あれ? これ、アリじゃないの――?
「朱実、ここ」
前みたいに片手で握られるのではない。
両手で優しく掴まれて、問答無用で膝の上に乗っけられる。
完全に部屋で一緒に映画を見るカップルの座り方になっていて、何と口にしたらいいか分からない。
いやいやさすがにあたしもね?
これでも齢十の乙女なわけ。いくら相手が熊男でも、お父さん以外の膝の上には乗ったことなんかないのよう。
熊男は熊男で、嬉しそうにあたしを抱え込んでいた。まるでぬいぐるみか抱き枕のような扱いだが、壊れ物に触れるように優しくされると、あたし、やばい。
「ぼく、がんばるね」
「……ええ」
そう返すのが精一杯だった。
どうしよう、参った。
どうにも振り返ることが出来ない。
あたし、おかしい。
今までどうやって熊男としゃべってたのかわからない。
「どうしたの、朱実」
優しく声をかけられて、頭がぐるぐる回るようだった。
ちがう、あたしには、熊男は相応しくない。そんなの、前から分かっていたはず。
熊男なんかで、満足して良いはずがないの。
「ううん。なんでもないわよっ。せいぜい、男前にしてもらうことね。そしたら……」
同時に、あたしは怖くなる。
婚活婚活言ってたけど、本当に良いのかなって気持ちにもなってくる。
何でなのかはよくわからない。けれど、胸の中のもやもやが大きくなって、戸惑った。
「そしたら、きっと、熊男を好きになってくれる子、いると思うから」
これがあたしの、精一杯の強がり。
そして同時に、熊男の小指が、ピクリと動いた。
明日2月4日(土)は、朝・夜の二回更新です。




