あたし、体育教師になる。
そんなこんなで、熊男の教育が始まってから十日程経過した。
流石に十日じゃ何の成果も出てないけれど、熊男が逃げずにいるだけで珍事らしい。きゅっと小指を掴んでいたら、使用人がいても隠れたりしないのは驚くべきことなんだって。
国語・算数・理科・社会――あたしが学校で勉強してる内容じゃ、熊男には役に立たないってことはわかってる。
ってなわけで、わざわざあたしが考えるの面倒なので、そこらへんどうなってるのかは教育係の人に聞くしかない。で、横から色々口を出しつつ、今後の学習方針を定めていくわけ。
何だか学校の先生みたいじゃん。
お勉強はそんなに苦手じゃないのだけれど、とにかく臆病なのは大問題らしい。
あとは、魔法らしい魔法がまったく使えないこと。
天性の身体能力で、だいたいのことはどうにかなってしまうんだとか。それがよけいに、魔法を覚えないのに拍車をかけてるのかもって教育係のひとは言ってた。
まあ、確かに魔法が使えないのは問題よね。
強い魔力を持った者は空を飛んだりも出来るそうで。もちろん熊男は魔王の息子。そりゃあ、潜在能力だけはすごいんだとか。
でも今の熊男はなあ――空に飛び上がった瞬間、気絶しそうだもんね。
抱えられて飛ぶとかロマンだけどさ、一緒に落下してお陀仏とかほんとごめんだもん。
……あ! 別に、熊男に抱えられて飛びたいとか、そう言うのじゃないからね!
それよりもなによりもさ!
熊男が魔法さえ使えたら――いや、ちがうな。使いこなせたらもう、オールオッケーなのよ。万事解決なのよ、あたしとしましては!
何がって? そんなの、魔王様に頼まなくてもさ、熊男に鳥を探してもらえば良いんだもん。熊男だったらあたしの言うこと聞いてくれるし、ハッピーエンド確定じゃない?
あとは鳥を泣かせて、今度こそ素敵なダーリンを探す。これしかないじゃない。
もちろん、リスクは分散しないとってお父さんも言ってたからね。
だからあたしも、熊男の魔法計画がダメだったときのことも同時進行で考えてる。
ってなわけで!
ふっふっふ。絶対実現してやるわよ。
――婚活パーティを!
教育係のひともそうなんだけど、なんと! あの! ネズミ男が乗り気なんだよね。
いやいや、アイツちょっと視線が嫌だけど、この城のことを牛耳ってそうだからさ。もちろん利用しない手はないわよね。
ってことで、手配しました! あたし行動早いから!
ここは早めに十日後なんかどうでしょう!
ま、その時までに熊男が何とかなるとも思えないんだけど、一度経験させて何がダメか思い知るのも大事だと思うのよね。
なによりも、あたしもそんなに長期間熊男の相手してらんないんだもん。
――熊男には悪いけど、いちぬけさせてもらうわよ。
それが嫌ならはやいところ魔法覚えてもらわなきゃね。
にやにやしながら、あたしは熊男学習計画を自分のランドセルにしまい込んだ。さあて、明日から忙しくなるよ。
そうと決まれば早く寝よう。
そう思って、あたしは部屋の片隅でごろごろ言葉通り転がってるタローを手招きした。
なに意味のないことしてるのかって思ったけど――そういえばここにはテレビがないもんね。みかんももうなくなっちゃったし、タローもとにかく暇なんだろうな。
だからかな、最近すっかり熊男と仲良いんだよね。一緒に遊べるのが楽しいみたいでさ。
――まあ、授業で先輩ぶるのが楽しいだけなのかもだけど。
「タロー、明日は背高木のところにいくからね」
「! ござるっ」
「木登りの見本、見せてあげて」
タローはきらきら目を輝かせているが、それの意味するところは分からない。
そんなことよりあたしは眠いの。
ふああああ。
あ、だめ、寝よう。
大きく欠伸をして、あたしタローをぎゅうと抱きしめた。ふわもこ小柄なタローは抱き枕に丁度良い。
さあて、明日も頑張らなきゃ。イメトレしようとしてももう頭も働かない。ようし熊男、おやすみなさい。
明日もビシビシしごいてあげるからね。
***
……ってことで、空を飛ぶようになる前に、やって参りました。背高木の前!
「いーい、熊男。今から体育の授業をはじめます」
「体育?」
「そう! 健やかな精神は健やかな肉体から! きりっつ!」
すでに立っているので起立も何もないのだが、こういうのは雰囲気が大事だ。
背高木。適当に覚えやすい名前をつけてみた。その木は魔王城近郊の森にあって、最近恐ろしい速さで育っているから、まあ目立つんだよね。
何の木かはさっぱり分からないが、他の木をなぎ倒す勢いのその木は、幹もしっかりしているし、この授業に使うにはぴったりだ。
その巨木の下で、あたしはぴしっと姿勢を正す。
授業前のこの儀式はすっかり熊男も慣れたもので、タローと二人、背筋を伸ばす。きびきびとした動きで、あたしを直視した。
うんうんなかなか綺麗な姿勢。
あたしはいつものようにリコーダーを取り出して、それを笛代わりにピッピとならす。
「はい。礼っ!」
「よろしくお願いしますっ!」
「まずは体操からね。タロー」
「ござる!」
よしきたほういきたとタローが飛び出しては、熊男と一緒にタローオリジナルみかん体操をはじめた。
内容について多くを語る気にはなれないけど、みかん体操だ。
熊男も楽しそうだからいいんじゃないかな、もう。
根気の足りない熊男にとって、楽しく出来るってのはとっても大きい。逃げずにじっと授業を受けられるのって、彼につまらないと感じさせないってことも大事だとわかってきた。
でも、それだけじゃ体育の授業にはならない。
嫌なこともちゃあんと練習しないとね。
「はい、次。筋トレ!」
ぴっぴっぴっ。
ってことで、あたしの笛にあわせて、筋トレをするのも体育の授業のお約束だ。
熊男の場合は体力の問題じゃないのよね。体力も筋力も普通にありあまってるんだもん。だから、鍛えるべきは根気。
そもそも、女の子とつきあうのに必要なのはまずは根気。次に根気。三四が根気で五が根気だもん!
もちろん甲斐性やら身だしなみやら必要なものはいろいろあるけれども、熊男の場合は徹底的に根気が足りない。
ぴっぴっぴ。
ぴっぴっぴ。
「熊男、やるじゃない」
「へっへっ」
けれども、流石に慣れてきたらしく、あたしの言葉に熊男は嬉しそうに笑顔を浮かべる。
褒めるとすぐ調子乗ることは、あたしも最近分かってきた。だったら調子に乗ってきたところで、一気に課題に行った方がいいかもしれない。
「いいわね、熊男。今度は木登りよっ。これに登って、頂上で十秒数えるのよ」
「えっえっ」
「アンタの一族、本当は飛べるらしいわね? 飛べないのはアンタくらいだとか?」
「うっうっ」
あたしのツッコミに、当然ながら熊男は両手で目を覆い隠してた。いや、目を隠したところでね、存在は隠せないんだよ熊男。
小動物よろしくぷるぷる震える姿は、一周回って本当に幼い子どものように思えてきたが、年齢的には彼は大人だ。
っていうか、あたしに幼い子どもって思われることに恥ずかしいって思って欲しいわよね。どう考えても、あたしの方が幼いんだからね。幼女なんだからね。
「さ、行くわよ」
あたしは熊男の背中を押して、背高木のところまで彼を押す。で、タローに目配せすると、彼は両手両足を器用に使って、するすると木の上に登っていった。
その身軽な動きは流石としか言いようがない。
ちょっと体格の差がありすぎて、素晴らしいお手本とは言いがたいが、目の前で動きを見るだけでも気持ちは変わるはず。
「おー、タロー、さっすがー」
タローを褒めるのも最近有効であることが分かってきている。
熊男もタローにお友達意識が芽生えてきてるから、同じことが出来ないのは悔しいのだろうなあ。
「ござろう! ござろう! ござろう!」
ところがどっこい夢見がちなタローのこと。木の頂上でビシッとポーズをとった後、彼はそのまま身を宙へと投げ出した。
木の幹が邪魔で、はっきりとは見えない。
だが、彼は全力で尻尾を回している。
まだ諦めてなかったのね。空、飛ぶの。
そう苦笑いした瞬間、タローは真っ逆さまにあたしの前に落ちてきた。
随分綺麗に落ちたらしく、綺麗にお耳の形までぱっくり、地面に人型ならぬタナモロ型をつくっている。
「無理っ無理っ」
それを見た瞬間、熊男の表情が凍り付いた。
「いやいや、別に飛び降りろとは言ってないから。もう、タロー!」
落下の恐怖を熊男が覚えちゃったじゃない。タローの馬鹿!
ぴょんこと地面に空いた穴から飛び出してきたタローはぴんぴんとはしているが、あたしの怒りを分かっていない。
きょとんとした表情の彼の鼻をぐわしと掴んでみたところ、ござるの声が尻つぼみになる。
「タロー。空を飛ぶ練習は今じゃなくて良いでしょ?」
「うっうっ」
「熊男の真似をしない」
ぴしゃりと言ってのけた後、あたしはタローに耳打ちする。
ねえ、ちょっと熊男の尻つついてきてよ、って。
「ござらん!」
「えっえっ」
突然タローは熊男を追いかけ、なまくら刀に手をかけた。
熊男はふさふさ髪の毛からお目々をぎょろりとみせたのち、ぷるぷる全力でその首を横に振る。
「タロー、ゴー!」
「ござらんー!」
羊の群れを追う牧場犬よろしく、タローはなまくら刀片手に熊男を追いかける。上手に木の根元に追い立てては、彼を登らざるを得ない状態に追い詰めていく。
タローってば誘導が本当に器用で、たちまち熊男は背高木の幹にその手をかけるしかなくなった。
後は簡単、後ろからタローもよじ登ると、危険から逃げるようにして彼は上へ上へと登っていく。
無我夢中になってしまえばこちらのものよ。
意外と簡単に登れるじゃない。木の上も自分の力だったら怖くない。――そういうことに気がついてくれたらそれでいい。
熊男は、追い詰められるとパワーが発揮できるタイプだからね。
そう信じながら空を仰ぐ。
しかし、ことはそう簡単にはいかないらしい。
背高木の上を見上げた瞬間、降り落ちてきたのは大きな影。
あたしの体の倍以上もあるでっかい図体。それが、問答無用で落下してくる。
「ちょ――!?」
声をかけようとしたが間に合わなかった。
熊男は真っ逆さまに転落して、幹の隣に大穴をあけた。
彼は、追い詰められても力を発揮することができるとは限らなかった。
なぜなら、木を登り切ったときにはもう、恐怖で意識を失っていたのだから。




