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あたし、もじゃもじゃ男と出会う。

 可愛い子には旅をさせよ。

 朱実ちゃんのお願いは聞いて差し上げよってね。


 とりあえずいきなりあたしが扉を潜るのは怖いから、タローに先行させて、その肩を掴んでた所までは良かったんだけど――何で、こんなことになってるわけ!?

 



「だあっ! だめ! あとちょっと! タロー! 今が踏ん張りどころ!」

「ござろう! ござろう! ござろう!」


 この土壇場において、あたしにはちょっと分かってきた。

 タローの言う「ござろう」は、きっと、前向きな気持ちになるように発している言葉だ。

 その気持ちはうれしい。

 大いに頑張って欲しい。

 ていうか、ここで、タローに頑張ってもらわないと――あたし、死ぬ。



「タロォ――!!」


「ござ――るっ!」


 どこまでもどこまでも続く大地。

 向こうには赤茶けた荒野に、手前には深い森。んでもって空にはぷかぷかと浮かぶ島に、どんよりと元気のない空。

 あたしは思った。

 これは、ファンタジーの世界だ、と。



 今、あたしは両手で、タローの手をがっちり掴んでいる。

 背中には愛用のランドセルを背負っているけれど、置いてくれば良かったかもしれない。

 少しでも軽かったら、もうちょっと何とかなっていたのだろうか。


 だってあたしは今、薄暗い大空を飛んで――いや、確実に落下しているわけで。



「今日の給食のみかん、あげるからぁー! がんばれぇ――っ!」


 じゃんけんで勝ったからお休みの子たちの分も全部回収してきてるもんね。だからなんとか乗り切って。そうあたしは全力で応援するのだ。

 その尻尾をぶるんぶるんヘリコプターのように振り回し、飛行を試みるタローを。

 心なしか落下速度は軽減している気がする。多分。生きろ、あたし。



「いんにゃああああああ!!」


 だが世の中はそうは甘くないらしい。いくら神を従えたあたしでも、やっぱり生身の人間なわけ。

 っていうか、鳥は何をやっているのよっ! こんなときこそ、神の出番でしょ? なんとかするべきでしょうその不思議な力で。


「神いぃ――っ!!」


 そんなに神はあたしから解放されたかったのか。

 最後の扉。

 人間界でも幻人界エディンでも獣人界ダルスでもない残りの一個。どこか分からない世界に繋がる扉を潜った瞬間、大空の上。

 手を繋いで一緒にくぐったタローだけがここにいる。マリィも後ろから着いてきている様子もない。



「覚えてなさいよ――――っ!!」


 いつもなら呼びかけるとすぐに出てくる鳥は、やっぱり現れない。

 ちょっとまって一体何よ! 確かにさっきはキュッと絞めたけど、そんな……あたしのこと見放して、死んじゃえば良いとかまで思ってるとか、ひどくない?

 っていうか、あ。駄目これ。

 やばい。死ぬ。

 必死でタローの手を握ってるけど、これ、このまま行ったら地面に激突――。


「いやぁ――――――っ!!!!!!」



 だからあたしは叫んだ。めいっぱい叫んだ。喉がつぶれるくらい叫んだ。

 いっそ気を失ってしまえたら楽なのに。


 いいから助けて神様仏様。

 ……あれ、神様まったく信用できない。っていうかもはや鳥は様をつけるに値しない。


 もういい死ぬ。

 つぶれて死ぬのは嫌だけど、もう、覚悟を決めるしかないじゃない?



 どうか来世は屋久島の杉の木になれますように。

 んでもってぽかぽか毎日鳥さん(一般)と日向ぼっこするんだ。 鳥(神)は絶対仲間に入れてあげないからね。


 いよいよあたしは追い詰められて、もうだめだと目を閉じる。

 タローごめんね道連れね。天国に行っても仲良くしてね。そう願ったところであたしの体はぼよよんってなった。





「!?」


 確かに衝撃があったけど、思ったようなやつではなかった。水の入ったゴムというか、トランポリンみたいな感触というか。

 そのまま体が何度か跳ねる感触がする。



 だからあたしは理解した。

 天国ってソッコーたどり着けるのね。

 痛みを伴わない死に方ならオールオッケーかもしれないって。


 朱実として素敵な人生を送るつもりだったけど、この後の人生飛び越えて屋久島の杉の木になってもいいかって思えてきた。

 待ってろ光合成。待ってろ二酸化炭素。全力で酸素とデンプンに変えてやるからな。

 生きとし生けるものすべての必需品酸素を作り出すとかもはやあたし女神じゃない?

 崇め奉られてもいいんじゃない?

 そのために天国にいるんじゃない? ……ってそこまで考えて、あたしは瞳を開ける。



 ふわふわとした地面。

 きっとここは雲の上。青く澄み切った空に囲まれた天空の神殿。

 神話に出てきそうな神々しい世界で、まずはハープのリサイタル。

 大丈夫、死んだら背中に羽根が生えて、天使の輪っかぶら下げながら、はじめてでも綺麗な音色を響かせることなど容易なはず。

 そうだ! 屋久島の杉の木になる前に、一年くらい天使を満喫するのもいいかもしれない。


 けれども、そこまで心の準備をしたにも関わらず、目の前に広がっているのは木。木。木。つまり森。んでもって空を見上げると、木々の間から僅かに見えるどんより雲。

 自分の手を見ると相変わらずちっちゃな人間の手だし、背中にはランドセルの重みがある。

 ござる……と力なく呟いている声も隣から聞こえてきたものだから、いよいよおかしい。



「あれ?」


 あれあれ?

 あたし、もしかして、朱実のままじゃない?

 屋久島の杉の木になれてなくない? 天使にもなっていなくない? 

 おかしい。下、土じゃないしね。ふわふわだもんね。でも雲じゃない……って、ふわふわ!?



 ばばばばばって、あたしは四つん這いになったまま顔を上げた。

 そう、ふわふわで、毛むくじゃらなのよ。んでもって、こう、規則正しく上がったり下がったりしてるのよ。

 これってさ――呼吸、じゃない?

 なんていうかさ。動物的な動きじゃない?



『ぐがあああああああああ!!!!』


「ひいいいいい!!!???」


 って、急に大きなうなり声が聞こえたかと思うと、地面のようなふわふわがぶるぶると震えた。同時にあたしの体もがたがたがたって揺さぶられて、そのまま小さな山のようなふわふわからずり落ちる。


「んぎゃっ」


 ついつい女の子らしくない声を上げちゃったけれども、これは仕方ない。

 今度は正真正銘の地面に、思いっきり鼻の頭から落ちたのだから。



「ござれっ!」


 しゅたしゅたしゅたっ。スタッ。


 おいこらタロー、今自分だけ助かったな。

 顔を上げるとタローは宙返りをキメてみせて、新体操の選手よろしく両腕を天にかざして華麗に着地していた。

 主人も護れないようじゃ忍者失格よと言いたいところだけど、ともあれ命は助かったのだ。

 さっきも必死に飛ぼうとがんばってくれたし、今回ばかりは許してあげよう。


 どうにかこうにか起き上がると、さっきまであたしが乗っかっていたふわふわが視界いっぱいに広がっている。

 これは一体なんなのよと目を丸くしていると、今度は背後から影が落ちてきた。




「……お、おまえ」

「???」


 突然声をかけられたことにびっくりしてあたしは振り返る。

 すると、目の前にいるのはあたしの倍ほどもある大男だった。


 人のような形にも見えるが、その体は大人達よりもずっとずっと大きい。

 もじゃもじゃとした髪は全身丸ごと隠すかのごとく長く、毛に覆われた生き物のようにも見えなくはない。ぎょろりと魚のような目がのぞき、僅かに見える口もとには長い牙が光る。

 もじゃもじゃの髪からでているその手も、あたしを片手で握れそうなほど大きくて――。


「っきゃああああああ!!!!」

「っぎゃひいいいいい!!!!」


 あまりに恐ろしい風貌。

 そしてひとつかみで握りつぶされそうな雰囲気に、あたしは咄嗟に悲鳴を上げた。


 すぐさま体を立ち上がろうとするが、そのまま尻餅をついてしまった。

 結果、ずるずる後ろへと下がるしかない。するとさっきの大きいふわふわにぶつかって、これ以上後ろに退けなくなってしまった。



 しかし驚いたのは相手も同じらしい。

 でかい図体で飛び上がったかと思うと、一目散にあたしから逃げていく。そしてそのまま五十メートルほど離れたかと思うと、木の後ろに隠れては、こっそりこちらの様子を窺ってくる。


 ……って臆病かよ。ていうか、遠いよ。

 すっかり豆粒のようになった大男は、そのままもじもじとしているようだった。

 木の陰から、ちらりちらりとこちらを見てきては、困ったように体をぶるぶる震わせている。


 一体何だと言うのだろう。でっかい図体のくせに、挙動は完全に小動物じゃないか。

 一気に怖さが吹っ飛んで、あたしは近くに立っているタローに声をかけた。



「ねえねえタロー。あいつ、ちょいと後ろから突いてきて」

「ござらんっ!」


 すぐさま五十メートル先へ駆けるタローは流石の忍者。うずまきオレンジ色が森に紛れてないけれど、この際あたしが見つけやすいから良しとしよう。

 タローは韋駄天の足で相手に近づくと、木の後ろに回って相手の背中をなまくら刀でつんつんした。

 すると必要以上に驚いたらしくて、大男は両手をばたばたさせながら、一歩二歩と木の陰から姿をさらした。

 そのまま彼が尻餅をついたところで、やっぱりこいつ大丈夫だとあたしは判断する。



 すたすたと、あたしはその毛むくじゃらに近づく。

 すると、尻餅突いたまま、そいつはきょとんとこちらを見つめてきた。


 うっ。

 上目遣い。まんまるお目々に涙の滴がほろり。

 えっえっそんなに怖かったの? なんだかあたしが悪いことしたみたいじゃない?

 あたしはちょっとだけ良心のうずきを覚えながら、ぽろりと出た言葉はこれだった。


「あー……大丈夫?」

「うっうっ」


 大男は自分の腕で自分自身を抱きしめて、身を強ばらせる。

 警戒しているようだが、どうも腰が抜けて立てないらしい。

 なんだか急に可愛く思えてきて、この小動物のような大男に向かって、あたしはそっと手を差し出した。

 長いもじゃもじゃの毛で覆われた肢体。その頭のてっぺんに手を伸ばそうとしたが、へたり込んでいるにも関わらず、なかなか頭に手が届かない。


「うん。大丈夫だから。ねえ?」


 おびえる大男に、背伸びしてようやく、頭のてっぺんに手が届いた。そのままよしよしと何度か撫でると、まん丸お目々は気持ちよさそうに細められた。

 お? これ、タローと同じ扱いで大丈夫?



 しばらく撫で撫でしていると、相手もだいぶ落ちついてきたらしい。

 うっうっと声が漏れて、大男もようやく真っ直ぐあたしを見ることが出来たようだ。

 そんな大男に向かって、あたしはにっこりと笑いかける。


「あたしは異世界結婚相談所の所長、橋桁朱実。そこにいる子は従業員のタナモロ。あなた、名前は?」

「御座候!」


 タローもタローで自己紹介のつもりらしい。

 いつもよりちょっと難しいござるを使って、びしりと忍者ポーズをキメる。おそらく手裏剣を放つ瞬間を模したものなのだろうが、哀しいかな彼の手持ちの武器はなまくら刀だけ。

 それでもエア手裏剣で満足しているらしく、得意げな表情をうかべていた。


「???」


 しかし、大男はそのポーズの意図が相手には分からないらしい。

 というよりも、タローのエア戦闘態勢に混乱極めた大男は、落ちついたと思っていたのもつかの間、再び大粒の涙をこぼした。


 いやいや、別に取って喰おうとしているわけでもないんだから、そこまで怖がらなくていいじゃない? っていうか、あたしもタローもアンタの三分の一より小さいんだから、怖いものでも何でもないわけなんだけど。



「うっうっうっ……ぼくを殺しに来たの……?」

「なんでそうなるっ!」


 殺伐とした疑問が飛んできて、ついつい地で全否定してしまった。

 っていうか、しゃべれるんじゃん?

 言葉通じるんじゃん?

 だったら話は早い。警戒心を解くのに骨が折れそうだけど、とっかかりはできた。

 なんの。こう見えてあたし、敏腕所長だから。異世界のよく分からない生き物に取り入ることだけは、経験積んでるのよ。


「そうじゃなくって、あたしはここがどこなのか知りたいのよ。ついでに探してる鳥もいるわけで。あなたちょっと教えてくれない?」





 ***





 散々逃げ腰の大男を説得するのに時間はかかったが、ようやく一緒に移動できるに至った。

 先ほどのでっかいふっかふかの何かの上で三人並んで座り込む。

 ちなみに、目の前のもじゃ男は未だに名乗ろうとしないため、勝手に熊男(くまお)と名付けてみた。


 この呼吸しているっぽい何かは、目の前の熊男のペット――もとい使い魔らしい。っていうか、熊男のお家に仕えてる巨大生物らしい。

 この辺のお宅ではこのもっふもふで移動するのが常用手段らしいわけだが。



 快適だ。

 実に快適だ。


 お家のベッドとかよりも断然居心地が良い。

 人を駄目にするクッションやらソファーやらが世の中には流行っているが、あれはあくまでもセールストークだと言うことを、あたし、知っている。

 でもこのふわもこは何だろう。

 もう、一生この上でぐだぐだできる。これで空が晴れていて、風に吹かれてのんびりとする。それはそれで最高ではないか。

 ……と、そこまで考えてあたしははっとした。



 だめだ!

 それじゃあ一世早く屋久島の杉の木になっちゃってるじゃないか!

 大自然で楽しむ、のんびりくつろぎプランは来世にて予定している。

 今あたしが欲しいのは、地位と権力! そして贅の限りを尽くした生活と、傅く家来たち! そして何よりも、力を持った旦那様なのだ!

 人を駄目にする乗り物に、まんまと乗せられるところだった。



 頭をふるふる動かして、どうにかこうにか現実に戻ってくる。

 すると、今度はあたしの胴をがっちりと掴む手に気がついた。


 のあ!? 何!? あたし熊男に握りつぶされている!?

 あっ……今ちょっと力を入れられた。これちょっと油断したらぷちっていくんじゃないのかなあ。


「ちょっとちょっと熊男! 力入れちゃ駄目っ……って、何で震えてるの!?」

「朱実。手、握ってて……僕……高いところ……怖い」


 ずどどどど。

 確かにこの生物の移動速度はそれなりだ。

 でも、あたしは確かに聞いた。この生物はあくまで移動手段。つまり、熊男は乗り慣れていないといけない。


「待って? これ、あんたの乗り物でしょう?」

「でも……上に乗るの怖い」

「だったらどうやって移動してきたのっ」

「この子と、一緒にここまで歩いてきた」

「ただのお散歩じゃない!?」


 通りでこの世界に落ちてきたとき、彼が後ろから現れたわけだ。騎乗すらせず、このもふもふとお散歩しているだけだった。ってそれ、本当にただのペットじゃない。


「あ、あのねえ……普通は乗るものなのよね、この子――えっと名前は」


 ふるふる。


「あー、じゃあ、フサ田さんでいいや。フサ田さんは、あなたの仲間もみんな乗ってるんでしょう?」

「う……」


 図星の顔をしたため、あたしはぐいと彼の顔をのぞき込む。


「なんかまだこの世界のことはよく分からないけど、とりあえず、あたしは鳥を見つけなきゃいけないの。あとは――」

「?」

「ここいらで一番えらい人? その人の捜し物をね、手伝いに来たのよ」

「偉いやつ?」

「そ。大切な、捜し物があるんだって。で、そのお手伝いを、あたしはできる。ね? 心当たり、ない?」

「あ……」


 ぼそぼそと、熊男は困ったような顔をして見せた。あれ? なんかただの野生児かと思ったけれど、これもしかして当たりか?

 顔までも覆い隠そうとする勢いの髪の間からぎょろりとしたお目々を更に丸めて、ふっと逸らす。が、思い当たるところがあるなら、逃がしはしない。

 あたしはにぃ、と口の端を上げて見せて、熊男に言った。


「ねね。案内、してくれない?」

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