【番外編】あたしのバレンタイン
チッチッチッチッチッチッ……。
時計の音がやけに大きく聞こえる。
薄暗い廊下を電気もつけず、抜き足、差し足、忍び足ってね。
ただ今時刻は夜中の一時。
こそこそと忍び寄るはあたしん家の食料庫――すなわち、キッチンってことなんだけど。
あたしの手には、部屋に隠していたチョコレート。調理用の塊になってるやつと、ピンクとか白いペンになってるやつ。でもって、ほら、銀のつぶつぶのね? マゼラン? マザラン? そうゆうやつ。
大事なアイテムは手元のビニール袋に確保。でも一個ね、あたしの部屋では保存できなかったものがあるのよ。
そっと、そーっと冷蔵庫を開ける。
二段目の一番奥。ヨーグルトの並びにしれっと紛らわせた最後のアイテム。
それは――それは……あ、あれ?
…………ない?
なぜに???
ぱちっ。
「朱実、あんた何してるの」
「っひゃあ! お、お母さん……っ!」
急に電気がついたかと思うと、後ろから声をかけられて、びっくりして悲鳴がでちゃった。
振り返るとそこには母親が立っていて、心配そうな目でこちらを見ている。
「あー……いや。喉、渇いちゃって」
「夜中にジュースとかやめておきなさいよ。お茶かお水にしときなさい」
「あ、うん。あの。お母さん」
「なあに?」
「……ううん、なんでもない。おやすみなさい」
アレの行方を聞こうと思っても、明らかに怪しいもんね。
ビニール袋を後ろ手に、あたしはどうにかやり過ごす。
母親もちょっと不審に思った顔をしたけれど、そのままくるりと背を向けた。
……っはぁ~~っ。
何とかやり過ごした。
でも、ほんとにどこ? どこにあるの?
折角手に入れて、こっそり置いておいたあたしの生クリーム……!
ってところでハッとする。
もしかして。もしかしなくても、今日の晩御飯! そう言えばジャガイモのポタージュだった!
つまりあたしの胃の中ってこと?
んもう、お母さん! 自分が買ったかそうでないかくらい覚えておいてよね!
美味しかったけど。けどさあ……また買い直しかぁ~……ハァ。
がっくり肩を落としながら、あたしは自分の部屋へととぼとぼ戻ってゆく。
そもそも、あたしがなんで、こんなに気を張ってるかってね。きたるXデイまでもはや日がないわけ!
ん? なんの日かって?
そ、そんなの。決まってるじゃない。バレンタインよ、バレンタイン!
そりゃあ魔人界にバレンタインがないことは知ってるけどね。
こういうのは、ほら。気持ちの問題というかなんというか……。
……ああもう! あたしが熊男にチョコレート贈りたいんだからいいじゃんそれで!
明日は土曜日。バレンタインは火曜だからまだ余裕はあるけれど、明日は朝から熊男に会いに行く予定だし、日曜日は朝からお母さんとお出かけ。
いくらお出かけといっても、お母さんがいたらねえ……生クリームなんてさ、この時期に、何に使うかなんて、すぐバレるじゃん?
あたしやだよ、さすがに親にバレるのは!
どうせ生温かい目で見守られるんだから!
そんななんとも言えない空気感、耐えられるわけがないでしょう!?
ってなわけで、夜中にこっそり調理することを狙ったんだけど、材料がないなら今日は無理だ。
ああもう、ほんと、どうしよう。
***
土曜日。
今日は一日熊男たちと遊んで来て、帰ったらもう晩御飯ですよ。
この時間から外に出かけるのも不自然だし、ほんとのほんとにどうしよう。
明日に賭けるしかないのかなあ。でも、明日はお出かけ……ん? そうだ!
ぴこーん、とあたしは閃いた。
朝、お腹痛くなったことにして、お母さんだけに行ってもらえばいいんじゃん!
そしたらあたしはこの家でお留守番。もはや家の主人と言っても過言ではない。買い物に行こうがキッチン使おうが、全て思いのままじゃない。
んもう! なんでこんな簡単なこと思いつかなかったんだろう!
よしよし今日は安心して眠れるわね。
――ってことで。日曜日。
結論から言うとね。
失敗した。
ああもうあたしのばかばかばか!
午後はデパート寄ってこうねって、お母さんの言葉につられたあたし馬鹿っ!
でもね。でもでも、しょうがないじゃない。
デパートなんて、当然行くに決まってるでしょう?
お洋服買ってもらえるかもなのに、見過ごすはずがないじゃない。
あたしは新しくゲットした、真っ白いマフラーを抱きしめる。
今までは、もこもこしてぶ厚くて、カラフルな柄物しか持ってなかったんだもん。ちょっと子どもっぽいなあって気になってたんだもんね。
うふふ。
今日からちょっとお姉さん。
魔界で白はとっても珍しいから、熊男、気づいてくれるかなあ?
にこにこ。にこにこ。
上機嫌なあたしは、マフラーの入ったショッピングバッグを抱きしめたまま、車の中で鼻歌を歌う。
「アンタ、ほんと最近楽しそうねえ」
お母さんも隣でにこにこ。
そのあとはお母さんの晩御飯の支度を手伝って、美味しいごはんを食べましたとさ。めでたしめでたし。
…………ってなことには、ならないのよねっ。
あー、どうしよ。あたし、ピンチ。本気でピンチ。
生クリーム、まだ手に入れてない……っ!
明日は平日だし、バレンタイン前日だから、出来れば今日のうちに完成させておきたい。
万が一失敗したとしても、明日フォローできる余裕が欲しいもの。
だから、あたしは今から、どうにかして生クリームを手に入れないといけないの。
最悪、生クリームなしでチョコレート溶かして、デコペンでデコる、とかも考えたんだけど……なんだか違うなって思うんだよね。
っていうか、生クリーム入れた方が絶対美味しいし。料理作ってる感あるし。ちょっと大人っぽいっていうかなんていうか。とにかく、生クリームは! 絶対必要なの!
うっかり晩御飯食べちゃって、時間はすでに夜の八時前。今からスーパー、もしくはコンビニ?
そそくさとあたしはキッチンを抜けて、二階の部屋へと駆けてゆく。で、財布を懐に忍ばせて、抜き足、差し足、忍び足。タローの動きを見習って、そーっと玄関へと辿り着く。
コンビニまでここから四百メートル。大丈夫。サッと行ってサッと帰って来れば、バレないバレない。
そう思ってあたしは、玄関の扉をガチャリと開けた時だった。
「アンタ、何してるの!」
「うっ」
後ろからいきなり怒鳴られて、あたしは硬直した。
終わった。
やばいこれ、振り返りたくないやつじゃないですか。
「こんな時間からどこに行くつもりか聞いてるんだけど?」
「あーそれはですねえー、つまりですねー……」
ぎぎぎぎぎ。
ぎこちなく振り返ると、鬼の形相と言うのが相応しいお母さんが仁王立ちで見下ろしてくる。
ひいい、お母さん? あの、お手柔らかにね?
熊男のお父さんよりよっぽど魔王みたいな顔になってるけど?
「……前にした約束、破るつもり?」
「そっ……それは。あ、でも、コンビニだし……」
「行きたいなら一言声をかけなさいと行ってるの!」
「うっ」
それを持ち出されるとあたしは弱い。
そう、熊男たちと出会ったあの時、やっぱり人間界でも同じだけの時間が過ぎていたらしくて。
帰ってきた時、そりゃあもう、上を下への大騒ぎだった。
両親には大泣きされて、落ち着いたら今度はこれでもかってくらい怒られて――でもって、あの世界のことなんか言えるわけがないじゃない? あたしもあたしで話さないものだから、学校の先生にも警察にも問い詰められて。
まあ記憶喪失的な? 余程怖い目にあったのね的な? そんな感じで大変だったわけ。
いらないって言うのにカウンセリングに連れてかれるわ、両親は前よりべったりだわでさ、やっぱり今でも心配されておりまして。
……夜にひとりで出かけるのは、やっぱりまずかったみたい。
あたしは母親にズルズル引きずられて、リビングで正座させられる。
「お母さんと約束したこと、言ってみなさい」
「……出かけるときはちゃんと連絡する」
「そうね。でもね。その前に、夜にひとりで出かけるなんて、危ないってことわかってるわよね? あなたももうすぐ五年生なんだから。それくらいの判断、自分で出来るようになったと思ってた!」
「うう……」
「他のうちの子は良くてもね、アンタは……アンタは、お母さん心配するの、よく知っているでしょう!?」
「……」
あたしが反論できないでいると、隣でお父さんがまあまあとお母さんを諌めている。
でもお母さんはそれを一蹴して、あたしが手に持ってた財布を取り上げた。
「あっ……」
「ちゃんとできない子には、お小遣いなんか必要ありません!」
「や……」
あたしは、つい両手を前に出して財布を追ってしまったが、お母さんにその手を払われる。
今日は、日曜日。
明日は、月曜。そして、明後日は――。
やだ。
だめだ、間に合わない。
「うっ……」
うううっ。ううっ。
あれだけ、張り切ってたのに。あたしはただ、熊男に。熊男にチョコレートを。
そもそも、なんでこんな時間に出かけなきゃいけないって――。
「っ……何よっ、なによっ! 全部、お母さんのせいじゃないっ!」
「!?」
「うううっ、おかあっ……さんが! あたしのっ。あたしの――」
「お母さんが何したって言うの」
「お母さんがあたしの生クリーム勝手に使ったんじゃない……っ!!」
一回堰が切れるともうだめだった。
涙はとめどなく流れてくるし、言葉もうまく紡げない。
ひっくひっくと息をして、あたしは目をこするだけ。
お母さん目を丸めて、隣のお父さんと視線を交わしてる。
そもそも、お母さんがあれを使わなかったら、あたしだって、隠れて外出しようなんて思わなかった。
……もちろん、ひとこと声をかければよかったのかもだけど!
だって、しょうがないじゃない。どうしても、見つかりたくなかったんだもん。
「もういいもんっ。お母さんの馬鹿っ!!」
「ちょっ――」
お母さんの制止を振り切って、あたしはリビングを後にした。だだだっと階段を駆け上がり、ひとり部屋に閉じこもる。
お母さんは追ってくる様子はなかった。
でも、部屋の外には出たくない。
あたしはひとり布団にくるまって、ただただひとり、泣き続けた。
***
月曜日。
朝から憂鬱な気分で学校に行き、帰ってきたら、ごはんも食べずに自分の部屋に引きこもる。
明日はいよいよバレンタイン。熊男には、夕方、会いたいなって伝えてたから、きっとあの森で待っているだろう。
もちろん、何の日かは彼も知らないはずだけど、せっかく来てもらうんだもん。何もできない自分が嫌だ。
「うっ……」
情けなくて泣けてくる。
このあたしが泣いてることにも、自分で自分にびっくりして。
思っていた以上に、あたしは熊男に喜んでもらいたかったみたい。
「うっうっ」
布団にくるまって泣いていると、こんこんと、ドアをノックする音が聞こえた。
「朱実」
あー……お母さんだ。
そろそろ晩御飯の時間だからね。呼びに来たんだろうけど、今、あたしはお母さんの顔は見たくない。
「……」
「朱実、入るわよ」
「っ! だめっ」
がちゃり。
あたしが布団から頭を出したのと、お母さんがドアを開けたのは同時だった。
目があってあたしは硬直する。
お母さんは、ドアのところで立ったまま、静かにあたしを見下ろしていた。
その顔は怒ってるとかそんなのではなくて、どちらかと言うと、困った顔。
そしてお母さんは、そのままそっと、手に持ってる何かを前に出す。
「あ……」
「これでいいの?」
お母さんが持ってるのは、手のひらサイズの小さな紙パック。何と言われなくても、あたしはわかる。
ずっとずっと欲しかった、生クリーム。
「……うん」
それ以上の言葉が出てこなくて、あたしはこくりと首を振るだけだった。
でも、お母さんはあきらかにほっとしたような顔をして、そう、って息を吐く。
「勝手に使って、お母さん、悪かった」
「うん……」
お母さんは何も言い訳をしなかった。
じわりと心に響いて、あたしも頷く。
「……勝手にお出かけしようとして、ごめんなさい」
ぼそりと呟いたあたしの声が聞こえたのだろう。お母さんは満足したように目を細め、ごはんだから早く来なさい、と口にする。アンタが嫌じゃなかったら、その後手伝ってあげるから、とも。
お母さんは何も聞かなかった。
あたしも何も言わなかったしね。
あたしがせっせこひとりでチョコレートを湯煎にかけてて、危なっかしい手つきになってようと、遠くでちらちら見てるくらい。
後は道具の出し入れだけ手伝ってくれたくらいで、はやし立てたり、根掘り葉掘り聞こうとか、そう言うのはなかった。
ただ、リビングでお父さんがそわそわしてるのを、そっとたしなめているくらいかなあ。
…………あ。
お父さんの分、計算するの忘れてた。
熊男に、タローでしょ? あとはマリィと鳥だけど、鳥は鳥だから計算入れてなかったし……うーん、マリィの無しでいっか。
今さらあたしから何かあげなくてもねえ。バレンタイン文化があるかどうかは別として、彼女出来たんだもんね。
じゃあ、熊男。タロー。お父さん。
これで完璧だね。
デコレーションは……タローとお父さんは、銀色のマゼラン? マザラン? でキラキラさせて。
あー熊男は……。
あたしはあらかじめ用意してた型を手に取る。
ちょっと浮かれすぎかなあとも思ったけど、別にいいよね? 一年に一回だしね?
ってことで、あたしは大きめのハートを手にした。
へへへ。ついつい顔がにやけるけど仕方ない。熊男、きっと喜んでくれるよね。
遠くでお父さんが期待したような目をしてるのが見えたけど、ごめんね、お父さん。お父さんのは、小さな丸型なんだ。まあもともとマリィ用だからさ? 諦めて?
他のよりも数倍慎重に、そっと、そーっとチョコレートを流し込む。しっかり固めて、デコペンで飾ったら仕上がりだ。
……もう、何書くかは決めてるもんね。えへへ、冷蔵庫に入れて……うん、完璧。早く固まらないかなあって、あたしはうきうきしながら片付けをはじめる。
でもって、お風呂に入って眠る前に。ギリギリになっちゃったけど、最後の仕上げ。
きゅきゅきゅっとホワイトチョコで模様を描いて、これで完成!
あー、よかった! これで安心しておやすみできる。明日の放課後。早くお家に帰ってこなくっちゃ!
にこにこ顔に出てるところをバッチリお母さんに見られて、あたしははっと表情を引き締める。
今更だけど、これは完全にばれちゃってるわよね。でもまあ……チョコは用意できたし、うん、しばらくは、そっとしてもらおう。
***
ハート型のボックスにチョコレートを詰め込んで、あたしはそれを大事にかかえた。おニューの白のマフラーを巻いて、さっそくクローゼットへと飛び込む。
クローゼットは相変わらず事務所と繋がっていて、いつもの光景が広がった。
……ううん、いつも通りでもないみたい。
なんだかマリィが部屋の片隅で三角座りしているけど、これは無視で良いのかな?
魔人界に行きたいあたしは、呼び止められないようにさっさと事務所を抜けてしまいたい。
こそこそ歩いてたら鳥が近寄ってきて、マリィの状況についての報告が入る。どうやら、バレンタインという未知の文化を彼女に強要して、愛想を尽かされたとかなんとか?
まあ、それはマリィが悪いし、ダイジョブダイジョブ彼は大人ってことで自分で解決するでしょ。そんなことよりも、あたしは早く熊男に会いたい。
マリィをなぐさめる係は絶賛鳥に譲るとして、じゃあね、と魔人界への扉を開けた。
「朱実」
扉を開いた瞬間、ふわっと漂うのはみかんの香りだった。
あたしを待っている間に、タローと二人でみかんパーティしていたらしい。
魔人界は年中過ごしやすい気候で、あたしの今の服装だとちょっとだけ厚着になる。それでも、白のマフラーを巻いたまま、あたしはそっと、熊男たちに近づいた。
ちらちらとあたしはタローに目配せすると、彼も何かを察してくれたらしい。
流石みかん忍者。テレビによる英才教育で、人間界の文化に精通しているだけのことはある。
後で義理チョコあげるからね、と心の中で念を押しつつ、彼に軽く手を振った。
ぱたん。
森の中に繋がった光の扉を閉じて、あたしは後ろ手に、チョコレートを隠し持つ。
あー……そう言えば、なんて言って渡すのか、全然考えてなかった。というより、もちろん、考えはしたんだけどね。結局まとまらなかったというかなんと言いますか。
熊男はもちろんバレンタインなんて文化を知らないわけで、まずはそこから説明しないといけないのよね。
つまり――日本だと、その。こ……恋人たちの? おまつりっていうか。女の子が、好きな男子に? チョコレートをあげるとか。うんまあ、そう言うの。
ええと、つまり、あたしの口から、熊男が好きだってことをわざわざ説明しないといけないわけで。そんなの耐えられそうになかったからこそ、結局結論が出てないわけで。
ああ、どうしよう。うっかり本番当日になっちゃったけど。
あたしが何も言えずにもじもじしていると、熊男は大きな図体で、きょとんと小首を傾げた。
まっすぐ見つめられて、あれ、もしかして、後ろのチョコ見えてたりする? とか、気が気じゃない。
ぎゅう、とチョコレートを掴む手に力が入ると、熊男はしゃがみ込んで、あたしと目線を合わせてくれた。
「今日、いつもとちがう?」
「え?」
「もこもこしてる」
「あ……えと」
壊れ物を扱うみたいに、そっと熊男は手を差し出して、あたしのマフラーをつまんだ。
ちゃんと気付いてくれたことに、柄でもなく心が浮き足立って、あたしは目をそらした。
「今日のために、買ってもらったのよ」
「白、かわいい」
「……ありがと」
あう。
熊男ってば!
あのね、素直なのは悪いことじゃないけど。褒めてくれるのもとっても嬉しいけど、なんだかもう気恥ずかしいというかむず痒いというか。ストレートすぎてあたしには耐えきれないというか! でも、まあ、悪い気はしないわけで。
あたしも浮かれすぎてることに自分の頭を叩きたい気持ちになるけど、今、手は後ろでチョコレート、隠しているわけでして。動きに動けなくて、視線をきょろきょろさせることしかできない。
「どうしたの? いつもは、七日に一回。今日は珍しい」
「それは――」
普段、火曜日に来る事なんて滅多にないからね。
熊男も、いつもとは違う様子に気がついているのか、あたしの様子を不思議そうに見ている。
「あの」
なかなか言葉を切り出せなくて、あたしは口ごもる。
「その……あたしのとこじゃ、今日って、その。特別な日? でね。えっと」
どうしよ。上手いこと説明する言葉が見当たらない。いや、うん。ストレートに言えば良いんだろうけど。あたしの口からはどうにもこうにも、声に出せないというかなんというか。
「だからっ! 一緒に……一緒にいたいひとに、チョコレートをね? 渡す日って言うか」
ばしっと。
それでも覚悟をきめて、あたしは両手を前につきだした。
赤いハート型の箱。もちろん、チョコもハートも、熊男にはピンと来ないかもだけど、しょうがないでしょ。渡したかったんだもん。
「一緒にいたいひと? だったらタナモロも」
「だあああちがうっ! ちがわないけど! ちがう! もぉー! 熊男っ」
「えっえっ」
「そうじゃないの! 熊男は、特別なの!」
両手をぎゅっと握りしめ、声を大にして叫ぶ。
特別、っていう言葉を言った勢いで、どうにでもなれって勢いで続けた。
「だからっ。熊男のは本命って言うかっ。……言わせないでよ、馬鹿ー!」
「えっえっ」
「大人しく食べれば良いの! わかった!?」
「うっ? うん」
あたしの言葉に、熊男も戸惑いながらも、大きく頷く。そしてチョコレートを受け取って、嬉しそうにリボンを解いていった。
あたしとしたことが、柄でもなく、ちょっとドキドキしてる。
丁寧に作ったし、失敗もないのはわかってるんだけどさ。ほら、種族も違うし? 口に合わなかったらどうしようかなとか、本当に喜んでくれるかなとか、心配事はつきないわけで。
チラチラと、熊男の様子を確認すると、彼は茶色の食べ物を不思議そうな目で見ていた。くんくんと匂いを嗅ぐと、甘いものだと理解したのだろう。たちまち嬉しそうに笑っては、そのチョコレートを指でつまむ。
あっあっ! 生チョコだからね? 柔らかいし溶けるから! 早く食べて形が崩れるっ。って慌てるけれども、熊男はあたしの心配事なんてわかっちゃいない。
「なにか、書いてる?」
「……まあ、ちょっとね」
流石に文字は読めないらしい。けど、それでいい。読まれてしまったら恥ずかしさで死ねるから、はやく、食べてしまってほしい。
「ん。おいしそう。はんぶんこしよ。朱実」
にっこりと笑って、熊男は両手をチョコに添える。
ハートの真ん中をしっかり割ろうとして、あたしはあわあわ彼の腕に手を伸ばす。
「っ!? だめ! だめーっ! 割っちゃ、だめだから!」
「えっえっ」
「ハートは! 真ん中で割っちゃ駄目なの! そのまま食べるの! いい?」
「でも」
「でもも何もないの! いいから、熊男はそのまま全部食べるのーっ!」
ついついまた声を荒げてしまったけど、全部、全部熊男が悪いんだから。
あたしの言葉に、熊男はたしなめるように笑って見せた。そういう表情するの、ちょっとずるい。あたしばっかり子どもみたいなんだもん。
熊男は何も言わず、そのチョコレートを口にした。
やっぱり熊男には、ちょっと小さかったみたい。ぺろりとひと口で平らげてしまって、ドキドキするのとちょっとだけ残念な気持ちと、ふたつの気持ちがまぜこぜになる。
「ん、あまい」
でも、熊男が満面の笑みを浮かべてくれたから、それでもう満足。
チョコレートに書いていたのはね『LOVE』――なんだか子どもっぽくって馬鹿みたいな言葉だけど、あたし、まだまだ子どもだもん。でも、まあ、そう言う気持ち? 熊男がのみ込んでくれて、あたしはもう、それで十分。
あとは一緒にいられたら――そう望んだところで、身体がひょいと持ち上げられる。
抱きかかえられると、熊男と目線が合うから、困る。
満足そうな顔が見られらから、あたしは、もういい。胸がいっぱいになって、どうしていいかわからなくなるけど、彼はそのままふふふと笑うから、あたしも釣られて笑みを浮かべる。
「はやく大きくなるといい」
「うん。だから、ちゃんと、あたしと一緒にいるのよ?」
「チョコレート、一緒にいたいから、食べたよ?」
「……そうね」
熊男の素直さに、ついつい釣られてばかり。
だけど、今日はそれもいいかってあたしも思う。
「大きくなるまでも、大きくなっても、一緒にいようね」
ハッピーバレンタイン!




