あたし、連れ去られる。
魔王の城をすっぽり覆う巨木。その枝の間を、アルフは器用にくぐり抜けていった。
「待って、アルフ! いきなりすぎるからっ! お願い、帰してくれないかしらっ」
「あぁー、いいなあその声。幼い子の声は可愛いな」
蕩けるようなイケボで、彼は幸せそうに呟いた。
瞬間、あたしの脳天に雷が落ちた心地がする。
もしかして、目の前のアルフ。超絶イケメンイケボで、富も権力も持ち合わせた完璧なダークエルフは。まさか。まさかの――。
「ロリコンなの!?」
「怒った顔も可愛いけれど、そんなにぷりぷりしてると、今度は泣かせたくなるなあ」
ぞわわわわ~~~~!
ひええ。
いやもう、全身に鳥肌たつのは仕方の無いことでしょう。
上機嫌で今、肌をツンとされたけどやめろ! やめてくれ! 寒気が止まんないからやめてくださいお願いします!
「今の奥さんたちもちょっとお姉さんになってきたからね。そろそろ若い子が欲しいと思ってたんだ」
「あたしじゃあ若すぎると思いませんかね」
「マリュウシオンが言ってたよ。人間の寿命は短いから、一刻も早く結婚したいんだって? 私たち、丁度いいと思わないかい?」
「思いませんーっ!」
「照れてるんだね、わかってるよ」
いやあ。やばい。
こ、こいつ、この超絶イケメン。本物だ。
本物の、変態だーっ!
「てか、待って? 今の奥さんたち? え? お嫁さんもういるんじゃ……」
「当たり前だろう? 朱実で五十八人目かな」
「鬼畜っ!」
「ありがとう。上手くやっていけそうだね、私たち」
「褒めてないわよ!? 無理だよ!? お願い、無理だからっ!」
だから帰してちょうだい、って全力でわめき散らすが何のその。枝の間をすり抜けて、アルフは高度を上げてゆく。
「いやあ! 助けてーっ!!」
喉がつぶれそうなほど、全力で悲鳴を上げたとき、あたしの目の前を何かがかすめた。
それは、鮮やかなオレンジ。
月夜に光るはなまくら刀――。
「ござらんっ!」
枝から枝へ。飛行ではなく、跳躍する小さな影。
その姿を見つけた時、あたしは全力で彼の名を叫んだ。
「タロー!」
「御座候っ!」
ただ今参上つかまつった! そう言わんとする彼の表情は、今までにないほど凜々しかった。
オレンジの忍者装束を身に纏った犬だか猫だか分からないなにか――タナモロは、今まで朱実が見たことないほどに圧倒的に忍者で、圧倒的にヒーローだった。
元々用心棒としても相当な力を持っているタローだからこそ出来る動きなのだろう。
あっという間にアルフに追いつき、なまくら刀で斬りつける。
しかし、そこは流石ダークエルフの公子さま。ぶぅん、と宙から、彼自身も剣を取り出すと、タローの刀をはじき返した。
「すごい! タロー! やっちゃいなさい!」
がさっ、がさがさっ!
タローは一旦枝へと降り立って、再び反動をつけては食らいつく。
アルフも、タローは厄介な相手だと判断したのだろう。綺麗なご尊顔が醜く歪み、彼の余裕のなさが浮き彫りになる。
だったらあたしもじっとしてはいられない。どうにかして、タローに協力することが出来ないだろうか。
唇を噛んでタローの方を見る。すると、タローは枝からジャンプした瞬間、己の懐に手を入れた。
一体全体なんだろう、と思ったが、そこから現れた鮮やかな色彩を見た瞬間、あたしは全てを悟る。
ちょっと平べったい小ぶりな球体。艶やかな表面に緑のへた。ざらざらした手触りはご愛敬。
タローが求め、愛してやまなかったオレンジ色。
どこからどう見ても、見間違えようのないそれ。冬とこたつによく似合う、ジューシーな和の心。それはみかん。
そしてあたしは気がついた。
今、アルフが飛ぶのを邪魔している、この木、この葉っぱを、あたしは知っている。
つやっとして丸みを帯びた緑色の葉。あり得ないくらい育ちきっているが、この木はもしかして――もしかしなくても、みかんの木!!
一体みかんに何が起こったのか。
何でこんなことになったかはさっぱり分からないが、よくよく目をこらしてみたら、確かにみかん色がそこここ見える。ここに実があるよと主張しているわけで。
今日、タローがいなかったのって、もしかして、この木の所にみかんを食べに来てたとか?
なにこれ何今日、収穫日!?
いやまさかそんなことは……と考えて、あたしは気付く。
これってもしかして、あの、みかんの種?
給食みかんの残り一個。タローが大切に懐にしまい込んでいたあの種。そもそも、食用みかんの種って芽が出るものなのかは知らないけれど。
それを植えたら、急激に育ったって……まさかそういうこと!?
もはや何が何だか分からないが、ひとつだけ言えることがある。
タローは確かに、今、多くのみかんを抱えているってこと!
ひゅん!
タローが飛び道具がわりにみかんを投げる。
たいした攻撃力はないだろうけれど、アルフからすると未知の物体だろうからね。当たらないように、かなり集中していることはよく分かる。
「タロー! こっち!」
だから、あたしは手を伸ばした。
刀を振るかわりに、タローもあたしにみかんを投げる。
あたしの小さな手に掴ませるには至難の業だろう。それでもタローはやってのけた。
ぱしっと左手に衝撃が走る。
あたしは、確かにみかんを掴んだのだ。
アルフは変わらずタローに集中している。
だからこそ、即座にあたしは皮に指を突き立てた。
ぷしっと皮を押しつぶす感覚の後、綺麗な顔を目がけて、あたしは腕を振り落とす。
しかし、あたしとアルフでは、身体能力の差は大きい。
その手が顔にぶつかるより、アルフの手が反応する方が早かった。そうして彼はあたしの腕を掴む。
でも、残念、もう遅い。
今しかない! そう心に決めたあたしは、そのまま手の中のみかんを全力で握りしめた。
びしゃっ!!
「……っぐあっ!」
勢いよくみかんの汁が周囲に飛び散る。
もちろん、あたしの手の前にはアルフの顔。
涼しげなその目に大量の汁が飛ぶのと同時――タイミングをあわせて仕掛けたタローにも気をとられたアルフは、あたしを抱える左腕の力がゆるむ。
「っ!」
瞬間、あたしの体は投げ出された。タローの手を掴むことも出来ず、問答無用に落下する。
遠ざかっていくタローたちを見つめながら、あたしの体はどんどん落ちていく。
何度か木の枝に掴まろうと手を伸ばすが、上手く掴めない。
小さな手は葉をちぎるだけ。小枝が手に当たって痛い。それでも、掴まりきることは出来なかった。
だめ! だめだめ、これはまずいっ。
タローも側には来られなくて、落下するのはあたしひとり。
丁度あたしの真下は泥の沼。フサ田さんがいるでもなく、たたきつけられて、衝撃で死ぬのが先か、毒に侵され死ぬのが先か――。
嫌だ。嫌だ嫌だまだ死にたくないっ。
がさがさと、容赦なく小枝が体に当たって痛い。それでも落下は止まらなくて、最早為す術はない。
だめだ。
駄目だ駄目だ。もう駄目。もうっ。
「やああ! 助けて――――っ!」
恐怖で口をついて出た言葉は、助けを乞う声だった。
ぎゅう、と己の腕をかき抱き、目を瞑る。
本当に、この世界にやって来た時みたい。
あの時も、気がつけば真っ逆さまに落ちていて、それでも、下にフサ田さんがいて、そして――。
「朱実っ!!」
熊男が――。
「!」
あたしは、閉じていた目を見開いた。
だって、熊男の声が、聞こえたんだもの。
そうだ、あたしは知っている。
熊男は、臆病なだけのひとだった。誰よりも、優しくて、誰よりも身体能力があって、ちゃんとあたしを大切にしてくれる。
「熊男――っ!」
見えた。ずっと下の方。太い枝をつたって駆けてくる大きな体。
いくら巨木でしっかりした枝だからって、なんて無茶をするのだろう。
熊男ほど大きな図体じゃ、思いっきり揺れるし、不安定だろうに。誰よりも臆病なはずの熊男は、タローにも負けないスピードで、枝から枝へと飛び移る。
「朱実っ」
声のした方へ腕を伸ばす。かなりの速度で落下するあたしに、熊男もまた、手を伸ばした。
ぼふっ。
瞬間、あたしの体に大きな腕が巻き付いた。
かなりの衝撃だったけれども、痛いとは思わない。ちょっと柔らかくて、温かい。すごく、優しい腕だった。
「うっ……ひっひくっ」
上手いこと言葉が出てこなくて、あたしは全力で、あたしを抱き留めてくれた手にしがみついた。
「うっううっ……うっ」
「朱実……なんだか僕みたい」
「うっうっ……うるさいっわねえ」
そうしてそのまま、あたしを抱きしめた熊男は、しっかりとした太い枝へと降り立った。
あたしは変わらず、まともに息ができなくなってて、どうにもこうにも顔を上げられない。
だってしょうがないじゃない! その――怖かったん、だから。
うん。いや――あたしだって気がついてるの。
さっきから、ぽろぽろぽろぽろ目から、汁がさ。ううっ、これは、みかんの汁が目に入っただけなんだからねっ。そのっ、怖かったから泣いてるわけじゃ、ないんだからっ。
そうして顔を上げられずにいると、あたしの左手が、大きな熊男の指に掴まれた。何、と思った瞬間、ぺろり、と温かい感触が走って目を見開く。
「ん……? 甘い?」
「なっ……ななっ」
息が止まりそうだった。
みかんを握りしめていたあたしの左手。小枝を掴み損ねたその腕には、たくさんの小さな傷ができている。
それを熊男は大きな舌で舐めとっては、綺麗にしてくれているつもりらしい。
「ちょっ……馬鹿っ! なんてことしてるのよっ」
「えっえっ。だって、血が出て……あ」
「ん?」
「泣いて、た?」
あっ。いやっ。これはそのっ。
言葉にしようとしたがとっさに出てこなかった。
ばっちり顔を見られちゃったから、涙が出ちゃったこともばれてしまったらしい。
気まずくてあたしはふい、と視線を逸らす。
「みかんの汁が、目に入っただけだもんっ」
「えっえっ。でも」
「でもも何もない! 馬鹿! 熊男の馬鹿っ!」
「うっうっ」
「なんでもっと早く来ないのよっ! 馬鹿――っ!」
ぽかぽかと、彼の腕を叩くけど、熊男は好きにさせてくれるらしい。
もちろん、これが八つ当たりってこともわかってるんだけどね。でも、怖かったんだから、仕方がないじゃない。
気が済むまでぽかぽか叩いて、ようやく、あたしの呼吸は元に戻ってくる。
ぼふっ。
だから、あたしは熊男の体に抱きついた。身長差があるから、腕を回したりは全然できないけど、それでも、あたしはしがみつく。
熊男も熊男で、あたしの気持ちをどう察したのか、その身を屈めては、あたしに手を伸ばす。
大きな手。あたしを簡単に握りしめられるほどのその手で、彼は、優しくあたしの頭をなでた。
「もう、大丈夫。ごめんね。僕が、一緒にいるから」
ああもう、本当に何も言えなくなるじゃない。
あたしは、熊男を差し置いて、勝手にアルフについて行って。突き放したのは、あたしなのに。
熊男は、全然謝る必要なんかないのに。
「何で優しくするのよっ、熊男の馬鹿っ」
「えっえっ」
「……。…………。…………うそ」
「?」
「怖かったでしょうに、よく、登ってこれたわね」
「朱実が空に連れてかれるの、見えたから」
「適当な枝に掴まって、登ってきた? ……ほんと、信じられない」
熊男ってば、すごい。
魔法全然使えなくても、熊男だったら問題ないじゃない。
ふふふっ。
くすくすとあたしは笑って。
でも、ちゃんと、言うことは言わないといけなくて。
あたしは、ちゃんと、彼と目をあわせて。
一回しか、言わないからねって、伝えてから、ちゃんと、気持ちを言葉にする。
「……ごめん。ありがと」
なんだかとっても気恥ずかしくなって、あたしは熊男の体に顔を埋める。
黙ったままそうしていると、熊男は相変わらずあたしの頭を撫でてくれているようだった。
「朱実、良い子」
「子どもみたいな扱いしないで」
「……うん」
その顔は見られないけど、きっと、彼は笑ってると思う。ちょっとだけ困ったように眦を下げて、優しい微笑みを浮かべているだろう。
そしてあたしは、そんな彼の顔が嫌いじゃない。
本日(2月5日)、夜、完結予定。
2話同時更新します。




