あたし、エルフ騎士団長にフラれる。
――かぽ~~~ん。
静寂の中響き渡るのは、獅子落しの音。凛とした空気に響く音を背に、あたしは、高鳴る胸の音を押さえ込むように深呼吸する。
「ご趣味は?」
緊張で震える声を絞り出す。静寂の中、高く透き通ったあたしの声だけが響き渡った。
日本ではあまりに使い古された台詞だ。しかし、沈黙を前にして、定番の質問のありがたさを実感する。
今日という日に、あたしは賭けていた。
会いたくて会いたくて仕方の無かった殿方。
少しでも魅力的な自分を見せたくて、肌を潤し、髪のツヤを増し、とっておきの振り袖で挑んでいる。普段はしない紅だって、和服に合うよう真っ赤にひいて。
テーブルを挟んで正面。
純和風のこの応接室には似合わない金髪碧眼男子がそこにいた。長身で、透き通るような白い肌。物語の王子様みたいな完璧な風貌。
でも大丈夫。今日のあたしは完璧な淑女。彼にふさわしい女性として、肉食獣の牙は隠してしんぜましょう。
にこりと笑顔でバリアして、大人の余裕を見せつけてあげる。
そうして、うふふ、と頬に手をあて、あたしは返事を待ったのだ。
だからこそ、彼もまた、にっこりと蕩けるような笑みを浮かべて、返事を寄越したわけで。
「君みたいな、子どもじゃない子がいいな」
***
「だああああ、何でっ! 何でなのよ!? ご趣味はって聞いたらさ、普通、読者とか、映画鑑賞とか、ちょっとワイルドでも狩りくらいを挙げるでしょう? なんで女の子の趣味を言っちゃうわけ!? 信っじられない! エルフでしょ! エルフ紳士でしょ!? どうして平気な顔して猛毒吐けるわけ!?」
「いやー、今回のは若干嫌がらせだと思われたと思うよ? 今回のお見合いの斡旋だけで、契約切られちゃったよ、彼から」
「なーにーよー! あたしだってこの結婚相談所のね! イチ会員としてね! お見合いする権利くらいあるのよなのにアイツったら」
「ああー会員の前に、所長なんだけどねえ……はいはいどうどう」
あたし、橋桁朱実は失望していた。
ひとしきりわめいても、なかなかあたしの気持ちは落ち着かなかった。
今日という日のために、あたしはわざわざ幻人界エディンの若返りの温泉まで行った。
お肌はつるつるぴかぴか、髪の毛には天使の輪。大和撫子にふさわしい和服で決めて、最高にキュートなあたしで戦に向かったというのに。
「や、さすがにね。十歳の子どもは無理だよ、向こうも」
とかなんとか隣の従業員が言ってくるけど。
ほんの十年もすれば解消されるようなくだらない理由でお断りされてしまった。本気で信じられない。
「エルフなんだからどうせ百年二百年生きるんでしょ余裕で。今のうちにあたしを予約しとくとかさあ! そういう甲斐性あってもいいじゃない当然」
「何を根拠にそこまで偉そうになれるんだ」
「ふんっ、本当にいい男ならそれくらい打算で動けるのは当然でしょう?」
胸を張ってあたしは答えてみせる。
目の前の従業員――よく言えば雰囲気イケメン。悪く言えば、きっと女の子に「いい人だよねえ」止まりになってしまう人種の優男マリュウシオン略してマリィは、ははは、とこれまたぱっとしない苦笑いを浮かべる。
とりあえずあたしの趣味の範疇ではない彼には背を向けて、頭を切り換えることにした。
エルフの騎士団長。身分は申し分なかったはずなのに、くうう、惜しいことをした。
でもでも、しょうがない。今日の相手は見る目がなかった。所詮あたしには相応しくないってこと。そうに違いないと言い聞かせる。
「これはもうアレね! 次は妖精王とか魔王とかそういうのを狙いなさいって事ね。騎士団長くらいじゃ私には釣り合わないのよ絶対にそう」
「へえ。頑張ってね。朱実ちゃん」
「もー! ちょっとくらい応援してくれたっていいじゃない、マリィのバカぁー!」
「マリィって言うな!」
どうやって溜飲を下げて良いのか分からない。
こういうときは、ちょっかい出してくる従業員を苛めるに限るが、マリィの反応にはそろそろ飽きた。
あたしが事務所として詰めかけるこの場所は、十畳ひと間の空間にすぎない。
世間一般で言うとあたしは小学四年生。
普通の会社というのがイマイチイメージわかないので、よくわかんないので、それっぽい机を真ん中において、後はくつろぎ空間に仕上げている。
こたつとテレビは絶対確保として、後は会員の資料が積み上がってるくらい。でもって、四方の壁にひとつずつ、合計四つの扉が取り囲んでいる。
マリィの反応がつまんないので、この部屋に居座るもう一人の者に声をかけるしかない。
大量の漫画をこたつの上に積み上げ、どうやって凍らせたのか分からない冷凍みかんをほおばりながら、寒さと温もりの喜びを同時に味わう男が憎らしい。
人と言うにはちんまりとして、柴犬のようなとんがりお耳に、猫のような細長い尻尾。そしてもふもふの毛に覆われた男に呼びかける。
「いーい、タロー?」
ぴょこん。
あたしの呼びかけに、タローことタナモロはすぐさまこちらを向いた。
先ほどまで漫画を読みながらテレビを見るという器用な行為をやってのけていた。
しかし、わんわんなのかにゃんにゃんなのか分からない彼は、性質としては完全にわんこ。あたしの呼びかけには絶対服従らしく、はっはと遊んで欲しそうに口をあけている。
「あたしには時間がないの。タローは協力してくれるわよね?」
「もちろんでござるにゃん!」
「まずはキャラを固定することを覚えようか」
本日も彼の服装は忍者モードなようだった。
背中になまくら刀を背負って、渦巻き模様がいっぱいの忍者装束に身を包む。だがそこは彼の趣味もばっちり入っているらしく、鮮やかなオレンジ色でまったく忍べる様子はない。
みかんが好きなのは分かったが、服までみかん色にする必要は無いわけだが。
ちらとテレビに視線を向ける。
この時間帯はアニメの時間。忍者のたまご達が奮闘するアニメを視聴しては、彼なりの勉強をしているのだろうか。
しかし。甘い。全然甘い。
忍者は影の存在で、クールで、格好良くなければ認めない。
タローのような可愛さアピールすることで、キャラを成立させて押しきろうとするあざとい行動は許せない。
「ねえ、鳥ーっ!」
ってなわけで、あたしは適当な方向に呼びかける。
「いるんでしょ、鳥ぃーっ!!!」
どこにいるかは見えないが、呼びかけた者は、きっとあたしの声が聞こえてくるはず。
呼びかけるだけ呼びかけてしばらく待つと、四角い部屋のど真ん中にぱああああと明るい光が現れた。
蛍光灯の明かりよりも眩しく、白よりも白いそれ。多分宇宙が誕生したときとかに光るアレ。そういう“神々しい”登場をするのは、いつだって変わらない。
一応、結婚相談所っていう体を成している事務所の照明係。
空飛ぶひよこっぽい鳥(神)は、まばゆく輝きながら部屋の中央へと姿を現す。
「……なんじゃ朱実……」
ちょっとうんざりした顔をしている気がするけれども、まあ気にしなくて良いよね。あたし別にひよこ鑑定士じゃないんだから、鳥の表情なんかよくわかんないし。
抑揚のない声をした鳥は、ばっさばっさと部屋に舞い降りては、羽根の形をした光をそこここにふりまいている。
クリスマスシーズンとかだったら、この鳥見せるだけで商売になるんじゃないかな。
「ちょっと、鳥ぃー」
「神じゃ」
「鳥ー、ほら、テレビ。テレビ繋げて。二〇一四年三月。ヨコシマテレビ『やっちまったちゃん』の古倉祐子の回」
「……」
一応目の前にいる鳥(神)は正真正銘神様らしいので、時間をちょいちょいねじる事くらい容易だろう。
録画してなくてもなんのその。こんな便利なシステム、ウチの事務所にしかない。福利厚生に死角はない。
ほい、と鳥の前にリモコンを置いてみると、小さな羽根でぽちぽちし始める。
あたしが頑なに鳥と呼び続けることにも、繰り返される小さな注文にも、あれこれ言うのをすっかり諦めたらしい鳥。
本当に憐れよのう。でも、最早あたしの思うがままだ。
しょんぼりとうなだれたまま、鳥はすぐさまテレビに古倉祐子を映し出す。
「はい。タロー。アンタはちょっと小一時間そこに座って、間違ったキャラを作ることによるいたたまれなさを学びなさい」
「ござらない! ござります! ござる! ござるとき! ござれば! ござろー!」
「今ござるの五段活用求めてないから」
ぴしゃりといってのけると、タローはそわそわばたばたテレビに夢中になりはじめる。
古倉祐子のことは分からないらしいが、彼女がもともとアイドルだったという情報だけで、すでに体勢は前のめり。
……と思いきや、古倉祐子に注目すべきと提示したのに、彼の視線は後ろのひな壇に座っている現役アイドルのデビュー時の姿に釘付けになっていようだった。駄目だ、この教材使えない。
まあいい。時間は有限だ。
今は、本日の自分のやっちまった――もとい、相手の見る目が足りなかったことに関する、今後の対策を立てなければならぬ。
一刻も早く、あたしは魔王か妖精王。それに並びうるVIPな婚約者を見つけなければならないのだ。
金髪碧眼の外国人イケメン程度では、到底満足出来はしない。
何があろうと、安心・安全・信頼の三文字を掲げてくれる殿方が世界の――いや、異世界のどこかにいるはず。
待っていなさい白馬の王子!
……あ、ただの王子じゃ足りないからね? もうちょっと魔法的な便利なやつ使えるやつじゃないとダメダメだからね? 最低、ここにいる鳥くらい不思議な力使えてナンボだからね?
「にしても、朱実ちゃんはいつもばたばたしてるよね。まだ十歳。婚期にすらなっていない子どもじゃないか」
「マリィ、アンタ何も分かってないわね」
ちっちっちとあたしは人差し指を左右に振っては、腰に手をあてる。
まだ十歳。されど十歳。これがわからない人に先見の明はない。
「幼女は武器よ!」
「朱実ちゃん幼女感ゼロだけどね?」
「まあ! いたいけな女の子をいじめるなんてひどいわマリィ! そんなにあたしのこと好きだったの?」
「……なんでそうなるかなあ」
「好きな子ほどいじめたくなるのが、男子のセオリーでしょ?」
「なにそれ」
さも心外と言いたいかのような表現を浮かべてマリィは首を横に振る。
もちろん、あたしもマリィのことは範疇ではない。
けれどこんなにあっさり否定されちゃうと、イラッとするのは仕方がないでしょう?
ムッとした顔をしながら、あたしは好きな子を苛める男子の顔を思い出す。
……おかしい。そう言えばあたしをいじめようとする男子なんかいなかった気がする。
これってあたしが学校でモテてな――いやいや違うあたしは淑女だから十歳そこらのガキとは住む世界が違うのよ。
「……まあ、それは冗談として」
「冗談だったんだ」
マリィの冷静なツッコミに、あたしはこほんと咳払い。
「あのねえ。マリィも人間ならわかるでしょ? あたしたちって意外と寿命短いじゃない?」
「まあ、エルフやら何やらと比べたらね」
「そう。そうなのよ。だからね。短い人生。ほら、早く結婚しないと、贅沢できるじか……じゃなかった。一緒にいられる時間も少なくなるわけじゃない?」
「本音が隠しきれてないよ」
「うるさい! だから、せめて動ける時間はフルで動かないと! 十二までには結婚していたいのよね」
「何が君をそこまで突き動かすんだ……」
途方にくれたマリィの声が聞こえてくるが、あたしは自分の未来のことで頭がいっぱいだ。
将来苦労せず左うちわで暮らすためには、今という時を無駄にするつもりなどない。
異世界に行ったら日本の学校で習うこととかも正直関係ないから、小学校いっぱいでドロップアウト。
その後は魔王夫人とかそう言われて過ごすのだ。扇子を扇ぐだけの使用人とか雇って、ふっかふかの椅子に座って、オホホホホって仰け反りかえるのが当面のあたしの夢。
でもって、旅芸人を呼んでは、顎をくいと上げて高飛車に言い放つの。
『何か面白いことやって下さる?』ってね!
「……まあ、いいよ。早いに越したことはない。……うん。じゃ、じゃあさ。自分のことを一生懸命になる前に、俺をなんとかしてよ。俺こそ差し迫ってるよね? 朱実ちゃん利用者の前に所長でしょ? 俺の面倒も見て欲しいって言うか。俺も会員登録してるって言うか。なんだ。ほら。ここに就職した意味がないじゃないか」
「無理無理」
「即答!?」
「他力本願で婚約者探そうって言う魂胆が、まず無理」
「結婚相談所の存在意義全否定!」
「所長と言えども年下の女の子に頼ろうって言うのも、もう無理。就職して安定した未来を掴もうってあたりが異世界人として不合格!」
「なんだよ異世界人としてって……ってか、一番他力本願なのは朱実ちゃんだよねえ!?」
「うるっさいわねえ。こちとら、自分に優しく他人に厳しくがモットーなんだから!」
呆れて口をぽかんとあけっぱなしになっているマリィの肩に、鳥がぱたぱたと飛んでは止まった。
ぽんぽん、とその小さな羽根で叩いているのは、きっと同情の証だろう。
この程度でへこたれるなんて、まだまだ修行が足りないわね。
せっかくこんな奇天烈極まりない就職先見つけたんだから、御徒町のコンビニへ行くとかみみっちい幸せ見つけてないで、他のことに利用すれば良いのに。
ずるく賢く生きないと! そんなんじゃ権力の方から裸足で逃げるわよ。
……まあ、マリィの長いものに巻かれろ精神は、所長としても実に使いやすいことは認めよう。
あたしが学校に行っている間、彼はせっせと他のお客さんの対応をしてくれているらしい。
巨人族とか海竜のお客さんとか、か弱いあたしにはどうも相手するのに難しい顧客に交渉に行ってくれてる。
下手下手にでるマリィの対応は、おおよそのお客に好評だ。荒療治はタローに任せとけば番犬よろしく何とかなるし、それなりの業績も上げている。
そうやってマリィとタローに頑張ってもらって、あたしはあたしで理想の婚約者を探す。
うんうん、これが持ちつ持たれつ支えあいってやつだ。
「神様ぁ……なんでこんなトンデモ少女に異世界への扉を開けちゃったのですか……」
「うっ」
半泣きでマリィは鳥に訴えかけているが、トンデモ少女なんて言われる筋合いはない。
「あのねえ、ベンチャー企業の社長、くらい言えないの?」
「べんちゃあ……?」
「新しくってアイデアマンな感じよ。マリィったら、社会科の勉強が足りてないわよ」
「いや……朱実ちゃんトコの学校の話されてもねえ」
「ふふん。まあ、あたしの手腕に鳥も黙っていられなかったんでしょうね」
仁王立ちをして、あの時の光景を思い出す。
もくもくと、空は雲で覆われていたどんよりとした空。そこにたちまち、一本の光の筋が降り立った。
まさに奇跡。
あたしの前に舞い降りた神は、今みたいな鳥ではなくて、ちゃんと神っぽい姿をしていたし、周囲にいた人間も、あたしの神秘的な姿に息を呑んでいたあの光景を忘れられない。
間違いがない。
人生の中で、一番気持ちの良い瞬間だった!
「あー……一応、聞かなきゃいけない雰囲気だから、聞いてあげるね? どうやって朱実ちゃんは神様と……」
「ふっふっふ! そんなに聞きたいなら教えてあげようじゃない!」
マリィの言葉に被せながら、私はしっかりと声を張った。
彼が言うように、決して聞かれるのを待っていた訳ではない。それでも、聞きたいと言われちゃあしょうがないじゃないか。
うんざりしているようなマリィの表情を見なかったことにしつつ、あたしはとことこと歩く。
部屋の中央にででんと置かれた所長机。まあここで事務仕事するのはだいたいマリィだが、所長用の机がないと格好がつかないので、これは所長机だ。
律儀に靴を脱いだ後、椅子によじ登り、そこからさらに机の上によじ登る。
さあ聞け観衆よ!
あたしの一世一代の大演説を!




