泊地
ここは泊地である。名前はまだ無い。
そんな泊地にプカプカしている、日本とファイオール公国の艦隊。
ファイオール公国東海域捜索隊司令長官グリーンヒル海軍中将は、こんないい場所があるのかと思った。
波は静かで、風も弱い。聞けば平均水深20メートルという。大型艦も余裕な絶好の泊地ではないか。
しかし、岸には日本の旗が立ってるな。建物が無いと言うことは、彼らも着たばかりなのだろう。交渉の余地はある。この泊地はともかく、西側を手に入れなければ。
彼らが渡してくれた地図だが、自分たちで確認しなければ。今日、艦載機を飛ばし空撮して確認するよう既に命じてある。昨日も飛ばしているが、今日もやって確実にする。南に入り江があるのは、昨日艦載機が確認している。
邂逅から3日目の朝だった。初日は、挨拶と移動で、2日目は移動と泊地停泊で終わった。
彼らは驚いたことに客船を同行させていた。見たところ貨客船のようだが、なかなか良さげな船である。
驚いたと言えば、全艦の排煙がずいぶん薄い。また、他の船も当然ながらいた。
「シュタインベルク君、いろいろ驚かされることばかりだな」
「そうですね、司令長官。普通、概略図とはいえ地図を渡さないと思うのですが」
「昨日艦載機で確認させたが、概ね合っていると言うことだ。今日も飛ばして、詳しく調べさせる」
「空母の連中が文句言いそうですね。他の船はここで休んでいると言って」
「飛ぶのが好きだから大丈夫だろう。高い所が好きそうだからな」
「奴等、それを言われるのを嫌っていますよ」
「半分くらい事実だと思わないかね」
「まあ、そうですな。でもパイロット以外は休みたいと思いますよ」
「帰ったら休暇申請を無理矢理出させて、受け付けてやるさ。多めにな」
「良いことだと思います。司令長官。でも、あいつは定期整備でドック入り予定ですよ」
「ついでに休ませるのさ。気前が良いと思うだろう」
「そういうことにしておきましょう。話を変えますが、南側の入り江が気になります」
「普通は気になるな。泊地候補にしたいんだろう」
「そうです。他の入り江は小さいところが多くて」
「今日、あの客船に招待してくれるそうだが、そこで話してみよう」
「山田少将。今日はどういう話題が出ると思う。忌憚なきところを聞かせて貰いたい」
「大野少将、良いのですか」
「陸軍寄りの作戦だから私が総司令官だが、はっきり言って海のことは分からない。それなら専門家に任せようと思う。大体予想は付くが、意見を合わせておいた方が良いと考える」
「それは、なんと言っていいのか。では言わせて貰います」
「うむ、聞こう」
「まず、日本のことでしょう」
「当然だな」
「そして、この場所の扱いでしょう」
「旗は立ててあるが岸辺にポツンとだ。ここに来たばかりだというのは、誰が見ても分かる」
「大野少将は、どうお考えか。私は、半分でいいと思います」
「本官もそう考えるが、達川君がどう出るかだな」
「それが有りました」
「出る時に訓示は貰っているはずなんだが、内容を話そうとしない」
「出来ないのかも知れませんよ」
「出来ない?」
「知らないとも言います。艦隊行動でも、日時や場所を指定して開封という命令書も有りますし」
「そういう事か。では、今頃」
「開封して悩んでいるでしょうね」
「おしゃべりなくせに前例主義だからな。悩めばいいと思う」
「「ハハハ…・」」
「本国の奴はなんて事を押しつけるんだ」
達川光夫は悩んでいる。外務省外務次官室無任所補佐官が彼の役職だ。要するに便利使いされるための役職だった。
彼が見つめているのは[同等の科学技術を持つ相手と接触した場合のみ開封のこと]と書かれ、赤い機密印が捺された封筒の中身だった。
空母を持ち、電探も使っている。同等でなくて何だと思う。
中身は、
1.敬意を払いつつも、お互いに対等であることを強調し交渉する事。
2.無理な要求は認めない事。
3.これが予備交渉で有り、正式では無いことを強調する事。
4.日本が最大限の利益を確保しつつ、相手にも利益を与える事。
最初に全部書いてあるじゃないか。外交の基本だな。俺はこれでも外交官だぞ。これで全部だろ。この項目以下は、只の注意事項だな。
5.こちらの財政事情を明かさない事。
当然だろう。
6.軍事に関することは、大野少将と山田少将に任せる事。
どうせ軍事は素人だよ。と言うか、当然だろう。
7.ディッツ帝国の事柄で有るが、関連事項が有れば明かしてもかまわない。特に防疫と貿易は重要で有る。
駄洒落かよ。公式文書にこんなこと書くな。
ブツブツと独り言が多くなっていることに気が付かない達川。危ないかも知れない。
8.未探査領域の領土交渉が発生した場合、東側は確保すること。西側は、手に入れることが出来ても管理不能で有り、所有権をちらつかせながら放棄する事。
現状で広すぎるからな、これ以上は負担になるだけだし。と言うよりも今でも負担だ。
これが一枚目の内容だった。二枚目以降は各項目の補足だ。
7が問題だな。どの位まで明かしていいのか。補足事項を見る限り、防疫よりも貿易よりに見える。通産と保健衛生の奴等を始めとして、各省庁から20人来ている。そいつらに任せよう
8は、東側と言うがどの範囲まで日本にする気なのだろう。総司令官に丸投げするか。権限は持っているはずだ。
各省庁から人員が来ていても、最上位の責任者が達川自身だと言うことに気が付いていない。
新田丸のホールを会議室風に設定し直して、会議室とした。
そこに双方から60人程が集まっている。事前に伝染病など防疫に関わることは、予備交渉として行われている。特に問題は無いだろうというのが結論だ。
挨拶を交わすが、個人の顔と名前など覚えきれるものではなく、お互い都度名乗ることにした。
「お招き頂き、ありがとうございます」
「ようこそ、おいでくださいました」
「早速ですが、ファイオール公国と日本の非公式会談という形でよろしいのですかな」
「お互いに出先で全て決められる訳でも無いでしょう」
「確かにそうですな」
「まずは、暫定境界線でも決めませんか」
「大事な事ですな」
日本としては大きな領域は不要だった。既に広すぎる領域を確保している。シベリア大陸でさえ持て余すのに、更に西の広大な領域は現実問題として保持不可能だった。
なので最初に相手が困るだろう境界線を設定する。直線で半分にしましょう。入り江を通りますけれども。
(グリーンヒル中将。わざとらしい線の引き方ですね)
(あからさますぎるな)
(狙いは何でしょう)
グリーンヒル中将とシュタインベルク少将のひそひそ話に入ってきたのは、一応乗せられた外交官だった。スチューダーという名の中年男だ。
(狙いかね)
(そうです。これは何か有るでしょう)
(何か譲歩を迫っているように思えますな)
(シュタインベルク少将はそう思うのかね)
(ここに線を引くと言うことはそういう事です)
(私の見解は、こちらの出方を見ているという考えです)
(有りうるな)
(何故、そう考えたのかね)
(旗です)
((旗?))
(彼ら・日本の方が先にここに来ていた。しかし、この泊地しか旗を立てて主張していない)
(それで?)
(日本は、この広大な陸地の確保に乗り気では無いと考えます)
(これだけ広大な土地をかね)
(もし、既に持っているとしたら、どうしますか)
(持て余すな)
(ああ、そういう事ですか)
(?シュタインベルク少将)
(彼らは、いらないものを放棄して譲歩したように見せかけ、こちらに恩を売りたいのかと)
(確かに表面上はそう取ることも出来るな)
(帰って、交渉結果を公開したときの反応がそうなりそうです)
(そうなれば、外交で彼らが一歩優位になります)
(そうか。でもそれだけでは無いような気がするが)
(グリーンヒル中将。取り敢えずこちらの線を見せて反応を窺いましょう)
(そうするか)
ちょっと海峡に近づくけれど、陸地の配分は多いですよ。
「こんなにいらない」
「達川君、はっきり言ってはいけない」
「予想通り、入り江を確保に来ましたね」
「しかし、海峡に近くなったな」
「海峡から50海里は確保したいです」
「ではこうしてと」
「陸地を減らしたい」
「こうですか」
「上はこちらの主張で、下は彼らの主張ですね」
「ではこれを」
(日本は更に引きましたよ)
(スチューダー君の言うことが正解のようだね)
(まさかとは思いましたが)
(このままでいいのではないですか)
(シュタインベルク少将。それではいかんだろう)
(どういうことですか。グリーンヒル中将)
(相手の思惑に嵌まってはいけないよ)
(では、これでどうでしょうか)
(悪くないね。スチューダー君)
「上を減らしたと思えば、下は増やしてきましたね」
「二回目で決まると思ったが、一筋縄ではいかんか」
「どうしますか。更に譲歩しますか」
「これ以上、土地はいらないのだがな」
「こう言うのはどうでしょうか」
「達川君、いい案があるのだろうか」
「はい。現状航空偵察の結果で決めていますが、誰も上陸していませんよね」
「この泊地だけだな。連れてきた一個小隊では、強化してあるとは言え奥には進めんよ」
「つまり、この線は本当の意味で暫定線という扱いにすればいいかと」
「何が言いたいのだ」
「地に足跡を付けた者勝ちということにしては、どうでしょうか。と言いたいのです」
「ご自由にと言う意味にも取れるな」
「間違ってはいません」
「では、どうする。山田少将」
「泊地の安全が保てればいい訳ですから、泊地周辺100キロと海峡の南北100キロ有れば、と思います」
「実際問題、それでも厳しいな」
「全くです」
「あの、軍事には詳しくないのですが、その範囲でも厳しいのですか」
「そうだね。軍の能力自体には問題無い」
「では、何故厳しいのですか。大野少将」
「達川君、これは海軍さんの方が切実だ」
「山田少将。何が切実なのですか」
「距離の問題だよ。達川君」
「距離ですか」
「そう。ここまで何日掛かった?」
「理解出来ました。そう言う問題ですね」
「ギルガメス王国連邦でも、距離の問題で大軍を送り込んで一気にと言うことが出来ない。もちろん外交上の配慮もあるが、王国連邦からもっと送ってくれと言われても大軍を派遣しないのは距離の問題だよ」
「補給を維持出来ないと」
「それは重大だが、心の問題も有る」
「心ですか」
「兵士の精神状態だ。最初期に行った東鳥島やカラン村でも、相当追い詰められていたようだ」
「そう言う報告は見ていません」
「軍内部と保健衛生省の上部にしか回っていないと思う」
「達川君。君は、上陸後半年は隔離。と言われてどう思う」
「いやですね」
「そうだろう。それを3回やらされた部隊がいる「すっかり捻くれてしまって扱い難くなってしまった」と、評判だよ」
「海軍でも、捜索艦隊で旗を立てまくった連中がそう言う扱いを受けた」
「ギルガメス王国連邦派遣部隊はそう酷いことにはなっていない。交流出来る人がいるからね」
「ここには確認出来ていません」
「地球と違って、交流出来る人種がいる地域が限られているようだ」
「それは報告書を見ました」
「ここは、おそらく人種のいない地域だと思う」
「それでは、防疫基準の人種のいる地域から外れますね。それでも一ヶ月ですが」
「ここは上陸後半年隔離地域だよ」
「では、旗を立てまくっていないのも」
「隔離者を減らしたい。今までの例だと問題はなさそうだが、問題が有ったときに困るので規定通りに隔離している。隔離と言っても、補給艦の一部を仕切って生活空間を設けているが」
「隔離基準が緩むのが、3期一年半後ですか」
「任務とは言えな。南アタリナ島は沖縄台湾相当だったし、カラン村は話題もあった。東鳥島は強化というお楽しみもあった」
「ここではどうだろう」
「なさそうですね」
「では退屈だな」
「そこで、放って置かれる訳ですか」
「ここまで来てくれる民間もいないだろうしな」
「民間?」
「あれだ。下の方の問題だ」
「下?下、ああ下ですね」
「昔と違って軍の保養所を設定することも出来んし」
「それで民間ですか」
「切実だぞ。欲求不満は軍規の乱れに直接繋がるからな」
「それで女性がいるのが新田丸だけと」
「はっきり言って危険だからな」
「話題が逸れてしまったな。戻そう」
「そうですな。では達川君の案を採用で良いでしょう」
「私もそう思う」
「では実際の線引きはどうしますか」
「ファイオール公国の主張2回目でかまわないだろう。どう思う。山田少将」
「いいと思いますな。彼らの顔を立てねばいかんでしょう。その上で、日本は余り進出する気が無い。奥地はご自由にとでも添えておきましょう」
「総司令官もそれでいいのですか」
「かまわない。達川君、これで頼むよ。実際、奥地に手を出す余裕は無い」
「これは?」
「何でしょうか。スチューダーさん」
「この赤い破線で示してある部分だが」
「それでしたら、それが日本の支配出来る地域で良いと言うことです」
「いいのか」
グリーンヒル中将が聞いてきた。
「良いのです。はっきり言って、日本にこの大陸を支配して維持出来る能力はありません」
「大野少将。良いのか。聞いているのは軍人だぞ」
「国交が始まれば、分かることです」
「では既に相当な面積を確保していると」
「そういう事です」
「そこは順調なのかな」
「支配領域1%未満で順調なら」
「相当広そうだな」
「広いのと障害が多くて進みません」
「障害か。先住民族かな」
「先住の方々とは仲良くしています」
「ほう。後で聞かせて貰ってもいいかな。先住民族に関心が有ってな」
「良いでしょう。食事の後にでも」
「もう夕食の時間かな」
「かなり上等な肉を用意してあります。いかがですか」
「では、招待されるままにしよう」




