お花を摘みにまいります
2011年 外出先のトイレを使ったときのお話
トイレに入り便座に腰掛けると、その音は何の前触れもなく流れてきたのだった。
「じょろじょろじょろじょろ、ピーヒョロロロロロロ」
いったいなんだ、この音は。まるで小川のせせらぎと小鳥のさえずりのような音だ。だが考えるまでもなくこの音の目的は明らかだった。聞き苦しい排泄音を打ち消すための音、それ以外に何があるというのだ。いや、言葉が分かりにくかったか。では分かりやすく言おう。
「ウンコの音を消しているんだよぉ!」
だがちょっと待て、果たしてそれはトイレの正当な進化といえるのだろうか。
確かにブリブリ音は消えるかもしれない。だがその代わりに「せせらぎ音」が鳴っているということは「そこでウンコをしている」と宣言しているようなものではないか。果たしてそれで良いのだろうか。
「ウンコの音は消しましょう、ですが、ウンコしている宣言はしてもらいます」
開発者はドSか。なんだその2拓は。
例えば女性の場合、大小問わず便座に座るだろう。そのときせせらぎ音が鳴ってしまったら、たとえ「小」をしていたとしても、ウンコをしていたと思われてしまうではないか。とんだ濡れ衣だ。
ここに冤罪事件が発生した。
「私は無実ですっ!ただ、ただ便座に座っただけなのにっ!」
「いえ、被告人は高らかに「ウンコしている宣言」をしております。証人だってたくさんいる。ウンコをしない者がわざわざ宣言など行いますか?」
「だからそれはっ」
「では100歩譲って「小」をしたとしましょう。その時下痢便がちょっぴり漏れてしまった可能性はないですか?気付かないうちに豆粒ほどのウンコが出てしまった可能性は?ないと証明できますか?」
「ううっ、、、」
悪魔の証明。多くの女性が泣き寝入りすることになるだろう。しかもせせらぎ音がもたらす弊害はそれだけではない。
夏。都会の猛暑を逃れてやってきた避暑地。美しい山々と静かな森が私の心を穏やかにしてくれる。聞こえてくるのは小川のせせらぎと小鳥のさえずり、、、。
うん?誰かウンコをしているのか。
だって思ってしまうではないか。いつもウンコをするときに「せせらぎ音」を聞いているのだ。いずれ人は皆、小川のせせらぎからウンコを連想することになるだろう。しかも生まれた時からトイレの「せせらぎ音」を聞いて育った「せせらぎネイティブ」の世代は、トイレのせせらぎこそオリジナルだと思ってしまうに違いない。さらに海外に輸出された日本の優秀な便器は外国人をも洗脳することだろう。それでは外国人も「Oh!toilet!!」と叫ばずにはいられないのではないか。
なんと恐ろしい未来なのだ。いつの間にか洗脳が始まっていたようだ。
しかし世の中には「ブリブリ音を聞かれるくらいならウンコ宣言のほうが
マシ」という強者もいるのではないか。ではそんな強者は放屁音を消す道具があったとしたら使うのだろうか。おっと、言葉が難しかったか。では簡単に言おう。
「オナラの音を鳴らすか、オナラします宣言するか、どっちか選べこの野郎」
やはり2拓だった。
ここで問題となるのは「これからするオナラがどんな音か、事前には分からない」ということではないか。
たとえばうまくスカせた場合、わざわざ「オナラします宣言」をすることは100害あって1利なしである。あまつさえ、そのにおいが立ちこめた場合、宣言者はとてもいたたまれなくなるのではないか。まさに逃げ場なし。
あるいは「ぷりっ」という音が鳴った場合、異性に「あらカワイイ」と言われ、恋に発展する可能性だってあるのではないか。これでは生涯の伴侶を得る可能性をつぶしてしまいかねないではないか。
これが全て「オナラしてます宣言」(たとえばそれは「牛の鳴き声」かもしれない)だったなら、物語は発生しないだろう。なにより会社で、学校で、あるいは卒業式や結婚式で
「うんモォ~~~~~~ォ」
と大合唱されては笑いをこらえるのが大変ではないか。
今ではあまり使われなくなったが「お花を摘みに行く」という隠喩がある。いずれ「せせらぎを聞きに行く」にとってかわられる日がくるのだろうか。
心配だ。




