レビュー狂想曲
2021年 初めてレビューをもらった時のお話
小説投稿サイトでエッセイの投稿を始めてから5か月たったころ、私は感想を書くのに夢中になっていた。
自分の連載なんかやめて、感想専門家になろうかと思うほど感想を書くのが楽しいのだった。やたら長文の感想を書くこともあるし、新しく見つけた連載作には全話に感想が書きたい。いかんいかん、いきなり20件もの感想が送られてきたらもはやホラーだ。とは思いつつ、既に活動をしていない作者の作品にも大量の感想を書く私はもはや病気なのか。
そんなある日、いつものように開いたマイページに見慣れぬ赤文字が躍っていたのだった。
「レビューが書かれました」
な・ん・だ・と!?
レビューってあれか、手に入れると10万8千里をひとっ飛びできるというアレか!それともシナイ山で神が石板に刻んだというアレか!
震える手でその文字をクリックすると、そこにはまさしく神の言葉があった。
おぉ!なんということだ!どうやってレビューをもらおうかと、黒い計画を延々と考えていた私にたいするこの恵み。今や「頑固な汚れもスッキリ」なくらい私の心はホワイトだった。そんな私がレビューを読んで真っ先に思ったこと、それは。
レビューが書きたい!
このあふれ出る熱い想い。レビューめ、こんなに簡単にこの私を虜にするとは、さぞや小悪魔ちゃんなのだろうな。
翌日、レビューのお礼を書いて画面での表示確認をした後、何の気なしに小説情報を見ると「レビュー 2件」の文字があった。いやいや、2件って、、、2件!?
トップページに戻るとそこには紛れもなく「レビューが書かれました」の文字があった。まさかの追いレビュー!?あやうくクリックしそうになった手を意志の力で引き止める。昨日は思わずクリックしてしまったが、この文字は1度クリックすると消えてしまうのだった。消したくない!
人はレビューをもらった時、いったいどういう行動をとるのだろうか。写真撮影か?神の御姿を写真に収めるなど不敬ではないか。ではログアウトして他人を装って中を覗くか。罰当たり者め!それこそ神に対する冒涜ではないか。
私は1時間ほど悩み続けた末、意を決してその文字をクリックしたのだった。
神の言葉がそこにあった。
神の言葉は絶大だ。前週1週間のアクセス数が6だったのに、3日間で650ほどのアクセスがあったのだった。しかもその後1か月以上にわたってアクセス0の日はないというオマケつき。みんなどれだけ信心深いのだ。
なんという力、なんという恵み。私が神の御技にとり憑かれるのもやむをえないことではないか。是非この絶大なる力を行使してみたい。だがやはり感想とは格が違う。しかも私はエッセイに「邪なるレビューへの想い」を書きこんでいる身、いまさら下心がないと言って誰が信じるだろうか。綿密なる準備が必要だ。
ところがそんな計画をあざ笑うかのように事件が起きたのだった。
私にレビューをくれた神がとある理由で落ち込み、執筆を中止していたのだった。これはいけない、元気になってもらわねば。今こそレビューを使うときだ。しかし休もうとしているのに迷惑にならないか?休みを奪うことになりはしないか?お返しレビューと思われはしないか?そもそもレビューとは相手を励ますために送るものではないだろう。様々な不安がよぎる。しかしどう思われたって良いじゃないか、言いたい奴には言わせておけ。
感情の赴くまま言葉を紡ぐ。これは好きな作品に贈るラブレターだ。どんなに面白かったか、どんなに感心したか、どんなに楽しい時間だったか、その想いを圧縮する。
ようやくのことでレビューを送ると疲れが襲ってきた。やるだけはやった、ちゃんと伝わるだろうか。
日が変わった頃、神は私にメッセージをくれると朝には新作を投稿していた。立ち直り早いな!
おそらく神を慕う者たちから多くの祈りが届いたのだろう。私のレビューがその一助となっていたのなら、こんなに嬉しいことはない。
レビュー、楽しいな。また書こう、今度はもっとカッコイイやつを。




