新しいコントローラー
2004年 テレビゲームを借りた時のお話
テレビゲームを借りたのだった。
ゲーム黎明期からテレビゲームに親しんでいた私ではあるが、大人になると全く縁がなくなり、久しぶりにやってみようと友人に家庭用ゲーム機本体といくつかのゲームを借りたのだ。
しかしこのコントローラーのボタン、多すぎないか?人の指はこんなにも多くないのに、この数ときたらなんだ。これではさすがの秀吉でも押し切れまい。
ところがゲームを始めてみればそんなことは杞憂に終わったのだった。思ったほど使うボタンはなかったのだ。脅かしやがって!しかしその少ないボタンで、画面の中のキャラクターは驚くほどいろんな動作を見せたのだった。優秀だ。AIが全てをサポートしてくれる。これなら巨大ロボットの操縦ですらゲームコントローラー1つでできてしまうのではないか。
そういえば古いアニメでもコントロールボックスで操作する巨大ロボットがいたのではなかったか。やはりな!コントローラーは万能だったか。そのアニメではたった2本のレバーで驚くほど複雑なコントロールを実現しているのだった。一体どうやっているのだ。未来のAIめ、やるではないか。操縦シーンをよく見ると、操縦者の少年はレバーを動かすたびに何か叫んでいる。そうか、あれは音声入力装置なのだ!レバーに見えたのは音声入力のスイッチとマイクだったのだ。
これこそが未来のコントローラーではないか。
技術が進歩すればできることは増え、その操作が複雑になるのは仕方のないことだ。しかし技術というものはやがてシンプルで簡単なものに集約されていくだろう。例えばそれが音声入力技術だった。いずれ全ての家電は口頭でのコマンド操作が可能となるだろう。テレビゲームや巨大ロボットの操縦も然り。
思えば古いロボットアニメでは、何をするにもいちいち操縦者が叫んでいたが、そういうことだったのか。さすが、ロボットを作ってしまうほどの未来の科学力は伊達じゃあないぜ。
それにしても少年の指示はあいまいだった。
「がんばれ!」
「まけるな!」
聞けば聞くほど当たり前のことしか言っていないではないか。こんな指示でも十分に操作できるなら、操縦者の存在意義は一体どこにあるというのか。
それとは反対に、操縦者に高度な精神修養と肉体鍛錬を強いる操縦方法もある。
「脳神経接続」
操縦者が手足を動かそうと考えるだけで、それにリンクしてロボットが動くのだ。情報量が膨大であるためリモートコントロールができず、操縦者は直接ロボットに搭乗せねばならない。熱い展開だな!また、射撃能力、格闘能力は操縦者の力量に左右されるため、パイロットには各種の修練が必要になるのだった。うおぉ、熱血だッ!
大変なのは操縦技術の習得だけではない。
ある日、敵を撃退したロボットが崩れた瓦礫をどけ、下敷きになった人々を救出したのだった。痛々しい出血多量の被害者を目にして、パイロットは思わず顔をそむけてしまった。すぐさまパイロットの脳波を読み取り、ロボットも顔をしかめる。翌日の新聞には次のような言葉が踊るだろう。
「巨大ロボット、イヤイヤがれき掃除」
不名誉なことこの上ない。
しかしパイロットの脳波がダイレクトにロボットに伝わってしまうのだ、致し方あるまい。パイロットにはどんな惨状にも目を背けない外科医のような精神修養が求められるのだった。
しかし顔をしかめるくらいならまだ良かった。同じ被害地で、災害により服が破れて胸がはだけた女性を見て、ロボットが腰を振り始めてしまったらことだ。翌日の新聞の見出しには「パイロットは巨乳好き」の言葉が踊るだろう。ああ、パイロットが「乗りたくない!」と駄々をこねる様子が目に浮かぶ。パイロットは精神を病んで2度とロボットに乗ることはないだろう。
恐ろしい、パイロットにプライバシーはなかった。
こうして巨大ロボットのコントロール技術はやがて廃れ、自立稼動式ロボットが勝ち残るのだった。
次回、男性読者に向けた世紀の演説が始まるッ!
「明るい未来が待っている!」
お楽しみに!




