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精霊に愛された姫君~王族とは関わりたくない!~  作者: 藤宮
第1章 王立討伐騎士団とヒュドラ
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 ある瞬間を境にして強く吹きだした風に、雲一つなかった晴天はみるみるうちに雲で覆われていく。

 淡い金色の髪が風に揺れるのを、王立討伐騎士団第十三団の五人は、後ろで静かに見守っていた。その背丈は男にしては低く、団内で一番身長の低いノエルよりも僅かに小さい。そして、高ランクの魔物と渡り合うことが信じられないほどに華奢な体躯は、ともすれば折れてしまいそうな錯覚を与えた。


「精霊は、本当に世界を司っているのですね」


 魔の森で天気が急変することは珍しくない。しかし、それが精霊によって引き起こされたものだと誰が知っていただろうか。

 精霊とは契約という形で繋がっていながら、どこか異次元の存在のようだった。

 だからこそ、その実体を目の当たりにしたニケルは、噛み締めるように呟いた。この期に及んで「信じられない」とは言わない。途方もない現象に、ただただ感嘆するばかりだった。


「天候を左右できるほど、フェイは精霊に受け入れられているってことだ」


 セオは、雷が意図的に起こされたのを目撃している。だからこそ作戦の糸口を掴めたわけだが、どこか納得した様子だった。


「もはや精霊と同じじゃね?」


「レナード、それは傲慢だよ。私たちは、精霊のほんの一部の能力を借りているだけなんだから」


 くるっと振り返った小さな冒険者は、その深い緑色の瞳を細める。

 全てを拒絶し、自分の領域に他者を踏み込ませることをよしとしなかった以前と比べて、その雰囲気は柔らかく、温かみのあるものに変わった。口調も、心なしか砕けつつあるようだ。


「悪い」


 レナードが素直に謝れば、困ったように微笑む。

 その瞳の奥には、不安が見え隠れしていた。

 三年前の悲劇が繰り返され、そして、誰かを失ってしまうのではないかという恐れが、まだ燻って消えないようだった。


「行きましょうか」


 ニケルの呼びかけに、各々は表情を引き締め愛馬へ跨る。

 雷がヒュドラを撃つまでに、その傍らまで接近しなければならない。攻め時を見切ることが、勝敗を左右する決め手となる。

 だが、ヒュドラに手傷を負わせることができなければ、精霊魔法の使えない者は退くしかない。それはつまり、フェイをたった一人で戦わせるということだ。


 フェイが仲間の死を恐れているように、彼らもまた、それを憂いていた。


 ―――――――――――――

 ごろごろと低い音を鳴らし始めた空に、先頭を走るノエルは更に速度を上げた。

 既にヒュドラの魔力は充満しているが、一行は構わず走り続ける。雷が落ちても魔力が引かないようなら撤退、という手筈になっている。

 常時精霊魔法を発動しているノエルがいるからこそ、この作戦が成っていた。


「ハヤテ、そろそろ行こう」


 私の呼びかけを合図に、ハヤテは両翼を震わせた。彼らとは別行動で、私は上空からヒュドラに仕掛ける。その一撃が、私にとって最大の好機なのだ。


 私は、彼らの後ろ姿を目に焼き付けた。

 これが最期になるかもしれないと、胸がざわついたからだ。私は、絶対にヒュドラを倒すと決めている。例え相打ちになっても、後悔はしないだろう。


(フェイ、命を無駄にするな。お前は、失うには惜しい人間だ)


 そんな心中を察してか、ハヤテは穏やかな声音で言い聞かせた。

 私も自殺願望があるわけではない。捨て身なんて無謀な真似はしないが、生きることに執着していないのも、また事実だった。


(分かってる。みんなが生き残るように、全力を尽くすよ)


 私の返答に満足したハヤテは羽ばたきひとつで舞い上がり、森を見渡せるほどまで高度を上げる。

 木々の開けた沼地にいる巨大な魔物が、視界の端に映った。


「ハヤテ、もっと近づいて!」


(危険だ。言っただろう、雷を完全に御することはできんと。あれを食らえば、お前とてひとたまりもないのだからな)


「……」


 それでも、側で待ち構えていなければ意味がない。ハヤテの忠告を受けて少しだけ悩んだが、腹を括った。


「お願い、ハヤテ」


(……了解した)


 ハヤテはヒュドラの真上まで接近し、察知されないほどの高度を保ちながら、大きな円を描きながら旋回する。


 ふと顔を上げれば、曇天に枝分かれした光が幾筋か走った。その直後に、ゴゴゴゴという低い轟音が体を痺れさせる。

 それが閃いたのは、すぐ後のことだった。


 ドゴゴッガッツ


 目を開けていられないほどの眩い光が閃き、耳を塞ぎたくなるような轟音と共に地上へと伸びていく。これを皮切りに、次々と紫の光枝が起こった。それは遠目で見るよりも遥かに力強く、そして美しい光景だった。

 だが、見惚れている余裕はない。ハヤテは、自分自身に直撃してしまわないように移動を繰り返すが、幾度となく真横を掠っていく。その度に、身体中にビリッと衝撃が走り、視界がチカチカと瞬いた。そして、一瞬だけ息が吸えなくなる。

 下を見下ろせば、ヒュドラは突発的に起こった雷を警戒してか、五つの鎌首をもたげて周囲を警戒しているようだった。


(何て魔力……)


 空にいてもなお、その魔力の禍々しさが伝わってくる。精霊という拠所を失った状態で、このヒュドラと対峙することなど、やはり不可能に思えた。

 いま、精霊たちは私の傍にいない。もともと、空という環境を好むのは水と風の精霊がほとんどなので地上ほど騒がしくはないが、魔力を前にして離れざるを得なかったのだろう。

 だが、私は前のように混乱することはなかった。

 私の傍にはハヤテがいるし、地上では仲間が攻撃の好機を待ち構えている。それに、空を見上げれば、私の頼みを聞いて動いてくれている精霊の存在が感じ取れる。

 私はただ、信じていればいい。


 精霊たちが、雷を起こしてくれると。

 五人の討伐騎士と共にヒュドラを討伐するのだ、と。


 青紫の光の筋は、変則的に空中を駆け抜けた。

 とうとう雷は地面へと伸びていった。それはやがて、何かに引き寄せられるかのように収束していく。その先にあるのは、ヒュドラの巨体だった。


(当たった!)


 雷の衝撃は、頭部に突き立っている剣から全身を駆け巡り、その身を焼いた。

 降って湧いたように襲いかかった痛みが、ヒュドラを混乱させた。五つの頭と尾を振り回し、咆哮を上げる。

 キキキキィという金属を引っ掻くような鳴き声は、なんとも耳障りだ。

 雷は絶え間なくヒュドラへと降りかかっていた。索敵を巡らせる余裕などないだろう。ヒュドラの意識が、側で息を潜めているだろう彼らから逸れたことに安堵しつつ、私は空に向かって叫んだ。


「みんな、もっと強く!」


 ヒュドラの魔力を嫌忌した精霊たちは、私の周りにはいない。それでも、あの雲の中で尽力してくれている精霊に届くと信じて。

 その強い思念に反応したかのように、一際強い光が閃いた。その光は、彷徨うことなく一直線に地上へと突き進む。

 巻き起こった風圧で上空の雲が波紋状に散るほど、その威力は強大だった。


 ハヤテは咄嗟に翼を前方へとはためかせ、距離を取る。だが、想定を上回るその一撃は、多少離れたところで凌げるものではなかった。

 視界がチカチカと点滅し、乾いた喉が焼けるように痛んだ。まぶたが熱い。そして、だんだんと呼吸が荒くなっていく。


(フェイ、人間の身では、これ以上持たんぞ!)


 遠くなっていくハヤテの声を聞きながら、私はヒュドラの姿だけは見失うまいと必死に目を凝らしていた。

 幾度も雷に打たれたヒュドラは、全身から煙が立ち上っている。五つの頭は力なく項垂れ、弱々しく尾を揺らしていた。ヒュドラに感じていた禍々しさは嘘のように弱まっている。魔力を放出している余裕が無くなった証拠だ。


(これなら、行ける……)


 ヒュドラには強い自己修復力があるため、悠長にはしていられない。地上組に合図をして、攻撃に移ろう。

 体を駆け抜ける痛みに歯を食いしばりながら、私は攻撃開始の合図として決めていた火の精霊魔法を打とうとした。

 これまでは、まさに一瞬のことだった。

 周りの雲が覆いつくすようにして散った部分を埋め、そこから再び光が閃く。


 ドッガゴガカッン


 雷鳴が轟いたのと、光線が放たれたのは、ほぼ同時だった。

 だが、その雷は、以前のものとは明らかに違う。雷は瞬く間に消えてしまうはずが、何者かの意思に沿っているかのように、雲のある一点から間断なく続いている。


 距離を取ったにも関わらず、幾筋にも分かれた雷は、追いかけるようにして私たちを襲う。

 ハヤテはさらに後方へと退いたが、逃げられるはずもなかった。


 バチィッツ


 何かが爆ぜるような音がした。全身が焼け付くような熱に包まれ、防具として身に付けていた胸当てと腰に帯びていた剣が吹き飛んだ。


 ……いつの間にか、視界は反転していた。

 見下ろしていた緑は重苦しい灰色に変わり、ある一つの起点から、光の筋が降り注ぐのが見える。

 違う、そうではない。

 私には、それしか無いのだ。

 しがみついていたハヤテの毛並みの感覚も、荒れ吹く豪風も雷の轟も、何もかも感じられない。

 落ちているのか、浮いているのか。それとも、目に映る光景はただの幻影なのか。

 意識はあるのに、それ以外の自分を失ったような、不思議な感覚だ。


(死ぬ……のかな)


 人は死ぬ間際、一瞬だけ幸福を感じるという。

 暗い世界に広がる輝きは、今までで一番幻想的で、美しかった。最期にこれを見ることができただけでも、私の心は十分満たされる。


 ヒュドラがあれほど弱体化していたなら、五人の実力をもってすれば倒すことは難しくないだろう。多少は妨害されるかもしれないが、彼らなら精霊魔法を操れるはずだ。

 もう思い残すことは何もない。

 そっと、瞼を閉じようとした。


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