表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
精霊に愛された姫君~王族とは関わりたくない!~  作者: 藤宮
第1章 王立討伐騎士団とヒュドラ
28/38

28

 早朝に第七十二安全地帯を出立したジャックと私が次に目指すのは、第四十三安全地帯だ。昼頃に到着する行程で、馬を走らせていた。

 だが、ふと精霊のざわめきが不自然に流されていくのを聞き取った。そして、巨大な魔物がいることも。


(フェイたいへんだ!)(あいつはとんでもない!)

(きゃーー)


 このまま進めば、その方角を右に見て過ぎ去ってしまうことになるが、精霊たちの声は尋常ではない。私は速度を上げ、前を走るジャックに向かって叫んだ。


「ジャック、右前方に魔物がいる!」


 その魔物が近付けば近付くほど、私の中の焦燥は増すばかりだった。


(フェイ、たすけて)


 その声が聞こえたのは、ほんの偶然だった。だがそれは、精霊が魔力に呑み込まれていく瞬間だったのだと、私は本能的に悟ってしまう。

 魔力に墜ちた精霊は、やがて魔物となって世界に仇なす存在になる。そして、私たちの前に敵となって姿を現すのだ。


「……助けなきゃ」


 居ても立ってもいられなくなった私は、考えなしに手綱を右に引いてしまった。


「フェイ、行くな!」


 ジャックが必死に制止するのが聞こえたが、私は馬を止めなかった。程よい距離で馬を離し、精霊たちに様子を見てもらうよう頼んでおく。魔物が攻撃してきたら問答無用で走り去り、再び私の元へ戻ってくるように訓練されているが、念のためだ。


 馬を降りてからは、ひたすら地面を駆ける。

 精霊力が魔力に引きずられるのは世の定めだが、その魔力の発生源である魔物を断ち切らなければ、負の連鎖は止まらない。私たちは、そのために精霊から力を与えられているのだ。


 胸騒ぎがするのは、きっとジャックを置いてきてしまって不安だからに違いない。

 彼のことだから、追いかけてはくれているのだろう。だが、一度過った嫌な予感は、消え去ることはなかった。


 森が開けた岩地に、その魔物は鎮座していた。

 大樹の幹ほどの分厚い胴体に、五つに枝分かれした蛇のような頭。蜷局を巻いていてもなお十メートルを超える巨体に、私は恐怖を抱かずにはいられない。

 A級をはるかに凌駕する凶悪な魔物、それはS級ヒュドラに違いなかった。



 ……私では、倒せない


 無意識のうちに抱いた敗北感が、恐れの心を更に増幅させてしまったことに、私は後から気が付く。だが、その時にはもう遅い。震える足は思うように動かせなくなり、駆けることなど不可能だった。

 そして、視界に捉えられる距離に、その怪物はいた。


 いつの間にか蜷局(とぐろ)を解き、五つの頭を縦横無尽に揺らめかせながら、確実に迫ってくる。

 両端から噴出された炎は森を焼き、その内側の頭からは吐き出される紫色の液体は、周囲の植物を瞬く間に枯らした。あれは毒だろう。

 そして、真ん中の頭は、数百もの鋭い牙を剥きだして威嚇している。


 あのヒュドラの敵は、私だ。

 狙っているのは、私なのだ。

 戦うにしても逃げるにしても、精霊の助力なしには何もできそうになかった。震える両手では、剣すら握れない。


(お願い……みんな、力を貸して!)


 だが、どれだけ待っても、精霊から返事が返ってくることはなかった。

 周囲には精霊の声などひとつも聞こえない。精霊のいなくなった周囲には、風も何もない。無慈悲な静寂だけが、私を包み込んでいる。私は、ひとり、ヒュドラの前に取り残されてしまったのだ。


 精霊が、私の前から消えてなくなってしまった。


(私は……ひとりだ)


 胸の底から湧き上がる孤独に侵されて、私の体はとうとう動きを止めてしまった。

 五対の縦長の瞳孔がすうっと細められるのを、私は呆然自失としながら眺めていた。もはや逃げられない距離にまで魔物は迫っていたが、私はどこか他人事のように感じていた。


 精霊がいなくなっただけで、私の心は砂の城のように脆く砕け散ってしまう。強い波に押しつぶされて、跡形もなく消え去るような、虚構の城。

 精霊という存在が、それを必死に留めているに過ぎなかったのだ。だから、彼らがいなくなった途端、私は自分の存在意義を見失ってしまう。

 精霊が私を見捨てたわけではなく、ただ魔力から逃れただけだと、頭では理解している。だが、一度崩れた理性は、簡単に立ち直ることができなかった。


 心のどこかで、『あの声』が私の名前を呼ぶことを期待していた。

 契約を交わしたとき、重要な決断をするとき、命の危険に晒されたとき。幾度となく救われたあの声の主が、私の恐怖を拭い去ってくれるのではないかと。

 でも、その声すらも、私には届かない。


 私はとうとう、抗うことすらも諦めて、力なく両手を下ろす。

 そして、ヒュドラが勝利を確信したように、中央の凶暴な牙を見せつけた……はずだった。


 ヒュンッ、と目にもとまらぬ速さで横を駆け抜けた何かが、その頭を剣で串刺しにした。脳天から顎までを突き刺され、それを引き抜こうとしたヒュドラは激しく頭を振る。

 その衝撃で地面へと叩き落された影は、見紛うことはない。


 ……ジャックだ。


「フェイ!」


 その名前を呼んだのは、精霊でも、あの声の主でもない。

 街に帰ったら、パーティーを組んで冒険しようと約束した、ジャックだった。


 私は、ジャックに手を伸ばす。風の精霊から借りた力が、まだ残っているはずだった。

 ……まだ間に合う、真ん中の頭を飛ばしさえすれば!

 私の手から放たれた風の精霊魔法は、確かに魔物の体を傷つけた。だが、私が狙ったところには届かない。操作が妨害されているのだと気が付いた時には、魔物の刃は、ジャックを捕えていた。


 充満した煙と、地面から這い上がる毒の湯気によって覆われた、視界の一部。

 ほとばしる鮮血。

 鋭い並んだ牙から滴り落ちる、赤い液体。


(フェイ、逃げろ……)


 弾かれたように駆け出した私は、それからのことをよく覚えていない。

 ふと我に返ったときには、ギルド『蒼穹の魂』の扉の前に佇んでいた。


 それから、ギルドでは混乱状態が続くことになる。第四十三安全地帯は比較的奥地ではあるが、冒険者たちが活動する行動範囲内だった。そこにS級ヒュドラが現れ、ギルドきっての上級冒険者であるジャックが死亡したとなれば、大事になるのも当然だ。

 ギルドの冒険者たちは、彼の死を容易に受け入れた。

 同胞の死を悲しみはしたが、「冒険者はそういうものだ」と、どこか割り切っているようだった。


 誰も、私を責めない。

 ジャックが死んだとき、目の前にいたのは私だ。ジャックが制止したのを聞いていれば、ヒュドラからもっと早く逃げていれば、彼が死ぬことはなかった。結局、彼は私が逃げる時間を稼いで命を落としたようなものなのだ。

 私の所為で、ジャックは死んだ。私が愚かで、弱かったから。

 彼らがどれだけ「自己責任」と言おうとも、私がジャックを死なせたことに変わりはない。その罪は、一生消えない。


 王都の討伐騎士団から大規模な調査隊が派遣されたが、ヒュドラは既に去った後であり、ジャックの遺体が発見されることもなかった。

 ジャックが死んだという証拠が、何もない。

 彼が命を落とした瞬間を目撃したのは他でもない私なのに、彼の死を直ぐに受け入れることができなかった。

 ジャック御用達の武具店に行けば彼に会えるかもしれない。

 ジャックの家に行けば、既に帰宅していて、ソファーで寛いでいるかもしれない。

 パーティーに誘われても、全て断った。ジャック以外の人と組むつもりはなかったからだ。


 でも、どれだけ魔物を屠っても、ジャックが帰ってくることはなかった。

 ジャックの死を受け入れたのは、ハヤテと出会った半年後のことだった。



 彼への思いと後悔は、三年が経った今でも変わらない。

 どうすれば、この罪を償うことができるのだろう。私は、まだ彼の恩に何一つ報いていないというのに。

 私を赦すことができる唯一は、もうこの世界にはいない。

 それでも、ヒュドラへ復讐を遂げることは、私の中で折り合いをつけるための大前提なのだと、王立討伐騎士団第十三団の彼らと過ごして気がついた。

 ヒュドラを倒さなければ、何も始まらない。私の時間は、ジャックが死んだあの瞬間で止まってしまっているのだから。


「だから私は、ヒュドラを倒したいんです。今度こそ、この手で」


 彼らがどんな反応を示すのか、それだけが気がかりだった。ジャックを身代わりにした私を軽蔑するだろうか。それとも、諦めて送り出してくれるだろうか。

 だが、彼らは私の予想をことごとく裏切る返事をした。


「それでも、承認はできません」


「むしろ、その話を聞いて気持ちが固まったよ。フェイをひとりで行かせはしない」


 ニケルとセオに賛同するように、ノエルとルークも頷く。

 私は、訳が分からなかった。

 納得いかない、という思いが顔に出ていたのだろう。彼らは、やれやれと肩を竦め、レナードが前に歩み寄る。


「フェイが強いのは、よく分かっているさ。でもよ、俺たちにもやれることがあるはずだ。ひとりで戦うなんて、そんな悲しいことを言うなよ、フェイ」


 彼の言葉は、不思議と胸に染み渡っていく。

 私を否定することなく居場所を与えてくれたジャックと同じように、彼らもまた、私を対等な存在として認めてくれている。

 私が彼らを失いたくないと思っているように、彼らもまた、私が死ぬことを是としていないのだ。

 心が満たされていくようだった。


 だから尚のこと、彼らをヒュドラと戦わせるわけにはいかない。精霊魔法が使えないのでは、意味がないのだ。

 誰にも言うつもりはなかったが、私は『魔物と精霊の因果関係』と『魔力と精霊力』について、彼らに打ち明けることにした。そうでもしない限り、彼らは諦めてくれないと分かったからだ。


「みなさんの気持ちは、とても嬉しいです。でも、私が止めるのには訳がある。クエレブレの戦いで討伐騎士たちが精霊魔法を使えなかったのも、ノエル、あなたの精霊魔法が突然妨害されたのも、原因は魔物が放つ『魔力』なんです」


『魔力』という言葉に、彼らは首をひねった。聞いたことはないはずだ。なにせ『魔物』と『精霊力』を掛けて、私が考えた言葉なのだから。

 そもそも、魔物が持つ力について着目した人がいないのだ。エレメンタル・オーダーが中心となって魔物を研究しているようだが、その発生源や魔力など、根拠のない仮説しか立っていない現状だ。先人たちが残した僅かな痕跡を探し出し、推測することしかできないのだから無理はない。

 彼らにとっては青天の霹靂かもしれないが、そこは信用してもらうしかない。


「詰所でも簡単に説明しましたが、精霊の力が負の方向へ捻じ曲がると、その力は魔力へと転換されます。魔力は時に生物に憑依し、時にそのものが形となって現れ、魔物は生まれます」


 あのときは、安全地帯の在り方を知ってもらいたくて、うっかり口を滑らせてしまった。

 彼らはたいへん驚いていたが、「詮索はするな」という約束を守って、ただ無条件に信じてくれた。

 だが、今は違う。正しい知識を得ることが、彼らをより確かな判断に導く。彼らが、生き残る道へと。


「魔力は、魔物の生命源です。魔物は更なる力を手に入れるため、そして精霊を魔物に変えるために、精霊力を吸い寄せようとする。だから、精霊は魔物に近づくことを厭います」


「魔物の危険度が高ければ、それだけ魔力も強いってことか」


「魔力に阻まれて精霊魔法が使えなくなる……。でも、フェイはクエレブレ討伐で精霊魔法を使っていたよね?」


 柔軟性が高いのだろう。私の話を瞬時に受け入れただけではなく、セオとルークは踏み込んだ疑問まで提示した。

 これを言ってしまうのには躊躇ったが、彼らなら信用に値する。私はそう判断した。


「私とみなさんとでは、精霊魔法の使い方が少しだけ違うんですよ。正しく言えば、精霊から力を貰う方法が、ですけれど」


 見ていてください、と私は火の精霊魔法で右手に火を灯す。


「みなさんは、傍にいる精霊から渡された力を即時に精霊魔法へと変換させます。でも、私はその力を一旦体内に保有させて、使いたいときに精霊魔法へ変えるんです。だから、魔力によって精霊たちが逃げても、私は精霊魔法が使える」


「精霊から与えられた力を直接精霊魔法へ変える我々は、精霊が居なければ精霊魔法が使えない!そういうことですか!」


(フェイ、精霊は、僕たちの傍にいるの?)


 私の説明を追って理解したニケルは、はっと目を見張った。そして、ノエルは恐る恐る、そう尋ねた。


 私は大きく頷く。


「います。でも、契約した精霊だけではなくて、私たちの周りには、数えきれないほどの精霊が溢れています。その木にも、草にも、精霊たちは宿っている。彼らの役割は、世界を循環させて、未来を正しい方向へ導くことです。けれど、契約という形で人間と時間を共にするようになった精霊は、ただ在るだけではなくて、一つの個体として自我を持つんです。だから、誠意をもってお願いすれば……」


 ほら、と私は前置きをして、水の精霊魔法で左手には水の玉を浮かべた。


「ちょっ、フェイ!?」

「嘘だろ…‥」

「複数属性、ですか」


「つまり、フェイは精霊の声が聞こえる。そういうこと?」


 真剣なルークの声音に、私は表情を引き締めて肯定した。

 これを誰かに話すのは、初めてのことだ。ジャックにすら打ち明けていない。

 やはり、彼らは息を呑んだ。そして、それが意味することを黙考する。

 信じがたいのも無理はない。私も、彼らの声が聞こえなかった頃は、精霊が実在するなど考えてもいなかった。


「俺は、フェイを信じるよ」


 だが、セオは迷うことなく言い切った。

 彼の瞳に嘘偽りはない。口先だけはなく、本心からそう思っていることが伝わってくる。


「そう考えれば、これまでのフェイの言動にも納得がいくというものです」


(ヒュドラの居場所が分かったのも、精霊に聞いたからなんだね)


「これが、フェイの強さの秘密ってわけだな」


 彼らは、セオに負けじと言葉を紡ぐ。

 そこには未知のものに対する畏怖も、ずっと黙っていたことに対する侮蔑も、何もなかった。ただ純粋な驚愕だけが、彼らを取り巻いている。

 私は、そのことに安堵した。


 長い間保ってきた壁を取り払ったのは、他でもない自分の意思だ。自分の領域に誰かを入れるのが怖くて、けれど孤独も虚しくて。

 でも、こうしてやってのけると、何も畏れることなどなかったのだと知る。

 だって、こんなにも心が温かくなったのだから。



(それってつまり、フェイは『精霊の寵児』ってことだよね)


「やっぱりな!どいつもこいつも噂してたぜ。高雅の蒼穹は『精霊の寵児』に違いない、ってな」


 その言葉を、ノエルやレナードも思い浮かんだようだ。

 ジャックは、自分の身を守れないうちは隠した方が良いと言っていた。甘い蜜に群がる権力者たちの目に留まらぬように。そして、普通とはかけ離れた存在を異端視する人間から逃れるために。

 だが、彼らは違った。色眼鏡で見るのではなく、ちゃんと私個人を尊重してくれる。

 ただ、どうも『精霊の寵児』という言葉に親しみすら感じている雰囲気があるのは、気のせいではないはずだ。


「みなさんは、他にも会ったことがあるんですか?その、精霊の寵児に」


「まあ、ギルバート殿下がいましたからね」


「ああ、あれな」


 その名前が出た途端、彼らはどこか遠い目をした。ルークは苦笑いしている。

 そういえば、第十三団は現国王ギルバートが王太子時代に設立したものだということを思い出した。殿下と呼んだのも、その名残だろう。


(王族、王太子、国王……)


 王族すべてに偏見を持つわけではないが、その名称には嫌な記憶しかない。

 考えるだけで鳥肌が立ってくる。


「ちょっと行ってくるとか言って、B級ハルピュイアの群れを壊滅させたことあったよな」


「あの事後処理は本当に大変でしたね」


「B級五十体を片付ける身にもなれ、ってね」


(A級ケンタウロスの背中に跨って、馬代わりにしようとしたこともあったよ)


 が、彼らの呟きを聞いていると、それもすぐに治まっていった。

 王太子ともなれば、厳重な警備体制の敷かれた王宮で、ぬくぬくと脳天気に過ごしている印象しかない。だが、ギルバートという男は、随分と大胆な御仁だったようだ。

 彼らも口では散々言っているが、ギルバートに信頼を寄せていたことは一目瞭然だ。だからこそ、余計に「王侯貴族だから」という理由だけで切り捨てることができない。

 ギルバートという人に、興味が湧いたのも確かな事実だった。



「話を戻すけど、ヒュドラは()()()倒すってことで良いんだよね?」


 ギルバートとの思い出話は尽きないらしく、白熱しそうになったところを、唯一冷静だったルークが嗜める。

 しかし、「全員で」と強調して言ったルークに、私は抗議の視線を送った。

 私の話を聞いていなかったのだろうか。

 そもそも、彼らではヒュドラと戦えない。そう言ったはずだ。


「駄目です。ここにいてください」


「まあまあ、そう頭ごなしに決めつけんなって。話し合おうぜ、どうするのが最善か。俺たちにも出来ることがあるかもしれねえし、他の選択肢だってある。それでフェイ一人に任せることになっちまっても、全員で考え抜いた結果なら、俺たちは納得するさ」


 そうレナードに諭されてしまうと、何も言えなくなってしまう。むしろ、私の主張は、彼らの気持ちなど考慮していない自分勝手なものだったと、今になって気が付いた。


 本当にあるのだろうか。私一人でヒュドラに挑む以外の、最善が。


「ヒュドラに察知されない距離から精霊魔法を放つというのは、厳しいですか」


(二千メートルの距離で感付かれたんだ。それ以上後ろからだと、命中率が低すぎるよ)


「そもそもさ、ヒュドラは僕たちが接近するのを分かっていて魔力を放ったの?それと、魔物がどれだけ魔力を操作できるかにもよるよね」


 ルークの疑問ももっともだ。

 私たちが精霊力を操るのと同じように、魔物が魔力を制しているのなら、戦局は大きく変わってしまう。


「つい最近までは、魔力は魔物の周りを漂っているだけだと思っていました。でも、先日のクエレブレは、放った鎌鼬の攻撃を操っていた。単調に、ですが。魔物は知能が高いわけではないので、繊細なコントロールがされるとは考えにくいです。ヒュドラのあれも、私たちを感知して、四方に放たれたものでしょうね。もともとは、ヒュドラの周囲にしか魔力はないはずです」


 私が持っている魔力に関する情報は、これが全てだ。

 問題は、ヒュドラの感知能力の高さが桁違いだという点。三年前よりも格段に発達している。


(ヒュドラは、熱感知の能力を持っているからな。死角は無いぞ)


 私たちの様子を黙って見守っていたハヤテからも釘を刺された。

 ともなれば、やはりニケルの提案が最も安全で、可能性があるかもしれない。当たれば、の話だが。


(皆が撃った精霊魔法を、私が制御するとか?無理だ、そんな芸当はできそうにないわ)


「フェイと同じように精霊魔法が使えれば……って試してみたけど、そう簡単にできるもんじゃねえな」


 私と同じように、手の上へ火の玉を浮かべたレナードだったが、ボフッというくぐもった音をたてて消してしまった。


「……」


 沈黙が、私たちを包み込む。

 誰も「打つ手がない」とは言わないが、思っていたよりも話し合いは難航していた。ヒュドラが持つ圧倒的な魔力を掻い潜るのは、容易なことではない。

 ハヤテですら打開策を提示できないこの状況で、私たちが無い知恵を絞ったところで意味はないのではないか。

 そう思い始めたところで、ずっと黙っていたセオが、はっと目を見開いて顔を上げた。


「雷……そうだ、雷だよ。フェイ、さっきの落雷は、精霊に頼んで起こしたものなんだろう?」


「え……」


 それは、質問ではなく確認だった。

 そういえば、私が好奇心から雷を起こしてもらったとき、セオに「あの雷はフェイがやったのか」と尋ねられたのだった。あの時はきまり悪そうにしていたが、精霊の声が聞こえるとなれば、その推測は正しかったと確信したのだろう。

 私は、おずおずと頷いた。


「そうです。雷が、水の精霊と風の精霊の力がぶつかって生じるものだと聞いたので……その、精霊にお願いしました。背の高くて細長い物体に引き寄せられる性質を利用して、どこまで狙い撃ちできるかの実験も兼ねて」


 彼らは零れ落ちんばかりに目を見開いて、驚きを露わにした。

 いつも冷静なニケルさえも、ずれた眼鏡を直すこともせずに呆然とする様子に、私はうっかり吹き出してしまった。


「くっ、ふふふふ。そんなに驚くことでもないでしょう?」


 精霊の声が聞こえると告白したときを上回る仰天ぶりだ。

 それだけではなく、色めき立ったニケルとノエルは、私の元へ勢いよく詰め寄った。


(フェイは、精霊に働きかけられるってこと!?ただ声を聞くだけじゃなくて?)


「天候すらも動かせるのですか!」


「ま、まあ、精霊の意思に反しなければ、だけれど……」


 だから、天候を操って水害や日照りを引き起こしたり気候を変えたりはできない。けれど、自然の摂理に影響しないほど些細なものだったら、精霊は気にしないだろう。

 彼らの気迫に押されながらも、はっきりと答える。

 それほど事を重大だとは捉えていなかったが、彼らにとっては衝撃的だったようだ。


「雷を攻撃手段に使おうとした研究が、数年前に打ち切りになったのを知っているよね、セオ。雷は、不確定要素が強すぎる」


 ルークの反論に、セオは不敵な笑みを浮かべた。


「フェイは言っただろう?狙い撃つ実験をしていた、ってさ。結果は成功。雷が落ちたのは、フェイの狙い通りだったよ」


「つまり、雷の遠隔攻撃で撃退すると?」


「まあ、斃れてくれれば僥倖。でも、それだけで死ぬとは考えにくい。雷の攻撃を受けている間は、ヤツの気が逸れるだろう。その隙をついて、俺たちが攻撃を仕掛ける。もし、魔力を操るほどの余裕があるようだったら、フェイが俺たちに知らせて撤退……ってのはどうだ?」


(いい作戦だけど、どうやってヒュドラに雷を誘導するのかが問題だよ。ヒュドラがいるのは沼地だから、雷の性質は利用できそうにないし……。フェイはどう思う?)


 確かに、雷という現象を攻撃に転じることができればいいと考えていた。

 あれは精霊魔法ではない、物理衝撃である。威力は申し分なかったが、魔物に対して実際に試したことがないので絶対とは言えない。

 けれど、最も可能性が高く、皆の危険を減らすに相応しい作戦であることは、よく分かっていた。

 ただ、ノエルの「雷の性質」という言葉に引っかかりを覚えた私は、それが何なのかを思い出そうと、必死に記憶をたどる。

 雷についてハヤテから聞いたのは、セオと話す前だった。


(高く掲げられたもの、細く尖ったもの、あとは金属……金属!)


 あるではないか、雷を導く、その存在が。

 ヒュドラの中央の頭に突き刺さる、銀色の剣。

 ジャックが命を賭して与えたその一撃が、ヒュドラを倒す鍵となる。


「導雷針の役割は、ジャックの剣が果たしてくれますから、大丈夫です。良い作戦、だと思います」


 辿々しい返事だったが、彼らは安心したように表情を緩めた。


「でも、これだけは約束してください。放たれた魔力を感知できるノエルの側を離れないこと。魔力を感じたら、即撤退すること」


 彼らは、力強い眼差しでそれを受け入れた。


 もう同じ轍は踏まない。

 やるべきことは決まった。


「セオ、ニケル、ノエル、レナード、ルーク。一緒に、ヒュドラを倒してくれますか?」


 もう一人で戦うなんて言わない。

 私がやるべきことは、ヒュドラへの復讐ではない。共にヒュドラを倒し、彼らの居場所へ無事に返すことだ。


「何言ってんだよ、当たり前だろ?」


 そう軽々と言ってのけたレナードは、五人の意思の代表だった。


 ありがとう、と心の中で呟く。一人では考えられないほどの勇気が、身体中に溢れた。

 彼らと一緒なら、ヒュドラに負ける気がしない。

 あんなに恐ろしかった存在が、今では乗り越えるべき壁へと変わったのだ。


(お願い、精霊たち。私に……力を貸して)



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] いつも楽しく拝読しております。 [気になる点] 「破天荒」の意味は「今まで誰もしなかったことをすること」「未曾有」「前代未聞」です。誰もが思いもよらないような驚くべきことをする、偉業を達成…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ