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一から書き直しておりますので、加筆修正してある部分がありますが、以前と話の展開は変わりません。
キュクロプスを倒してから、一定の方角を目指してひたすらに馬を走らせていた。だが、彼らの背中には張り詰めた緊張感が漂っている。
私たちは今、二十を超える魔物に追われていた。しかしこれは、魔の森の奥地ではよくあることだ。魔の森に生息する魔物の中には、馬ほども速く走ることのできるものが無数にいる。すると、ハヤテのような駿足で駆け抜けない限り、私たちは魔物にとって獲物の対象となり追われ続けるのだ。
精霊の言うところでは、安全地帯は近い。だが、焦りが募るのは仕方がない。
(焦るな、もう直ぐだ)
そう言われてもハヤテは悠々としているが、地面は所々ぬかるんでいて足が取られるだろうし、迫り来る木々を縫って走っているので、追われるという精神的負担もかかって、彼らもそろそろ疲弊してきたはずだ。
せめて助力になればと、進路を妨害する魔物を風の精霊魔法で吹き飛ばし、剣で薙ぎ払う。
すると、すれ違いざまに魔物を切り伏せながらルークは口笛を吹いて一言「やるねえ」と、レナードはくるりと振り向いて親指を立てる。
案外彼らは余裕のようだ。精霊の言う通り、すぐに視界が開けて眩しいほどの光が降り注ぐ。
後ろではギャアギャア、と魔物が鳴き喚きやがて諦めて散っていった。前ではニケルがレナードの頭を叩いて
「移動中は集中を切らすなと、何度言ったらわかるんですか?」
と静かに怒った。
「なんだよ、ルークだって……」
レナードが言い訳がましく言いかけるが、ニケルのひと睨みであっという間に口をつぐむ。
魔物の脅威が完全に去ったのを確認して、五人は呼吸を整えながら地面に降りた。愛馬の功労をねぎらいながら、鞍を外す。
第二十二安全地帯と指定されているここは、見渡す限りに草原が広がっている。魔の森の中であることが嘘のような冷涼な風が吹き抜け、火照った体に心地よい。
私は顔にかかったプラチナブロンドの髪をかきあげた。
彼らは自分の愛馬の世話を一通り済ませると、一歩離れたところからハヤテを食い入るように見つめる。クービック領では合流してから直ぐに出立したので、聖獣という存在を側に感じていながら、もどかしさを抱いたままだったのだろう。
(わあ……)
「これが、聖獣ですか」
「すげーな、やっぱ」
口々に感嘆の声を上げる。普段は冷淡なニケルやルーク、セオも心なしか興奮しているように見えた。しかし、彼らはハヤテを前にして驚きこそすれ、恐れたり敬遠したりはしない。街の人々とは大違いだ。
思えば、それは私に対してもそうだった。
人々は私を囲うように、目の前に引かれた線から一歩も踏み込んでこない。まるでそこだけが別世界であるかのように、遠巻きに眺めるだけだ。
だが、何故だろう。彼らにはその隔たりを感じないのだ。最初は緊張感が漂っていたし余所余所しくもあった。それが多少の遠慮はあるものの、まるで友人のように気安く接している。
ハヤテは澄ました顔をして、両翼をパタパタと軽くはためかせた。いつまでもハヤテを眺めてはいられない。
まだ日は出ているが、今日はこの安全地帯で夜を明かすのだ。日が暮れる前に野営の支度を整える必要があった。次の安全地帯までは半日かかる。到着叶わず夜を迎え、魔の森をさまようことは自殺行為以外の何でもない。
「無理をしないこと」それが、魔の森で生き延びる鉄則だ。
「さて、役割の分担をしましょうか」
もしものときの逃げ道と避難場所さえ確保していれば、ある程度魔の森に入ることは可能だ。息休めもそこそこに、まだ時間があるとセオとルーク、レナードは名乗りを上げた。
「偵察がてら、夕食になりそうな魔物でも狩ってくるよ」
「あ、僕も行こうかな」
「美味いやつを頼むぜ。俺は、薪でも取ってくっか」
任せきりもなんだと、彼らに続いて私も腰を上げると、レナードに付いていくようにニケルに頼まれる。森がすぐ近くにあるのだから、薪拾いなんてすぐに終わりそうなのにと不思議に思いつつも。木々の中へと向かってしまったレナードを慌てて追いかける。
「レナード!私も行きます」
馬で行かないのは、鬱蒼とした森では小回りが利かないのと、もし馬を失ってしまった場合に森からの脱出が困難になるからだ。
それに、長距離を走る彼らをしっかりと休めなければならない。水の精霊と契約しているというニケルが水を用意しているのを尻目に、レナードに駆け寄った。
「日が暮れるまでには戻ってきてください!」
外に遊びに行く子どもを見送る母親のようなニケルの台詞に、隣を歩くレナードは吹き出した。
「分かった分かった。それじゃあ、俺たちが帰るまでに野営の支度進めておいてくれよ、お母さん」
移動時の無駄な荷物を減らすため、食事は魔の森に住む獣の中で食べられるものを狩ったり、生えている植物を摘んだりして腹を満たすことが多い。ここ最近は日帰りが多かったので、不謹慎ではあるが野営は楽しみでもあった。
私は精霊の情報を頼りに、なるべく魔物と遭遇しないように避けて歩く。いまのところ警戒するべき大きな影はないが、血の匂いは魔物を引き寄せる。それに、個々の力が弱い魔物でも、集られると面倒だ。
それでも時折襲いかかってくる魔物を斬り伏せながら、私たちは鬱蒼とする草木を掻き分けて進む。等間隔で枝に傷をつけているので、迷うことはないだろう。
「今日はやけに魔物が少ねぇな……」
ふと、レナードは幾多もの可能性を考慮した。ノエルの走査が及ばない場所に危険性の高い魔物が潜んでいて、それに怯えた小物は逃げ去った。または、どこか一箇所に固まっているということも考えられる。
渋い顔をするレナードに、私は安心してくださいと声をかけた。
「この辺りには、D級ほどの魔物しかいません。あ、近くに川がある!」
サアアア、という水のせせらぎの音が耳に入る。走って駆け寄ると、少しだけ気温が下がった気がした。
途端に、私は喉がカラカラなことに気がつく。今日分の飲料水は持ってきていたのが、休憩に入った時に飲むのを忘れていた。水辺に駆け寄り、透き通った澄んだ水を手で掬って口元へ運ぶ。
「おい、ちょっと待てよ!」
追いついたレナードが、何を思ったのか慌てて私の肩を押した。体は前につんのめり、掬った水は溢れて小石の地面に吸い込まれていった。
「お前、本当に冒険者かよ?」
レナードは信じられないといった顔をした。私はむっとして眉を顰める。
「どういう意味ですか」
「ここは魔の森だ。食べられそうな木の実が食べられるとも、流れている水が正常とも限らねぇ。確認もしないで口にしたら死ぬ…って常識だろ?」
そんなことは、冒険者になる際にジャックから耳にタコができるほど教え込まれた。しかし、ハッとしたように顔を上げる。
私にはずっと精霊とハヤテが付いていた。もし食べようとしているものが有害なものなら彼らは私を止めたし、周囲に魔物がいたらその特徴や倒し方を教えてくれた。この川の水を飲もうとしたときも精霊は私を止めようとしなかったから、私は安心しきっていた。
だが、普通は違うのだ。死に物狂いで魔物の気配を探り、どんなことにも警戒と確認を怠らない。
精霊やハヤテがいたことで罷り通っていたことは、本来ならば、細心の注意を払わなければ命に関わるのだと気がついた。
『このまま何もしなければ、気付かないうちに破滅の路を歩んでしまうことになる』
あの日のサザンの言葉が脳裏に過った。確かに、精霊たちの力に頼りきっていた私は、人としての在り方を忘れてしまっていた。サザンには、私が危うく見えたのだろう。
「そう…ですね。止めてくれてありがとう」
愕然として項垂れる私を、考え込むようにしてレナードはしばらく見つめた。彼の赤い髪が、風に吹かれて揺れる。
「あ、いや。悪い、余計なこと言ったな俺。フェイは一流の冒険者だって分かってんのによ」
レナードはバツが悪そうに頭を掻くと、何を思ったか片膝をついて川の水を両手で掬い、ゴクゴクと飲みほした。
「確かに、これは美味いぜ。ここが魔の森だって忘れちまうくらいだ」
レナードは、振り向きざまに口角を上げて笑った。がさつなところもあるが、彼は人の変化に聡い。周りの雰囲気が悪い方へ向きそうになると、彼は自分をだしにして人々の気をそらせるのだ。
出会いは微妙だったが、精霊に好かれていることもあってか、彼の印象はなかなかだ。
「なあ……セオのことなんだけどさ」
「…?」
少し言葉を淀ませながら、言いにくそうにセオの名前を出す。
セオに、何かあっただろうか。いや、彼について聞きたいことは山ほどあるのだけれど…
「あいつのこと、気を悪くしないでくれねぇか。なんつーか、とりあえず戦いたい?だけなんだわ」
あの時のことは、それは驚いたけれど、別に気を悪くなんてしない。ただ、気になるだけだ。剣を収めた後に見た、彼の心の揺らめきが。
「戦う事が好き、ですか。私には……どちらかといえば、固執しているように思えました。それほど楽しそうではありませんでしたしね」
そう、あの時の彼にあったのは、執着心だ。
戦わなければならない。
もはや義務でしかないその根源に気づかず、剣を振るうことが悦びだと思い込む。戦っていなければ、自分の存在意義が失われてしまう、そんな様な。
私の言葉に、レナードは瞠目した。
「やっぱすげーわ」とハハッと乾いた笑みを浮かべ、そして意を決したように私に向き合う。
「セオは、マイヤーズ家の出身なんだ」
「マイヤーズ家…」
マイヤーズ家は、十四ある辺境伯爵の一席を拝命している大貴族だ。
辺境伯爵は、魔の森に直接面する危険な領地を治め、国を魔物から守る防壁の役割を担う。領地を上げて魔物の討伐に勤しみ、冒険者ギルドへの依頼もマイヤーズ家からのものが多い。私が所属するギルド蒼穹の魂が位置するフヨールがあるのも、マイヤーズ領だ。
「セオはよ、精霊魔法の操作力はずば抜けてんだが、大規模には発動できないんだわ。危険度の高い魔物には威力重視、みたいなところがあるだろ。だからセオは、才能なしだと家から見放されたんだ」
レナードは静かにそう言った。
契約した精霊の力をどう使うかは、基本的に自由だ。ただし、精霊魔法を制御できる年齢であることが推奨されている。
マイヤーズ家では、一族の子供が四歳になった時から本格的な訓練を始めるのだと聞いたことがある。
セオはそんな幼い頃からずっと、劣等感と孤独を抱かなければならなかったのか。この国でも、家という縛りから逃れることはできないのか。
家という柵に囚われて、私と同じように人生を大きく狂わせてしまう人がいる。
セオは強い。戦い方次第で、十分に高ランクの魔物と渡り合えるくらい。
彼の精霊魔法は地味だし、対人戦なら有用かもしれないが、魔物と対峙するには些か威力が足りないように思えるかもしれない。
だが、あれほどの精霊魔法の使い手は、作戦の突破口にもなり得る、非常に価値ある存在だ。
才能がないなんて、とんでもない。足りないのは、彼の才能ではなくマイヤーズ辺境伯の見る目だ。マイヤーズ辺境伯、なんて愚かなんだ。
眉根を寄せて静かな憤りを浮かべる私に、レナードは続けた。
「守護騎士団で燻ってたあいつは、前の総長に引き抜かれて討伐騎士団に入ったんだけどよ。上位級の魔物とは戦えない、って雑魚の露払いばっか背負いやがって。だから、今日あいつがA級に突っ込んだとき、マジでビビったんだわ」
キュクロプス戦で、私が指示を出したときのセオの困ったような顔を思い出す。
無茶を、させたのだろうか。でも、セオならできるという確信が私にはあった。彼はもっと自信を持っていい。
魔物と渡り合うだけの力がない自分は弱くて、その所為で家からは見放されて。強くならないと、弱い自分は認めてもらえない。そうやって育てられた彼は、囚われているだけだ。
だから、何かきっかけがあれば、彼は変われるはずだ。
自分の能力を最大限に活かして、人と戦うにしても魔物を相手取るにしても、誰にも文句を言わせないくらい強くなれる。
「俺たちは、あいつが苦しんでるのを見ていることしかできねぇ。不甲斐ないよなあ、仲間なのによ」
レナードの言葉が、私の胸に突き刺さった。
彼らは、お互いに抱えているものを背負い合おうとしている。だが、自分にも余裕があるわけではないから、結局共倒れているのではないだろうか。
私という外的な存在が現れたことで、何かが変わろうとしている。それが、私の意図したことでなくても。
さて、そろそろ日が暮れてきた。日が完全に沈み一帯が暗闇に包まれたとき、それは魔物が勢力を増すときだ。そうなれば当然のこと、命が危ない。
さすがの私も、夜間の魔の森では活動したくない。安全地帯でじっとしているのが得策である。
レナードも茜色に染まった空を見上げて、顔を顰めた。
「やっべ、戻んねぇと」
来た道を迷うことなく進んでいく彼は、流石だとおもう。だが、彼は当初の目的をすっかり忘れている。薪を集めてくるために、わざわざ森に入ったのだというのに。
まあ長話をしたせいで、ついつい忘れてしまったのだろう。
仕方がないので少し走るペースを落とし、地面に落ちている枯れ枝を風の精霊の力を借りて集めてくる。
精霊の情報では、ルークが見事コカトリス二体、セオがオークを一体狩ってきたというので、これがないと困る。
オークは人々が食べる肉の代表で、コカトリスは飛ばない鳥にトカゲのような尻尾を付けた不気味な魔物だ。食肉になるオークなどの魔物は大量討伐の依頼が常時出ているのだが、コカトリスは出回っていないので食べたことがない。
「しまったああああ!」
私が安全地帯へ戻ると、一足早く到着していたレナードの叫び声が聞こえた。頭を抱えるレナードと、呆れ顔で仁王立ちするニケルの図。何を叫んでいるかは一目瞭然だ。
「全く、何のために森に入っていったんですか。森に入って薪を拾う時間はもうありませんよ」
すっかり日が暮れた空を仰ぎ見る、ニケルが醸し出す威圧感が怖い。と思ったのは秘密にして、私はニケルの肩をトンと叩いて後ろを指さした。
「ちゃんと拾ってきました。足りますか?」
その薪の山を見て、ニケルは若干口元を引き攣らせながら眼鏡を上げる。
「十分ですよ。さあ、レナード、薪を並べてください。セオとルークが解体している間に火を起こしましょう」
十分すぎだぜ、と言いながらレナードはこちらを向いて親指を立てた。ニケルの小言を回避できてよかった、とでも言いたそうな顔だ。この時、なぜニケルが私にレナードについて行くように言ったのか、分かった気がした。
ニケルは袋の中から短い棒状の金属を取り出すと、レナードが組み上げた木々に向ける。
「アッシュから使用実験を頼まれていますからね。試してみましょう」
「ああ、そうだな。ここじゃねえと使えないわな」
二人は納得した様子だが、私は首をかしげるばかりだった。ニケルは金属の棒を薪に近付け、集中するように目を瞑った。
……何か、起こる。精霊たちが騒めくのを感じて、私は小さく息をのんだ。
それは、私が精霊たちに語りかけたときの反応とどこか似ている。違うのは、反応を示しているのが火の精霊のみであるという点だ。
(なにこれー)(おもしろいね)
(協力するよー)
ニケルが契約しているのは水の精霊のはずだ。だが、彼によって火の精霊は反応を示している。そして、数秒後には小さな火の玉が生まれ、木々に着火した。
彼が手にしている金属の棒が、この摩訶不思議な現象を引き起こしているのだろうか。
「ニケル、その棒は……」
恐る恐る問いかける。あまりにも驚いた私は、声が震えていた。
精霊たちの反応など知らないニケルは、何でもないことのようにその棒を私へ差し出す。
「魔道具ですよ。違う属性の精霊魔法が使えるという画期的な発明です。エレメンタル・オーダーのアッシュ・ミザネスが考案したものなのですが、研究段階にあるので、如何せん制御が難しいのですよ。まだ試験運用中ですしね」
「実践投与は、まだ厳しいって感じだな」
レナードは、その火力や精度などを分析して、残念そうに首を振った。
だが、この魔道具の仕組みを一瞬で理解した私は、感動に打ち震えていた。これは、精霊と人間を『契約』という形ではない新たな方法で繋ぐ、革新的な発明だ。
魔道具は、私と同じように契約の有無に関わらず精霊に助力を求める作用がある。ただし、属性という縛りはあるようだが、精霊は反応を示しているのだ。そもそも、精霊にとって人間との契約など大した意味はなく、周囲の精霊は求められればいくらでも力を分け与える。
だが、制御が難しいと言っていたように、魔道具の使用者と精霊との間で、力の受け渡しが上手く行われていないようだ。人間が精霊の存在を感じ取っていないというのが大きいだろう。
それでも、人々が契約という小さな枷から解き放たれる、素晴らしい発明だと思う。
魔道具に感服している間に、魔物の解体を終えたルークとセオが戻ってきた。火は十分なほど燃え盛っており、切り分けた肉を枝に刺して炙る。
ちょっぴり期待していたコカトリスの肉は美味いといえば美味いけれど、何というか、どことなくパサついた感じがした。ハウゼントで食べていた鶏の味によく似ている。
アーシブルでは豚や牛などの家畜の肉よりも、オークなどの魔物の肉を食べることの方が多い。魔の森という無限の供給場があるのだから最もかもしれない。
ともかく、アーシブルで鶏の肉を見かける機会はほとんどなかった。そんな中、懐かしい味に出会ったと小さな感動を噛みしめる。
オーク肉は言うまでもなく、こんがりと焼けた肉から肉汁が滴っていて、味は何物にも例えがたい。ただ独特の臭みが少しあるので、調味料は欠かせない。
すると、両手に肉を持ったレナードが、ノエルに片方のそれを差し出した。
「おいノエル、ちゃんと食わねぇと後がキツイぜ」
ノエルは先ほどからじっとしたままだったが、何かに集中するように一点を見つめていた。それに気がついたニケルは、レナードを押し退けてノエルの反応を待った。
「…何か、分かりましたか?」
コクリ、とノエルは頷いた。
(うん。安全地帯の周りにいるのは、下級と中級の魔物が百体ちょっと。少なくとも上級の魔物はいないみたい)
「そうですか…」
第十三団の参謀ニケルは、眼鏡を押し上げながら安心したように頷く。少なくとも、上級の魔物が辺りをうろついていないことが分かっただけでもいい。
「それでは、明日以降の細かな日程と作戦を、再度確認しましょう」
焚火の周りに座り込んだ私たちは、ニケルのその呼びかけに、広げられた地図へと視線を向けた。
「いま我々がいるのは、第二十二安全地帯です。明日目指すのは、第二十九安全地帯。中継地点として……」
ニケルが指さしたのは、木々が開けた場所ではあるが、地図の上では安全地帯として指定されていない場所だ。
私は、精霊の声が集まっている所があれば「あそこは安全地帯だな」と判断できるが、彼らはそうはいかない。だが、彼らは私を信じることに決めたのだ。
——信用されている
たったそれだけのことで、彼らから受け入れられているように感じてしまう私は、単純なのだろうか。
人を心から信じることができない臆病な私は、歩み寄ろうとしてくれた人々から一線を引いていた。それが今では、彼らに信用されたことを嬉しく感じている。
心に浮かんだ戸惑いを消化できないまま、ニケルたちの話は進んでいく。
「今日のキュクロプスのように、何が起こるか分かりません。みなさんは注意を怠らずにいてください」
(今日はごめん。僕の判断が甘かったから、みんなを危険に晒してしまった)
しょんぼりと項垂れるノエルの背中を、ルークはそっと叩く。
「気にしないでよ。フェイとセオの適切な判断と対処で、事なきを得たんだからさ」
ルークとは対象的に、レナードはバシバシと勢いよく叩く。
「緊急事態は、何も今日に始まったことじゃねぇだろ?B級のサラマンダーを囲んでた時に、実は俺たちが囲まれてました、なんてこともあったしよ。あれは流石に死ぬかと思ったよな」
レナードは面白おかしく言っているが、笑いごとではない。
魔物に囲まれる、退路を断たれるということは、絶望以外のなにものでもない。これが二十人規模の部隊であれば周囲の魔物を掃討する人員を割けるのだが、たった五人ではそうはいくまい。
ニケルにフォローされた矢先に、昔の傷をほじくり返されたノエルは、ますますがっくりと項垂れる。
「ふふっ」
火越しに彼らを眺めながら、心ともなしに笑みが浮かぶ。
(ああ、なんだか良いな、こういうの)
何となしに覚えた感情に、私は目を見張った。ドクン、と心臓が音を立てる。私は今、彼らとこうやって過ごすことが楽しいと、そう思ったのだろうか。
任務が始まる前は、彼らに深入りはしないと決めていたはずだ。一人の方が気楽でいい。ずっとそれを貫いてきたのに。
……この任務が終わって元の生活に戻ったとき、一人で行動することを物寂しく思うのだろうか。
私の零した笑みを目敏く見つけたレナードは、不敵な笑みを浮かべながら腕を組んだ。
「ほーら、フェイの奴も笑ってるぜ」
(もう、悪かったってば!)
頬を膨らませるノエルは、どちらかといえば可愛らしい顔立ちなので、むくれても愛嬌が増したように感じる。
「つーかよ、フェイはソロの冒険者なんだろ?よく一人でやってけるな」
突然、話の矛先が自分に向けられたことに肩が跳ねた。その手の話題は正直苦手だ。と考えている間に、ノエルが反撃の狼煙を上げた。
(レナードはフェイに興味津々だねぇ)
「なっ、テメっ」
お返しとばかりに口角を上げるノエルに、レナードは慌てふためいた。
「高雅の蒼穹と共同作戦だと聞いた瞬間に、飛び上がって喜んでましたからね」
口上手なニケルも参戦して、レナードは窮地に追い込まれていく。結局、逃げるようにレナードは私の元へと視線をやった。
「そんで!何でフェイはそんなに強いんだよ」
「……えっと」
レナードの期待に満ちた眼差しが突き刺さる。今まで目を伏せていたセオまでも、視線をよこした。
何て言えばいいんだ。
いろんな精霊が力を貸してくれるからです、なんて言うわけにもいかず。かといって、魔物を相手取るのは精霊無くして有り得ない。考えれば考えるほど、うまい具合に答える方法が分からなくなっていく。いつもなら上手にはぐらかす言葉や、曖昧な返事が浮かんでくるというのに。
「……何ででしょう?」
悩んだ挙句、誤魔化すようにしか答えられなかった。彼らに嘘をついたり、騙すような真似をしたりたくない。そう思ってしまう自分が、私を混乱させた。
あやふやな私の答えに、レナードはガクッと項垂れた。
「ちぇ、フェイのいけず」
「諦めなさい、レナード。何か秘訣があるからこそ、フェイは単独でも魔の森を生き抜いていられるんです。我々も少人数で魔の森に挑む身、その秘訣を知りたいという気持ちはわかりますが、これ以上は不躾というものです」
くいっとメガネを直しながら、ニケルは口角をあげた。
ニケルの言葉に、レナードはすごすごと引き下がる。ニケルに反論しても、どうせ倍の応酬があることを分かっているからだ。
詮索をしないで欲しいという主張を、彼らは尊重してくれているのだ。
私は思い切って、彼らに踏み込む覚悟を決めた。
「あの、皆さんにひとつ聞きたいことがあります」
「いいぜ、何でも聞けよ」
集まる視線を感じながら、私は言葉を選んだ。
「第十三団が結成された経緯について、知りたいんです。なぜ皆さんが公に活動できないのか」
もともと第十三団には気になる要素が多かった。サザンが言うには、ギルバート国王が王太子時代に所属していたというが、そもそも王太子ともあろう人が討伐騎士団という危険な職務に就いていたことが信じられない。私にとって王族とは、自己中心的で支配欲に満ちた存在でしかない。
「サザン総長は、なんと仰っていましたか?」
「ギルバート国王が所属していて、その人が抜けた後も団として存続している、と」
「そうですか……。ギルバート陛下について、フェイはどれだけご存じですか?」
国王ギルバートの噂は、王都から遠く離れたフヨールの街でもたまに耳にする。好き勝手に振舞う貴族の力を削ぎ、失われていた王の権威を蘇らせた賢王だと名高い。貴族らの暴挙的な搾取に不満を募らせていた国民からは、救世主のように敬われている。
噂をするのは人間だけではない。精霊のあいだにも、度々ギルバートという人物の話題がのぼる。闇の精霊と契約しているという彼は、他の精霊とも相性がいいらしい。その人を取り巻いているならともかく、離れた場所にまで名前が伝わってくるのは異例だった。
「陛下は、並外れた精霊魔法の使い手です。A級の魔物など一捻りにしてしまわれるほど、あのお方は強かった。ただ、その力は大勢の騎士と足並みを揃えていられるものではありませんでした。そこで、前総長ハーヴィー・オルコットの勧めもあって、第十三団の設立に至ったというわけです」
なるほど、貴族派から第十三団が嫌われている理由は分かった。国王の庇護下にある彼らが目障りに思えても仕方がないのだろう。
「教えてくれて、ありがとうございます」
煮え切らない思いを抱く私に、彼らは曖昧な笑みを浮かべるばかりだった。
「さてと、明日は日の出とともに出立です。見張りは一時間ごとに交代しましょう」
ポン、とニケルが手の平を打ち、私たちは火を囲って横になる。
硬い地面で寝るのは肩がこるが、私は嫌いではない。魔の森から見上げる夜空は、街から見えるものよりも格段に輝いている。それを眺めながら考え事をしているうちに、眠りの底へと落ちていったのだった。




