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目的地である第八十三安全地帯へ向かうために、アーシブルの西側にあるクービック辺境伯領から最も魔の森に近い街、ファブルを経由する。王都からファブルまでおおよそ三日かかるといわれて、私は現地集合にしてくれと頼んだ。魔の森ならともかく、人里近くを駆けるにはハヤテは目立ちすぎるからだ。
彼らと合流して間も無く、私たちは魔の森へと進入した。目指すのは、クービック辺境伯領ファブルから三番目に近い第二十二安全地帯だった。
ハヤテには申し訳ないが、彼らと歩調を合わせるために地面を駆けてもらっている。以前は森の中で馬を操る事は至難の技だったが、ハヤテは私が何の指示を出さずとも歩を進めてくれる。
林立する木々が太陽の光を遮り、まだ早い時間帯というせいもあってか辺りは薄暗い。
これまでに測定された範囲での魔の森の構造図によると、ここはまだまだ浅瀬に過ぎない。ただ、一時間ばかり馬を走らせれば、周辺に現れる魔物の脅威は、表層部に比べて格段に上昇する。
人里近い麓に蔓延るF級E級のスライムやゴブリンやコボルトなどは主に集団で行動するので、もし遭遇しても馬の駆ける勢いで蹴散らしてしまえば良いが、C級B級ともなるとそうはいかない。
避けるのが一番だが、もし遭遇してしまった場合は立ち向かうか、安全地帯まで逃げ延びるかの二択しかない。彼らには、空への退路はないのだ。
行先を見失わないよう一定の方角を目指して、ひたすらに馬を走らせていた。私はハヤテに身を委ねながら、風にはためく外套越しに、緊張感が漂う第十三団の面々の背中を見つめた。
これまでに見た王立討伐騎士たちは、全身に鎧を纏っている印象があった。ギルドの冒険者たちも、全身装備の方がより実力者であるという風潮だと思われた。
だが彼らは、兜はおろか、顎や太腿の部分の装備を省いているようだった。篭手や脛当は、革製の簡易なもので代替されていた。
資金的余裕がないというよりはむしろ、機動性を重視して、あえて装備を軽くしているのかもしれない。
随分な速度を出していても、全員が逸れることなく疾駆していられるのは、ノエルが指示を出して統率しているからだ。加えて周囲への索敵も併せて行なっているものだから、彼はほんとうに大した技量だと思う。
(直進方向に魔物がいる、大きい!みんな右に旋回して!)
安全地帯でないが少し木々開けたところがあり、一行はそこを通過しようとしていたが、ノエルの指示で右に逸れる。
(あそこにいるのはキュクロプスだ。下手をすれば、やられるぞ)
ハヤテに、そうだね、と返す。ノエルはその存在、大きさは感知できるが、特定まではできないのだ。
キュクロプスは確かA級、一つ目の巨人だ。数ある巨人の中でも危険度は高い。なぜなら、その巨体に見合わない身体能力と反応速度を併せ持っているからだ。
正直なところ、あまり会いたくない相手だった。
ノエルの指示通りに、かなり迂回したにも関わらず、その先にキュクロプスは滑り込んだ。
魔物の動きが分かっていても、対応できなかったノエルは絶望的な顔をした。咄嗟に手綱を引いて、馬を止める。四人も、焦りで歯を噛み鳴らした。
「くそっ、ここでA級かよっ!」
魔物がよってこないか、周囲の気配を探りながら、巨大な魔物を睨め付ける各々。
いつもなら逃げ出しているところだが、今回は諦めるしかなさそうだ。この状況を切り抜けるのに最も適した精霊魔法の使い手がセオであると判断した私は、彼の隣へ向かってもらい、小声で呼びかける。
「…セオ、目を潰せますか?」
セオはキュクロプスを注視したまま、反応に困ったように瞬いた。彼とは初対面のあの時から口を聞いていないので気不味いのは山々だが、背に腹は変えられない。
「あのでかい目を突き刺すだけでいい。後のことは考えないでください」
キュクロプスの顔の大半を覆う、小岩ほどの大きさの目玉。その大きさの通り、視界の及ぶ範囲は広い。見えるところでの、やつの反応速度は脅威だ。
この体勢から死角を狙うのは不可能なので、そうなれば、正面から突くのが一番手っ取り早く確実だといえる。
ただ、私がそれをやると、第二撃を入れるのが厳しい。だから単独で活動している私は普段、巨人の相手だけはしないのだが。
キュクロプスは、あの大きな目玉をただ無防備に曝け出しているわけではない。その防御に絶対の自信を持っているからこそ、瞬きもせずに平然としているのだ。
あの身体能力と精霊魔法を持つセオなら、第一撃を任せられる。セオ以外に適任はいない。
「じゃあ、頼んだ!」
彼の返事を待たずにハヤテと共に後方へと一旦下がり、地面へ足をつけた。
セオはやれやれと肩を竦めて、馬から降りる。そして腰に佩いていた剣を、鞘から抜き放った。
「ふぅ」
セオの呼吸に合わせて、自然の風とは違う何かがその焦げ茶の髪を揺らす。
剣が放つ鈍い輝きに激昂して、キュクロプスは足を踏み鳴らした。
「ちょっ、セオ!」
レナードがあげた焦りの声を口火に、セオはその場から消え去った、ように見えた。正確には、精霊魔法で加速を乗せ、一直線に攻め入ったのだ。
ノーモーションからのあの加速、そしてその速さを完全に制御するセオに目を見張る。先日の私との対戦は、彼にとってほんの肩慣らしに過ぎなかったのだと今更思い知った。
しかし、それを上回る反応速度を見せたキュクロプスは、目玉を守ろうと咄嗟に片手を振り翳した。
(まずい)
と思ったのも束の間、セオはふと空中でスピードを緩め、目元を覆うようにして振り上げられたキュクロプスの腕に飛び乗った。そして狙い通り、キュクロプスの瞳の中央に剣を突き刺す。セオは剣をそのままに、目玉を蹴って地面へと転がり落ちた。
傷口から青色の体液がほとばしり、魔物は大きく仰け反りながら、痛みと怒りからくる咆哮をあげる。
「あ゛ああああああああぁぁぁ……」
セオがキュクロプスの視界を潰したのを確認し、私も鞘からミスリルの剣を抜き放って地面を蹴る。一瞬でその巨体に詰め寄り、首の高さまで飛翔した。
剣を振りかぶり、そのまま横に切り結ぶ。キュクロプスの外皮はそれほど硬くない。切れ味の良いこの剣のおかげで、いとも簡単にキュクロプスの首は落ちた。
耳をつんざく叫び声を間近で受けたセオは、苦痛に顔を歪めた。が、斬撃が真一文字に閃めいたと思えば、その声は次第に尻すぼみになり、後方へと吸い込まれていく。
ドサッ、と二つの身が同時に地面に倒れこむ音がした。
私は地面に転がる頭部から剣を引き抜いて、滴る青い体液を振り払う。地面に膝を付けたまま呆然とするセオに、その剣の柄を前にして差し出した。
「見事でした」
まるで公爵令嬢の時のような高飛車な言い方になってしまった。でも仕方ない、なんだか心臓がドキドキと早鐘を打っているのだ。
一人で戦ったときの、虚しさも呆気なさもない。今あるのは言葉に表せない、けれども確かな高揚感だけだ。
私とセオの元へ、まず彼の愛馬が駆け寄った。それに四人とハヤテが続く。
「巫山戯んなよ、セオ!急に突っ込んで行くから、心臓止まるかと思ったぜ」
「いやはや、大した連携だね」
(セオ…)
感嘆する三人とは別に、ノエルは眉根を下げて心配そうにセオを見やる。セオは憂いをたたえた笑みを浮かべて「ああ」とだけ答えた。
それぞれ騎乗しながら再び走行の態勢に入り、先頭のセオは真っ先に駆け出す。安全地帯外で長時間立ち止まるのは危険だということもあるが、セオの表情は晴れていなかった。
大活躍したばかりだというのに浮かないセオだったり、心配そうにするノエルだったりと、気になることが山ほどあるが、置いて行かれないように慌てて私も後に続いた。




