17
高雅の蒼穹が聖獣と共に去った後、サザンも颯爽と馬に跨った。
「先に王都へ戻る。現場が片付き次第、帰還してくれ。それと、高雅の蒼穹に関することは一切他言無用だ。いいな」
「はっ」
小さくなっていくサザンの後ろ姿を見送りながら、オーランドとレーンは顔を見合わせる。嵐のように過ぎ去った衝撃の余韻は、まだ彼らの中に残っていた。
「あの少年が高雅の蒼穹だったとは、とても信じられんな」
「全くです。人は見かけによらないとは言いますが……」
骨すらも灰となってしまった魔物に視線をやる。オーランドは、到着した際に見た魔物の巨躯を思い出しながら、隣に立つレーンへ問いかけた。
「レーン、もし我々が出陣していたとして、この魔物を討つ事はできたと思うか」
第三団に降り注いだ厄災は他人事ではない。特性も弱点も不明な魔物と遭遇するは、決して低くはないのだ。
レーンは苦い顔をしながら低く唸った。
「……正直を申し上げますと、不可能でしょう。あれは我々の知っているドラゴンではありません」
問題はそれだった。どんなに優れた騎士や冒険者でも、危険度の高い魔物を初見で倒すことなどできない。突くべき弱点も取るべき対策も分からないまま、出たら目に仕掛けて勝てるほど魔物は甘くないのだ。
「高雅の蒼穹、フェイ・コンバーテ……噂通りの逸材だな」
高雅の蒼穹が討伐騎士団に挙げてくる討伐報告のなかには、名前以外の一切が謎に包まれた魔物も存在する。当初はその信憑性が問われたが、彼から提供された情報によって討伐が容易になった例は数多く存在する。
彼の戦闘記録を参考にした第一団が、そのすばしこさから傷を与えるのすら難しいと言われていたS級マンティコアを討伐した快挙は記憶に新しい。
彼らの背後でカチャカチャと鎧の擦れる音が響いたかと思うと、一人の騎士が慌てた様子でオーランドとレーンの前へと駆け寄った。
「あちらで第三団団長トラヴィス・メイラーはじめ、四番隊隊長ユルゲン・フィッツ、三番隊副隊長サディア・コークス、一番隊八名、二番隊五名、三番隊四名、四番隊三名、計二十三名の遺体を発見しました!」
その騎士は敬礼するのも忘れ、薙ぎ倒された木々の向こうを指さした。
「トラヴィス……しくじったか」
オーランドは苦々しげに呟く。公爵という権力でその座に上り詰めただけあって、彼は命よりも名誉と尊厳ばかりを気にする男だった。生き残った者がいない以上確かめようがないが、きっとトラヴィスは撤退命令を下さなかったのだろう。
中には、四番隊隊長ユルゲン・フィッツと三番隊副隊長サディア・コークスの姿もあった。若く優秀な指揮官をこんな形で失ってしまったことに、オーランドは遣る瀬無い思いを抱いた。
「あちらは……高雅の蒼穹が現れた方角では?」
レーンの言葉に顔を見合わせた二人は、弾かれたように走り出した。
荒れ果てた戦場から離れた広場にたどり着いた二人は、柔らかな芝生の上に並べられている二十三人の騎士を前にして呆然と目を見開いた。
「……なんだ、これは」
彼らは驚愕のあまり言葉を詰まらせた。討伐騎士として経験を重ねてきた彼らだからこそ分かる。
——この遺体は、おかしい。
鎧は無残に破壊され、ところどころ血糊の跡が残っているというのに、彼らはあまりに綺麗過ぎるのだ。五体満足どころか、傷の一つすらも見当たらない。
ただ眠っているだけなのではないかと、オーランドは横たわる騎士の息を確認したが、首を横に振った。死んでいるのは間違いなかった。
「彼が運んだのでしょうが、なぜ彼らだけなのか……釈然としませんね」
地面に膝をつくオーランドの頭上で、レーンはふと疑問を口にする。
確かに、サザンに対して「人が死んだんだ」と食って掛かっていた高雅の蒼穹だが、戦いの跡地に倒れていた騎士には目もくれなかった。この扱いの差が何を表しているのか、
彼らは重要なことを見逃しているような気がしてならなかった。
その時、木々の向こう、戦いの繰り広げられた広場で半狂乱に叫ぶ声が響き渡った。そのすぐ後、オーランドとレーンのいる森の中に青褪めた顔をした騎士か駆け込み、早口で報告をいれる。
「ご報告します、息のある者が多数確認されました!」
「そうか、良いこともあるものだな。その者が落ち着いたらでいい、状況を聞いてくれ」
生きていた者がいたというのは、悲しみに包まれた状況で唯一の救いだった。
報告を終えた騎士が佇んだままであることを不思議に思ったレーンは、問いかける。
「まだ何か?」
「はっ、それが……」
騎士は言いにくそうに口籠る。視線を彷徨わせて、どう伝えればいいのか思案しているようだった。
「それが、誰一人として傷がないのです。一体何が起こったのか……」
彼の言葉を最後まで聞かずに、二人は現場へと走った。
胸の中に引っかかっていた疑念が、想像もしていなかった形で解かれようとしている。脳裏を過った可能性を信じられない一方で、結論を導いてもいた。
(あそこにいた騎士は全員、生きている……)
「生存確認ではなく、身元確認の方を優先的に行うように指示していました。私の誤断です、申し訳ありません」
レーンは、走りながら詫びを入れる。身元の確認は、遺体がどんな状態になっても分かるように鎧の首元に付けられた金属の札で行う。安否を確かめるより先に急がせていたものだから、生存者の発見が遅れたのだろう。
彼らが全滅したものと疑わなかったオーランドにも非がある以上、それを咎めることはなかった。
現場を指揮していた三番隊隊長シーヴァ・アンソンの元へと駆け寄り、指示を下す。
「この場にいた騎士全員の生存確認を急げ。おそらく、生きている」
「……はっ?」
「私はサザン総長を追って王都へ戻る。後のことは任せたぞ、レーン」
「承知いたしました。現状を把握し次第、連絡を飛ばします」
オーランドは頷くと同時に馬に飛び乗り、手綱を引いた。素っ頓狂な返事をしたまま、瞬く間に去っていった団長を唖然と見送っていたシーヴァは、レーンへ説明を求める視線を投げかけた。
「高雅の蒼穹の力は、我々の理解の範疇を超えている。総長はそう言っていましたが、ようやくその意味が分かりました」
「……?」
意味深な言葉を残して踵を返したレーンに、シーヴァは結局何も分からないまま命令に従うしかなかった。彼がその意味を理解したのは、無残に倒れ伏せていた九十八人全員が、掠り傷ひとつなく目を覚ました瞬間だった。
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先に飛ばされた通信によって、トラヴィス・メイラー及び二十三人の騎士が亡くなったこと、残りの九十八人が生還したことを受けたサザンは、謁見室にて国王と十三人の大臣以下、国政を担う者たちへ一連の事件に関して報告を入れた。この場で重要なのは、公爵トラヴィス・メイラーの死という報せだ。
貴族界で幅を利かせていた公爵の死亡という事実に、一同の反応は二つに分かれる。彼に依存していた一部の貴族は動揺を露わにし、反対に目障りだと思っていた者は次の一手を考え始めていた。
ただ淡々と状況を説明しその場を去ったサザンは、王城へ駆けつけたオーランドを誘った。城の中心から離れ、サザンは入り組んだ通路を迷うことなく進んでいく。王城に慣れたオーランドですら足を踏み入れたことの無い場所だが、黙って後を追った。
サザンが歩みを止めたのは、日の光の届かない地下室の一角だった。古びた木のドアを押し開けると、空気の対流で壁に掛けられた蝋燭の灯りが揺らめく。
一瞬だけそちらに気を取られていたオーランドは、室内で待っていた人物に気付くのが遅れてしまった。サザンが跪く気配に、その先にいるのが誰なのか気が付いた彼は、冷や汗を流しながら慌ててサザンの後に続く。
「っ、国王陛下!」
頭を低くする二人に苦笑しながら腰掛けていた椅子から立ち上がったのは、アーシブル王国の若き国王ギルバート・ラージェルクであった。二十歳という若さで王位についてから早五年近く、これまで好き勝手振舞っていた貴族を並外れた才覚で黙らせ、メイラー公爵を始めとする諸侯に奪われていた王権を取り戻しつつあった。魔の森に対抗する王立討伐団の腐敗に難色を示し、サザンの掲げる実力主義に協力の姿勢を見せてもいる。かつてない賢王と謳われ、各騎士団でも彼を支持している者は多い。
「そう畏まらなくていい。ここは公式の場ではないのだからな」
「はっ」
気さくに席を勧めるギルバートに恐縮しつつも、オーランドはサザンに倣って座った。
オーランドが謁見の度に思うことだったが、彼の持つ存在感と威圧感は先王と比べ物にならないほど卓越している。彼を前にすると、傅かずにはいられない衝動に駆られるのだ。
「マケット団長、気分は悪くないか」
ギルバートからふいに投げて寄越された質問に、オーランドはその意図を考えたが、すぐさま首を振った。
「お気遣い感謝申し上げます。何ともございません」
ギルバートが強力な闇の精霊と契約しており、その力が常に溢れ出ているというのは国に仕える者なら誰でも知っていることだ。彼はその力のせいで、人と触れ合うことはおろか居合わせるだけで影響を受ける者もいるという。彼はそれを危惧したのだろう。
オーランドはこうして個人的に会うのは初めてだったが、黒に染まった瞳からは何の感情も読み取れない。黒髪に黒い上着、全てが黒で統一されている彼は、ふと目を離した瞬間に、闇に紛れて消えて行ってしまいそうな危うさがあった。
「そうか、では本題に移ろう。何があったのか、真実を教えてくれ」
公の場において、この事件の詳細は伏せて報告されていた。自分がこの場に呼ばれたのは、実際に起こったことを包み隠さず伝えるためだとオーランドは悟る。
「はっ。本日の昼過ぎ、ラセーヌの森中腹にドラゴン出現の連絡を受け、第三団メイラーが一番から四番までを率いて出陣しました。しかしながら、ドラゴンとは比較ならない巨大な魔物と発覚、交戦となったものの全滅いたしました」
そこまで話した後で、オーランドは高雅の蒼穹について口止めされていたことを思い出した。隣に腰掛けるサザンへ視線を投げかけるが、腕を組んだまま反応を見せない。国王はその対象にならないのだと判断し、オーランドは続けた。
「高雅の蒼穹の助太刀にて、魔物は討伐されております。我々第四団が戦地へ到着したときには魔物は既に死んだ後でしたので、彼がどのようにして戦ったのかは定かではありません」
「高雅の蒼穹……」
ギルバートは、低くその名前を呟いた。彼の実績は、サザンによって余すことなく伝えられている。しかしながら、オーランドの報告はそれで終わらなかった。
「我々は、全員死亡したものと思い事後処理を進めましたが、実際に死亡したのは二十三人のみ。欠損どころか、傷一つない完全な状態で安置されておりました。生き残った者にも、負傷者はおりません」
ありのままを伝えているだけなのだが、オーランドは現実味の薄い自身の説明に辟易とした。馬鹿なことを申すな、と一蹴されてもおかしくないと覚悟すらした。
だが、ギルバートは真剣な面持ちでオーランドの話に相槌を打つと、サザンに意見を求めた。
「サザン、高雅の蒼穹がそれをやったと思うか」
「……おそらくは」
「行動を共にしているという聖獣の可能性はないのか」
「ゼロではありませんが、彼は聖獣のことを『人間の営みには興味がない』と定義しています。その聖獣が、わざわざ死んだ人間にまで温情を施すとは考えにくいかと」
ふう、とギルバートは深く息を吐きながら、椅子の背に凭れかかった。話を聞くほど、高雅の蒼穹の人間離れした能力が明るみにでてくる。聖獣を引き連れS級を単独で討伐し、今度は癒しの力まで示した。彼は一体どれだけの潜在力を持っているのだろうか。
「全く、末恐ろしいな。面倒な貴族に取り込まれなければいいんだが」
ギルバートは率直な意見を口にした。どの貴族にとっても、高雅の蒼穹を懐柔させることは絶大な一手となることだろう。それだけは何としても避けたかった。
「彼は王侯貴族との関わりを何より嫌っています。その可能性は低いでしょうが、我々の陣営に引き入れるのも難しいと思われます」
サザンの返答に安堵するも腹の中を先に否定されてしまい、ギルバートは肩を竦めた。
「敵対してくれなければいいさ。今は、こちらも手一杯だからな」
全てを話し終えたオーランドは、現場に戻るためにこの場を後にした。彼は貴族派ではないが、完全にギルバートとサザンの側に付いてもいない。子爵という立場上そうならざるを得ないのも仕方がなかったが、これから先の話を聞かせることは出来なかった。
「コリンズが動き出すか」
サザンは神妙な面持ちで頷いた。
これからアーシブルの情勢は、目まぐるしく変化していく。
貴族の勢力が増したアーシブルにおいて、ギルバートが国王に即位した時に残されていたのは、立法権だけだった。
ヒーステルとギャランフォルという大国を飲み込むようにして興ったアーシブル王国は、早い段階でその治世を安定させる必要があった。そこで、当時の国王フラセル一世が執ったのは、国土を貴族に分割し、彼らと共に行政を決める議会制であった。ほんの弱小国に過ぎなかったアーシブルには四十ほどの貴族しかおらず、突然降って湧いた広大な国土を治めるには、皆の意思が一丸となる必要があったのだ。
しかしながら、歴史を重ねるにつれて四十ほどしかなかった領地と議員は三倍にも膨れ上がり、国王は彼らを抑制しきれなくなってしまう。行政権のみを議会に委ねていたはずが、気がつけば軍事権や徴税権、司法権までも簒奪されていたのである。
アーシブルにはフラセル一世と初代議会が創った法が存在し、貴族と国王はそれに従わなければならない。ギルバートは、「民を裁くは貴族にあらず」というその一項を利用し、もともと存在した司法機関に殆どの権利を委任させることによって、貴族から司法権を引き離した。
しかしながら、国王のもとに軍事権がないのは何より危険な問題だった。
「貴族は軍を持つべからず」という法のもと、軍事力と呼べる勢力は守護騎士団、聖愛騎士団、エレメンタル・オーダー、王立討伐騎士団のみだったが、それらが貴族に掌握されていたのである。
ギルバートは即位前から死に物狂いで暗躍し、守護騎士団、聖愛騎士団、エレメンタル・オーダーを国王直属として定め、軍事力の一部を取り戻した。だが、王立討伐騎士団だけは未だに貴族勢力が根深く、全権を掌握するには至らなかった。
王立討伐騎士団で幅を利かせていたトラヴィス・メイラーが死んだいま、蔓延る貴族派の勢力を一掃する機会である。だが、彼の後釜を狙っている貴族は数多く存在する。その際たるのが、ウィルノ・コリンズ。コリンズ侯爵家当主にして王立討伐騎士団第七団団長の任を担っている。直情型のトラヴィスとは違い、ウィルノは虎視淡々と謀略を張り巡らせる策士だ。サザンとギルバートが目を掛ける第十三団を潰すために、無理な討伐作戦を押し付けたのもこの男である。
「これでまではトラヴィスの影に潜んでいましたが、間違いなく表舞台へ出てきます。狙いは……」
「王立討伐騎士団総長だろうな」
「はい。しかしながら、どうやって総長の座に収まる腹積りなのかは分かりません。取り返しがつかなくなる前に、我々が先手を打つのが最善かと思われます」
その提案に、ギルバートはしばらくの間考え込んだ。サザンはあと一押しするように言葉を続ける。
「ウィルノがハウゼント王国へ魔物を密輸しているのは紛れもない事実です。あとは、彼の関与を証明するだけでいい」
「だが、密売が自身の弱みになることは、ウィルノも分かっているだろう。そう易々と尻尾を出すとは思えん」
ギルバートが渋るのにも訳があった。コリンズ侯爵家は、大陸統一を果たした際に存在した四十の貴族のひとつであり、これまで醜聞や失態なく王家に仕えてきた名門と言われている。当主が抱く思惑が何であれ、侯爵家という大きな後ろ盾を有するウィルノは一筋縄ではいかないだろう。
「近々、ウィルノがハウゼントへ渡るという情報を掴みました。取引を行う算段であることは間違いない。アーシブルへ戻ってきた瞬間に船ごと捕らえれば、証拠を隠滅する暇もないでしょう」
ギルバートは肘掛に頬杖をつきながら、思索に耽る。サザンの提案は優れているが、狡猾なウィルノに先手を打たれれば一巻の終わりである。
彼の意表を突くような方法でなければ、すべてを白日の下に晒すことは難しいだろう。
「まあ待ちなよ、サザン。そう焦ることはないって」
ギギという古びた扉が開く音とともに、気の抜けた声が薄暗い室内へ響いた。向けられた視線を気にするでもなく、堂々と扉を潜ったのはヴィンセント・パリッシュ侯爵だった。もともとギルバートの幼馴染みであるヴィンセントだが、若くして家督を継いでからは、国王の右腕として頭角を現している。
その後ろからは守護騎士団の第三団長クライス・マゼラントが続き、後ろ手に扉を閉めた。彼もまたギルバートとヴィンセントの幼馴染みだったが、子爵家の三男でしかなかったクライスを見る周囲の目は厳しく、短い時間しか共にいられなかったという苦々しい過去がある。しかしながら、その実力だけで守護騎士団をのし上がり、三つある団長の一席を射止めることで、ようやく二人の隣に立つことができたのだった。
「俺に妙案があるんだ。決断するのは、それを聞いてからでも遅くはないと思うよ」
「……大丈夫なのか?」
やけに自信に溢れるヴィンセントの様子に、不安を抱いたギルバートはクライスに疑いの視線を投げかける。クライスは呆れた笑みを浮かべながらも、ヴィンセントに話を促した。
「まあ、聞いてやれよ。こいつの妙案はいつも信用ならないが、今回ばかりは俺も納得している」
ヴィンセントは、ギルバートとサザンが頷いたのを確認して、意気揚々とその作戦を語り出した……




