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精霊に愛された姫君~王族とは関わりたくない!~  作者: 藤宮
第1章 王立討伐騎士団とヒュドラ
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 ハヤテは行きよりもだいぶ緩やかな速度で飛行していた。


「ねえハヤテ。さっきの、どう思う」


 柔らかなハヤテの背に顔を埋めながら、ぽつりと独り言ちる。思考が纏まらないほど疲れているのに、こうやって頭から離れないのだ。

 サザンの依頼を受けていいと思う一方で、また不測の事態が起こることを恐れている。葛藤の狭間にあるのは、去り際のサザンの言葉だ。


「過去にとらわれている、か」


 確かに、私はジャックのことを忘れられないでいる。私は、自分の犯した罪と向き合わなければならないだけで、過去に縛り付けられている訳ではない。サザンが破滅の路と表現した意味が、どうしても理解できなかった。


(人間とは面倒なものだな。物事ひとつひとつに感情が付き纏う)


「……うん」


 ハヤテのような聖獣や精霊にとって、情動は縁のないものだ。彼らは万物の象徴であるという理のもと、常に正しい選択をする。ハヤテが私の手助けをしてくれているのも、それが最善だからなのだろう。

 私には、何が正しいのか分からない。


 (望む通りにすればいい。人間と精霊は違うのだからな、何も最善を選ぶ必要はないだろう)


 ハヤテの助言に、私はハッとして顔を上げる。

 人間とは私欲にまみれた存在だと思っていた私は、頼れるのは自分と精霊だけで、それ以外は全て信用してはならない。そうやって生きてきた。だが精霊と過ごす時間が長かった私は、時おり精霊と似通った判断を求めてしまい、人としての在り方を忘れてしまうことがある。ハヤテはそれを気づかせてくれた。


「私の望む通り……そうだね」


(一人で何もかもやろうとしないで、たまには誰かを頼れよな。人間ってのは助け合って生きてんだから)


 ふと、彼の言葉が脳裏によみがえる。

 そういえば、一人でいいと主張する私に対して、彼はひっきりなしに「パーティーを組んだ方がいいぜ」と勧めていた。魔の森は危険だからとかランクの高い魔物に挑めるからとか、そういう直接的な理由ではないと言っていた。だが結局私は誰とも組まないまま、いつの間にか人々から孤高の存在として扱われるようになり、私も一人でいるのが当たり前になってしまった。

 あの煩わしい世界から飛び出したというのに、臆病な私は人と関わることを恐れ続けた。アーシブルで新たな生き方を見つけても、私自身は何一つ変わっていない。本当は、人の暖かさを心から信じることのできない薄情な自分が嫌だった。


(分かったよ、ジャック)


 一歩を踏み出してみても、良いだろうか。

 彼のことを忘れる訳ではない。複雑に絡まったまま解せない感情にけりをつけるだけだ。


 暗闇が完全に空を覆い尽くしたころ、下方に淡い光の集まりを見つける。ハヤテは次第に高度を下げ、地上へと降り立った。

 一刻も早く体を休めたかったが、ドラゴン出現の報告を翌朝に繰り越すのは憚られたので、仕方なくギルドに寄ることにした。


 カランカランとドアに括られたベルが軽快な音を立てる。建物の左手にあるパブで普段と同じく酒を片手に談笑しあう冒険者らだったが、恒例のように一斉にこちらを向いた。しかしその視線は普段とは違って、最初から驚愕に満ちている。中にはグラスを手から滑り落とす者までいた。

 彼らのいつもとは違う反応に、私は眉を顰める。


「フェイ!」


 あんぐりと口を開けて放心状態にある人々の山を掻き分け、マスター・キャメロンが私の前へと躍り出た。いつもは二階にいるというのに、今日は珍しく一階で酒を飲んでいたのか。


「何かあったんですか」


「何かあったかって?そうだよフェイ、君は自分がどんな格好をしているか気付いてるのかい!急いで応急処置を……」


 彼に言われて初めて、自分が凄まじい格好をしていることに気がついた。白かったシャツは血糊で赤黒く染まっている。衣服も血や土にまみれてボロボロだ。クエレブレの鎌鼬を食らった左袖はだいぶほつれてしまったが、傷自体は無くなっていた。きっと光の精霊がついでに治してくれたのだろう。

 救急箱を取りに行こうとするマスター・キャメロンをなだめて、肩を竦めてみせる。


「大した怪我はしていません。急に飛び出してしまってすみませんでした」


「全くだよ。心臓が止まるかと思った…」


 クエレブレの件は、ギルドに通達していないとサザンは言っていた。この場で言うべきではないと判断して、安堵したように胸をなでおろす彼を書斎へ誘う。

 月明かりが照らす室内で、私は出来るだけ小声でマスター・キャメロンに告げた。


「ラセーヌの森にてドラゴンが出現しました」


「へっ」


 素っ頓狂な声を上げたマスター・キャメロンを無視して話を続ける。


「王立討伐騎士団が対応に当たったのですが、二十人以上の方がお亡くなりに」


「そのドラゴンをフェイが倒したの?」


 途端に、マスター・キャメロンの声が真剣味を帯びる。肯定した私に、彼は難しい顔をして椅子の背に凭れかかった。


「ドラゴンの名前は?」


「クエレブレです」


「クエレブレ……聞いたことがないな」


 顎に手を当てて記憶を辿るキャメロンだが、首を横に振る。

 実のところ私もよく分かっていない。後でハヤテに説明してもらおうと思っていたからだ。答えようがない私は、追求される前に退散することにした。


「明日資料を送るので、優先的にお願いします」


 彼が黙って頷いたのを確認して、私は扉を開けようとした。だが、窓辺にいたはずのマスター・キャメロンはいつの間にか背後にいて、自分の羽織っていた上着を私の肩にかけた。


「その格好で歩いていたら、きっと街の衛兵が飛んでくるよ。今日は帰ってゆっくり休んだ方がいい」


「……ありがとうございます」


 最後まで注目を集めながら蒼穹の魂を出た私は、ハヤテと歩いて帰路に着いた。クエレブレについて、ハヤテに訊く時間が欲しかったからだ。


「それで、クエレブレの正体は何だったの?ドラゴンにしては、ちょっと大きい気がするんだけど」


 A級指定のドラゴンよりも三倍近く巨大なだけではなく、その魔力の強さも皮膚の硬さも比べ物にならない。


(最初はドラゴンと変わりないが、一定の期間が過ぎた個体は急速に巨大化する特性がある。大抵はそうなる前に死ぬが、あれは淘汰から逃れたのだろう)


「そうか、ドラゴンのうちに討伐されてるから、みんな特異種がいることに気づかないんだね」


 道理でマスター・キャメロンも知らない訳だ。

 だがハヤテが名前を知っているなら、人々がクエレブレを認識していた頃もあるのではないだろうか。ハヤテは人間のように物に名前を付けたりしないから。


(巨大化したクエレブレは三百年前に国をひとつ滅ぼしている。早々に片付けられたのは僥倖だったな)


「えっ、そうなんだ」


 今現在アーシブルは大陸を統一する大国だが、数百年前までは森沿いに位置する小国に過ぎなかった。幾つもの国が勢力争いに敗れ消えていくなかで、ヒーステル王国とギャランフォル王国が二大勢力として台頭するが、魔物の群れに襲われたヒーステル王国が一夜で滅びたことで全てが変わった。ヒーステル王国と隣接していたアーシブル王国は飛ぶ鳥を落とす勢いでその領土を奪い、僅かな期間で大国へと成り上がったのだ。こうして、今の基盤が築かれたのだという。

 ハヤテが言うクエレブレが滅ぼした国というのは、時期から考えるとおそらくそのヒーステル王国のことだろう。クエレブレが危険な魔物であったことに今更ながら身震いした。

 しかしながら、国を滅ぼすほどの魔物にしては随分とあっさり倒せてしまった気がした。多少は手古摺ったし焦りもしたが、A級やS級の中にはもっと厄介な魔物だっている。クエレブレは、図体が大きかっただけだ。


(あれは成長の過程にあった。森から出てきたはいいが、途中で体が重くなり飛べなくなったんだろう)


「ちょっとマヌケだね。討伐騎士団も、なんであの程度の魔物に全滅しちゃったのかな」


 今さらながら疑問である。もし彼らにとってクエレブレが未知の魔物だとしても、一度撤退して練り直せばいい。クエレブレの様子からして、逃げる事は難しくなかっただろうに、彼らはそうしなかった。


「きっと、指揮官が愚かだったんだろうね」


 よくある話だ。例えどれだけ優秀な人間が集まっても、愚鈍な指揮官のもとでは存分に力を発揮できない。そればかりか、間違った判断に従わざるを得なくなり、組織が崩壊することだってある。王立討伐騎士団に根深くはびこる貴族優位の体制が、あの惨劇を生み出したのだろう。私はやり切れない気持ちになった。


(それもあるだろうが、あのクエレブレが相手では、人間は我々の力を振るうことができなかったはずだ)


「精霊魔法が使えなかったってこと?確かにクエレブレの魔力は強かったけど、精霊魔法が発動しないほどじゃないよ」


(お前は、人間とは異なる形で用いているからな)


「えっ、そうなんだ」


 精霊との契約の関係で使える属性が一つしかないことは知っていたが、精霊魔法の使い方なんて一緒だと思っていた。精霊から力を借りて発動する、この簡単な過程に違いがあることが驚きだ。


(人間は力を受けると同時に具現化させているが、それでは精霊の力を通過させているに過ぎない。お前のように、借り受けるという発想がないのだろう)


 ハヤテの説明の通りなら、人々が使っている精霊魔法は精霊力をそのまま横流ししているということになるが、それでは発動するのが難しすぎる。私も挑戦したが、使い勝手が悪くてすぐに諦めた手法だ。魔物の魔力の傍で用いるのだって、かなり厳しいのではないだろうか。実際に、強すぎる魔力の前では発動できていない。


「人間はずっとこの方法を使っているの?」


(ああ)


 思えば、これまで見た資料の中にも「精霊魔法の不発」といった事例がいくつかあった。きっとこのことだったのだろう。


「このままじゃあ、人間はいつか魔物に負けそうだ」


 無意識のまま出た呟きだが、自分でも的を射ているなと思った。

 実際に、魔物の氾濫によって人間は国を失っている。その災禍が再び起こったとき、人々は抗うことができないかもしれない。

 疲労した頭では、ろくでもない事しか思い浮かばない。私は考えるのを止めて、ただ黙々と歩き続けた。


 私はフヨールの端にある、小さな家を一軒借りて生活している。町の北部、つまり魔の森が最も近い場所だけあって家賃が安いうえに、隣接する家が少ないので庭もかなり広い。

 垣根で囲われた庭はハヤテの住処になっていて、綺麗な森を好む聖獣が過ごしやすいように小さな湖と豊かな緑を用意した。澄んだ湖の周りには色とりどりの花が咲き誇り、まるで世の中の喧騒から隔絶した楽園のような空間が広がっている。


「今日はありがとう。おやすみ、ハヤテ」


 ハヤテは馬のように小さく嘶くと、月明かりの届かない庭の闇に紛れていった。

 見上げた空に浮かぶのは、慎ましやかに輝く大きな月だ。昼間と比べると弱々しい明かりだが、魔の森で野宿していた時は何とも頼もしく思えた。

 そういえば、もう長いこと魔の森で夜を明かしていない。ジャックに付いてまわっていたころは野宿するのも森の中で食糧を確保するのも当たり前だったのにと、懐かしい気持ちがこみ上げる。


「決めた。サザンの話を受けよう」


 心の中では決断していたが、言葉にしておきたかった。でなければ、弱い私は簡単に決意を覆してしまいそうだった。承諾の返事は直接言った方がいい。形に残ってしまうと、後から付け込まれる原因になってしまうかもしれないからだ。 


 私の中で止まっていた時間が、動き出そうとしていた。


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