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「これは!!」
応援に駆けつけた第四団三番隊と四番隊は、その激しい戦闘の爪跡を目にして愕然とした。
木々は爛れ、大地は深く抉れている。騎士たちは一人残らず斃れており、ピクリとも動かなかった。所々に浮かぶ血痕の周りには、騎士の一部だったものが転がっている。この惨劇を前にして、誰もが悲痛な面持ちを浮かべた。第三団が全滅したことは誰の目にも明らかだった。
彼らは、目の前に倒れる魔物に対しても、動揺をあらわにする。崩壊が進んだ魔物は既に原形を留めていないが、その異常なまでの巨大さは変わりようがない。これが報告にあったようなドラゴンでないことは一目瞭然だった。
「ひとまず遺体を回収させます。よろしいですか」
後ろから馬を進めてきた副団長のレーンはオーランドの認可を取ると、それぞれの部隊に指示を出して準備を進めさせた。全滅した可能性も考慮して、近場の街に輸送のための荷馬車を待機させてある。それが到着するまでに遺体の確認をしなければならない。
「三番隊は遺体の身元確認を、四番隊は引き返して輸送の準備を整えてください。解散!」
指示を飛ばすレーンを後ろに聞きながら、オーランドは物思いに更けった。
問題はこの魔物を誰が、どうやって討伐したかということである。魔物の外傷を確認することはできないが、焦げ臭さが辺りに漂っていることから、決定打になったのは強力な火の精霊魔法だろう。
周囲の様子から、その討伐に至る道筋を頭の中で描いた。深く抉れた地面を辿った先には魔物が横たわっている。何らかの方法で衝撃を与え、吹っ飛ばしたのだろう。それが火の精霊魔法なのか、あるいは他の攻撃手段なのかは定かではないが……
(はっ、出来るはずがないだろう)
見たままの分析を一蹴する。討伐騎士団最強と謳われる総長サザン・ラーシェンクならば万に一つ有り得るが、フェレスにいる彼がどれだけ早馬を駆けても半日はかかる。物理的に不可能だ。
第三団が一人残らず死した状況下で彼らが魔物を討伐したとは思えないが、事実魔物は死んでいるのだ。精鋭ぞろいの百二十人でも太刀打ちできなかった魔物相手に、こうも一方的な戦いを見せることのできる人物。
考えれば考えるほど真実から遠ざかっていく気がして、目眩を感じたオーランドは額を押さえる。朽ちていく魔物を睨んだところで何も分からない。さらに言えば、この魔物の正体すらも不明なのだ。
眉間に深く皺を刻んだオーランドの隣に立ったレーンは、薙ぎ倒された木々の奥から現れた少年に目を向けた。騎士たちが遺体回収作業を進めているのを暫く見ていた少年は、静かに瞼を伏せて魔物へと歩み寄っていった。
「団長、あの少年は?」
オーランドはチラリと視線を上げたが、すぐに興味を失う。
「大方、様子見にでも来たんだろう。魔物の傍は危ないから、摘まみだしておいてくれ」
「はっ」
レーンは難しい顔をして腕を組むオーランドを後目に、同じく魔物を見据えている少年のもとへ向かう。
魔物の崩壊は激しさを増し、骨格が露わになりはじめた。オーランドの言う通り、あんなに傍にいては危険だ。
「君、これ以上魔物には近付かないほうが良い。少し話が聞きたいんだ、こっちに来ないか……」
背後から掛けられた声に、少年は半歩だけ下がって振り返る。綺麗な容姿に反して、彼は傷だらけだった。その白い頬は煤に汚れ、左腕の切り傷からは血が滲んでいる。それにも関わらず、彼の眼差しは穏やかだった。
それが死闘を生き延びた騎士と重なって見えたレーンは、自分でも理解できない言葉が口を突いて出た。
「この魔物は、君が倒したのか?いや、まさかそんな」
馬鹿げたことを言ったと自嘲する彼を、少年は肯定も否定もしなかった。興味なさげに視線を逸らし、少しの溜めもなく軽々と跳躍する。倒れている魔物の頭上へ危なげなく飛び乗ると、腰に佩いた剣を抜き放った。その振動によって、残っていた灰が一気に落ちる。すると魔物の頭蓋骨のちょうど真後ろの部分に露わになったのは、両手で抱えきれないほど巨大な魔結晶石だった。
少年が魔結晶石へ剣を突き立てると、いとも簡単にひび割れ、濃い紫から透明へと変わっていった。
オーランドたちは、自分らが魔結晶石の存在を失念していたことに今になって気が付いた。魔物を倒した後の鉄則である、魔結晶石の破壊。これを怠れば、街へ大量の魔物が引き寄せられる引き金となってしまう。
安堵の息を吐いた騎士らは今や、魔物の上に佇む少年に釘付けになっていた。
魔結晶石の破壊責任は、通常その魔物を討伐した者が負う。これでは、まるで彼が魔物を倒したようではないか。
事の顛末を知らない騎士らも作業の手を止め、魔結晶石を破壊した少年を驚愕の眼差しで見つめた。
「この魔物の名前はクエレブレ」
少年の澄んだ声が、その場を支配する。
「私が倒した」
風など吹いていないのに、彼のプラチナブロンドの髪が靡いた。
魔物の残骸の上に立つ彼は騎士らを見下ろし、その唖然とした様子に苦々しい笑みを浮かべる。いつまで経っても反応をみせない彼らに厭き、音もなく魔物から飛び降りた少年は空を見上げた。
次の瞬間、上空から舞い降りたのは純白の獣だった。その巨大な両翼を小さく羽ばたかせ、地面へと足をつける。
その伝説の獣は、架空の世界にしか存在しないはずだった。ほんの、二年前までは。
「ペガサス……」
ぽつりと、誰かがその名前を呟いた。
約二年前、聖獣ペガサスの出現は国中を大いに騒がせた。真実性の薄い与太話かとも思われたが、王立討伐騎士団がただの噂話で済ませるわけにはいかず、総長サザン・ラーシェンクが自らその地へ足を運んだ。
暫くした後、討伐騎士らに公表されたのは、聖獣の存在が真実であること。また、聖獣と共に行動する一人の冒険者がA級を単独で討伐したという驚愕の事実だった。
二日に一度はA級を狩ってくる、S級を一人で倒したなど、かの冒険者に関する情報は耳を疑うものばかりだった。地方では根も葉もない噂話だと笑い種にされていたようだが、王都では違う。
討伐騎士の間では、「高雅の蒼穹」と呼ばれるようになった彼がペガサスを連れていることも、討伐した魔物のことも、余すことなく共有される。それらが全て事実であることを知っているだけに、高雅の蒼穹に対する畏敬の念は日に日に深まっていった。
一つだけ分からないのは、高雅の蒼穹がどんな人物かという点だった。それこそ様々な憶測が行き交い、皆それぞれ想像を膨らませていた。
いまペガサスが傍に寄った身長も体格もやわな少年の姿など、誰も想像すらしていない。だが、この少年が高雅の蒼穹であることは、もはや疑いようがなかった。むしろ、そう考えることで全ての辻褄が合う。
オーランドは、「摘まみだせ」と命じた少年の正体に気が付き、表面的な見方しかできなかった自分を恥じた。精霊魔法がものをいう世界で、背格好だけが強さを表す訳ではないと分かっていたはずだ。それなのに、こんな子どもに出来るわけがないと、考えるより先に先入観で判断してしまった。
どうか一言謝罪をと前に踏み出したオーランドをよそに、少年は剣を鞘に戻してペガサスの背に跨ろうとする。既に、彼らに対する興味関心を失っていた。
「待ってくれ、フェイ!」
よく通る声が、立ち去ろうとする少年を呼び止めた。面倒そうにペガサスから手を離した少年は、声のした方を向く。その視線の先には、王立討伐騎士団総長サザン・ラーシェンクがいた。




