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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスとペンドラゴンの財宝
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 最近、調子がいいです。

 この四回、いずれも十ドルを超えるサルベージです。

 さらに、エレンハイム嬢をかばって以来、この十七日、ひと言もしゃべっていません。

 今日も潜ろうかと思ったのですが、蓄えもできているので、散歩もいいでしょう。財布に五ドル入れて、行き先も見ずに駅に停まっている市電に乗ります。見慣れない街を走り、見慣れない駅で降りて、下町をふらふら歩く。誰もわたしに話しかけず、それぞれの商売なり恋愛なりに集中する。これぞ、世界を平和にする唯一の方法です。

 ただ、このあたりの地区は警察をギャングの亜種と思っているらしく、自警団文化が花咲いています。独自の暴力、独自の身分証明書、独自の改造機関銃。十字路に目つきの悪いショットガン自警団員がいて、撃ち殺してもいい人間を探して目を光らせています。レストランを見ていると、自警団が食文化に及ぼした影響が如実にあらわれています。フライドカモメかクジラのステーキ。アザラシのホットドッグ(つまり、ホットアザラシです)。とにかく肉です。彼らは魚を嫌います。魚を食べることは弱さの証なのです。もし、誰かにイワシのオーブン焼きを食べているところを見かけられたら、「おい、マイクのやつ。このあいだ、何食ってたと思う? なんと、イワシだぜ!」と影で言われて、彼の奥さんは屋台で商人に馬鹿にされ、子どもたちは遊び友達たちに無視されます。自警団員は肉にかぶりつかなければいけません。ガツガツ食べて、お腹にぜい肉をためるのです。彼らは自警団ですが、あまり動きません。通りに立って、殺してもいい犯罪者が出てくるのを待つばかりですし、移動するときは仲間と一緒にトラックの荷台です。運動不足でまんまるになっています。あれでは相当ウェイトをつけないと潜れません。脂肪は浮きますから。

 レストランに入ると、自警団たちが出っ張ったお腹にメニューを載せて、お財布とメンツの両方に優しい肉料理を探していました。わたしは道路に丸く出っ張ったひとり用の席へ案内されました。漆喰が剥げて煉瓦とガス管が剥き出しになっていますが、静かにひとりで食事を楽しめそうです。コショウとケッパーを詰めたニシンのオーブン焼きとチリ・ソースとガーリック・ワインのウナギ・スープ、それに蟹ビールを一杯。優雅な昼食が――、

「おい!」

 昼食が――、

「お前、ヘンリー・グレイマンだろ!」

 ああ、なんですか?

「お前、誰にことわって、ここでメシ食ってるんだ? あ!」

 見れば、自警団のひとりがわたしに絡んできています。山賊みたいに弾薬ベルトを肩からかけた、ぶくぶくの豚さんです。ミスター・ファットバック(背脂氏という意味です)と仮に呼びます。

「ここはおれたち〈黒いシャチ中隊〉の縄張りだぞ」

 怒っているみたいです。ひれ伏して、靴でも舐めれば放っておいてくれるでしょうか?

 ミスター・ファットバックはあきらかに酔っ払っています。彼と仲間の豚さん合計六頭のテーブルには安ワインの空瓶が七本転がっています。シャチというよりはゾウアザラシみたいな体ですが、それを言ったら殺されるので、ここは無害な潜水士の、友好的微笑みをして、かわします。

「なんだ、てめえ? おれがデブだと笑ってるのか?」

 どうしてわたしの微笑みをそんなふうにとったのか分かりません。もっともマスクは外していないので(食事が届くまでは外しませんよ)、目でしか微笑みが見えないのが原因でしょうか?

「おい、ジャーヴィス」仲間の自警団がミスター・ファットバックを煽ります。「そいつはちょっと思い知らせたほうがいいんじゃないか?」

「そうだ、こいつにはこの街で歩くには誰の許可を取らなきゃいけないか、骨身にしみて、思い知らせてやる必要があるぜ」

 たぶん、わたしが殺し屋だと思っていて、犯罪者にヤキを入れようということです。それに勘違いされているわたしの手口では水のなかに引きずり込むわけですから、水から離れたここでなら、どれだけわたしに噛みついても安全というわけです。なかなか打算的です。あと、「必要なのは適度な運動とバランスの取れた食事」ですね。

 あ。

 「」のなかが口に出てしまいました。これは十年に一度ある非常に珍しい現象ですが、それがよりによって、いま、このときに――。

 どうやら、わたしの言葉に自警団員たちは激怒したようです。露骨に豚と呼ぶよりも効いているようです。できもしない生活改善を処方されることがここまで人の怒りを買うとは。おかしいです。今朝、起きたときは素晴らしい一日になると思っていたのに。三ドルあげたら、許してくれるでしょうか?

「ぶっ殺してやる!」

 ミスター・ファットバックがその質量でわたしをぺちゃんこにせんと襲いかかってきます。誰か助けて!

「げぶっ!」

 攻撃的デブが呻きます。

「あなたにストッピング・パワーのご慈悲のあらんことを」

 わたしの隣の席、衝立で隠れた席から長い銃身が伸びていて、それがミスター・ファットバックのお腹に深々とめり込んでいます。

 そのリヴォルヴァーを手にしたままイルミニウスが立ち上がると、ミスター・ファットバックは銃身で押されて、下がるしかできず、ついに椅子の足に引っかかって転んでしまいました。

「て、てめえ、なにもんだ!」

「迷える照準(子羊)を導かんとする曳光弾(羊飼い)です。ところであなたが肩からかけているガンベルトは教会のものではないようですね」

「そ、それがなんだ?」

「いえ。遠慮なく殺せるなと思って」

「は?」

「彼は水中六連発銃を教会で求め、あなたはガンベルトを求めなかった。簡単な話ですよね?」

 安全な立場にいるらしいわたしでもさっぱり分かりません。

 テーブルの五人が立ち上がりました。店主や他の客には迷惑な話ですが、ガンファイトのときのようです。自警団が殺せる犯罪者を探すように、イルミニウスは殺せるガンファイターを探しているのです。

「ふん。まあ、いい」

 ミスター・ファットバックはビビッて、引き上げるつもりのようです。

「今回は見逃してやる。だが、次に見かけたら、たたじゃおかねえからな」

「いえ、見逃してくれなくて結構です。撃ち合いましょう」

「だから――」

「怖いのですか? では、そちらが六人、こちらはひとりで決闘をしましょう。それでしたら、お付き合いいただけますね?」

 もし、わたしがミスター・ファットバックだったら、失禁しています。イルミニウスは目が閉じているように見える微笑みのまま、六対一で自分が圧倒的に不利な殺し合いをしようと言っているのです。ミスター・ファットバックは自分の前にいるのが教会の司祭ではなく、死そのものだと気づいたようです。もし、ここで引いたら、メダカを食べる以上の大恥です。ミスター・ファットバックは頭のなかで計算しています。六対一なら勝てるかも、と。

「もし、お付き合いいただけないのなら、こちらのギフトレスさんとお話があるので、よろしいでしょうか?」

 自警団員たちはぶつくさ言いながら、テーブルに代金もおかずに外へ出ていきました。

 イルミニウスは銃を法衣の裾をめくってホルスターにしまうと、わたしのテーブルにつきました。

「最近は四四口径スペシャルを使うのにふさわしい相手がいなくて、困ります」

「……」

 イルミニウスのことはちょっと避けていました。例の不思議な夢、というより、過去の情景かもしれないものを見て以来、怖かったのです。あれが1912年のことなら、イルミニウスは歳をとっていません。それは、もはや人間ではないのかもしれません。イルミニウスの両親とか親戚とか、パワー・オブ・ストッピング教会をあそこに作るまで何をしていたのか、きいたことがありませんが、ききだそうという気はまったくありません。寝ている犬は寝たままにしておくのが安全です。

「ギフトレスさん。あなたは伝説と歴史の境目をどう思います?」

 わたしは会話できません。しません。仕方がないので、立ち上がり、今日の割引メニューがケッパーとニシンであると記載している黒板に書きました。

『願望の量』

 強くそう思っているわけではありません。ただ、この手のことはあーだこーだと考え始めると、ひねった文句を書きたくなって、時間がいくらあっても足りないのです。だから、さっさと、本能の赴くままに書いてしまうのがいいのです。明日、まったく別のことだと考えているとしても。

「そうですか。願望の量。確かにそうかもしれませんね。人は歴史よりも伝説に願望を多く寄せます。歴史は三八口径の制式リヴォルヴァーでも対応できますが、伝説を相手にするなら、四四口径スペシャル弾を掃射できる銃が必要かもしれません」

 パワー・オブ・ストッピング教会の信徒たちは話のたとえに銃火器を使うので、ときどき何を話しているのか分からないことがあります。『願望の量』と自分で書いておいて、何ですが、さっぱり分かりません。これ以上『願望の量』について、あれこれきかれるよりは話題を転換して、これを葬ってしまうのがよいでしょう。

 カツ、カツ、カツ。『あなたはどう思う?』を書きました。

「わたしですか? そうですね。――それが事実かどうか。これではないでしょうか」

 ふむ。

「伝説は事実であり、歴史は事実ではありません。歴史は時の政府なり支配者なりが選び取った過去をつなげて見せたものであり、自分たちが正統な存在であることを証明しようとするための嘘です」

 カツ、カツ、カツ。『伝説は嘘ではない?』

 ふふっ、と秘密の花園で、ウサギや小鹿に囲まれる世間知らずの美少女みたいに笑って、この少年は――自分をはねようとするドライバーをその車の前半分ごとショットガンで吹き飛ばし、自分がストッピング・パワーに愛されている証明のために自動拳銃でロシアンルーレットをためらわず先行し、つい今さっき、六対一で撃ち合おうとブラフなしに誘った、この少年は美少女のスマイルで言いました。

「僕が聖職者であることをお忘れなく。ギフトレスさん。僕は伝説が事実だと唱えて暮らしているのです。それに伝説には核となる事実が存在するのですよ。たとえば、ある古代の英雄は星の子と呼ばれました。流れ星が落ちて、その先に見に行ったら、赤ん坊が転がっていた。こんな話です。伝説は嘘ではなく、事実にかけた馬鹿げた解釈の上に成り立っています。伝説をつくる人たちはそれが真実であり、事実であると思っているのです。為政者が嘘と知っていて歴史の教科書を都合よく曲げるのとはわけが違います」

 ふむ。流れ星、解釈、教科書。銃を使ったたとえがありませんでした。意外です。銃キチだと思っていましたが、イルミニウスのことを誤解していたようです。

「そこで相談なのですが」

 ん?

「このボトル・シティにはある伝説があります。水没前、あの伝説の銃工フィリップ・ペンドラゴンがその技術の粋と天才的発想を集めてつくった、この世界でたった一丁だけの対艦リヴォルヴァー『ペンドラゴンM999』がこの街に隠されているという伝説です」

 前言撤回です。イルミニウスはイルミニウスです。

「ペンドラゴンM999についての伝説や目撃例、ちょっとロシアンルーレットで脅かしたら話してもらえた証言を集めて、ついにこのときが来たのです。ただ、水のなからしいのです。そこで、ボトル・シティ随一の信用できる潜水士であるギフトレスさんにお願いしたいのです」

 トラブルのにおいがします。それは香ばしいケッパーのにおいです。だいたい対艦リヴォルヴァーというのは何なのでしょうか? ギリギリ対戦車リヴォルヴァーなら分かります。認めたくはありませんが、存在することもあるだろうと思えます。しかし、対艦とは――。それは人が使えるものなのでしょうか? 反動で体が月まで吹っ飛んでいくものなのではないでしょうか? それともイルミニウスは最近の疑惑の通り、人間ではなくて、カイン教父並みにヤバイ生物で――

 そこで銃弾がガラスに穴を開けて、わたしのすぐ目の前で黒板をバラバラに砕きました。

 ミスター・ファットバックがさらに六人の仲間を連れて戻ってきたのです。六対一では勝ち目は薄いが、十二対一なら殺れる。リヴォルヴァーの装弾数は六発だから、最悪六人が死ぬだけだ。そう考えたのでしょう。

 わたしは常日頃、思います。この殺伐とした水没世界であっても、己の愚行を悔いるチャンスは誰にでも平等に与えられるべきではないか、と。

 イルミニウスほどのトリガーハッピーがもう一丁の銃を持っているかもしれないことを少しも考えなかった愚かさを即死によって償わせることはない、せめて五秒くらいは悔いる時間を与えてもよかったのではないか、と。

 そもそもイルミニウスはこの二丁の長銃身リヴォルヴァーの他に、背中のホルスターに短く切り詰めたセミオート・ショットガン、袖に小さな自動拳銃、大きな司祭帽子のなかには組み立て式の機関銃がバラバラになって入っているのです。

 それを知らず、自身と仲間十一人の命を死神の(あぎと)にくれてやったのはミスター・ファットバックの落ち度ですが、黒板破壊からコンマ一秒で頭を撃ち抜かれたら、何があったかも分からないでしょう。

 ミスター・ファットバックと十一人の愉快な仲間たちは額に風穴を開けて、大の字に倒れています。

 イルミニウスは空の薬莢を弾倉から落としながら、わたしに言いました。

「引き受けてくださいますよね?」

 イルミニウスはにこりと笑いました。

 こくこく。頷く以外に何ができたでしょう?

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