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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと戦艦ブラックプリンス
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 第七十三次珊瑚海海戦の勝者たちが凱旋帰国してきましたが、彼らのうちの何人かは戦闘の途中、修羅の世界への入り口が開き、宇宙人が虐殺されたと証言しました。そうではありません。修羅の世界ではなく、わたしの家です。ですが、いるのは修羅です。前科百七犯のギャング、職業暗殺者、不死身の騎士、常在戦場の野生児、そして捨て身の革命家。カタギはひとりもいません。

「ふむむ」

 艦長が呻ります。

「これが元の世界、元の地球につながる入り口を開くわけか。誰か、帰りたいやつはいるか?」

「いないであります、艦長殿!」

「それはなぜか?」

「我々は海軍軍人として、艦を捨てることが許されないからであります、艦長殿!」

「そうだ。で、本当のところは?」

「我々は指名手配されているのであります、艦長殿!」

「正直でよろしい。ところで、ギフトレスくん。きみは家に帰りたいかな?」

 いきなり話しかけられて、きゃっ、ってびっくりしました。そりゃ帰れるなら、帰りたいです。もうマスク剥がしの虐待はうんざりです。元の世界がまともとは言いません。言いませんが、少なくともわたしのマスクを剥がすためにわたしを追いかけまわすことはしません。それに居候たちはわたしの不在をいいことに面白くない既成事実を形成しているかもしれません。たとえば、宇宙人の侵略から我が家を守ったとか。

 だから、帰りたいです。帰りたいですが、それはわたしにあの謎光線を当てていいということではありません。異次元への入り口を開ける光線を人に撃ったらどうなるか見てみたいという邪悪な試みに殉じるなんてごめんです。ですが、わたしは撃たれました。ただ、意識があります。わたしの皮膚をパチパチと青い光が覆いつくしているのが分かりますし、なにかに後ろから引っぱられているのも分かります。つまり、数秒間が使えるわけです。わたしは艦長に向かって走り、その襟首をつかみました。死なばもろともです。

 わたしが艦長をつかみ、何かがわたしをつかんでいます。その何かがあまりにも強くわたしをつかむものですから、艦長をつかんだわたしの姿を後ろから眺められるくらいです。幽体離脱というやつでしょうか? まわりは宇宙みたいな場所で白い線となって光る星々がわたしたちに追い抜かれて行きます。この感覚が異常なほど心地よく、こうなったら、永遠にこのままでもいいかと異常な人生設計プランの改定を行ったところで、わたしの魂が肉体に戻り、ドサッと床に落ち、さらに艦長がわたしの上に落ちてきました。ぎゅう、と声が絞り出されます。

「うーむ。油断した。まさか捨て身で来るとは」

 そう言いながら、海軍用自動拳銃の弾倉を新しいものに変えます。走ってくるわたしに全弾発射したものの、全部すり抜けたという面白くもない事実を教えられました。

「して、ここはどこだ?」

 それはわたしも知りたいと思っていました。見た感じは大きなトンネルです。それも柔らかい光に満たされたトンネルです。というのも、壁龕や天使像、長椅子の上に蝋燭が何千本も灯っているからです。そして、もうひとつ、くるぶしの深さくらいの浅い水が床の上を流れています。神秘的場所ですが、この蝋燭を一本ずつ点ける苦労を思うと、お気の毒という印象が先に勝ちます。

「これ、一本一本に火を点けたのか?」

 艦長も同意見です。

 トンネルと言いましたが、違うかもしれません。ステンドグラスがあるからです。三対の翼のある天使のまわりを魚が泳いでいます。ただ、こんなふうに光が差し込んでいるのに、なぜかこの空間が深いところ、海のなかにあるような気がするのです。潜水士の勘でしょうか。

 わたしはウェットスーツだから問題ありませんが、艦長は礼服でしたので、まず靴が水浸しになり、歩くたびにガポガポ鳴るようになりました。見たところ、このトンネルは継ぎ目を感じさせないほど見事に作られていて、床も同様なので、結局、館長は靴を捨てました。

 しばらくすると音楽がきこえてきました。讃美歌のようで、誰かが誰かを見捨てて、誰かが誰かを拾い上げ、そんな歌詞がぼんやりきこえてきますが、間違いかもしれません。わたしは讃美歌に詳しくないのです。

 天使の像を左右に立てた、ホールの入り口前まで歩きました。『六翼の天使があなたたちを導くだろう』。天使像のあいだに渡された横断幕にそう書いてあります。なかは無人の礼拝堂でした。木製の長椅子が並んでいて、祭壇もあります。蝋燭が部屋の隅まで光を差し伸びています。ちょっと調べてみましたが、長椅子に本が一冊。『六翼の天使、我らを救い給う』。挿絵の天使。顔がカイン教父に似ています。あの人、わたしは苦手です。なんか、物凄く邪悪なことも微笑みながらできそうじゃないですか。そういう人とかかわって、ろくな目に遭わないのは分かり切ったことです。

 しかし、一度受けた印象は忘れることができません。全ての天使像がカイン教父に見えてきました。本の字が読めて、知り合いによく似た天使像があちこちにある。きこえてくる歌も、言葉は分かる。ここは普段わたしたちが住んでいる世界のようですが、ここがボトル・シティかと言われたら、自信がありません。それに、さっきから感じる、見えない圧力。水深に締めつけられるような感覚があります。

「宇宙人とは関係なさそうだな」

 わたしはうなずきました。それどころかもっと質の悪いものがいる可能性があるのです。礼拝堂から別の通路が伸びています。一応、先に進む前に何か役に立つものはないかと思いましたが、フルートが一本、リール付きの釣り竿が一本、それとリボンでつくった首吊り縄を巻きつけた人形が三つ。先に進みましょう。

 通路は下り階段になっていて、水は滝のように流れてきます。くるぶしくらいのごく浅い水だって、こんなふうに流れていれば、足をすくわれることがあるのはボトル・シティなら幼稚園児でも知っていることです。階段は途中から螺旋階段に変わり、ステンドグラスに照らされていると、不思議なことに朝一にお風呂に入った日みたいな安らかな気持ちになります。そして、水に満たされた大きなホールがまた出てきます。ホールは白いローブを頭からかぶった人たちでいっぱいでした。混雑のせいか、台の上ではなく床の上に立てられた蝋燭の何本かは消えてしまっていますが、そんなものは必要ではないほどの蝋燭があらゆる高さの棚と壁龕で燃えているので、部屋は暗闇を払い尽くしていました。

 ――それはやがて来るであろう。

 歌うような調子で言葉が流れてきます。

 ――心地よい水のなかに救いがないとすれば、なぜ、四肢を鰭に変えるのか。

 ――新たな世界を受け入れられないとすれば、なぜ、灰は鰓に変わるのか。

 ――水棲の救済は間近にある。常に手は差し伸べられている。

 ――六翼の天使が己が身を蟹に捧げたとき、犠牲が我々を救うのだ。

 カイン教父によく似た顔の六翼の天使が蟹に身を捧げる。それを真に受けると、カイン教父の正体は蟹に食べられた天使という稚拙な推測が可能です。わたしは神を信じていません。あんな性悪を信じられるわけがないのです。だから、あの、倫理をうっちゃった教父が蟹に食べられた天使だというのもあり得る話です。もちろん、一番可能性が高いのは、今見ているものがあの空間転移装置が見せている夢である説です。

 人混みが左右に分かれ、カイン教父そっくりの天使像の下で信徒たちに教えを授けていたのがイルミニウスだったと分かると、これは本当の出来事、ステンドグラスが映えるほどの日光が差していた時代、1912年より前の出来事だと悟ったのです。

 重要なことを悟ったと同時にわたしはフィリックスに口づけされ、目いっぱい空気を吹き込まれました。咳き込み、海水を吐き出しました。

「ゲホッ、ゲホッ!」

 体を横にされて、まだ海水。

 十分くらいして落ち着いてから、いったい何があったのか、きくと、わたしと艦長が突然、戻ってきて、しかも溺れた状態だったというのです。

「ゲホッ、ゲヘッ!」

 見れば、艦長も海水を吐いています。

「いったい何があったんだい……って、きいてもこたえてくれないか」

 エレンハイム嬢にも教えたほうがいいことですが、確かにここで話したくありません。

 しかし、溺れたということは、あれは水のなかの出来事としてカウントされている? イルミニウス? カイン教父は蟹に食べられた天使?

 なんだか、新しいトラブルがやってきそうです。

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