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居間には闖入ペンギンとローデス家の代理人、ヴァンデクロフト家の代理人が椅子にかけています。
わたしはというと、居間と壁一枚隔てたキッチンの琺瑯びきのレンジの横にいます。なぜ、こんなところで隠れているかと言うと、わたしの精神的な覚悟が未熟であったということです。彼奴らが階段を昇ってくる音をききながら、考えてみると、これまで一度に三人を相手に何らかの意思疎通を図ろうとしたことがなかったことを思い出し、次の瞬間には慌てて、キッチンへと逃げていき、間一髪で彼奴らが入ってきたというワケです。
まだ、敗北が決まったわけではありません。なんとしても巻き返しを図ります。我が家のごとく居間で不法にくつろぐ、この侵略蛮族たちに思い知らせるための武器があることを忘れてはいけません。彼奴らがわたしをこの家から追い出す浅ましい策謀を練り始めたところで、この銃を手に颯爽とあらわれて、出てけ、このお馬鹿さんたち!といくわけです。そうです。わたしは撤退したのではありません。奇襲効果を狙った反抗作戦を前にした、戦略的な撤退です。
しかし、わたしの蝋引きの背もたれがある椅子を無意味に軋ませて座るローデス家とヴァンデクロフト家の代理人は本当に代理人なのでしょうか? それぞれ口髭と顎髭をたくわえているのですが、服装に洗練されたところがないのです。口髭は派手な仕立ての背広に派手な色のネクタイを締めていて、顎髭は毛羽だった湿った上着に小さすぎる山高帽をかぶったままにしていて、わたしのほうから見える右の耳はカリフラワーみたいに潰れていました。
ボトル・シティでは品格はあまり意味をなさなくなりつつありますが、ローデス家もヴァンデクロフト家ももう少し代理人にきちんとした服装をさせるべきではないでしょうか? ふたりともお礼を渡しに来た立場のはずですが、ここが我が家のごとくふんぞり返っていて、図々しさは闖入ペンギン以上です。
口髭が言いました。
「千ドルは払えねえ」
そういって、百ドル札を一枚、テーブルに放りました。これは交渉三時間コースです。予想はしていましたが、実際、それが目の前で確定するとひどく落胆するものです。
闖入ペンギンはこのふたりにどう交渉をするつもりかと思いましたが、彼は文句を言うかわりに腰につけている防水ポーチから何か写真のようなものを取り出し、百ドル札の上に置きました。
「この人物を探している。きみたちはこの街では顔が広いようだけど、何か知らないかい?」
口髭と顎髭がそれぞれ目を写真に落とし、そして、にんまり笑うと、
「知らねえな」
「右に同じくだ」
これは顎髭の言葉です。口髭は彼の左にいるのであって、右には誰もいません。顎髭はちょっと考え方がお粗末な人物のようですが、その誰もいない延長線上にはキッチンの入り口があって、わたしがいます。
「きみたちがいくら持ってきたかはどうでもいいが、もし、この人物がどこにいるのか教えてくれたら、そのお金はあげるよ」
口髭と顎髭が後悔しているのは、キッチンから見ても分かりました。
もし、彼らの主人から千ドルで交渉をつけてこいと言われていれば、千ドルが彼らのものだったのです。まあ、小悪党の末路はそんなところです。
「見つけてきてやるよ」
口髭がそう言って、百ドル札を取ろうとすると、闖入ペンギンが紙幣の端を押さえます。
「報酬はこの人を見つけてから」
口髭はニヤニヤ笑いました。こちらからは見えない左手がさっと閃き、ナイフが闖入ペンギンの顔へ伸びましたが、次の瞬間には、どうやったのか、そのナイフが口髭の右手をテーブルに串刺しにしました。悲鳴が上がります。もし、ここがわたしの持ち家でなければ、怒り狂った家主があらわれて、騒音を理由に立ち退きさせられてもおかしくないほどの甲高い、耳障りな悲鳴です。
顎髭は相棒の負傷に黙っておらず、両腕を前に伸ばして、闖入ペンギンに襲いかかります。潜水用の足ヒレというものは歩くのも大変です。ましてや、自分よりも倍の体格の人間と格闘をするとなると、その努力はもはや無謀の範囲であり、勇敢さよりも軽率さをそしるべきものです。しかし、闖入ペンギンは踊るような軽々とした身のこなしで回避と攻撃を同時に行い、顎髭は闖入ペンギンに腕をひねり上げられ、床に顔を押しつけられました。
「時間を無駄にさせないでほしい。きみたちは彼を知っているのか?」
そうたずねますが、口髭も顎髭も相手に与えるはずだった苦痛が我が身に降り注いだことで精いっぱいで、ただただわめくばかりです。その内容も支離滅裂で、闖入ペンギンが情報を欲しがるなら、もう少し苦痛の度合いを下げてやる必要がありました。
ここで第三の男が登場します。残念ながらわたしではありません。
ふたりのギャングは三人目の仲間を用意していたのです。これは頬髯を生やしていました。顎髭も大きな男でしたが、それよりひと回り大きい、動く要塞みたいな男でした。わたしは頬髯も闖入ペンギンによって、サッと叩き潰されるだろうと思っていたのですが、どうも闖入ペンギンは組み敷いた顎髭を尋問するのに忙しく、気づいていないようです。頬髯の手には樫の木でつくったかなり大きな棍棒が握られ、その棍棒に刻みが四十八個ついていました。このまま行けば、闖入ペンギンは四十九個目の刻み目になるのは間違いありません。
わたしはどうしてそんなことをしたのか分かりませんが、キッチンから飛び出して、ジャンプして、頬髯の後頭部に銃身を叩きつけました。義を見てせざるは勇無きなりとでもいいましょうか。不意打ちがきいたのか、頬髯は足をもつれさせ、膝をつき、テーブルの角に頭をぶつけます。膝をついたまま、わたしが額に突きつけた銃身を寄り目気味に見上げています。
事態は硬直しました。口髭は手をテーブルに縫いつけられ、顎髭は闖入ペンギンに腕をとられて、頬髯は弾の入っていない銃を朦朧として見上げています。
これは非常にまずい展開です。弾が入っていないことがバレれるか、第四の男があらわれるかすれば、わたしは五十個目の刻みになります。
「このまま帰れば、殺しはしない」
と、誰かが言いました。
小声ですが、実に冷酷な響きで相手を肝から縮み上がらせるに十分な効果があります。これは闖入ペンギンの声ではありません。誰の声だろうと思っていましたが、すぐにそれがわたし自身の喉から吐き出された代物であることに気づきました。
この言葉にギャングたちは驚きましたが、一番驚いているのはわたしです。一年分のガッツを使ってしまったようですし、殺しはしないとはどういう意味でしょうか? 銃には弾が入っていないし、わたしは善良な潜水士として誰かにケガさせたことだってありません。
ふらふらしてきました。他人に言葉を投げかけ過ぎたのです。いえ、普通に話ができる人にとっても、この状態は頭がふらふらしてくるはずです。ああ、急に銃が戦艦みたいに重くなり、弾が入っていないことがバレないか心配になり、わたしは合理的な判断ができなくなりました。
まず、銃はもう重いので、太腿にベルトで固定したホルスターに戻してしまいました。どうせ弾が入っていないのだから、大差はありません。その後、どうしたら、彼らは帰ってくれるか考えていると、口髭の男の右手に刺さったナイフに目が行きました。黙って、それを抜くと、口髭は歯が軋むくらいに食いしばりましたが、叫びを飲み込み、涙目でわたしを見上げました。わたしは自分がいかに紳士的で信用できる人間かを言葉を使わずにあらわそうと思い、血塗れの折り畳みナイフをテーブルの上の小さな木筒に入れてある紙ナプキンで念入りに拭いて、刃を戻し、派手なシャツの胸ポケットにそっと返しました。こんなに紳士的で優しくもある人間が逃げる背中に何らかの攻撃をしたりはしないことは相手に分かっていただいたことでしょう。
しかし、わたしはもはや行動限界にきていました。頭はふらふらしていて、このままでは倒れると思い、一番近くの壁、玄関ドアの横の壁に寄りかかり、腕を組み、深く息を吸い込み、新鮮な血液を脳にまわそうとしました。わたしのマスクはこういうとき、非常に呼吸がしにくいもので、とにかく少しでも空気が欲しくて、マスクを引き下げているあいだ、口髭と、闖入ペンギンから解放された顎髭は頬髯を両脇から抱えて、ずるずると引きずりわたしの家から去っていった。
さて、ギャング団が退場し、安全は確保されました。問題は闖入ペンギンです。まだ、わたしの頭はくらくらしていて、正直、相手をする余力はありません。敵の出方を伺っていると、
「すまない」
と、敵は謝ってきました。
「まず、最初にきみの許しを得てから、あいつらを呼ぶべきだった」
闖入ペンギンは常識的なことを言いました。これは何かの搦め手かもしれないぞとわたしは警戒しつつ、何か言わなければいけないと思いましたが、うなずくので精いっぱいでした。
「これで貸し借りはなしになった」
つまり、豪族の墓でのことがチャラになったということです。話は嘘みたいにうまく進んでいきます。ギャングというものについて、わたしは人間世界のごくつぶしで、救いようのない人の集まりだと思っていましたが、いま、闖入ペンギンが殊勝な態度をとっているのは間違いなく、ギャングたちの作用です。ボトル・シティでは何がどんな役に立つか分からないものです。
「その銃を見せてくれないか?」
銃? と、言われて、ああ、これのことかと思い、それをホルスターから抜いて、渡しました。それをあげるから、引っ越してくださいと思っていましたが、口に出せないのは分かっていました。さっきのあの勇気はどこにいったのでしょう?
「わかった」
闖入ペンギンはわたしに銃を返します。弾が入ってなかったことが知れたからと言って、別にどうということはありません。しかし、これはなかなかです。最初、闖入ペンギンが我が家を会談場所に指定したときはひどく絶望しましたが、いまは思いのほか、話がうまくいっています。そこでふとイルミニウスの予言を思いました。物事はうまくいくけど、追い出しはできないというあれです。闖入ペンギンは出ていかないのでしょうか?
まあ、今日すぐにとはいかないでしょう。わたしはその日は上機嫌で(ただ、わたしの上機嫌は他人からはひどく分かりにくいようです)、スパゲッティを茹で、缶詰のチリ・ビーンズとケチャップをぶちまけて、夜の食事としました。精神的余裕と缶詰的余裕があったので、闖入ペンギンにもふるまいました。
「これはとてもおいしいな。うん」
そして、食事の最中、わたしはあらためての自己紹介を受け、彼の名前がルゥであることを知らされました。
しかし、わたしにはあまり関係はありません。
我が家にいる限り、闖入ペンギンは闖入ペンギンなのです。




