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軍医はまず味をききました。これまで生で食べた人はいないし、大型の脳みそというのもこれまできいたことがありませんでした。
「ウニのようにまろやかです」
ウニを食べたことがあることに驚きです。きけば、フィリックスはタコとして生きるようになってから、水棲生物はひと通り食べてみたそうです。ヒトデは本当にまずかったそうです。
軍医の脳みそに対する態度もそうですが、ブラックプリンス乗組員には元の世界を懐かしむとか、故郷を思って涙するという姿勢に欠けている気がします。自分たちが水没の厄災に見舞われたことは覚えているので、あの後の世界はろくでもないことになっているに違いないというなかなか鋭い洞察もあるし、「ここにいれば、別れた女房に養育費をせびられることがない」という家庭制度を否定した意見も多々ありました。そもそも、下っ端水兵たちはみな志願乗組員ですが、なぜ志願したかと言われたら、陸地で有罪判決を受けているとこたえが返ってきます。詐欺窃盗はあまりおらず、だいたいが人を刺した傷害罪です。具体的なところをきいたら、決まって「ある女性の名誉のために」とこたえが返ってきますが、実際はヒモとポン引きが喧嘩した程度のものでした。
彼らはここに閉じ込められて確実に十年以上経過しているはずですが、齢を取っているようには思えません。時間が止まっているのです。不老不死のうち、不老はどうやら実現しているようです。不死についてはまだ分かりません。宇宙人たちとの戦いで戦死者が出ていないからです。艦における病人も腹痛とギックリ腰。命にかかわる病気はありません。
なるほど、元の世界に帰りたくなくなるのも分かる気がしますが、本当はここは天国なのではないでしょうか? 空間やら次元やら転移やらいろいろ言いますが、結局のところ、ブラックプリンスは艦長以外の全員が死んでしまって――いえ。この仮説はやめましょう。もし、ここが天国なら、わたしは何らかの事情で死んでしまったということです。わたしにとって、ここは天国に程遠い、いえ、地獄です。
というのも、水兵たちはおろか航海士たちまで参加して、『ヘンリー・ギフトレスのマスクをはぎ取ってやろうゲーム』が流行っているのです。こんな悪逆非道な遊戯が存在する可能性すら考えたことはありませんでしたが、永遠の時間のなかで暇を持て余した彼らは逃げるわたしから、わたしの無言の証、世界とわたしの在り方を表現した不朽のオベリスクを、ただ暇だからという理由だけではぎ取ろうとします。
戦争にルールがあるように虐待にもルールがあります。
第一のルール。わたしのマスクをはぎ取る際は編み上げ紐を切らないこと。つまり、編んだ紐をちまちま解くわけですが、もちろんわたしは逃げますから、そんなことできるわけがありません。そのため、水兵たちはわたしを捕まえると、まるで馬のおもちゃみたいにわたしにまたがって、嫌がるわたしをおさえつけ、マスクをはぎ取るのです。これなら力ずくで紐を切られたほうがずっとマシですが、彼らはこのルールがわたしのためになると思っているのでタチが悪すぎます。
第二のルールはわたしの一枚目のマスクが奪われたら、ゲーム参加者は全員、艦の外に設けた開始ゾーンへ集まります。これはわたしが二枚目のマスクをすぐにつけ、それがそのまま一枚目を奪い取った蛮族にとられないようにするためです。彼らはわたしを使って、ゲームを目いっぱい楽しむつもりです。
では、マスクをしなければいい。それができたら、とっくにそうしています。何も顔につけていないとじろじろ見られるから、恥ずかしくていたたまれがないから、つけているのです。これはわたしがずっとマスクをつけて暮らしているから、マスクを外したら、余計に目立ってしまう、それが嫌だからマスクをつけるのです。悪循環に見えますか? そうでもないです。別にわたしはマスクをつけることをデメリットと思ったことはありません。それどころか、世人はわたしがマスクをしているのを見て、ああ、この人は話したがり屋じゃないのだなと空気を呼んでくれます。アドヴァンテージだったのです、今日までは。
ゲームの後半戦を待つ水兵たちはマスクをしていないわたしを開始ゾーンからじっと見つめています。船倉に隠れても、視線を感じます。できるだけ、人目につかないところで、そっと予備のマスクをつけるのですが、どうやって知るのか、すぐにワアアァ!と鬨の声が湧き、まるでわたしが滅ぶべき王朝の最後の王子であるかのように狩り立てられます。
ゲームが終わると、きちんと洗って、乾かして、アイロンをかけてから、マスクは返却されます。いまさら、人間性をアピールしても、もう遅いのです。
禁断の悪魔遊戯をかわすには彼らが立ち入れない場所に逃げるしかありません。そこはどこか? 海のなかです。
つまり、背中にエアタンクをかついで珊瑚の海へダイブするのです。信じられない話ですが、水兵たちは泳げません。もし船が沈んだら、海の藻屑が確定です。恐怖の白兵戦至上主義者たちを恐れさせるものが現在、彼らを囲っている海そのものなのです。
わたしとエレンハイム嬢、それにフィリックスには絶えず偵察指令が飛んでいました。ブラックプリンスは沈んだ都市が存在することを全く知らなかったのです。まあ、泳げないならしょうがないのですが。そこで、彼らは彼らの生活を面白おかしく――もとい、宇宙人から地球を守るために使える機械類の回収を要請してきます。なかにはわたしやエレンハイム嬢が持ち上げられないものはフィリックスが持ち上げますが、それでももっと持ち帰りたいときは艦長が出陣します。
昔は艦長も泳げなかった水が怖かったのですが、ふたつに分裂したとき、泳げない部分はバグのほうに吸い取られて吹っ飛んだので、海に対して、そこまでの恐怖感はありません。ただし、わたしたちみたいな潜水具がありませんから、宇宙人たちから強奪したテクノロジーで制作した小型潜水艦を使います。生き間違えた金魚みたいに丸っこい潜水艦には物をつかむアームと小型の魚雷が装着されています。
「潜水艦は魚雷があってこそ、潜水艦だ」
と、現在美少女になっているシンプソン艦長の声が水中通話装置に響きます。
「魚雷のない潜水艦などありえない。潜水艦に平和主義者はいない」
つまり、その潜水艦が水深五百メートルまで潜っていても、それが魚雷を搭載しないなら潜水艦ではない。その論法だと魚雷を発射できる駆逐艦のほうが潜水艦に近いことになります。遊覧目的の潜水艦などきいたことがありませんから、世にある潜水艦は全て魚雷搭載の有資格者ではありますが、きみたちは潜水艦だと言われれば駆逐艦乗組員は死の宣告をされたみたいで落ち着かないでしょう。
「ブラックプリンスは魚雷を撃てないのですか?」
「当たり前だ。我々を何だと思っている?」
潜水艦の定義こそすれ、艦長は潜水艦を戦艦より下に見ているようです。美しい珊瑚の沈没都市への途上、艦長は潜水艦が馬鹿みたいに思えるエピソードを教えてくれました。
「まだ魚雷がなく、エンジンもなかったとき、潜水艦は何をしていたと思う? 自転車のペダルで推進力を得ていたのだ。そして、魚雷の代わりに爆雷を長さ十メートルの棒の先につけて、それで船の底を突いたのだ」
確かに馬鹿げた話です。ですが、もっと馬鹿げた話があります。潜水ヘルメットをかぶせた潜水夫にダイナマイトを持たせて、海の底を歩かせて、軍艦に爆弾をくっつけるというものです。わたしは決して潜水ヘルメットを馬鹿にするわけではありませんが、たとえタイマーが正常に作動しても、あの装備ではよちよち歩いているうちに爆破の衝撃でホースが破けて、溺れ死にでしょう。それに比べると、エアタンクとウェットスーツの潜水はもっとスマートに爆弾をしかけて、退避することができます。決して、潜水ヘルメットを馬鹿にしているわけではありません。とっくに過去のものとなったテクノロジーの上にふんぞり返って、古参の尊敬を強制することが嘲笑の対象になっていること、そもそもそのことにも気づいていないことをお腹を抱えて笑っているわけではないのです。決して違います。
「おおっ。あれがそうか」
海に沈んだ都市にロマンがあることは認めましょう。化け物や宇宙人がいなければ、もっと叙情的になれそうです。それと、相変わらず書いてある文字は分かりません。言語学者の天国です。これらを解読するにはどっしり腰を据えて、最初のABCから始めなければいけないのです。ただ、$だけは同じ意味です。言語の解明はこの$から始まります。レジスターにこの$が打ち込まれていたら、その後に続く文字は数字の可能性が高いです。
今回は大通りを進みます。中央分離帯に配された噴水跡に都市計画の名残を感じます。玉突き事故の大渋滞を起こしている上ではムロアジの群れがゆっくり円を描くように泳いでいます。魚がなぜ群れで泳ぐのか、わたしには分かりません。たいていの人は群れることで大きくなり、捕食魚を脅かすことができると言いますが、いま、中央分離帯にまたがるほどの巨大なムロアジの群れにオオグチイシチビキがすごいスピードで突っ込んでいきます。群れの効果を過信した運のないムロアジが数尾、消えてなくなりました。オオグチイシチビキは赤い、魚らしい形をした魚でイソマグロやロウニンアジ、ゴリアテ・グルーパーなどと並んで、南の海の食物連鎖上位に食い込む大魚です。彼らはいくつかの道路を泳ぎ回り、珊瑚の陰から冒険の旅に出たおっちょこちょいのスズメダイやきれいな魚は食べられないという傲慢な思い込みをしたチョウチョウオをひと飲みにして、また大通りへ戻ってきて、ムロアジの群れに突っ込みます。ヒレナガカンパチやカマスサワラが同じようなことをし出すと、群れはどんどん小さくなり、きらきら輝く鱗数枚を残して、あの巨大なムロアジの群れが消えてしまいました。
一年くらい前、まだ居候たちがわたしの暮らしをぐちゃぐちゃにする前の話ですが、すやすや寝ていると、ドアがドンドン叩かれて、株で儲ける極意を教えてやると言ってきた馬鹿者がいました。ドアを閉めたら、またドンドン叩かれて、金持ちになれるんだぞ、他のやつに教えちゃうぞ、このおれが選んでやったんだからお前はきくべきだ、とわめき散らし、ショットガンの購入を真剣に悩むレベルの苛立ちを覚えながら、その投資家の話をききました。
「いいか、カネを、それも株で儲けることほど簡単なことはないんだ。たったひとつのことだけを覚えておけ。それはな、常に多数と違うことをすることだ。多数が買っていたら売れ、多数が売っていたら買え。大衆は常に誤る。これさえ覚えときゃ、お前は大金持ちだ」
水没によって株式取引の概念がきれいさっぱりなくなっていなければ、きっとわたしは大金持ちになれたことでしょう。ですが、大衆は常に誤る。これは覚えておくべきです。先ほどのムロアジたちはこれだけたくさんいれば敵はひるんで襲いかからず、自分たちは無敵になるという過ちを犯しました。圧倒的多数であることが誤った判断をカバーしてくれると思ったら大間違いです。水没世界には九死に一生を得たエピソードが多数あります。つまり、『水没が起きたとき、おれは正しい方法で生き延びられたが、他のやつらは馬鹿ばかりだったから、間違った選択をしてひとり残らず死んじまった。死んじまったやつのなかには女房と、やつの母親もいたのだから、こんな痛快なことはない』といった話の類です。
そんなことを思いながら、大通りの終わりまで着くと、巨大な闘技場のようなものが見つかりました。全員で浮上して、グラウンドに何があるのか見てみると、『典型的な宇宙人の乗り物ナンバー・ワン』に選ばれるであろうアダムスキー型円盤がそこに着陸していました。別に宇宙人専門家でなくとも、この円盤が宇宙人たちの基地であり、ちょっかいを出すとひどい目に遭うことは分かります。でも、そう難しいことではありません。このままぶくぶくと泡を吐いて、浮力を逃がし、宇宙人たちの視界から外れて、着た道を泳いで帰ればいいのです。わたしはこれこそが常識的な――、
「見敵必戦! 魚雷発射!」
――常識的な解決法だと信じていたのです。




