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つまりこういうことです。
【艦長】―【バグ】=女の子の艦長。
難しいものはみんな次元の歪みのせいにします。
つまり、水没時による沈没が逃れられないものになったとき、ブラックプリンスに極秘に積まれていた次元転移装置が働いて、艦と乗組員はみなこの珊瑚の海の世界へ飛ばされたのですが、ひとり逃げようとしていた艦長が次元の境目にいたため、ふたつの艦長に分裂し、ふたつの世界に弾き飛ばされました。片方は皆さん、おなじみのバグ。もうひとりは艦長からバグ成分が引き抜かれたこの女の子。
こうなる前の艦長の写真があったので見せてもらうと、バグとも現艦長とも似ていない責任感のなさそうな人物でした。この人物からバグを引けば、女の子になる。まあ、分からないではありませんが。
「ふむ。つまり」と女の子の艦長が言います。「元々の世界には皆から害虫呼ばわりされるだらしない老人のハーマン・シンプソンがいるというわけか。まあ、わたしもこんなふうに変化したから、別のわたしがどこかにいると思ったが」
とりあえず、わたしはエレンハイム嬢を筆頭会話代行人、フィリックスを筆頭会話代行人補佐に任命しました(筆頭会話代行人制度は年齢ではなく経験を重んじる実力主義です)。
「それで、ヘンリーがききたいことなんだけど、どうしてボクたちはここに呼ばれたの?」
「ああ、それは、そのヘンリーが持っていたものに関係する」
と、いうことはあのプラズマ爆弾だと思っていたものは爆弾ではなく次元のあいだを移動するための転移装置というわけですか。
「いや、それはプラズマ爆弾だ」
やっぱりそうだったじゃないですか!
「きみがプラズマ爆弾を持っていたので、回収もかねて、転移装置を動かした。ただ、転移装置は我々もよく使い方が分かっていないのだ。あれをこの艦に積んだ連中はわたしたちには知らせるつもりがなかったらしく、取り扱い説明書を用意してくれなかった。だから、きみたち兄妹もまきこんだわけだ」
「え? じゃあ、ボクたちは帰ることはできるの?」
「ところでガーデンイールというミミズみたいな魚を見たことはあるかね? こう、縁日のもぐらたたきみたいに――」
「つまり、分からないと……」
「方法はある。というのも、我々には――」
そのとき、ベルが鳴りました。火事を知らされた消防署みたいなベルです。
すぐに伝声管が叫びました。
「敵接近! 十一時の方向!」
ブリッジから見ると、砲兵士官が野戦電話の木箱みたいな受話器を抱えてわめいていて、巨大なカメみたいな主砲が右にゆっくりまわり始めました。敵、とやらは谷の出口のほうからやってきているようです。空を飛んでいるものあり、地を這うものあり。泳いでいるものだけはいませんでした。敵がチラッと光るとブリッジの、わたしが立っていたすぐそばの宙で、オレンジの火花が散りました。
「ふむ。やつら、調子が悪いらしいな。いつもならきみの頭をオレンジの火花にできるはずなのだが」
あれは何なのか? 筆頭会話代行人にたずねるよう促します。
「あれは宇宙人だ」
「宇宙人?」
「まあ、もうじき嫌でもお目にかかれる。総員、攻撃開始!」
小銃、主砲、副砲、機関砲、電極銃、手榴弾を結びつけたクロスボウのボルトが敵――宇宙人に放たれました。白い火柱が空気のドームぎりぎりまで吹き上がり、宇宙人たちは散り散りバラバラです。チカッと光って、またしてもわたしのそばでオレンジの火花が飛び散りました。宇宙人たちはわたしの何が気に入らないのでしょうか?
「総員着け剣! 突撃せよ!」
ジッキンゲン卿が喜びそうな命令です。わたしとしてはこのまま遠距離から撃ち続けていれば、勝利は間違いないと思っていたのですが、しかし職業軍人の判断に異議を差し挟むつもりはありません。だから、わたしを巻き込まないでください。
現在、わたしは人の波に飲まれて、銃剣突撃に巻き込まれています。わたしの左隣ではライフルをこん棒みたいにして持った水兵がいて、すぐ後ろではサーベルを抜いた艦長がわたしの後ろでワアワアわめいています。逃げたいのですが、サーベルは艦長の頭上で振り回されていて、身長差の関係で、もしわたしが立ち止まったら、首が飛びます。
どうやら、このなかで冷静に物事を考えられるのはわたしだけのようです。主計兵は給料やラム酒の配給時に使う計算機(七キロはありそうです)を上段に構えて宇宙人を見つけ次第振り下ろすつもりのようですし、ふたりの衛生兵は担架を使って重機関銃を運んでいます。どこからどう見ても、その重機関銃は怪我をしているように思えません。砲兵たちは砲弾を持ち出し、甲板長はデッキブラシを斧槍のように使うためにカミソリを埋め込んでいて、反対側には目につけたらしみそうなシャボンのバケツがぶら下がり、背中には〈大殺戮!〉と殴り書きされた旗を差しています。
銃剣は先を連ねて波のように前へ前へと押し出し、ついにとうとう宇宙人たちが! 馬鹿げた突撃に巻き込まれたことについて言いたいことはいろいろありますが、宇宙人を見たくないかと言われたら、嘘になります。やはり、この広大な宇宙でわたしたち以外の生命体がいる。ロマンがあります。もし、彼らが友好的なら、あるいはもっと遠くから眺められたらいいのに。
さあ、わたしが生まれて初めてみた宇宙人ですが、なんというか、こう、宇宙人らしい宇宙人でした。タコみたいな体をしていて、そこに目がある触覚みたいなものが二本伸びている。下らない漫画雑誌が宇宙人を描くとき、そのままの宇宙人です。下らないと思っていましたが、彼らは本物を見ていたようです。
なんて思っていたら、タイプライターが宇宙人の体にもろに、そして殺意を持ってぶつかり、べちゃっと紫色のねばねばしたものが飛び散りました。さあ、わたしが宇宙人だったら地球侵略をあきらめるほどの凶暴な白兵戦の始まりです。崖から突き落とされたみたいな声を上げて、水兵たちが銃剣で突きかかります。重いものがぶつかるか、鋭いもので切り裂かれるか。究極の選択を前に宇宙人たちはさすが侵略の前触れだけあって、臆せずかかってきます。なかには光線銃を発射するものもいましたが、艦内床屋の理髪師が持ってきた鏡が光線を跳ね返し、宇宙人を灰にします。艦長は宇宙人を叩き斬るたびに握りに印の疵をつけ、軍医はメスを振り回し、倒れた宇宙人は踏みつけます。だんだん宇宙人たちに同情したくなります。
ただ、宇宙人が操縦する巨大な機械が目の前にあらわれたときは自分がそんな情けをかけられる身分ではないことを思いなおしました。わたしと違って敢闘精神にあふれる水兵たちはこれまた臆せず、その大きな腕や足に捕まって、よじ登ります。機械は水兵たちを振り落とそうと手足を振り回します。機械兵器は割とすべすべした材質のようですが、水兵たちは明らかにこれが初めてではないらしい手際の良さで宇宙人の操縦席までにじり寄り、そして、操縦席に〈何か〉を投げました。手榴弾を投げ込むなら投げ込むとまず教えておいてもらいたいものです。危うく巻き込まれて潰れるところでした。
こうして第七十二次珊瑚海海戦は地球人陣営の勝利に終わりました。地球人たちは戦場に残った宇宙人たちの武器や機械の一部を拾い集め、軍医たちは(おぞましいことに)脳みそをバケツに入れて、持ち帰りました。
海水シャワーで宇宙人の返り血らしきねばねばを落として、ブリッジに戻ると、艦長は宇宙人たちの地球侵略計画について具体的なところを教えてくれました。ある種の宇宙人たちは体が宇宙旅行に耐え切れないので、脳みそだけ送ってきます。そして、地球で適当な人間の脳みそを引っこ抜いて、自分の脳みそを入れるやり方で侵略をしようとしたようです。そんな会社やギャング団を乗っ取るような気持ちで地球侵略が立案されたことに驚きました。こんなことをきかされたら、今後出会う人が全員、宇宙人に脳みそを乗っ取られていないか気にしながら生きていかなければなりません。
「安心してくれ。脳みそ乗っ取りは今まで一度も成功はしていないし、宇宙人だって、そっちの世界には送っていない。この計画は捕虜にした脳みそから聴取したものだ」
「でも、――えーと、どうやって宇宙人から話をきき出したの?」
「それについては見たほうがはやい。ぜひともわたしが案内しよう」
艦長は嬉々として、わたしたちを大きな船倉に案内しました。そこは何かの研究所のようになっていて、様々な計器をはめ込んだ機械や薬壜、螺旋を描くガラス管、小型発電機が動線を阻害しないよう用心深く配置され、それに脳みそを描いた黒板が壁にかけられていました。
そこには円柱型の水槽がいくつも並んでいて、様々な機械とパイプがつないでありました。そばには切替文字パネルのフレームがあり、何らかの意思疎通をはかるようですが、まさか、水槽のなかに浮いている脳みそと会話するのでしょうか? と思ったら、戦場で脳みそを拾って帰った軍医がいて、彼が水槽の機械のレバーを動かし、ボタンを押すと、水槽のなかでニョキニョキと針のようなものが伸びて、脳みそをつつきます。すると、切替文字パネルがパタパタまわりだして『ヤメロ!』と表記されました。
「まず、彼らが交戦国としての条件を満たしておらず、彼らとのあいだに何ら海戦条約が批准されていないことをはっきりさせよう。そのうえでの話なのだが、この艦に積載されていた特殊貨物には、この通り、よく分からん液体に満たされた水槽があり、これが脳みそ状態の宇宙人を捕獲し生きたままにさせることができたのだ。我々はここに宇宙人を捕らえ、電極でチクチクいじめることで彼らの狙いを知ったのだ。これは捕虜の虐待にはあたらない。そもそも彼らは捕虜ではないし、兵士でもない。彼らは交戦国ではなく、海戦条約も結ばれていない。つまり、彼らはテロリスト脳みそなのだ。だから、いじめてもよい。そうだな、軍医大尉?」
「それに意外といけます」軍医大尉が付け加えます。
テロリスト脳みそを食するというのは、克己に関する重要な哲学をはらんでいるかもしれません。食べた脳みそに体を乗っ取られる可能性が怖くないのかたずねたら、
「生では食べません」
だそうです。
その後も軍医は脳みそをいじめ、パネルには『クッ、コロセ!』と表示されます。
「戦争は珊瑚みたいにきれいごとだけでは勝てないのだ。それで提案なのだが――」
艦長はこほんと咳をしました。偉い人がろくでもない提案をするとき、必ず咳をするものです。
「我々と地球の命運をかけた戦いに参加してくれないだろうか?」
お断りします。
わたしは控えめな質なので、自分が地球の存亡をかけた戦いに役に立つとは思えません。もっと向いた人たちがいます。賞金稼ぎ、暗殺者、騎士、その盾持ち、革命家。ジーノは泳げないので来られないかもしれませんが、彼の爆雷殺法や機関銃乱射殺法を考えると、むしろいないほうがいいです。
「ボクたちが戦いに役に立つとは思えないけど」
そうです。もっと言ってください。あなたは経験豊かな筆頭会話代行人なのですから。
「そんなことはない。そちらの燕尾服の彼は服の裾から伸ばしたタコの足で何十体という宇宙人を握りつぶしてくれたよ」
「兄さま、そんなことしてたの!?」
「あ、ああ。見ていると触手がうずうずして、つい――」
「もう、仕方ないなあ。じゃあ、分かった。その戦い、参加させてもらうよ」
ちょっと待って! 筆頭会話代行人を背任罪で告訴します!




