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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと戦艦ブラックプリンス
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80

 スーッ、ゴボゴボ。

 D型潜水艦で見つかる骸骨はみんな片手にピストルを持っていて、こめかみに穴が開いています。溺れ死ぬよりはマシと自決用のピストルを持たされていて、もう一方の手には家族や恋人の写真が入ったロケットを持っているのでやりきれません。

 スーッ、ゴボゴボ。

 水深三十七メートル。機関室には死んだバクテリアと泥が混ざって綿みたいになったものがピストンやモーター、計器類にくっついています。この泥綿はまきあげると視界が塞がれて、前後左右はおろか上下すら分からなくなるので、潜水艦のなかではバタ足厳禁、ゆっくりとしたカエル泳ぎの足で動きます。さて、居住室には鉄製の二段ベッドが乗組員分並んでいて、それぞれの寝床には当時流行っていた女優の額縁入りポスターやスポーツ・カーの模型が置いてあります。模型のそばには月給に月数をかけたものが書きなぐられていて、スポーツ・カー購入をなんとか現実味のあるものにしようとした数学的努力が見受けられます。他にも銃の薬莢でつくったライターやらボロボロに崩れた靴やらが転がっています。そこで見られる骸骨はやはりみなこめかみに穴が開いていました。指揮室では艦長らしい骸骨が制帽を頭に載せて、潜望鏡の下に座り込んでいました。一瞬、帽子が泳ぎ出し、驚きましたが、よく見ると、泳ぎの下手なオコゼが背びれの毒針を帽子にひっかけながら必死になってヒレを動かしていました。

 スーッ、ゴボゴボ。

 潜水艦の前方、だんだん部屋が細くなっていくそこには魚雷室があります。入ってみると全長二メートル以上あるヒレナガウナギが不動産投機をしています。魚雷発射管に棲めないか考えているようです。そっと魚雷発射管の指示ボードを見ると、既に魚雷には信管が入っていました。もし、潜水学校なるものができて、わたしがそこの教師になったら(ただ、教師は教壇に立って、口頭で技術を教えないといけないので、絶対にありえませんが)、潜水艦での探索に必要な技術として最初に教えるのはこの魚雷の信管の外し方です。魚雷の信管は陸の砲兵隊が考えているよりもずっと長持ちするつくりなのです。これがバンと弾けると、魚雷の推進火薬に点火されますが、困ったことに発射管の蓋が開いていないから潜水艦ごと自爆の形で吹き飛んでしまいます。そっと砲尾のハンドルをまわして、A33型魚雷の信管を取り外します。すっかりくすんだ鋼鉄の筒がふたつ、そのお尻に手持ちのニードルでぷすっと小さな穴を開けて、海水でダメにしてあげます。戦争はとうの昔に終わったのです。

 その後、大型肉食魚と共生関係をきずく器用なエビが巨大ハタの口のなかの食べかすを掃除するという、なかなかの離れ業を見ることは出来ましたが、あまりサルベージはできませんでした。航海日誌はボロボロですし、計器類はおそらく着底時の衝撃で壊れていて、〈チキンマンズ・イン〉みたいにお皿に一枚五ドルを出す奇特な方もおられません。艦長の双眼鏡はいい値段で売れそうでしたが、レンズがなくなって、二匹のヤドカリの棲み処になっていました。実は独裁者のために美術品を密輸していたなんてことがあれば、いいのですが、この潜水艦は通商破壊艦でその証拠にブリッジに大きな貨物船の印が二十七も焼き印されています。二十七隻撃沈は間違いなくエースと呼ばれるスコアです。結局、持って帰れるのは海軍用のスプーンとフォーク、それに何かの機械の予備品らしいレンズが二枚です。残圧が四十七なので、これまでです。

 ブリッジの蓋を開けて、外に出たとき、大きなタコの足が何本も渦を巻いているのが目の前にあらわれたときは死ぬかと思いましたが、あっ、とタコのほうが声を上げて、するすると足が燕尾服の燕尾部分のなかへと引っ込んでいきました、

「申し訳ない。きみとは知らなかった」

「いえ、いいんです。というか、わたしでなかったら、もしかして食べていたんですか?」

 フィリックスは頬を人差し指でかきかき、

「えーと。サルベージかい?」

「はい。海軍印のフォークとナイフが何本か。あまり、お金になりそうにありません。エレンハイム嬢は今日はもう?」

「うん。ルゥとはあったよ。そういえば、前から気になっていたのだけど」

「なんでしょう?」

「きみはなぜルゥをエレンハイム嬢と呼ぶのかな?」

「うちあけた話をすると、最初は闖入ペンギンと呼んでいました。あの通り、男の子みたいな口調ですし、髪も長くなかったので男の子だと思っていました。それで、女性と分かったので、闖入ペンギンの呼称を廃止し、エレンハイム嬢と。ファースト・ネームで呼び合うほど馴れ馴れしいことをうっかりしてしまうほど、わたしもうかつではありません」

「ふむ。でも、ルゥはきみと踊るのを楽しみにしているよ」

「あー。このあいだ、急にダンスがしたいと言ったのですが」

「また、踊る約束をしたと」

「いえ。次に踊るときは足ヒレとウェットスーツはよしたほうがいいというニュアンスで言ったのです。わたしとまた踊ろうという意図はなかったのですが。うーん」

「ダンスは苦手なのかい?」

「いえ。人並みには踊れるつもりです。ただ、終わった後、感想を要求されるのです。しかも、極めて残酷なことに口頭でです」

「きみは本当に話すのが苦手なんだね」

「この宇宙に、わたしほど話すのが苦手な生物はいないと確信しております」

「ふふっ。そうか。でも、あの子が迷惑かけていないか心配だったけど」

「もう、居候されている時点で迷惑ですが、どの居候たちも言ってどうなる人たちではありません。それに並みいる居候たちのなかではあなたの妹さんはまだ被害が少ないのです」

「そうか。そこで相談なんだけど」

 フィリックスは金貨で五十ドルとドレスを着たエレンハイム嬢の絵のサイズが書き込まれた防水紙を渡してきました。

「わたしからプレゼントをしたい。でも、わたしからだときくと、いろいろ照れると思うので、きみからという形でプレゼントしてくれないか?」

「あなたからだと言ったほうが数千倍嬉しがると思いますけど」

「あの子も恥ずかしがるし、わたしも、うん、恥ずかしい」

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