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ボートをボート屋に返すころには、そもそもなぜわたしがそんな遠慮をしなければいけないのかという至極真っ当な疑問にあたりました。きっとわたしの頭の上には一週間前にサルベージした漫画雑誌のキャラクターみたいに頭上をふわふわしたクエスチョンマークがくるくるまわっていることでしょう。
わたしは午後八時まで外で過ごすことが敗北であることに気づきました。今度こそ断固とした態度を取るべきでしょう。彼奴らがわたしの城へやってくる前に帰り、わたしは彼奴らの侵入をはっきりと拒むのです! 何としても拒むのです!
しかし、わたしは自己分析を欠かしたりはしません。今のわたしでは言葉で彼奴らを追い返すのはまず不可能でしょう。となると、武力に頼るしかありません。外交官の言葉が尽きたとき、将軍のサーベルが抜き放たれるのです。
もちろん、本当に武力行使をするわけではありません。武力を行使するための精神的覚悟があるのだぞとジェスチャーで教えるだけです。
ふむ。武器を使うフリで追い返すのですから、言葉を使う必要はない。ひょっとすると、軍人はわたしの天職なのかもしれません。
威嚇目的で使うとするなら、気はすすみませんが銃のほうがよいようです(銃士用の細い剣は不成功でしたし、闖入ペンギンがウツボ男の首と手を切り離した事実は、近接戦闘における彼の能力を推測するにあたって重要な意味を持ちます)。
問題はどこで買うかです。エディ・カールソンの店では銃は扱いません。以前は売っていたのですが、売ってすぐ客が強盗に化けてからは売るのをやめました。アンクル・トッドの店でも銃は売っていますが、わたしが記憶する限り、小さな三十二口径か大きすぎる狩猟ライフルで、ちょうどいい大きさがありません。
やはり、パワー・オブ・ストッピング教会に行くしかないようです。ボトル・シティの主力宗教は〈蟹に食われた天使〉の教会ですが、マイナーな宗教として〈ストッピング・パワー〉を信仰する人びとがいます。
〈ストッピング・パワー〉とはわめき散らしながら、無我夢中でこちらに走ってくる人間の足を止める力です。極度の興奮状態にある人間は何発か撃たれても平気でそのまま走り続けて、銃使いを槍で突き刺したりします。
パワー・オブ・ストッピング教会の信者たちはそんな無様な最期を迎えたりしないよう、一発当たったら確実に相手を倒したいと願い、〈ストッピング・パワー〉を信仰します。あるものは口径に、あるものは弾頭形状に、〈ストッピング・パワー〉を見出し、今日もどこかで怪物を倒しています。
ボトル・シティの怪物たちは人間よりも非常に耐久力が高いので、もし襲われたら、わたしも〈ストッピング・パワー〉を信仰することでしょう。少なくともきちんと手入れをした道具は人を裏切ったりはしません。神との違いはそこです。
パワー・オブ・ストッピング教会は旧市街の南、ブレッキンリッジの西の出口から南へ歩いて数分のところにあります。ちょうど商業街を沈めた入り江に面していて、雑草を生やし始めたゴミの山の上に簡素な木造の教会が立っています。
水場の風のせいか、ペンキは剥げかけていて、ポーチの敷板が若干反っているあたりはやはり大聖堂と比べて格段見劣りしますが、教会の入り口の上に交差させた二丁のライフルが建物全体のぼろさを危険まじりの重厚さに転じさせています。見事な戦略です。きらきらする教会に使い込んだ銃を交差させたら、ひどく場違いに見えたことでしょう。
教会のなかはかなり狭い印象を受けます。もともと大きくもない建物のなかを商品棚でいっぱいにしているので、神の家を偉大に見せるのに必須の広々とした空間というものがありません。どの棚も病院用の二段ベッドを改造したものでマットレスの上を大きな銃や小さな銃が患者のように寝そべっています。建物の左右の側廊が射撃場になっていて、端から端まで金網で区切られているあたりは銃を貴ぶ教会ならではです。
ここの司祭はイルミニウスという名の十四歳の少年です。わたしが灰色っぽいからグレイマンと呼ばれるなら、彼はホワイティとかホワイトマンと呼ばれるべきでしょう。髪も肌も閉じがちのまぶたを縁取る長いまつげも真っ白で、司祭の法服もまっしろ、大きなフジツボ型の帽子も真っ白、信徒たちを落ち着かせるときに立てる二本の指も爪まで真っ白です。真っ白ではないのは常に片手に持ち歩いている半自動式ショットガンと、その銃身から垂れる長い旗で、これは真っ赤です。
イルミニウス神父はこの沈みゆく世界の人間を救うべく様々な奇跡をおこなってきた天使のような少年でした。彼の奇跡とは突撃してくるひとつ目の怪物を二十二口径のピストルで止めたとか、千メートル以上の距離の狙撃をやったとか、二丁のショットガンで怪物ヤドカリの群れと渡り合ったとか、その手の奇跡です。
見た目の儚さと違って、彼のなした奇跡は硝煙のにおいが濃く漂ってきます。一応、天から差した光の階段を昇っていったという奇跡もありますが、一時間後には機関銃を三丁かかえて、その階段を降りてきています。
ちょっと危ない少年かと思われるかもしれませんが、彼が信徒たちに対し、空に向かって銃を発射することを強く戒めてくれたおかげで、わたしたちは安心して出歩けるようになりました。空に放たれた銃弾は発射時の弾速とエネルギー量をそのままに地面に落ちてくるのです。そんなときは、ヒュ、と音がしますが、この音がきこえた時点で頭蓋のてっぺんに穴が開いて、あの世行きです。
もちろん、わたしはそんな少年司祭とは言葉をかわせないので、とりあえず、名家ふたつと闖入ペンギン一尾を脅かすにいい銃を探すことにします。
しかし、銃については全くの門外漢で、どこから弾が飛び出すのかくらいは分かりますが、機関銃と自動小銃の区別が分かりません。どちらも引き金を引きっぱなしにしていたら、撃ち続ける、同じ銃です。
別に戦争に行くわけではない。わたしの目的はちょっとしたおどかしであり、使う銃も三十ドルの予算内に収めたいのです。
どこにそんなお金があるのかというと、いざというときのために靴のかかとをくり抜いて秘密のスペースをつくり、片方二十ドル、左右あわせて四十ドル分の銀貨を入れています。
闖入ペンギンが勝手に客をまねくというのは、まさにいざというときですので、これを使います。使いますが、気持ちとしては十ドルくらいは残しておきたいところです。
視線を感じて、司祭のほうを見ますが、祭壇の後ろに静かに立っています。なにか本を読んでいるようですが、水没以前の銃器メーカーのカタログでも読んでいるのでしょう。
ほんの一秒、目を離したところで、また何か気になって、祭壇のほうを見ると、イルミニウスはわたしのすぐ隣に立っていました。まったく気配をさせずに人の間合いに入る行為はひどくその人の心臓に負担をかけます。イルミニウスはほとんど閉じかけた目でこちらをじっと見ています。話しかけるつもりでしょうか?
銃火器販売人というのはわたしが最も苦手とする人種のひとつです。彼らは頼まれてもいないのに自分の売り物を自慢し、口径だの弾倉だの発射時の反動だのをペラペラしゃべり続けます。そのうち、銃のことをベイビーと呼び出し「ベイビーも新しいパパのところに行きたいよな?」とベイビーと客の両方にきくのです。
そんなものはセールスとはいいません。踏みつぶしたチューインガムです。
パワー・オブ・ストッピング教会を選んだのは、まさにそんなことはないだろうと予測してのことです。イルミニウスがしゃべるところを見たことがありません。
だから、イルミニウスがわたしの隣にやってきて、じっとこっちを見つめてきたときは、もう何でもいいから銃を買って、話しかけられる前に、とっとと帰ってしまおうという気になってしまいます。そこでわたしは一丁のリヴォルヴァーを選びました。
撃鉄が飛び出ているはずの場所には丸い真鍮の輪があり、それを引くことで銃の発射準備を終わらせるという銃です。わたしの知っているリヴォルヴァーとは違う、ちょっと珍しい型の銃でした。
銃全体としては大きめで持ち歩くには不便でしたが、イルミニウスは棚の箱から革の装具を持ち出して、わたしの太腿に銃を入れるための革のホルスターを取りつけてしまいました。
ここまできたら、もう買うしかないようです。値段はホルスターと弾四十二発付きで二十七ドル三十セント。アンクル・トッドに売りつける銃の値段と考えると、お買い得のようです。そうなると在庫処分なのかもしれません。でも、わたしは使うつもりはないのです。弾はいらないのでその分値引きしてほしいなと思いましたが、わたしは生まれてこの方値下げ交渉というものをしたことがありません。できないのです。
買ったものを紙袋に入れて、わたしに手渡すとき、イルミニウスは初めて話しかけてきたのですが――、
「追い出すことは無理ですが、あなたにとって実り多きものになるでしょう」
と、言ってきました。
「……何が?」精いっぱいのガッツをかき集めて、わたしはたずねました。
「ローデス家とヴァンデクロフト家です。彼らは約束を守りません」
どうして、そんなことを知っているのでしょう、と思いましたが、彼は天国への階段を昇って、機関銃を三丁持ち帰ったことがあるのですから、予言くらいお手の物なのかもしれません。
それにしても、ローデス家とヴァンデクロフト家が約束を守らないとはどういうことでしょう? 千ドル支払うのも嫌だと言うのでしょうか? 発狂した一族を片づけ、娘を食べた仇を討つのですから、それで千ドルは妥当も妥当の大妥当です(大妥当。そんな言葉が辞書に載っているのか自信がありません)。
しかし、両家とも呑むべき条件を呑まず、厄介事を起こすのでしょうか? そして、その厄介事の舞台はやはりわたしの家なのでしょうか?
こうなると、ますますこの銃が必要です。彼奴らを水際で阻止し、流血の伴う値切り交渉はどこかよそでやってもらいましょう。
ロンバルド通りへの帰り道、イルミニウスの託宣の意味を考えていました。追い出すことは無理、とありましたが、そのくせ、わたしにとって実り多きものになるとはどういう意味なのか? わたしにとって、いま手中に落ちる最善の果実は闖入ペンギンの追放です。
しかし、追い出すことはできないというのです。難解な託宣にあれこれ頭を悩ませるのは宗教が発明されてから繰り返されていることですが、その託宣が自分の幸福にかかわっていると、その解読も生半可な気持ちでは臨めません。とにかく、銃は手に入りました。これで何も話さず、わたしの強固な意志を教えてやれます。出てけ、お馬鹿さんたち! ここはわたしの家です!と知らせるのにこれほど雄弁な言葉はあるでしょうか? 以前、要塞地区からサルベージしようとして、結局できなかった青銅の大砲には『王の用いる究極の言葉』と傲岸に彫ってありましたが、今ではその意味がわたしにも分かりました。やはり、軍事力がものを言う世界です。
我が家には午後四時四十五分に着きました。しめた。闖入ペンギンは帰ってきていません。わたしは紙袋の中身をテーブルに開けると、銃を取り出しました。
なるほど大きな銃です。腿にベルトで縛りつけるホルスターがないと持ち運びに苦労することでしょう。同封された説明書を見ながら、回転弾倉を振り出して、弾が装填されていないことを確認します。あくまで脅しです。本当に弾が入っていたら、どんな事故が起こるか分かりません。空の弾倉を銃に戻して、ホルスターに入れました。歩くとき、片方を引きずる感じになるかと思いましたが、不思議なことにホルスターにおさまると銃の重さは全く感じなくなりました。きっと水没前の技術でしょう。ボトル・シティでは何か素晴らしいものを見つけると、決まって水没前のものに違いないといいます。十中八九、それは当たりなのですが。
さて、そろそろ計画を詰めましょう。
まず、ホルスターに銃を入れたまま、わたしが玄関に立ちます。
闖入ペンギンは驚くでしょう。部屋に入ろうと強引に横から押し入ろうとします。そうしたら、銃を抜き、真鍮のリングを引いて、銃が弾を装填する音をさせます(もちろん音だけです)。
それで相手の目を睨み続け、わたしの家から追放するわけです。ローデス家とヴァンデクロフト家の不実な代表者にも同じことをして、とっとと追い出します。
では、失敗したら? 無様です。銃に弾が入っていないと分かれば、彼奴らはわたしを猫の子みたいに持ち上げて、蹴り出すかもしれません。まだきいていない嘲笑が早速わたしの精神を蝕まんとしています。冗談じゃありません。彼奴らにとって、この借りは大きくつくことでしょう。




