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ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと革命の自動拳銃
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 再呼吸装置リブリーザーを実際に使ってみての感想ですが、まだまだ発展途上の潜水方法です。もっとぶっちゃければ、これで五メートル以上の深さを潜るのは一万ドル積まれてもお断りです。吸う空気と吐く空気の循環を司る装置が不良に陥り、吸い込んでも空気が吸えないことが二回ありました。幸い、ベネディクト警部というバディがいたので溺死はしませんでしたが。

 しかし、これで夜、単独で潜るとは。ベネディクト警部は警察組織の運営では冷静な現実主義者ですが、潜水については向こう見ずなギャンブラーです。

 しかし、普通の潜水であれば、泡が出て、バレてしまうのは事実。このエアを循環させる隠密性がわたしの命を助けたのもまた事実です。

 ともあれ助かったのだから、細かいことはいいじゃないかと思いますが、警部があの場所を特定できたのは邪悪な犯罪者たちが集まって悪だくみをする場所をいつもいくつかあらかじめ記録していて、それにひっかかったからのようです。それに、〈ロバの男〉を見張って泳がせていたのでしょう。

 抜け目がないとはこういう人のことを言うのです。

 わたしは再呼吸装置リブリーザーを警部に返し、警部の車から手帳と鉛筆を借りて、革命家が殺されたことと黒幕がカイン教父だったことを書いておきました。

「わかった。こちらで対応する」

 これだけです。わたしもそれ以上のことは望みません。それに服はずぶ濡れ、お腹ペコペコ、疲れはドッと高潮のごとく、我が身を飲み込みます。

 ロンバルド通りへ戻ると、何もなく、きれいさっぱりガンマンたちはいなくなっていました。死体も血だまりもきれいに掃除されていて、壁にめり込んだ弾さえほじくり出していたようです。ガサツなのか育ちがいいのか分からない人たちですが、深く追求しません。シャワー入って、布団に潜り込み眠ります。明日には全てがいい方向に向かっているでしょう。間違いありません。今日は最悪の一日でした。

 革命熱も徐々に下がっていき、一番熱の入っていた連中が銃撃戦で残らず片づけられると、ここ数日、まったく生活がよくなってないことをみなが気づいて、まずバリケードが撤去されて、家具や煉瓦などのうち戻せるものは戻しました。いくつかの恩赦といくつかのぬれぎぬで全部なかったことにすると意外なほど街は元通りになりました。

 さて、まず恩赦について見てみましょう。

 カイン教父は逮捕されていません。手の届かない存在になりました。

 あの銃撃戦の夜、大聖堂には一切の弾が当たらなかったのです。しかも、避難してきた老若男女は誰ひとり〈自発的献金〉を払っていません。ただ、カインと祈祷をともに行うだけで弾は大聖堂の天使の彫像の前で動きを止め、真下に落ちたそうです。

 彼は本物の聖人として、崇められています。もし、前の教父を殺害した黒幕が彼だと告発すれば、先ほどの革命騒ぎよりもひどい混沌と無秩序がボトル・シティに襲いかかるでしょう。

 それにおかしなことにあの日、カインはずっと大聖堂の祭壇で蟹に食べられた天使へ祈りをしていたそうです。三百人以上がそう証言しています。では、わたしが見たカインは誰でしょう? 替え玉かもしれませんし、三百人が嘘をついているのかもしれませんが、わたしはどちらも本物のカインだと思っています。つまり――深く考えないほうがいいということです。

 次にぬれぎぬについて。

 これはあのアヘン中毒の殺し屋ヘンドリクスが着せられました。ヘンドリクスはある宝石商を殺そうとして、ボロボロの体を引きずっているところをリチャードソン教父殺害の罪で逮捕され、牢屋に放り込まれ、一生外に出さないことになりました。もっともその一生もせいぜい数日程度しかないようですが。あの左手を見ると、牢屋の鉄格子を引きちぎることができそうですが、ベネディクト警部はアヘンを詰めたキセルとその面倒を見る少女も一緒に入れてやったので、ヘンドリクスは満足です。

 真犯人は見逃し、適当なスケープゴートに全てをおっかぶせて、ボトル・シティの経済活動を元に戻し、警察もはねられるピンハネが戻ってきて幸せ。

 また、恩赦について。

 タチアナ女史が釈放されました。食事を摂ったらしいですが、本当に生きるのに必要なギリギリの量しかとらなかったらしく、しばらく病院でした。〈ロバの男〉に殺された革命家について言ってみると、革命党員の最高幹部だと言いました。

「だが、そのくらいで革命は前進をやめたりしない。印刷機は我々の手にある」

 彼女はそれから印刷機というものがいかに素晴らしいものか、印刷機は見ているだけで勇気が出てくる。印刷機には品位がある。見ているだけで肌がスベスベしてくる。その他いろいろ。

 正直なところ、ボトル・シティの住民は革命に懲りたので肌がスベスベしてくる印刷機があるくらいだけではあの蜂起を再現はできないことでしょう。

 さて、恩赦とぬれぎぬでバランスを取り戻すと、ベネディクト警部の潜水教室です。いよいよ、池の外、ミカ嬢がうろうろしている水域に潜ります。とりあえず彼女の借りている沈没コテージのあたりまで誘導ロープを張っておきました。コンパスとマップだけを見て、目的地に行けるかどうかを試します。

「ひとりで行くのか?」

「正直、発展途上の再呼吸装置リブリーザーで夜間単独潜水した時点でわたしが教えられることはありません。ここで見てますから」

 さて、ベネディクト警部がひとり水を静かに蹴り、計器を見ながら進んでいきます。実はそのロープの先端には錦鯉が数尾、うろうろしています。さっき会ってみたのですが、タチアナ女史のことで泣いたことはすっかり忘れて、誰かにハイになれるとだまされて、海藻をもぐもぐ食べています。コンパスの針ばかり見ていた警部がミカ嬢とぶつかります。人と人とがぶつかって、あ、ごめんなさいから始まる恋が一番手っ取り早い気がします。あんまり見ているのも野暮ですので、ひとり水から上がります。

 背負ったタンクを外して、警部の車のステップに座り、三十分くらい待っていると、水面で泡がボコボコと弾けて、警部の顔がザバッとあらわれました。呼吸マスクをつけたまま、外そうとしません。なんでしょう?と思っていましたが、恥ずかしいくらい赤面していたからなようです。恋愛に免疫がないようです。かわいいところもあるじゃないですか。

 警部は着替え終わって、車に乗っても、はあ、とため息をついています。幸せのため息です。

 そのとき、大きな警察無線の箱がジージー鳴りました。受話器を取ると、ザラザラした声のようなものが漏れ聞こえてきました。

「これから仕事に戻らないといけない」

 まあ、そうでしょうね。

「ヘンドリクスが消えた。ダンゴウオを一匹残してな」


          ヘンリー・ギフトレスと革命の自動拳銃 end

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