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午後二時半。ジッキンゲン卿の悪人撃滅討伐行軍の同行をかわすために家にまだ帰れずにいるわたし、ヘンリー・ギフトレスは仕方なく、小さなテント食堂でおやつにミックス・パンケーキを食べることにしました。フルーツがミックスされてホイップクリームがちょこんと乗っていればいいのですが、この場合のミックスとは魚粉とトウモロコシ粉のミックスです。これが口に入れると、唾を全部吸い取ってしまい、なかなか喉を通らず、形もまた縁がきれいな曲線を描かず、何もかもズダボロなのですが、一枚八セント。廉価は低品質を正当化します。
テント食堂は中央にカウンターとコンロがあって、調理係は前と後ろから注文に責められます。ソーダ水が安かったので、これも注文し、この革命都市において、誰にも無害な存在になるにはどうすればいいかを考えていると、バリケードのあるほうから銃声がしました。
ズガガガガガガガッ!
スババババババッ!
バン! バン! バン!
ダダダダダダダダッ!
複数の、多様な口径の銃が発砲する音。普通なら、パン、パン、と豆鉄砲の音がして、バリケードの削れた部分に煉瓦を置きなおすくらいですが、これは明らかに皆殺しを狙った音です。
ダダダダダダダダッ!
ドン! ドン!
ダダダダダダダダッ!
また皆殺し狙いの銃声がきこえてきましたが、これは別の方向からきこえてきたものです。
〈全面戦争〉とか〈包囲殲滅〉といった、極めて不穏な言葉が脳裏に浮かびます。最近はバリケード戦も、何というか、熱量が下がってきて、それぞれの銃を握る見張り役がこっそり出かけて、敵側と煙草や干し肉を物々交換していたりしていました。戦争に慣れたのです。上官役の革命家や警官があらわれると、戦うふりをして二二口径のピストルを見当違いの方向に撃っていたくらいです。
だから、そのうちバリケードが自然消滅して、またフエダイが一匹十五セントで売られる日が戻ってくるかと思ったところで、先ほどの銃声です。数十人以上の労働者たちが自分たちのかわいらしい命を危険にさらしたい気持ちになったのでしょう。まもなく、頭から血を流した男がテントに飛び込んできました。店主は顔見知りだったらしく、
「おいおい、フランク! その頭の傷はどうした?」
フランクの傷は骨まで達するのが頭の左側面に走っていて、耳の前の皮がべろりと剥けています。
「ローズクランズ通りだ。革命家の連中、いきなり撃ってきやがった。隊長が殺られて、副隊長も腹に弾食らって、派手に血ィ流してやがる。ありゃ、先生おっつけくたばるだろうな。おれはずらかるぜ。頭が削れる怪我をしたんだ。誰もおれが義務を果たしてねえとは言えねえはずさ」
「その通りよ、フランク。お前の言う通りだぜ」
フランクは病院へ行くと言って、テントを出ていきました。
「まったく」と、店主。「フランクの野郎。横着なやつだぜ。こいつは信仰のための戦いだぜ? 革命家どもは蟹に食べられた天使を信じるなって言いやがる。そんなクソバカどもをバラバラに引きちぎってやらなきゃいけないのに、たかだか頭の皮が剥がれたくらいで尻尾を巻いて逃げるなんてな。大した脳みそが入ってるわけでもねえのに。おっと!」
今度は腹を撃たれた若者が飛び込んできました。
「おいおい、ジョージ。腹を撃たれたのか?」
「マクレラン通りだ。資本家どものほうから撃ってきやがった。最初の一斉射撃で副隊長と政治委員が死んじまった。隊長はピンピンしてるがよ。ああ、クソ、腹がいてえよ。血が止まらねえ。おれは病院にずらかるぜ。おれの戦争は終わった。だよな? な?」
「そうだぜ、ジョージ。お前は立派に戦った」
ジョージが行ってしまうと、店主は、
「ジョージのやつもすっかり丸くなっちまったな。以前のやつなら、体の下半分が吹っ飛んでも戦ったぜ。革命はおれたち全員のための戦いなのに、体が割れたタバスコ瓶みたいになったってだけで病院に逃げたら、誰が革命のために戦うんだ? まだまだ甘いぜ。おっと!」
今度来たのは知り合いではないでしょう。マーダー・インクの黒服です。
頭の横に銃弾が削った痕、それにお腹を撃たれています。
「あーと。ミックスパンケーキなんか、どうだい?」
黒服はソーダ水を指差し、黒眼鏡をつけたまま、それで傷を洗いました。真っ赤な泡が流した後に残ったのは悲惨な裂け目で黒服は五セント払うと、そのままよろめきながら、テントを後にしました。
「ありゃ、誰だ? まあ、誰だか知らんが、病院に逃げるんだろうな。義務を前にして戦えない男なんて大したこたぁねえ」
パンケーキとソーダ水を堪能した後、わたしは外に出たのですが、その黒服につまづいて転びかけました。義務、というのは会社に対する責任ですが、それを果たせず、死んでしまったようです。
ここ、旧市街のチェンバレン通りは中立地区なので戦争に関係のない職人や主婦、子ども、勤め人風の背広の面々がうろうろしてます。どこそこのバリケードがやられたがここは包囲戦術を使うべきだったとにわか軍事評論家が、事務員や郵便配達員、窓の取り付け屋の姿で必勝の策を説いています。
メッキボタンを磨き上げた臨時雇いの退職警官が市民は全員建物のなかに避難しろと声を上げていますが、誰もなかに入ろうとしません。最近、ぐだぐだしていたバリケード戦に開始以来の活力が戻ったことを喜んでいるようです。
戦争は火の粉をかぶるまでは素晴らしいエンターテインメントです。
ダダダダダダダダッ!
どこかの窓から無差別に人を撃つのが始まると、通りにいた人間全員が、家や店、安宿、横町へと逃げていきました。もちろん、わたしも逃げます。そこは管理人室が一階にあるアパートメントで、命からがら逃げてきた人びとが缶詰のマグロみたいな顔色で震えていました。
ダダダダダダダダッ!
機関銃が通りを撃ちまくっています。ドアの陰から、そっと見ると、退職警官がうつ伏せに倒れていて、他にも三人、主婦らしい女性が倒れています。どの人も道に敷かれた丸石のあいだに血を流していて、生存は絶望視されていました。
「おのれ、許せん!」
振り返ると、ジッキンゲン卿が階段を急いで降りてくるところでした。
「おお、ギフトレス卿! ここで会うとは奇遇な! さあ、我らであの痴れ者を討ち取ってやりましょうぞ!」
「おう! あいつ、悪いやつだ!」
行きたくなかったですが、カムイにだっこされるのは目に見えていたので、従うしかありません。ジッキンゲン卿が表に出ると、はす向かいのホテルの三階から銃火が閃き、ジッキンゲン卿に当たりました。わたしは戦車の陰に隠れるみたいにジッキンゲン卿と歩を合わせ、そのうちカムイが走り出し、弾がすれすれで道に刺さるのを見ながら、問題のホテルに飛び込みました。
造花を乗せたカウンターに人はいませんでした。避難してきた事務員ふたりがいて、わたしたちを見て、死ぬほど驚きました。身長七フィートの自然児と不死身の騎士とくれば、それは驚くことでしょう。
「グレイマンだ! ヘンリー・グレイマンだ! もう、おしまいだあ!」
「……」
それに手口が溺死の最強暗殺者もいるわけですから驚き過ぎて死んでしまうかもしれません。
このホテルはボトル・シティに南国風の内装が合うと発狂した建築家の作になるもので、明るめのオレンジの漆喰が塗られていて、天井にファンがぶら下がっています。いつも肌寒いこの街には不釣り合いすぎて、涙が出ます。
ダダダダダダダダッ!
機関銃のきこえ方も、外と内では全然違います。建物内では恐ろしくよく響くので、余計に頭がメロメロになってしまうのです。303号室。乱射魔はここにいます。
「よし! 突撃!」
ドアの高さに揃えてかがんだカムイがドアをぶち破ると、ジッキンゲン卿が天誅!と叫びながら、部屋に飛び込みました。
機関銃男は耳栓をしていたので、これだけの物音を立てても、気づきません。カムイの拳がうなりを上げて、飛んでくるのにも気づきません。乱射魔の体は窓から吹っ飛んで、向かいにある倉庫の壁にぶち当たって落ちました。
「みなのもの! 脅威は去った! 怪我人を助けるのだ!」
結局、四人は亡くなっていて、乱射魔も死んでいました。黒の背広にチョッキの、事務員風の男で、高飛車そうな顔が壁にぶつかった衝撃でひきつっています。その死体の処理は怒り狂った群衆に任せましょう。憎悪と正義がごっちゃになった多数の人びとに反抗すると自分までリンチにかけられます。ジッキンゲン卿とカムイが民衆の凄惨さに驚き、民衆の心に根づく基礎的残虐性について、新たな認識を得ているあいだにわたしは逃げることができました。
安普請ながらもそこそこの賃料がかかるユニオン通りの住宅地を北へ歩いていると、血相を変えた男がこの世の終わりみたいに「ロンバルド通りは地獄だ!」と叫んでいます。そして、わたしがその横を通り過ぎると、「おい、ロンバルド通りには行くな! 殺されちまう!」という忠告をくれました。
革命家と資本家の前線から離れているので、ロンバルド通りは大丈夫じゃないかと思い、その男の忠告を無視しましたが、曲がり角で火薬と硫黄のにおいがしたので、ちょろっと角から顔を出して確認してみると、リヴォルヴァーを手にした三十人以上の男たちが樽や街灯に隠れながら、派手な銃撃戦をしていました。血だまりのなかに倒れて、ジッとしている人もいます。彼らはふたつ、あるいは三つの陣営に分かれて銃撃戦をしているようですが、共通点があります。ひとつは銃の腕が下手なことで、そこいらじゅうの壁が外れ弾でボロボロになっています。もうひとつは、まあ予想ですが、自分の着るもの全部合わせて七ドル以上のお金をかけたことがないことです。検死官に「やっすい服着て死んじまったなあ、おい!」と嘲笑われることを恐れぬ真の戦士たちということです。
ロンバルド通りの銃弾密度がこってりとしたスープよりも濃く、無理して通ろうとしたら、文字通り蜂の巣です。我が家すら安寧の地とならぬのを目の当たりにすると、やってくるのは恐怖ではなく、深い諦観です。わたしの住んでいるアパートの、内庭に通じる門の前ではふたりの男が撃鉄の上がった一丁の銃を奪い合うという極めて危険なゲームに興じていて、「巻き添えになりたいなら、どうぞ傍をお通りください」と幻聴がきこえてきました。
善良な潜水士は安全な場所を見つけなければいけません。そうですね、警察署はどうでしょう? 好きなもの:賄賂 尊敬している人:賄賂と返答し、さんざん市民をイジメる税金生活者だって、危急のときにあって災厄に襲われる善良な市民を助けるべく働いてもいいではありませんか?
ロンバルト通りを北からまわり込んで歩けば警察署に着きます。そのあいだに歩いた道では住人がひとつの死体に群がっています。深く入り込んだ桟橋では革命家らしい死体がふたつ転がっていて、その下では小さな手漕ぎボートが燃えながら浮いています。
婦人用品店が襲撃され、箱入りの高級靴下が表に散らばって、略奪されているのにも出くわしました。略奪者はチンピラゴロツキですが、そのうち略奪者数の母体が増えるにつれて、一般市民の割合が多くなっていきます。略奪は一種のゲームです。いかに高級ストッキングと言えど、命を捨てるほどの価値はありません。だから、警官隊が来るギリギリで引き上げる、できるだけ多くの高級靴下を抱え込んで。逃げ損ねて、安っぽいウールの靴下を握りしめた射殺体は負け犬というわけです。エディの店も略奪の危機にさらされているのでしょうか。彼女がいつもカウンターの裏に仕込んでいるショットガンは火を吹いて、略奪者の膝から下を吹っ飛ばしているのでしょうか?
警察署は少し水位が高くなっていました。とはいっても、いくつかの大きな水たまりが繋がっている程度で、ギリギリ冠水ではありません。銃弾が飛び込んで、水たまりの水が派手に飛び跳ねることがありますが、機関銃はまだ使われていないようです。警察署の正面には土嚢が積まれていて、そこに開けられた穴からライフルの銃身がにゅっと飛び出しています。署の窓の全てにも三八口径の制式リヴォルヴァーを両手でしっかり構えた警官たちがいて、警察署に突っ込んでくる敵に備えます。敵というのは革命党員、労働者、民兵、暴徒、黒服、資本家たちの傭兵――つまり、警官以外で銃を持っている人間全てです。
「おい、止まれ」
幸いなことに土嚢の後ろの警官はベテランでした。敵か味方か分からない人間が歩いてくるシチュエーションに慣れていました。素直に止まって、わたしが誰かを知ってもらいます。そう、わたしはルシオ警部でひどい目にあったとき、あなたたちパトロール警官はわたしがどのくらいまで生きられるかで賭けをしていたことを知っています。あなたの運不運は問いませんが、競馬の愛好家は馬を大切にすべきです。違いますか?
「よし、逃げていいぞ。背中から撃ったりしねえから」
あ、これはダメなやつです。
「構わん。入れていい」
後ろの窓のひとつからベネディクト警部がそう言ってくれなかったら、わたしは逃げようとしたので背中から撃たれた死体になっていたことでしょう。
警察署では署内の銃器をかき集めていて、重機関銃が一丁、屋上から広場を撃ちおろせるように設置されていて、他にはジーノが〈貸金庫の鍵〉と呼んだ円盤型弾倉の短機関銃が三丁と替えの弾倉がそれぞれに三つずつ、それに連発ライフルが二十丁、ショットガンが二十八丁、それに制式拳銃と警官たちが自費で手に入れた拳銃が多数あって、弾薬も豊富にあるとのことで、ちょっとした要塞となっています。
わたしと同じように避難してきた人たちがいて、一階の刑事部の仕切りの横の、電話室のあたりにかたまっています。子連れ、老人、帽子をどこかに忘れてきた男性。十二人です。
〈ロバの男〉と彼の部下たちはどこかのバリケードへ加勢に出ていていないとのことです。彼と革命家の蜜月は知っていますから、たぶんどこかでやり過ごすか、どさくさに紛れて、ファースト・ナショナル銀行を襲っているのかもしれまん。
ベネディクト警部は避難してきた市民から〈保護に対する自発的献金〉を集めているようです。靴の踵に隠しておいた二十ドルを警部に直接、渡しておきました。わたしも彼に潜水技術を教えることでお金をもらっているので、ここはビジネスライクな関係になっておくべきです。
警官たちは〈自発的献金〉をもっと集めたいと思っているのか、広場を通りかかる人たちを撃つ前に避難の意思があるかどうか確認しています。たいていは命に代えられないとあきらめて払い、電話室の前でしゃがみこみますが、なかには警察に税金以上のお金を渡すことに納得のいかない、ピュアな人もいて、絶対に払わないといい、警察署に入り込もうとするのですが、そういう人はだいたい銃の台尻でぶん殴られて、留置所に閉じ込められます。期間は〈自発的献金〉をしたくなるまでです。
留置場で思い出し、地下の女性用留置場へ降り、大柄の婦人警官立ち合いのもと、タチアナ女史に会いましたが、以前より元気そうです。ちゃんと食事を摂り始めたのでしょう。
「外はどうなっている?」
「あう……」
「――ああ、そうか。話せなかったのだったな。あのときは特別か。不思議な人だ」
「……ぅ」
「わたしも考えを変えた。支配者による不当な弾圧がある限り、わたしは生き続ける。無実のもの全てが牢屋から解放されるその日まで、わたしは死んだりしない。だから、安心してほしい」
「ぃ……ぅ……」
ちゃんとイエスと言いました。言ったと言ったら言ったのです。




