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次の日の朝食後、タチアナ女史は果物箱の上に立って、わたしたちに演説をしました。内容は労働者が団結して資本家を倒し、工場その他の生産施設を労働者のものとし、何を、どれだけ生産するかは労働者が決める、というようなことです。
「さあ、同志たち。何か質問はあるか?」
はーい、とジーノが手を上げました。
「では、同志ジーノ」
「おまわりさんを棒で叩いてもいいですかぁ?」
「もちろんだ、同志ジーノ。支配的資本家階級の走狗となった警察組織には大打撃を与えるべきだ」
「きいたか、ロレンゾ。大打撃だってよ。革命も悪くねえな」
「他に質問は?」
うむ、と、ジッキンゲン卿。
「では、同志ジッキンゲン」
「革命に騎士は必要かね?」
「もちろんだ、同志ジッキンゲン。労働者による革命の成功の前には倒すべき障害が多い。労働者の騎士はどうしても必要だ」
「盾持ちはどうかな?」
「革命は寸断ない攻撃と期を逃さぬ防御によって前進する」
「はい! はいはいはい!」
「では、同志カムイ」
「革命って強いか?」
「強い。同志たちの紐帯はいかなる障害も打ち崩すだろう」
「そんなに強いなら、おれ戦ってみたい!」
「そう、若き鋼鉄はそうやって鍛えられるのだ。期待しているぞ、同志カムイ」
「おう!」
「はい」
「同志エレンハイム。発言してくれ」
「ボク、個人事業主なんだけど」
「個人事業主は革命の世界においては存在しなくなる。全ての産業は集中的に運営され、一切の無駄のない生産が革命国家を支えるのだ」
「ボクはひとりが気楽なんだけどなー」
「同志ロレンゾ。質問があったら、遠慮なく言ってくれ」
ロレンゾは首を振りました。
「同志ヘンリー。きみはどうだ?」
もちろん、わたしも首を振ります。
後で、タチアナ女史はわたしに今日の演説はなかなかの手ごたえがあったと言いました。わたしが見たところ、タチアナ女史の説く革命をきちんと理解した人はいないようでしたが、彼女はそういうものは後からついてくる、まずは行動する情熱だと言いました。
今日はベネディクト警部は仕事で来られないとのことですし、エレンハイム嬢の兄さま参りもかわすことができました。サルベージに集中しましょう。
自分のボートで新市街水域まで行き、潜ります。以前、フライドチキンの店を見つけていて、アンクル・トッドから店オリジナルの皿やスープ鉢を欲しいと言われていたのです。
マスクのガラス越しに真下を見れば、〈チキンマンズ・イン〉の屋根が見えます。意外と人の体というのは沈みにくいものです。脂肪と肺のなかの空気が浮袋になっているからです。だから、肺から空気を吐き出しつくしたところを狙って、体を前へ傾けて、そのまま足を跳ね上げて、水をひと蹴りすれば、あとはゆっくり静かに足ヒレを動かして深場へ潜れます。
〈チキンマンズ・イン〉は水没前には全国に支店があるほど流行っていて、もし、タチアナ女史の言葉を借りるならば、巨大フライドチキン資本だったようです。しかし、店舗もチキンも労働者も経営者もまとめて水没し、いまは記憶にその名が残るのみです。そうした懐古趣味の人たちがチキン文化を懐かしみたいと〈チキンマンズ・イン〉のお皿を欲しがっているわけです。損傷のない皿なら一枚五ドル払うと言うのだから、恐れ入ります。
店は西へマイナス数度傾いています。皿が割れていないか心配になります。建物は当時としては革新的だった無駄な装飾を一切排した靴箱みたいな形でできていて、窓が大きくとられています。窓は全部残らず割れてしまっていますが、そこからライトでなかを照らすと、少し小さすぎないかと思う仕切りのなかに固定テーブルがひとつと固定スツールが四つ、カウンター席はありません。この店はお客を長く店にとどめさせるよりはとっとと帰らせて、次のお客に座ってもらい、売上増加を狙ったようです。その経営手法であれば、よっぽどおいしいフライドチキンを驚くべき安値で売る必要ができます。水没世界では養鶏業が致命的打撃を受けたせいでチキンがほとんどありません。チキンのかわりにカモメをフライにしていますが、本物のフライドチキンを食べたことのある四十歳以上の人たちはやはり鶏が一番だと懐かしみます。
さて、サルベージ品を探します。柔らかい泥をまきあげないよう、慎重に水をかきます。仕切り席には粉々に砕けた皿やカップが傾いたほうへ溜まっています。客席ではまともに残った皿を見つけるのは厳しそうです。ふと、壁全体に書かれた絵に注意が向きます。店のシンボルであるチキンマン――鶏のとさかの帽子をかぶった変な男――が転がったりトランプをしたりトランポリンをしています。たとえ仕切り席が広くて快適だとしても、こんな壁画がある店に長居したいとは思えません。これも計算の内なら、〈チキンマンズ・イン〉は本当にお客さんが嫌いな店だということになります。水没前には大胆なビジネスモデルがあったのですね。
皿の破片を見ていて、気づいたのですが、どの皿にもチキンマンが描かれています。わたしは心配になりました。この変な男が描かれた皿に本当に一枚五ドルも出してくれるのでしょうか? 今日はエイプリルフールではありませんし、アンクル・トッドはそんなヘマはしませんが、いやしかし、と心配になるほどチキンマンは滑稽なのです。お金持ちのマントルピースで美しい陶磁器とゴルフの優勝カップと並んで、チキンマンの皿が飾られるところは噴飯もので空気を無駄にしてしまいそうです。
客席は見切りをつけて、調理場へ向かいます。チキンを揚げるための深い鍋が発電機みたいに並んでいて、端には大きな冷凍庫があります。試しに冷凍庫を開けてみると、大きなヒラメが慌てて、逃げ出しました。吐いた泡の行方を見ると、ファンが取れて、開いたダクトへと逃げていきます。ヒラメはそこから入り込んだのでしょう。冷凍庫には潰れた箱がいくつかあるだけです。冷凍チキンはとっくの昔に魚たちに食べられていることでしょう。もっと何かないかと探していたら、ビニールでぐるぐる巻きにされた小さな箱のようなものが見つかりました。よく見てみると、石鹸のようです。ビニール包装が厚すぎるので確証は持てませんが、チキンマンが描かれている気がします。これもオリジナル商品ということになりますから、持って帰って損はないでしょう。腰から吊るしたネットにポイと入れておきます。さて、厨房です。注文用紙を止めるためのレールが真っ二つに折れて、カウンターを深くえぐっています。その下にお皿などを入れておく棚があって、歪んだ棚のせいでお皿はバラバラに砕けています。一枚五ドルなんておいしい話はそうそう転がっているものではありません。石鹸一個持ち帰っただけではタンクのエア充填代など考えると、赤字です。鍋や包丁にチキンマンが描かれていれば持ち帰ったのですが。
スーッ、ゴボゴボ。
残圧が五十。あきらめて上がりましょう。
ボートをまわして、アンクル・トッドの店へ向かいます。水上にはいくつかの建物が孤立していて、そこを水産物加工の作業場に使っている経営者がいます。二階の壁を全部ぶちぬいた大部屋ではハマグリの殻をひたすら叩き割り続ける老若男女。ぐるりをまわした桟橋では市内に自分のオーブンを持っている焼きハマグリの行商人たちが時計の鎖を光らせる経営者と値段交渉をしています。十個のハマグリの殻を叩き割ったら、一セント、千個叩き割ってやっと一ドルです。もし革命が起きて、この作業場が労働者のものになったところで、結局貝を割るのは労働者です。もちろん彼らは自分たちで割ったハマグリを直接、焼きハマグリの行商人と取引できますが、個人事業主はみんな統合されて焼きハマグリ行商組合か何かとなり、買い取り価格は固定化されるので、たぶんハマグリ砕き人たちに残るのは小銭です。革命が起これば、彼らのハンマーがハマグリの殻を割るみたいに、経営者の頭を叩き割り、勢いをそのままに革命家の頭を割るでしょう。そんなことになる前に社員だけが使える卓球台とかを用意して福利厚生を充実、ガス抜きをすべきです。
しかし、わたしは潜水士です。革命家でもハマグリクラッシャーの経営コンサルタントでもありません。ときどき、ハマグリを集めて売ることはありますが、それだけです。そのときのハマグリ砕き人たちの作業監督を見る目が尋常のものではないことは知っていますが、少なくともわたしには向けられていません。労働争議に関わって、角材で滅多打ちにされたり、強酸を顔にかけられたりするのはぞっとします。
アンクル・トッドの店のそばに着き、ウェットスーツのまま店に入ると、万国博覧会みたいに売り物が満載の店内にアンクルのほかにもうひとり、パールグレイのホンブルク帽にダブルのスーツと裕福らしい男性がいました。
「ああ。帰ってきたか」
と、アンクル・トッドが言い、客人に、
「彼が例の潜水士です」
と、わたしを紹介しました。
「彼はなぜマスクを?」
「話すのが苦手なんですよ」
「そうですか」
灰色のヒゲを静かに撫でるのは彼はアンドリュース大佐と名乗りました。大佐と言っても、正規軍ではなく、実質的には存在しない、兵力ゼロの民兵隊の大佐です。彼がチキンマンのお皿一枚に五ドルを払うという、奇異な方というわけです。ざっと見た感じ、狂気の兆候は見られません。首筋に鱗が生えたり、手でウツボを真似て口をパクパクさせたりしていません。彼はまったく正気でチキンマンのお皿を五ドルで買いたいと言っているのです。
「それで、お皿は取れましたか?」
わたしは首をふりました。
「では、カップは?」
首をふります。
大佐アンドリュースは目に見えて、がっかりしました。心の底からお皿が欲しかったのです。わたしも善良な潜水士であり、善良な個人事業主である以上、依頼人のがっかりした顔は見たくはないのですが、お皿がないのが、しょうがないのです――あ。
わたしはネットのなかの、例の石鹸を取り出しました。
石鹸は別に特別なところのない、安物の量産品らしく、チキンマンの絵が包装紙に描かれているだけのようです。それがビニール袋で二重三重にもぐるぐる巻きにされていたので、においがするはずがないのですが、わたしが石鹸を取り出した二秒後には大佐はそれが水深一〇〇メートルの最後の空気であるかのようにわたしの手から荒々しくもぎ取って、そして、もぎ取ると今度は何かの聖遺物でも取り扱うようにゆっくりゆっくり、ビニールを剝いでいきました。
手っ取り早く先に言うと、石鹸は百ドルで売れました。しかも、アンクル・トッドには仲介料で別に二十ドル。ビニールが取り除かれて、〈チキンマンズ・イン・ソープ〉の文字が出てくるなり、大佐の奥まった青い目が涙をとめどなく流して髭がびしょぬれになりました。大佐が言うには完全な状態の〈チキンマンズ・イン・ソープ〉はこれまで発見されておらず、その存在だけがささやかれているものでしたが、それがこうして水没の影響を一切受けず発見されたのは、神の奇跡だと熱弁しました。神さまのことは信じていないわたしですが、こうして思わぬ百ドルをくれるなら、少しは信用してもいい気がしました。
大佐アンドリュースはこの水没世界でフライドチキン文化を蘇らせるために活動しており、大規模な水上養鶏場をつくるために受精済み卵を集めているとのことです。石鹸ひとつに百ドル払うような金銭感覚が企業経営に向いているかは疑問ですが、水没前のリッチな食生活を復活させる試みは非常に建設的でありだと思います。パサパサの魚粉パンケーキを食べて、磯臭い海藻コーヒーを飲むことを考えると、大きな紙の入れ物にからっと揚がったチキンが無造作にぶち込まれているのは非常に夢があるではありませんか。




