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騎士だけど騎士ではないジッキンゲン卿の突撃ファンファーレがきこえてきました。彼ら主従も頑張っているようです。そのときにはわたしたちは球戯場にいました。テニスみたいなテニスではないものを楽しむための部屋ですが、その真ん中に大きな穴が開いていて、ひどく暗い部屋へと続いています。マグネシウム灯をつけて、白々した明かりに照らし出されたのは騎士たちの墓でした。棺の蓋に剣を抱いて眠る騎士たちの姿が彫られていますが、その姿は壁の絵たちと違って、非常に本物の人間にそっくりです。神に対する不遜です。とは言っても、まあ、六百年前の本物の騎士たちは機嫌が悪ければ、教会を相手に略奪もするような人たちらしいですから、彫刻家たちに『あんなマヌケの三乗みたいな姿に彫ったら、ぶっ殺すからな』と脅すくらいのことをするでしょう。本物の騎士たちが累乗を知っていたらの話ですが。
騎士たちの墓はどこまでも続きます。奥のほうには白い閃光は届きません。
ドックン。
わたしたちは自分の胸を触ります。
ドックン。
音の出元はわたしたちの心臓ではないようです。
非常に嫌な予感がします。光の届かない奥へ近づくにつれて、溶けあったお肉が真っ赤な菌糸みたいにして見えない暗闇へと伸びています。壁も床も騎士の墓の上も。
ドックン。
この音がした瞬間、お肉の菌糸が脈打ちました。
ああ、もう間違いありません。ボスがいます。どのみち、遅いか早いかの話です。わたしは水中銃にマグネシウム灯を突っ込んで、奥へ放ちました。光であらわになったのは床から天井まで十二メートル以上にくっついた粒々お肉の壁でした。ボスの名を冠するだけのことがあって、これまでの粒々お肉とはワケが違います。粒々ひとつの大きさは、これまではテニスボールサイズでしたが、今回はスイカくらいの大きさです。これだけのお肉があれば、精肉業界に革命がもたらされます。まあ、わたしは絶対に食べませんが。
「兄さま!」
見ると、お肉の中央部にフィリックス・エレンハイムが囚われていました。顔と上半身をわずかに残すのみで、タコ足の下半身と両腕はほとんど肉に吸収されかけています。
足ヒレで水を蹴ろうとするエレンハイム嬢のレギュレーターをつかんで後ろに引きます。そばにあった騎士の墓の蓋が真っ二つに割れ、ひれ状のお肉がエレンハイム嬢を叩き潰そうとしました。
「はなして! 兄さまが!」
両手に短剣を手にしたロレンゾが代わりにかかります。墓の蓋が割れて、ハンマーやメイスの形をとったお肉が襲いかかりますが、ロレンゾがくるくる回転すると、お肉武器たちは瞬きする間にバラバラになって墓のなかへ落ちていきます。こういうときのロレンゾは非常に頼りになりますが、まだ墓は五十以上あり、いくらなんでも全てを相手にはできないでしょう。
そんなことを思っていると、わたしのそばの墓が割れて、ウツボの頭を模ったお肉がカッと口を開けて襲いかかります。六連発の水中銃を抜いて、その口に突っ込むと、三度引き金を引きました。お肉ウツボは鼻先を紫に変色させながら墓のなかに撤退します。
グサッ!
振り向くと、エレンハイム嬢は自分に絡みついたお肉の触手を何度も刺し、ひねり、憎しみも通れとばかり、手首を返しています。賞金稼ぎを生業としているだけあって、ナイフさばきは大したものですが、それでも、これは相手が悪すぎます。ロレンゾもお肉の本体へ何とか近づこうとしますが、防御を突破できず、気づけば、防戦一方です。こんなことを繰り返していれば、エアの消費はかなり激しくなり、溺れてしまいます。撤退も視野に入れたいところですが、その場合、フィリックスはどうなるのか。
アッ。
思わず、声が上がりました。エレンハイム嬢の真後ろに蓋が間に合わない速度で開いたのです。確かに侵略者を我が家から追い出したいとは言いましたが、このように悲劇的な結末を自分の利とするような考えはヘンリー・ギフトレスの思考一覧には存在しないのです。
まあ、結局、そこから出てきたのは騎士じゃない騎士ジッキンゲン卿とその盾持ちカムイだったわけです。
「うむ! 大将首を見つけたり!」
「ごぼごぼ!」
「む! これは騎士の墓ではないか! おのれ、化け物。騎士の永眠の床をこのように愚弄するとは許せぬ! ゆくぞ、カムイ!」
「ごばごば!」
そう言って、また墓に飛び込みました。
あとでジッキンゲン卿からきいたのですが、粒々お肉は墓場の下にトンネルを穿っていて、そうやって墓から攻撃をしていたわけです。だから、主従で肉を蹴散らし続けていけば、いずれ、敵の本体へとたどり着けると踏んだわけです。彼は騎士に憧れる蔵書家だったわけですが、何十冊という騎士物語を読んだことで戦慣れした歴戦の勇士みたいになっていたわけです。ジッキンゲン卿と盾持ちカムイのシロアリ的行為によって、お肉が苦しみ始め、そして、たったいま、肉に飲み込まれたフィリックスの体を押し上げて、救い出しました。それによって肉の幹が大きく切り裂かれ、肉の核となる部分を露出させました。その肉は心臓そのもので解剖学的観点から言えば、人間の心臓そのものでした。粒々お肉もウツボ男やフィリックスと同様、突然変異した人間だったようです。
ロレンゾがエレンハイム嬢の腕を取って、露出した心臓まで一気に連れていきます。そして、短剣を握らせました。
「断ち切れ」
エレンハイム嬢の顔はここから見えません。でも、心臓に短剣を振り下ろしながら、叫んだのがきこえました。
「兄さまを――兄さまを返せぇ!」




