表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ヘンリー・ギフトレスと沈みゆく市街  作者: 実茂 譲
ヘンリー・ギフトレスと遍歴の騎士
55/111

55

「つまりよ、こいつは爆撃機なわけよ。地上に要塞があったら、まずは爆撃だろ?」

 ジーノがどこからか調達してきた水上トラックの荷台に全員で乗っています。全員とは、わたし、エレンハイム嬢、ロレンゾ、ジッキンゲン卿、カムイ、そして荷箱いっぱいの鉄パイプ爆弾です。爆撃うんぬんは隠喩ではなく、ダイレクトな話です。

 浮いている樽や標識を右へ左へよけながら、ジーノはクラクションを鳴らしています。このあたりは商業地区で四階建てから五階建てが並んでいて、水に沈んでいるのは一階から二階。そのため、ごく普通の道のように水上自動車があちこちから曲がってきたり、直進したりするのですが、ジーノはギャングである自分は交通に関する法規を守らなくてもいいと思っているようです。彼は自分のことを違法主義者イリーガリストと呼んでいます。

 エレンハイム嬢がちょっとほっぺたをムッとふくらませて、言います。

「爆撃って、兄さんを倒すって決まったわけじゃないんだ」

「じゃあ、ますます爆撃が必要だ。爆弾を投げまくって、おれたちがマジだってこと、タダモノじゃねえってことを最後の肉のひと粒にまで思い知らせて、やつらに白旗を振らせるんだ。でも、油断しちゃダメだぜ。オーク・シティでダイナマイトお見舞いしたダッパー・ダン・グレイディがやつの店から白旗を振って出てきたとき、おれは油断して、ショットガンの引き金から指を外した。その勉強代がこれよ」

 ジーノはシャツを脱いで、背中にある丸く盛り上がった弾痕を見せます。

「白旗を振らせるときは、心から振らせるんだ。それが偽りの白旗かどうか、おれには見れば分かる」

「だが、ジーノ。お前は潜れないだろう」

「ロレンゾ。お前、おれと双子なんだぞ。お前が見りゃあ、分かるって」

 商業地区を抜けると、葦の浮島が漂う水域に出ます。かつてギャヴィストン一家が自分の縄張りだと主張した水域です。このあたりはその昔、城塞地区、と呼ばれ、由来の城塞の他に市民公園という名の野の花畑などがあり、ボトル・シティ市民の憩いの場でした。それに麻薬取引もこっそり、警察の我慢できる範囲で行われていました。よれよれの服を着て、ひどいにおいをさせて、立派な市民たちに絡むようなジャンキーではなく、クラシックなどをききながら、静かに耽溺する愛好家たちが襟に差したカーネイションの香りを嗅ぎながら、水煙草に入れるアヘンを買う。コーヒーやポークソテーと同様、水没とともに消えていったものたちです。

 船が城塞の上へ来ると、ジーノはトローリング釣りの船みたいにぐるぐるまわりながら、パイプ爆弾を落としていきました。十メートルくらい沈んだはずなのに結構な水柱が上がります。五メートルくらいの高さで、そのなかに真っ二つに裂けた兜や鎧が混じっています。灰色に濁った水面にはちぎれた紫色のお肉が浮かんできました。

「すっげえでっかい音がした! こいつと戦いたいな!」

 爆薬と人間がどうやって対決するのか興味深いものです。

「我輩はどうにも好かないな」

 あなたが人間だったころには存在しなかった兵器です。

 パイプ爆弾を使い果たしたころにはジーノは作戦は大成功だと太鼓判を押しました。これからはフェリー(客船)ではなく、デストロイヤー(駆逐艦)と名づけるといいでしょう。ジーノ・デストロイヤー。レスラーみたいです。

 水がひどく濁っているので、その濁りが水底に沈むまで一時間ほど待ってから、潜水を開始しました。

 チームその一はわたし、エレンハイム嬢、ロレンゾ。

 チームその二はジッキンゲン卿とカムイ。

 チームその三はジーノ・ザ・デストロイヤーです。

 水中に身を投じて、騎士たちの城塞を真上から眺めたのですが、中世の城塞がいかに空からの攻撃に弱いかをまざまざと見せつけられました。崩れた塔、裂けた広場、濠に滑り落ちた鍛冶場と厩舎。騎士の時代のころは難攻不落とうたわれたのでしょうが、ジーノ・ザ・デストロイヤーの前にはメガロドンの顎のなかのメダカ同然です。

 お肉の騎士たちも大勢がその騎士道に殉じました。集めれば、結構なお金になる紫色の死骸があちこちに散らばっています。いま、気づいたのですが、一番ちゃっかりしているエレンハイム嬢の他、ロレンゾやジッキンゲン主従は金銭には淡白です。そのエレンハイム嬢がお金に見向きもしないと、これだけの換金物も無視されます。わたしですか? わたしの金銭欲はほどほどです。お金はたくさんあるほうがいいですし、お金を稼ぐ目的で潜っています。ただ、欲をかいて死にたくはないですし、わたしの暮らし方はそこまでお金を必要とするものではありません。家も持ち家ですし。

 そもそも紫お肉を集めている時間はありません。この潜水にはエレンハイム嬢の兄への想いがどうなるのかがかかっています。こちらへの航行が安全にならないと、ボビー・ハケットがツアーを続けられません。しかし、何より怖いのは――。

「ジーノはもう、爆弾はないんですね?」

「そのはずだ」

 ――わたしたちの頭上で浮かぶ水上トラックです。

「本当に大丈夫? どこかに隠してたりしてなかった?」

「隅々まで探した。おれたちが潜っているのを知っていて、パイプ爆弾を落としたりするわけがない」

「……ロレンゾ。酒もありませんよね?」

「……」

「……あるのかい?」

「泥酔するほどの量じゃない」

「どのくらい?」

「ラムがほんの二壜」

「……」

「……」

「……未開封はひと壜だけだ」

「任務の遂行は迅速に、ですか……」

 ため息の泡と一緒にわたしはつぶやきます。

 わたしたちは巨大な城塞の最も高い位置にある部屋に下りました。鍵がかかっていて、入ることができなかった部屋ですが、ジーノが天井を吹き飛ばして、自由に入ることができるようになりました。銀でつくった天蓋付きのベッドがあり、ジッキンゲン卿がムムと呻るほどの名刀が壁にかかっています。

「持って帰りますか?」

「騎士たるもの盗みはせんのだ、ギフトレス卿」

「でも、『騎士フェリペ・デ・カザマルナのあられもない日々』にはかなりの頻度で略奪行為が――」

「『騎士フェリペ・デ・カザマルナのあられもない日々』!? ギフトレス卿ともあろうものが、あのような愚本を読まれるとは!」

「え? ダメなんですか?」

「騎士の本分を誤解した、恥ずべき本だ。騎士とは弱気をくじき、強くを助ける――いや、違った。弱気を助け、強気をくじく、誇り高い戦士なのだ。その我輩が貴殿に勧めるのは――」

 ごばごば! ごばばごばばば!

 彼の盾持ちが城の内部へとつながる扉を力ずくで開けたようです。青銅の扉が屈伸運動を極めたウナギみたいにぐにゃぐにゃになっています。板状のものをたとえるのにウナギという言葉を出したことはおかしいかもしれませんが、しかし、実際、ウナギという表現が一番しっくりくる形状なのです。

 廊下は左右に伸びています。そこから二手に分かれて、捜索開始です。チームその一は馬車が通れそうな広々とした回廊に入りました。静かな水です。わたしたちが吐いた泡は流れもせず真上へ浮いています。水温は水温計で見る限り、少し低いようですが、ウェットスーツを着ているので体感で低いとは思いません。

 さて、ここでは、ジーノの文化財破壊行為から免れた壁画がどこまでも続いています。お辞儀する人、ドラゴンから逃げる人、一頭の馬とふたりの騎士、裸で都市から追いやられる人びと、骸骨と踊る人。しかし、中世の絵というのは、どうしてこうも下手くそなのでしょうか? 遠近感がないし、人の表情だって、この『司祭の死』をとってみれば、斬られる司祭も斬る騎士も、目が眠たげで、今にもくしゃみがでそうな顔をしています。ポーズも直立か、少し前に傾いて走るかで、こういうものを見ていると、うまい絵を描いたら死んでしまう呪いにでもかかっていたのでしょうか?という気がします。今度、ジッキンゲン卿と会えたら、きいてみましょう。

「へったくそだなあ」

 エレンハイム嬢の審美眼は容赦を知りません。

「これより前の時代の彫刻は人間そっくりなのに、この絵はどうして下手なんだろう」

「この時代、物をそのまま忠実に描くことは異端とされていた」

 スーッ、ゴボゴボ。叡知の泡はロレンゾのマスクから流れ出ました。

「そうなの?」

「まだ、教会の力が強かった時代だ。神のつくったものを人間風情が模るのは不遜だった」

「へえ。殺し屋が美術に詳しいなんてね」

「悪いか? おれだっていつも人を殺すことだけ考えて生きているわけじゃない」

「……ごめん」

「謝ることはない。慣れている」

「そんなこと言わないでよ。ほんとに悪いと思ってるからさ」

「分かっている。さあ、お前の兄に会いに行こう。兄弟は大切だ。たとえ、おれたちの真上で爆弾を抱えて待っているからと――あ」

「ジーノ、まだ爆弾持っているのかい!?」

「う……ほんの少しだけだ。小さなものが十本程度。おれたちがバケモノに追われて逃げるときの援護用だ」

「知っててウソついたね!? あーっ、もう! 謝って損した!」

 あの、とわたしはふたりに話しかけます。

「なに?」エレンハイム嬢はご機嫌斜めです。

 わたしは回廊から続く別の部屋で行われている特別展の看板を指差しました。

『騎士物語の世界――蔵書家ジグ・ジッキンゲンのコレクション』

 ……。

 昔、歴史学者を自称する酔っ払いがこんなことを言っていました。

「六百年前の出来事はおれたちから見て、大昔の話だ。そして、三百年前の人間から見ても大昔の話だ。これが分からんやつが多すぎる」

 六百年前。騎士が全盛期だったころ。

 三百年前。騎士がすたれて、騎士物語の憧れだけが残ったころ。

 そして、いま。

 三百年前のジッキンゲン卿――略奪も虐殺もない騎士道物語を読んで、騎士に憧れた田舎の下級貴族は現代によみがえって、騎士となったわけです。

『騎士物語の世界――蔵書家ジグ・ジッキンゲンのコレクション』展では様々な騎士に関する蔵書がありました。ほとんどは水没でやられて、崩れて消えてしまいましたが、いくつかのガラスは頑張って、本を守っています。

 特別展の中央には空っぽの石の棺がありました。ジッキンゲン卿はこのなかで鎧や剣と一緒に埋葬されていたところをオオクチバス病の特別変異に罹患して蘇ったのでしょう。

 騎士ではないけど、騎士。このことは内緒にしておきましょう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ