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朝食のとき、ジッキンゲン卿は騎士たるもの盾持ちがいなければならないと、厄介なことを言い始めました。要するに従者が欲しいらしいのですが、オオクチバス病第三フェーズの騎士に仕えたい人はいません。それに彼の体力を見ていると、盾を常に持ち歩くのに不便を感じているようではありませんし、常在戦場の精神があるので、ほんとに盾を誰かにまかせることはなさそうです。
そこでエレンハイム嬢とジーノが少し突っ込んだ質問をしてみましたが、騎士にとっての盾持ちとは騎士になるために修行する少年という意味があるらしいです。つまり、しばらく盾持ちとしてそばに置き、やがてはジッキンゲン卿本人がその不運な――ゴホン、殊勝な盾持ちを騎士に封ずるわけです。しかし、封建制度は土地をもってして人間同士を結びつける社会制度ですから、領地を持たないジッキンゲン卿が盾持ち制度を導入できるわけがありません。そう思っていたら、ジッキンゲン卿は彼の部屋のベッドがまだひとつ空いているととんでもないことを言い出しました。
これは外から誰かを持ち込むよりは、ここの住人の誰かを(彼らを住人と認めるのは非常に不本意ですが)あてがうのがいいと思うのですが、みな目をそらせて、義務から逃げます。
わたしですか? わたしは水の騎士ヘンリー・ギフトレスです。ジッキンゲン卿のなかでは既に騎士ですし、何より彼はわたしの領地で暮らしています。封建制度的に考えれば、わたしは一番偉いのです。一番偉い人を盾持ちにしたら、制度として死んでいるのは一目瞭然。わたしはうまいことロレンゾあたりをあてがえないかと考えていましたが、気づけばロレンゾはカプタロウと一緒に消えていました。
「水の騎士ヘンリー・ギフトレス卿、我輩の盾持ちに有望な少年を見つける手助けを願えないだろうか?」
結局、そうなるのです。もちろん、ここにいる誰かを筆頭会話代行人にする手もありますが、どうせわたしの意志を捻じ曲げて伝え、この盾持ちのどつぼに放り込むのは分かっています。人間の汚い部分を好き好んで目撃するよりは、わたしが妥協しましょう。わたしはヘンリー・ギフトレス卿。水の騎士の城の主にして、封建制度で一番偉い潜水士なのです。
さて、いま、わたしはまたしてもわたしの家に居候が転がり込むか否かの際に立たされています。わたしとしてはジッキンゲン卿に盾持ちをあきらめてもらい、己が腕一本で名声を勝ちえんと思ってもらいたいものです。それを考えると、大聖堂地区には連れていけません。なんだかんだで宗教的情熱が他の街区よりも強いところですから、宗教的狂信が盾持ち修行に結びついてしまうかもしれません。商業地区や港湾地区も気が乗りません。お金で動くことの多い場所ですから、盾持ちのなり手を探すのは難しいはずですが、盾持ちになれば、わたしの家にタダで住めると目ざとい連中が知れば、家賃を浮かせるために盾持ちになるかもしれません。家賃タダの住居はいつだって守銭奴を魅了するものです。
すると、工業地区が消去法で残ります。いやいや、盾持ちも水に潜るのは間違いないのだから、一番来てはいけない場所だろうと思われる向きもあるでしょうが、あそこは騎士道精神からかけ離れた場所ですし、あの潜水士たちは義務という言葉が死ぬほど嫌いなのだから、たとえタダで住める場所があてがわれたとしても、ジッキンゲン卿にあれをしろ、これをしろ、出ないと立派な騎士にはなれんぞ、と命令されるのに我慢ができないでしょう。一日、潜水士だらけの街で探してダメでしたのほうが、あきらめさせるのもはやいのです。
ただ、それでも将来有望な盾持ち候補が途中で彼の目に入ったりしないよう、わざと陸路を外れて、ボートで工業地区へ向かわないといけませんでした。工業地区の東側にはだいたい水深三メートルくらいになった水没地があって、二階建て、三階建ての家や店が窓という窓から釣り竿を出して、今日のおかずを手に入れようとしている街があります。沈み損ねた家同士を板材でつなげていますが、それは海賊が気に入らないやつを立たせて海に落とす一枚板ではなく、きちんとした手すりもあって、一輪荷車なら通れそうなくらいの幅と頑丈さがあり、ときどき人命救助用の浮き輪が橋の欄干に縄で固定してあります。多少の不便は人間の創意工夫を刺激し、毎日を改良しようという活力を生み出します。サメの死骸をずっと置いているような街には見られない、とてもいいものを見せてもらいました。もちろん、その尊敬の念はわたしにしつこく話しかけてきた時点で消し飛びました。
「おい、そこの! お前ら、煙草持ってないか? 持ってたら、メバルと取り換えようぜ!」
「郵便船はいつ来るんだよ? お前ら、何か知らないか?」
知りません。持ってません。メバルもいりません。
ここに通ったのは失敗でした。なぜ、情報収集を通りがかる船に訊くという一番安易な手に頼るのでしょうか? 橋に浮き輪を結びつける、その建国精神を発揮して、彼らがモーターボートで陸地へ行けばいいのです(このあたりの平均的な家庭は一昔前の量産型クーペのボディに船外機を取りつけ、ハンドルで動かせるようワイヤーでつなぐことができるのです)。
「ここに我が盾持ちとなり、騎士に必要な修養を身につけんとするものはいるか!」
ジッキンゲン卿が大音声を発します。こんな大きな声は出すことを考えるだけでも鳥肌が立ちます。それを間近できかされたら、その日一日はもう不幸な消化試合です。
「なに、言ってんだ? このじいさん!」
「おい、そこの灰色! このじいさんはいったいどうしちゃったんだ!?」
見ての通り、オオクチバス病の第三フェーズです。それ以上のことは、わたしは知らないし知りたくもありません。
「おい、トニー! お前、盾持ちになってやれよ!」
「やだよ! フランクにやらせろ!」
「こっちはカカアが四人目のガキをこさえてんだぞ!」
「おーい、ポーリー!」
ジッキンゲン卿は白くてたわしみたいにごわごわした口髭を撫でながら、ここには騎士にふさわしいものはいない、と、ありがたい判断をしてくれました。そう、ここはボトル・シティ。倫理も道徳も海に沈んだ、騎士道の死に絶えた街なのです。
しかし、この結論を導き出せたのであれば、もうならずものたちの棲み処に行く必要もない気がしますが、わたしのなかの敏感で繊細な心は、二度とこの水域をジッキンゲン卿と一緒に通りたくないとイヤイヤしていました。あんなふうに通行人に言葉を投げつけるなんて、倫理は? 道徳は? いったいどこに行ってしまったのでしょう? ――ああ、そうでした。海に沈んでしまったのですね。
工業地区の西側の、貸しボート屋の支店にボートを返して、邪悪で荒くれた潜水士たちの街に上陸しました。あらためて言うまでもなく彼らは筋金入りのワルです。普通の路上賭博なら二個のサイコロを使うところを四個のサイコロを使い、ギャング針と呼ばれる他では禁止されている釣り針を使い、一度使ったエアタンクをまだ空じゃないからと使いまわし、ウィスキーとは名ばかりのジャガイモ蒸留酒を二瓶飲んでから海に潜り、警察への賄賂を欠かさない、まさにワルです。
でも、さっきの街ほどではありません。わたしに話しかけようとはしませんので。ただ、ジッキンゲン卿のことは珍しそうに見てきます。ですが、それでわたしに「おい、横のじいさんはどうしたんだ?」ときいてきたりはしません。彼らの好奇心はあくまで快楽を追うときのみ発揮されます。よい使い方です。これならお酒も女性もギャンブルも無縁の善良な潜水士は絶対に話しかけられることはないでしょう。
わたしの安堵をよそに、ジッキンゲン卿は適当に潜水士を捕まえて、盾持ちになりたくないかとたずねています。
「なんでそんなもんが必要なんだ? お前、盾、自分で持ってるじゃねえか」
「盾持ちというのは象徴的な意味で、実際は我輩の従者になるのだ」
「従者だぁ? おれは誰の指図も受けねえ」
「指図ではない。騎士になりたいという心からの願望が、貴殿に自然と高潔な行動をとらせるのだ」
「そのコーケツな行動とかいうのをやったら、どうなる?」
「我輩の心証がよくなる」
「よくなったらどうなる?」
「騎士に叙勲される日が近づく」
「騎士になったらどうなる?」
「貴殿も盾持ちが持てる」
「んで、おれが盾持ちを持てたら何だってんだ?」
「いつの日か、貴殿も盾持ちを騎士に叙勲できる」
「そいつが騎士になって何があるんだよ」
「盾持ちが持てる」
「で、その盾持ちになったら、何の得があるんだ?」
「働き次第で騎士の心証がよくなり、いつの日か騎士に叙勲される」
「あのな、じいさん。おれの従弟でアーニー・ディセンコってやつがネズミ講みたいなんで稼いだんだが、最後は怒り狂った自分のカモたちに家から引きずり出されて、肉切り包丁で細切れにされて、全被害者に平等に配られた。ほとんどのやつは魚にくれちまったらしいがな。そんなわけでなじいさん。おれはあんたのネズミ講に参加するつもりはないぜ。魚の餌になるには、おれはハンサムすぎる」
そんなことが十六回続いて(なぜかジッキンゲン卿に話しかけられた潜水士たちにはみなネズミ講で客にバラバラにされた従兄弟がいました)、さすがにジッキンゲン卿も気を落としたようでした。わたしは極めつけの個人主義者ですし、なんとか全員我が家から追い出して、ひとりの気ままな暮らしを取り戻そうとも思っていますが、それでも、いまのジッキンゲン卿には同情を禁じえません。粒々お肉の化け物を恐れない勇者も盾持ちが得られないことにはひどく落胆するようです。
こうなっては仕方がありません。やはりロレンゾに泣いてもらいましょう。この広い世界のどこかにとても暗殺がうまい盾持ちがいるからと言って、蟹に食べられた天使は海のかさをあげて、わたしたちから最後の大地を取り上げたりしないでしょう。それにロレンゾにはカプタロウがいます。騎士物語に妖精が出てきた話があったので、これも得点です。
ところで、想像力に牙を剥かれたことはありますか? わたしはあります。このときもそうです。騎士になりたい盾持ちと言われて、わたしの想像力は純朴ながら熱き正義の心を持つ少年を思い浮かべました。だからこそ、わたしはジッキンゲン卿をこのならずものの巣へ誘い込んだのです。
先入観に牙を剥かれたことはありますか? わたしはあります。このときもそうです。身長七フィートの大男がまだ十四歳の少年だなんて、普通は思いません。わたしより年上だと決めてかかっていました。
気づくと、身長七フィートの十四歳の入れ墨素潜り漁師はジッキンゲン卿の盾持ちになっていました。彼が盾を持つと、馬に乗っていても上から受け取るハメになるので、非実用的です。
わたしの頭のなかはパニックを起こしていました。いろいろ言うべきことがあるのに言えるわけがありません。しかも、わたしはジッキンゲン卿と野生児のあいだで結ばれた封建的契約締結の証として、なぜか彼に持ち上げられています。わたしは彼より七歳年上であり、非常に優れた潜水士であり、こんなふうに持ち上げられるいわれはありません。水の騎士ヘンリー・ギフトレス。挙兵のときです。体じゅうのガッツのカスをかき集めて、やめろ!と一喝するのです。あなたならできます。さあ!
「や……やめ……」
「ん!?」
「……やめ……」
「ん!?」
「……あ、う」
すると、野生児の顔がパッと何かに気づいたらしく明るくなりました。漫画雑誌なら彼の頭の上で電球が点灯しているはずです。
「おう、分かった!」
次の瞬間、わたしは高さ十メートルの位置を飛んでいました。




